遠くで立ち上がる黒煙。陸八魔の叫びが響き渡り、重なるように湧き上がった浅黄の笑い声だけが辺りに満ちていた。
混沌とした状況。誰しもが次の発言に迷いあぐねているその中で、ホログラムの画面越しに天雨が引き攣った笑みを浮かべながら、
『何をするのかと思えば、虚仮威しですか。そんなことをしたところで────、』
変わらずよく回る口。しかし俺の中から、『余裕』の二文字が消え失せていくのがわかった。
「悪い、天雨。付き合ってる余裕無くなった」
『────はい?』
「わからないか。この問答に付き合ってる時間はない、って言ってるんだ」
自然と語気が強くなる。……けど、それも仕方ない。
伊草の手によって……あの子の言葉を信じるのであれば、カイザーPMCの本社は爆撃された。
アイツらに俺たちを襲う決定的な理由を与えてしまったんだ。こうしている間も、カイザー達は俺たちを襲撃する準備を着々と進めているかもしれない。
「そもそもな、俺は生徒達のどっちかの味方をするようなコトはしない。ワケあって対立することはあるかもしれないけど、どっちも俺が助ける『生徒』であることに変わりは無いよ。だから今、この場で交わされてる問答は無用でしかない」
『…………』
「これ以上続ける理由はない。わかるな?」
天雨は何も応えない。ただ真っ直ぐに俺の瞳を見つめて、黙り続けるだけ。そんな様子に痺れを切らしたらしい鬼方が言葉を続けた。
「……そもそもアコ、今回の件は独断でしょ? ここでそっちが引いてくれるなら、私たちも大事にはしない。空崎 ヒナに報告することもしないから……ここでお互い、何もなかったってことにして引くのが一番穏便なんじゃないかな。私たちとしても時間は惜しいし」
再び沈黙がある。天雨は何を考えているのか。何を思っているのかはわからない────が、その奥歯が、通信越しでもその音が聞き取れるほどに、強く噛み締められたのがわかった。
『────何も知らないくせに』
「うん?」
『今回の……エデン条約は委員長にとっても大事なものなんです。失敗はできない。少しでも不安因子は消したい……先生。貴方は変数として、あまりにも大きすぎるんです』
顔が伏せられる。前髪で隠れて、その目元は見えない。長い長いため息を吐き出して────再び前を見たその視線は、俺には向けられていなかった。
『イオリ。撃ちなさい』
短く、冷たい声で放たれた命令の言葉。ソレに従うように、イオリと呼ばれた銀髪の少女の銃口が、躊躇いがちに俺へと向けられた。
「アコちゃん……」
『大丈夫です。何とかなります。委員長も理解してくれることでしょう』
不安に揺らぐ視線と指先。その背中を押すように放たれた言葉と同時に、
「────
引き金は、引かれた。
「
眩い光と凄まじい銃声。放たれた弾丸は一直線に俺の身体を目掛けて飛来し、両手に剣を投影した────その瞬間、
「────、────」
暴風を纏って、
白い髪を靡かせ、目にも止まらぬ速度で割り込んだその影は、蝙蝠のような巨大な翼を持った少女だった。
肩から下げた不釣り合いな程にブカブカなジャケットの左腕部分には、『風紀』の文字が記された腕章。強く握りしめた右手からは煙が立ち上り、放たれた銃弾を素手で受け止めたことがわかる。
それから、
「────空崎、ヒナ」
背後で陸八魔が息を飲み、思わず漏らしたその名前。
瞬きの間に現れたその子が、ゲヘナ学園『風紀委員会』を統括する、最強の存在であるということを────彼女の放つ膨大な『魔力のような何か』と重圧から、嫌でも解らされた。
この場の誰もが発言権を彼女に奪われる。息を飲み、その立ち姿を傍観することしか許されない。誰もが一歩を踏み出すことすら許されない、と思ってしまうほどに、彼女が放つオーラは圧倒的だった。
握りしめた右手が開かれる。金属音を奏でながら銃弾が地面を跳ねて、ようやく全員に呼吸の権利が戻った気がした。
「……アコ。何をしてるの?」
鈴の音のような可憐な声。静かに放たれた問いを受けて、天雨の肩が小さく跳ねる。
『わ、私は────』
「聞こえなかった? 言い訳が聞きたいわけじゃない。エデン条約の締結が近い今、一体あなたは何をしていたの?」
それでも放つ言葉には、威圧感と彼女自身の強さが滲んでいて。反論も言い訳も許されないまま、天雨は背中を丸めた。
『……ごめん、なさい』
