慎二を除くアビドスの面々。それから、カイザーの様子を見に行っていた浅黄と伊草を含めた便利屋の面々が、既に対策委員会の部室に集まっていた。
扉を開くなり、あまりよろしくない空気が部屋に満ちているのがわかる。あれほど快活そうな印象を受けた浅黄ですら、部屋の隅で静かに座っているほどに。
「……先生」
ノノミの視線が俺に向く。……瞳が赤い。瞼も少し腫れている。いや、ノノミだけではなく────アヤネも、セリカも。
……こうなるのも無理はない。気持ちはわかる。だからこそ、
「全部シロコから聞いた。状況は把握してる。……じゃあみんなで、あの仕方ない先輩を連れ戻しに行こうか」
いつも通りの声音で、明るい調子で。なんでもないコトのように言い放つ。
その言葉を聞いて、部屋に満ちていた空気が少し緩んだのがわかった。安心したようなため息を吐いたりだとか、小さく吹き出したりだとか。
「……と、言うのは簡単なワケなんだけど。ここからは現実的な話をしたい」
いつも通りに戻ったのは良い。それはそれとして、話さなければいけないことはある。
やること、やるべきことは単純だ。カイザーをぶっ飛ばしてホシノを連れ戻す。とはいえ、そこに付随している問題は単純ではないワケで。
しまりのない俺の表情を見やるなり、鬼方が苦情混じりに口を開く。
「……そうだね。助けに行く、と言うのは簡単。けど、相手は思ったより本気みたいだから」
言いながら、鬼方の視線が向いたのは部屋の隅を陣取る浅黄と伊草。つられるように目を向けると、浅黄が小さく手を振ってきた。
「ハルカとムツキの報告から、カイザーは全力でアビドスを────いや。私たちを含めた全員を本気で潰すつもりみたい。駐屯基地ひとつから、ざっと四十〜五十人程度の増強小隊が派遣されると思って良い」
「……アヤネ。今アビドスにカイザーの駐屯基地はだいたい幾つある?」
「私たちが彼らに明け渡した土地から考えるに、多くて四つほど……でしょうか」
「……多く見積もってだいたい百五十〜二百人前後か」
「そうだね。私たちは、その中隊規模の相手勢力を、たった九人で相手にしなくちゃいけない」
一個中隊をたった九人で。改めて数字にされると戦力差は圧倒的だ。しかも今回の相手は戦闘のプロだ。正直絶望的だと思う。たとえトリニティの支援があったとしても。
「それから、先生? アビドスの子たちから聞いたけど、トリニティの支援はあまりアテにしない方がいいかも」
「む。それはなんでさ?」
「……常に『最悪』を考えないと。戦場において、『あり得ない』は
……確かに鬼方の言っているコトには一理ある。常に最悪の想定をして立ち回る。その上で、口約束とはこの上なくアテにならないか。だとすれば、この場の九人でカイザーの中隊────それから、カードから生み出されたヘルメット団を相手にすることを想定しないとダメだ。
「……別の誰かに頼みに行く必要がある、か」
負けられない戦い。常に最悪の想定を。なら、戦力の増強を図らなければいけない。
……正直なところ、アテはある。外部を巻き込むのは気が引けるけど。
思考をまとめるように黙った俺を、シロコが覗き込んでくるのが見えた。
「先生、何か考えがある顔してる」
「ああ、そこは任せてくれていい。浅黄に伊草、カイザーはどれくらいで準備を終えそうに見えた?」
「ん? ん〜……多分、早くて明日の朝かな。だいぶ慌ただしそうだったけど、この後すぐって感じではなかったよ」
……なら、なるべくみんなに休んでもらって、体力を温存してもらわないと。そのうちに俺は準備を進めるだけだ。
「了解。ならみんなは休んでてくれ。……申し訳ないけど、アヤネは後でヘリを操縦して欲しい。行きたい場所があるんだ」
◇◆◇
「
……そろそろ日付が変わろうとしていた。俺の言葉に反応した魔術回路が、弾薬が詰まったマガジンを編んでいく。
額に伝う汗。貧血状態のようなフラつき。ほんの少し霞む視界の中でも、集中力だけは切らさない。
「────
アビドスの弾薬や資源は、正直な話『潤沢』ではない。これからカイザーを相手にしなければいけないと考えれば、尚のこと。
俺がここに来る時に持ってきた分で足りるかと聞かれれば、素直に頷くのは難しい。他校から借りるコトも考えたけど、それでも出来るだけ準備はしておきたかった。
「これでシロコの分は終わり。次は────、」
『……先生?』
マガジンを積み上げた所で、すぐ近くに置いた『シッテムの箱』から俺を呼ぶ声がする。視線を向ければ、画面の向こうから不安そうな視線で俺を見つめるアロナと目があった。
