Eclipseの復活は、単なる一バンドの再始動という枠を超え、世界的な音楽シーンの地殻変動となった。
かつての「伝説」に安住することなく、彼らはさらに凶暴で、それでいて洗練された新しい音を提示し続けた。翌年にはワールドツアーを予定しており、ロンドン、ニューヨーク、パリ……世界中の観客が、九十九蓮の叩き出す重低音に熱狂することになる。
蓮の名は、今後「世界のツクモ」として、音楽雑誌の表紙を飾り続けていくこととなる。
そんな喧騒の合間を縫って。
冬の冷たさが残り、春の気配が微かに混じる3月の午後。蓮はあの日と同じ、下北沢の小さな公園にいた。
「……お待たせしてすみません」
背後から聞こえた声。振り向くと、そこには卒業式を数日後に控えた、私服姿の山田リョウが立っていた。
以前よりも少しだけ背が伸び、顔つきもどこか大人びている。けれど、その瞳に宿る音楽への渇望は、出会ったあの日から何一つ変わっていない。
「いや、俺も今来たところ。ツアーの打ち合わせもひと段落したし、ちょうど良かったよ」
蓮が優しく微笑むと、リョウは少しだけ申し訳なさそうに視線を落とした。
「Eclipseの復活直後で忙しい蓮さんを、こんな場所に呼び出して……。でも、今日だけは、ここで話さなきゃいけないと思ったんです」
二人は並んでベンチに座る。
自販機で買った温かい飲み物の缶が、指先に熱を伝えてくる。
「……結束バンドのこと、聞いたよ。来年の4月にメジャーデビューだって? おめでとう」
「はい。ぼっちと郁代の卒業を待って、正式に動き出します。……と言っても、やることは変わりません。私が最高だと思う音を書いて、あいつらが最高にカッコよく鳴らす。それだけです」
「リョウちゃんらしいね」
リョウは進学せず、音楽一本で生きていく道を選んだ。それは蓮もかねてから聞いていた話だった。だが、彼女が今日この場所に蓮を呼び出した理由は、進路相談などではなかった。
「……蓮さん。本題、です」
リョウの声が、わずかに震えている。
彼女は膝の上で拳を強く握りしめ、かつてないほど真っ赤な顔をして、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「卒業したら……私は、蓮さんの元へ行きたい。……いえ、弟子としてだけじゃなく、その」
リョウは一度言葉を切り、大きく深呼吸をした。
冷たい空気が、彼女の肺を、そして決意を研ぎ澄ませていく。
「……一人の、女性として。九十九蓮という人の隣にいたい。……恋人として、お付き合いしてください」
告白。
それは、世界最高峰のベースソロよりも力強く、リョウの魂から絞り出された本音だった。
「…………っ」
蓮は言葉を失った。
ふと、視界の端で茂みがガサガサと揺れた気がした。
目を凝らすまでもなく、少し離れた電柱の陰や植え込みの影から、結束バンドの面々と、星歌、PAさんの姿が透けて見えている。
特に喜多ちゃんに至っては、今にも飛び出してきそうな剣幕で、まるで血涙を流さんばかりの形相でこちらを睨んでいた。
だが、今の蓮には、彼女たちの野次馬根性を笑う余裕などなかった。
蓮は昔から、どうしようもないほどモテた。
けれど、浮いた話の一つもなかった。Eclipseのメンバーからは「お前はいつかベースと結婚するんだろ」と揶揄され、自分でもそれでいいと思っていた。自分の心臓は、四本の弦を震わせるためだけに動いているのだと信じて疑わなかった。
けれど。
今、目の前で顔を真っ赤にし、震える肩を必死に抑えながら自分を見つめる少女を前にして、蓮の胸の奥が、かつてないほど激しく波打っていた。
「……参ったな」
蓮は苦笑いしながら、自分の胸元に手を当てた。
「リョウちゃん。俺ね……君のことは、ずっと『最高の教え子』で『尊敬する後輩ベーシスト』だと思ってた。そういう目で見たことはなかった……はずなんだけど」
リョウの瞳に、不安の色がよぎる。
「でも、さ。今、俺の心臓……ステージに上がる直前よりも、ずっとうるさく鳴ってるんだ。どうやら俺にも、音楽以外の感情が残ってたみたいだ」
蓮はリョウの目を見つめ、はっきりと告げた。
「俺も、君といる時間が心地よかった。君の感性に触れて、君の隣で笑っている自分が、一番自分らしくいられた気がする。……今は、俺も君にドキドキしてるよ」
蓮が手を差し出す。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
「…………っ!」
リョウの顔が、驚きと、そして弾けるような喜びで塗り替えられた。
彼女は我慢できなくなった子供のように、勢いよく蓮の胸に飛び込んだ。
「――わあっ!」
蓮がそれを受け止めた瞬間、背後の植え込みから「ドガシャッ!」という派手な音が響いた。
「わ、わわっ! ぼっちちゃん、押さないでよぉ……!」
「す、すみません虹夏ちゃん……あいたたた」
「……あああ、リョウ先輩が、リョウ先輩がああああ(号泣)」
体勢を崩して雪崩のように転がり出てきた野次馬たち。
星歌が「ったく、お前ら……」と呆れながらも、その目尻を少しだけ下げていた。
PAさんも口元に手をあてて微笑んでいる。
リョウは蓮の胸に顔を埋めたまま、恥ずかしそうに、けれど幸せそうに呟いた。
「……もう、離しませんから」
「ああ。覚悟しておくよ」
一年後。
都内の、防音完備の高級マンション。
ワールドツアーを大盛況のまま終えた蓮の自宅。
そこには、二本のベースケースが並んで置かれ、二種類のシールドが床を這っている。
朝から晩まで、どちらからともなくベースを手に取り、どちらからともなくフレーズを重ねる。
「今の運指、ちょっと甘かったね」
「うるさいな、リョウこそ今の三連譜、リズム走っただろ」
音楽に全てを捧げた「音楽バカ」なベーシストカップルの日常。
彼らの紡ぐ低音は、時に激しく、時に優しく重なり合い、世界で最も美しいアンサンブルを奏で続けている。
下北沢の公園から始まった物語は、今、二人の奏でる終わりのないラブソングへと変わっていった。
これにて完結です。
衝動に任せて書いたので非常に短かったと思いますが、ご読了ありがとうございました。