「────、……ん。チナツに言われて来てみれば、思ったより厄介なことになってたのね。急いで来て良かった。……アコは反省文300枚。イオリや他の面々は……まあアコに巻き込まれた形だろうから、良しとするわ」
空崎の視線が辺りを見回す。肩を強張らせた風紀委員の面々と、便利屋の面々。そして最後に、ここに来て初めて俺を見た。
「……ちゃんと罰を与える。だから、今回のことは許してくれる? 先生」
「え? ……ああ、いや。別に俺は天雨のコトを怒ってるワケじゃないんだ。むしろ、天雨は空崎のコトを思って行動したらしい。だから……その」
思わず言い淀む俺の言葉の先を察したらしい。空崎は柔い笑みを浮かべると、小さく頷いた。
「……優しいのね、先生って。大丈夫よ、アコは私に悪意を持ってそういうことする子じゃないってわかってるから」
「そうか、なら良かった」
それだけ告げると、空崎は風紀委員の面々と向き合うように俺に背を向けて、ゆっくりとした足取りで歩いて行った。ソレと入れ替わるように、俺の知っている顔がこっちに駆け寄ってくるのが見える。
「火宮。久しぶりだな」
「お久しぶりです、先生。このような再会になってしまったことは、とても残念ですが……」
黒縁の眼鏡を鼻にかけ直し、火宮は苦笑を浮かべている。……正直助かった。火宮が空崎を呼んでくれなければ、今頃戦闘になっていただろうし。
「戦闘になる前に止められて良かったです。このままもつれ込んでいれば、アコ行政官たちの方が負けてしまっていたでしょうし……」
「む……それは買い被りすぎだ。正直、勝算が薄かったから必死に戦闘を避けようとしてたところもあるんだぞ」
「……買い被りではありませんよ。あの日、先生の指示を受けた『私』の率直な意見です。それに────、」
言いながら、火宮の視線が俺たちの背後に向く。つられるように肩越しに振り返れば、騒ぎを聞きつけたアビドスの面々がこちらに走って来ているのが見えた。
「……アビドスの方々はとても強い。小鳥遊先輩の姿が見えませんが、だとしても危うかったかと」
「そうか? ……そうか」
正直素直に納得はできない。けど、アビドスの面々が強いってのは同意する。とりあえず、湧き上がった言葉の数々を飲み下すことにした。
じゃなくて。今はこうして雑談に興じてる時間もあまりなくてだな。
「悪い、火宮。ちょっと今時間がなくて。今回の礼は、また改めてさせてもらうから」
「? ……はい。わかりました。礼を言われるほどのことはしていませんが、今度は是非、ゲヘナ学園へいらしてください」
小さく頷きを返して、会話を切り上げ駆け出すために踵を返す。それと同時に、いつの間にか火宮の隣に立っていた空崎が何か言いたげな目を俺に向けて来た。
「……ええ、と。どうかしたか、空崎?」
「……どちらかの生徒に味方するようなことはしない。先生の言葉、覚えておくから」
変わらず柔らかな笑みを浮かべた空崎がポツリと呟く。……どうやら天雨との問答を聞かれていたらしい。少し照れ臭いな、どうにも。
「……ああ。何かあったその時は頼ってくれ」
「うん。先生も、ね」
……よし、今度こそ。便利屋を連れて、駆け寄って来たアビドスの面々の所へ向かう。
とりあえず、現状を共有しなければ。
◇◆◇
場所は変わって、アビドスのいつもの教室。改めてみんなに現状と例のカードについての考察を共有し終えると、アヤネが長いため息を吐き出した。
「……確かに。例のカードに神秘を吸収し、ソレを意のままに操る兵隊へと変える技術を持っているとすれば────私たちを繰り返し襲わせている理由も、セリカちゃんを誘拐しようとしたのも納得がいきます」
アヤネのその言葉に嘘はない。だとしても、一度は敵として武器を向けられた便利屋の面々への警戒は解けないようで、陸八魔と鬼方に向ける視線はあまり良いものではなかった。
「だとしても、私たち便利屋に対する警戒は解けない……と言いたい顔をしているわね。だからというわけではないけれど、ムツキ室長とハルカをカイザーの偵察に向かわせているわ。この場で戦力的には私たちが圧倒的に不利。何か怪しい動きをすれば、貴女たちアビドスなら簡単に制圧できるでしょう。違う?」
……流石は便利屋の社長、というべきだろうか。壁にもたれかかったままの陸八魔は、端末の通知を気にしながらそう言い放つと、そのまま言葉を続けた。