『もうかれこれ、三時間もそうしてます。顔色も……正直あまりよくないですし。休んだ方が……』
恐る恐る紡がれる言葉。ほんの少しだけ、何かに怯えるようにアロナの瞳は震えていて。そこに来てようやく、俺の眉間に深い皺が寄っていることに気がついた。
……アビドスの借金問題。神秘を吸収、再現するカード。そしてソレを────いや、生徒を利用する汚い
生徒の前では抑えるようにしていたけども。俺の
その怒りが俺の表情に滲み出て、こうしてアロナを怯えさせてしまったのだろう。正直申し訳ない。
画面に触れる。何か薄い膜を潜るような感覚の後で、俺の意識は荒れ果てた教室に────シッテムの箱の内部へと入り込む。目の前に立つアロナの頭にゆっくり手を伸ばすと、髪が乱れるのも気にせずにわしゃわしゃと撫で回した。
「心配させてごめんな、アロナ」
「ん、ぇぇ〜……生徒のためになって欲しいと願ったのも、士郎先生を『先生』という立場に繋ぎ止めたのも私です。ですが、先生自身が身を削るような判断は、私は……」
「うん、わかってる。……朝五時半にはアビドスを出るつもりだから。三時には切り上げて、ちゃんと睡眠をとるよ」
「それでも睡眠時間が短すぎます! ……と言っても、先生は聞かないんでしょうね」
頭を撫で回されながらも、ほんの少し諦めたようなため息を吐き出すアロナ。やれやれ、と肩まで竦めてしまう始末。まあ、正直な話アロナの言葉は否定できないワケだけど。
思わず黙秘権を行使する俺。そんな気まずい沈黙の中で、乾いたノックの音が俺の意識を現実に引き戻す。暗い空き教室の中で視線を引き戸に向けて、
「鍵は開いてるよ。いいよ────」
入ってくれて、と。続け様に放とうとした言葉が喉の奥へと戻っていく。
引き戸に備え付けられた曇りガラス。そこに浮かぶシルエットには見覚えがなく。ゆっくりと開いていくその戸の向こうから漂ってくる
「お初にお目にかかります、シャーレの衛宮先生」
黒服に身を包んだその影に見覚えはなく、おおよそ人型を象ってはいるが、俺はソイツを『人間』だと判断することは憚られた。
顔面と思われるその部位は、黒いヘルメットのような何かに覆われていて。仮面に貼り付けられたような────いや、正しく『絵に描かれた奇妙な笑顔』を向けて、ソイツは教室へと足を踏み入れる。
「────なんだ、おまえ」
「そう殺気を飛ばさないでください。私は別に貴方と争いに来たわけではありませんから」
放たれる声にも聞き覚えはない。カイザーPMCの理事でも、生徒でも何でもない異形の怪物は、場違いなほどに緩やかな動作で戸を閉めると俺に歩み寄ってくる。
争いに来たワケではない。その言葉に嘘はないようで、武装の類は特に見受けられず。戦意や殺気は放っていない。
それでも用心に越したことはない。いつでも武器を投影できるように、意識を自身の身体に向けた。
「……それに、貴方も体調が万全、というわけではないでしょう? 生徒の皆さんに手を出すこともしませんよ。時は深夜。大人の時間────そうですね。ここでは、
「────、────」
やたらと口がよく回るやつだ。黙って何も答えるコトをしない俺を他所に、ソイツは礼儀正しく、仰々しいほどの礼をしながら、
「では、改めまして。初めまして、シャーレの先生。私は『黒服』────『
「アーカイブカード……?」
「ええ。貴方は何度も目にしているはずですよ」
言われて、フラッシュバックする。
目の前で黒いカードに『魔力のような何か』────神秘が吸収されるあの光景が。
悲鳴をあげて苦しんでいるあの子を見ていることしか出来なかった自分への怒りが。
「まさか、おまえ────!」
「ええ。開発者は私ではありませんが、彼にカードを提供したのは私です」
「『如何でしたか』だと……? ふざけるな。おまえは……おまえは生徒をなんだと思ってる!?」
「……何故憤っているのか理解できませんね。だって────」
コイツは、
「────貴方たち魔術師も、似たようなものでしょう?」
コイツは一体、どこまで知っているのか。
「自身が目指す先。『根源』に至るために如何なるモノも切り捨て、利用し、必要な犠牲として消化し昇華させる。崇高に至るべく
「────、────」
「特に『聖杯戦争』という儀式は実に興味深い。到底、人の手には余るほどの神秘────いえ、貴方たちでは『魔力』と呼称するんでしたか。その魔力を利用し、如何なる願いも叶える万能の願望機を
……よく回る口だ。うだうだとうるさい。耳障りな声は静かな教室に反響し、思わず漏れ出たため息がその言葉を遮った。
「……わざわざ俺の神経を逆撫でに来たなら帰ってくれないか。虫の居所が悪いんだ。このままだと、おまえを殺しかねない」
「ああ、申し訳ありません。話が横道に逸れてしまいましたね。本題に入りましょうか」
長くて喧しい前振りが終わりを告げる。黒服と名乗ったその男は、一度だけ小さく喉を鳴らすように笑い声をあげた後で────白い隻眼が、その視線が。俺に向けられた気がした。
「我々ゲマトリアと魔術師は同じ生き物。なので、私たちの仲間になりませんか?」
「────は?」
戸惑う俺を他所に、黒服は俺を迂回するように歩みを進めると、俺が投影したマガジンのひとつを拾い上げ、まじまじと見つめる。
「良い仲間になれると思うのですよ。それに、私としては貴方の能力も実に興味深い」
「……断る。今の会話の流れで良い仲間になれると思えるような価値観のヤツに、俺はついていけないしついて行く気もない。第一、前提が間違ってる。おまえが定義するモノが魔術師だって言うんなら、俺は魔術師じゃない。そもそもなった気もないからな」
「おや、それは残念。ダメ元ではありましたが、良い仲間になれると思っていたのは本心なのですよ」
放つ言葉全てが嘘に塗れているような感覚がある。コイツは、俺の苦手なタイプだ。
人の逆鱗に遠慮なく触れる立ち振る舞い。心の底からの本音を喋っていないような声音。放つ言葉、態度、感情────その全てから嘘が滲み出ているようなコイツからは、
『────喜べ少年。キミの願いは、ようやく叶う』
……俺が苦手な人間と、同じような匂いがしていた。
黒服は俺の睨むような視線を受けながらも、ゆっくりとマガジンを元の位置に置き直して、これもまた大袈裟に大きく肩をすくめた。
「では、次ですね。アイスブレイクの類はお気に召さないようなので、単刀直入に言います。『暁のホルス』────小鳥遊ホシノを諦めてくれませんか?」
「それも断る」
「おや、即決ですね。人の話は最後まで聞くものですよ。……先ほど言った通り、
ジャケットの懐から取り出された一枚の紙。それを広げて俺に見せつけてくる。確かにその書類に不備はなく、特に偽装の痕跡は見受けられなかった。
「小鳥遊ホシノを諦めるのであれば、もう半分も私が肩代わりしましょう。特にその金銭を請求するつもりはありません。アビドスの面々はこれから『いつも通りの平和』を────青春を謳歌できる。悪い条件ではないでしょう?」
「────、────」
「貴方が思い描く平和は訪れる。負け戦も回避できる。私たちはアビドス最強の神秘を手に入れる。双方得する取引だと思うのですが、如何でしょう?」
大人のやり方。そう、コイツは口にした。
だから多分、コレがコイツの言う大人のやり方なんだろう。
だけど、
「────どうしようもなく腹が立つな、おまえ」
「おや」
「聞こえなかったか。腹が立つって言ってるんだ。俺はその条件は飲まない。思い描く平和? いつも通りの平和? ふざけるんじゃねえ」
心の底から、気に食わなかった。
「おまえの言う『思い描く平和』にホシノは居ない。誰かひとりが欠けた上で成り立つ平和なら、俺は────いや。『
シロコも、ノノミも、アヤネもセリカも。全員の表情が曇っていた。止められなかった自分を嘆いていた。
誰かひとりが欠けた平和を甘受することはなく。それでも過酷な道を選んだんだ。決してあの子たちは、そんな平和は望んでいない。
「多くを救うために誰かを切り捨てるコトは俺はしないし、したくない」
誰かを助けるということは、誰かを助けないということ。
かつて切嗣に言われたあの言葉が、未だに胸に突き刺さって離れない。
……俺が切嗣に抱いた思いは違う。俺が思い描いた『正義』と『平和』は、
「クク、クックック……」
「……、……何がおかしい」
「いえ、いえいえ。何も。いやしかし、『類は友を呼ぶ』とはよく言ったものですね」
癪に障る。噛み締めた奥歯が軋む音が響き、それでも黒服は言葉を止めることはなかった。
「小鳥遊ホシノの選択を貴方は否定している。けれどその実、貴方は自分自身がすり減ることを許容している。この状況がその証明ですよね」
「────、────ッ」
「責任を取るべきは子供ではなく
言いながら、ゆっくりと黒服は歩みを進めて行く。戸に指先をかけながら、最後にゆっくりと肩越しに振り返ると、
「シャーレの士郎先生という愚直な正義。その圧倒的な変数が、この世界に貼り付けられたテクスチャに何を生み出すのか。そして、どんな未来に辿り着くのか。せいぜい足掻いてみてください」