「……それに、今回状況を悪化させたのはウチの社員よ。ちゃんと責任は取るし、このままカイザーを迎え撃つ気なら協力もする。事態を厄介な方に動かしてしまって、ごめんなさい」
深々と下げられる頭。放たれた声音は酷く静かに、それでいて沈んでいて。セリカが何か言葉を飲み込んだ後で、大きなため息を吐き出す音が聞こえた。
「……まあ良いわ。過ぎたことを掘り返しても仕方ないし……正直、アンタらが危ないってんなら見て見ぬ振りするのも寝覚が悪いしね。でも先生? 神秘をカードで奪い取るって言うんなら、ウチで一番強いホシノ先輩が一番危ないんじゃない? 先生は何処に行ったか知らない?」
「いや……知らないな。特に共有は受けてないし……セリカたちも知らないのか」
言いながら、各々に視線を向ける。目があったアビドスの面々は小さく首を横に振るだけで、その反応は芳しくない。
しかし、噂をすれば影、とはよく言ったもので。その場の全員が首を傾げた所で、音を立てて扉が開いた。
「ありゃ、なんか大所帯。何かあったの?」
「ホシノ────」
いつもの眠たげな様子のまま、あくび混じりのホシノが部屋を覗き込む。便利屋の二人、それからシロコたちに視線を向けた後で。その色違いの視線は、まっすぐに俺のことを捉えた。
「ちょうどよかった、ホシノ先輩。カイザーが────」
「ごめんね、アヤネちゃん。それは後で聞くから。……先生、ちょっと良い? 話があるんだけど」
「え? ああ。別に良いけど……ここじゃダメな話か?」
「そだねー。できれば、二人で話したいかな」
◇◆◇
かつ、かつ、と辺りに響く足音を聞きながら、ホシノに連れられる形で廊下を歩いていく。
会話もないまま、俺たちの足は階段へ。そのまま迷い無く最上階まで上がると、屋上へ続く扉を押し開けた。
ちょうど真上で輝く太陽。急激にやって来た眩しさに目を細めながら、フェンスまで歩いていくホシノの背中を眺める。そのままフェンスに背中を預けるように、ゆっくりと振り返った。
「今日は暑過ぎず、いい天気だねぇ。ここおじさんのお昼寝スポットのひとつなんだ〜」
「そっか。……日差しも気持ちいいし、良い場所だな」
アビドスの干からびてしまうような強い日差しも、今日は比較的落ち着いている。穏やかな陽気だ。ここで昼寝したくなる気持ちも正直よくわかる。
ホシノの隣まで歩み寄り腰を下ろして……横目にホシノを見上げれば、水色の瞳と目があった。
そのまましばらくの沈黙。言葉を選ぶような、言い淀むような間だった。ホシノが何度か口を開きかけては閉じを繰り返し、小さく瞳が揺らぐのがわかる。
「先生、ありがとね」
「ん……なんだよ、急に」
「いや〜、さ。先生はアビドスのことを考えて、色々と動いてくれてて。そのお礼、ちゃーんと言えてなかった気がするからさ」
……別にいいのに。俺としては────『先生』として当たり前のことをしただけだ。それに、
「お礼を言うなら、全部がちゃんと良い方向に落ち着いてからにしてくれ。ここからが大変、だからさ」
まだまだこれからなんだ。確かに、アビドスの現状は前に進みつつある。だとしても、まだやるコトは山積みで。様々な問題が空高く積まれている……そんな錯覚すらある。
そんな、目の前の『未来』を語る俺に対して────、
「────全部が良い方向に、ね」
ホシノの声音は、酷く冷たかった。背筋が震えるような錯覚を覚えてしまうほどに。
「……ホシノ?」
「ねえ、先生? 先生はさ。私たちのこと、第一に考えてくれるよね」
「え、ああ。そりゃあもちろん」
話の雲行きが怪しい。ホシノの声音が震えていて、それで────、
「じゃあさ。先生は間違えないよね。きっと、正しい道を選んでくれる」
思わず立ち上がる。そのままホシノに詰め寄り、
「おいホシノ、何か────」
腹部に、強い衝撃が走った。
肺から空気が一気に抜けていく。ぐら、と視界が揺らいで、地面が近づいてくるのがわかった。
いや、違うな。これ、俺が倒れてるのか。
「────先生は間違えない。みんなのことを思って行動してくれる。そこは、心の底から信頼してるから」
「ホシノ……、」
「だからね。バイバイ、先生────みんなのこと、よろしくね」
意識が遠のいていく。暗闇が視界の外から迫ってくる。
自然と伸ばした指先が、ホシノの掌に包まれて、
「約束」
俺の視界が、暗転した。