デバッガーズの夏【先行体験版】   作:EMM@苗床星人

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Log01『デバッグの夏が、はじまる』

 ――ファインダー越しに見る世界は、時々、本当の姿を隠しているのだ。

 僕のカメラと『イヅモ』が捉えたあの夏には、ひび割れた極彩色の青空の裏側に、触れたら心が壊れてしまうような

 暗くて冷たい「怖いこと(バグ)」がぎっしりと詰まっていた。

 

 機械の底でずっと泣き続けていた女の子。

 

 神様という名の冷徹なシステム。歴史の闇に沈められた、数え切れないほどの悲鳴。

 

 大人の本には『神話』と書かれるような、この世界の残酷な真実。

 

 

 でも、僕のアルバムのど真ん中に残っているのは、そんな怖いものなんかじゃない。

 

 じりじりと焼けるアスファルトの匂い。

 

 こんくんとひとみちゃんの他愛ない喧嘩の声。

 

 ミズキちゃんの油まみれの手の温もり。

 

 シュワリと弾けるラムネの音。

 

 そして、ヨーコちゃんとカゲリちゃんが並んで笑い合った、あの日見た最高に綺麗な打ち上げ花火。

 

 みんなで夢中に駆け抜けた「むき出しの夏休み」の熱量が、冷たいデジタルの深淵を、たしかに上回ったのだ。

 

 だから、世界中の誰も知らなくても、証拠のデータが一つも残っていなくても、構わない。

 これは、狂気の神様が見ていたただの夢なんかじゃない。

 僕たち『デバッガーズ』の指先がこの世界に刻みつけた、最高にイカした、新しい神話の記録(ログ)なのだ。

 

 

 あの夏、僕らは—―神様(かのじょ)をハッキングした

 

 

【Cthulhu Mythos TRPG//We Are Debuggers of Kuromare Village!】

【System Booting...】

 

 ――僕らの夏休みを、デバッグしよう。

 

       —―東北 もんた

 

 

 

 

 

 

 二〇四五年、七月某日。 畳の匂いが微かに残る古民家の朝は、けたたましい電子音から始まった。

 

「……んうぅ」

 

 枕元で『ぴろりん、ぴろりろりん』と震える黒縁の眼鏡を、少年――東北もんたは眠たげな手つきで探り当てた。

  目を擦りながらその眼鏡をかけると、まだぼやけていた視界のピントが自動でカチリと合う。

 それと同時に、古民家の木目の天井を覆い隠すように、鮮やかな極彩色のウィンドウが次々とポップアップした。

 昨晩のゲームのデイリー報酬、見逃した配信の通知、そして朝の天気予報。

 もんたは大きく欠伸をしながら、空中で指を弾くようなハンドジェスチャーをした。

 視線トラッキングとジェスチャー入力が連動し、空中に浮かぶウィンドウたちが泡のように弾けて消えていく。

 クリアになった視界の右端で、無機質だがどこか愛嬌のあるAIのアラートテキストがそっと浮かび上がった。

 

『【Good Morning】 おはようございます、もんた。本日の黒客村(くろまれむら)の天候は晴れ。気温は三十四度まで上昇する見込みです』

 

「……今日も暑くなりそうなのだ」

 

 独り言ちて、もんたは万年床から元気よく飛び起きた。 これが、二〇四五年の当たり前の朝だった。

 縁側から差し込む強烈な日差しを浴びながら居間へ向かうと、そこには食欲をそそる味噌汁の匂いと、土の匂いがあった。

 

「おはよう、もんた! 見ろよ、今日はキュウリが豊作だぞ!」

 

 かつては都心で会社員をしていたが、今ではすっかり日に焼けた父親が、艶やかな緑色のキュウリを誇らしげに掲げている。

 

「やっぱスマートダストのスキャンは正確だな。土壌データを読み取って、AIの指示通りに肥料の配合をちょっと調節したのが良かったみたいだ! これなら来月の出荷も安泰だな」

 

「おおー! つやつやなのだ!」

 

 母親がよそってくれた朝食を食べながら、もんたの眼鏡越しに見える空間には、空間投影された「ホロテレビ」のニュース番組が流れている。

 

『――現在、EMM社のMR眼鏡『イヅモシステム』の普及率は発表されて10年、世界で九十%を突破。かつてのスマートフォンの時代は完全に過去のものとなりました』

 

『特集です。次世代の教育特区として注目を集める岡山県、黒客村。

 村の土や木、空気そのものにまでナノサイズの演算端末『スマートダスト』が散布されたこの村は

 地形による通信の遮断(圏外)や、物理的な遮蔽物によるMRの表示ズレ(オクルージョン)から完全に解放された

 世界で最も自由な電脳解放区として世界中のIT技術者やクリエイターの憧れの的に……』

 

 最先端のテクノロジーと、日本の原風景。

 本来なら相反するはずの二つの世界が、この村では当たり前のように溶け合っている。

 

「ごちそうさまなのだ!」

 

 ニュースキャスターの声を聞き流しながら、もんたは最後の一口を飲み込み、勢いよく立ち上がった。

 今日は一学期の終業式。

 授業もなく、午前中で終わる特別な日だ。

 だから、背負うランドセルも羽が生えたように軽い。

 

「行ってきますのだ!」

 

 引き戸を勢いよく開け放つ。

 

『ミィーーーーンミンミンミンミンミーーー……』

 

 耳を劈くような蝉時雨と、どこまでも高く青い空が、もんたのイヅモの視界いっぱいに広がった。

 

 ――この時、彼はまだ知らない。 この村を覆う美しいテクスチャの裏側で、途方もないバグが口を開けて待っていることを。

 そして、今日から始まる夏休みが、生涯忘れられない冒険になるということを。

 

 さあ、行かなくちゃ。 今日も、このデタラメで最高な世界の、「バグ」を探しに。

 

 

     * * *

 

 

 凛とした空気が、朝露に濡れた神社の境内を包み込んでいた。

 木々の隙間から差し込む朝日が、苔むした石畳と、激しく交錯する二つの影を照らし出す。

 

「――っ、はっ!」

 

「遅い! 膝のバネをもっと活かせ、こん!」

 

 鋭い呼気と共に、白神(しらかみ)こんの拳が空を裂く。

 しかし、その一撃は父親の分厚い掌に容易く受け止められ、いなされた反動でこんの身体が宙を舞った。

 見事な受け身を取って着地したこんは、荒い息を吐きながら前髪をかき上げる。

 

「まいった。親父、相変わらず容赦ないな……」

 

「馬鹿者、戦国の世なら今ので首が飛んどるわ。……まあ、筋は良くなったな」

 

 白神家は、代々この黒客村の神社を守る家系だ。

 古文書によれば、戦国時代には僧兵として戦場を駆け回っていたという武闘派の血筋でもある。

 神社の地下に「何か」が眠っているという伝承を守るため、日々の鍛錬は彼らにとって祈りと同じくらい重要な日課だった。

 

「ほら、さっさと汗を流してこい。遅刻するぞ」

 

「わかってるよ」

 

 こんは首に巻いた手拭いで汗を拭うと、境内の端に置いてあった荷物をひょいと担ぎ上げた。

 イヅモの視界の端に表示されたデジタル時計が、約束の時間を告げている。

 彼は石段を軽快に駆け下り、慣れた足取りで鳥居の向こうの集落へと向かった。

 

 向かった先は、目と鼻の先にある幼馴染、恵那(えな)ひとみの家だ。

 勝手知ったる様子で「お邪魔しまーす」と玄関を上がり、二階の彼女の部屋の扉を開ける。

 部屋の中は、最先端のeスポーツゲーマーらしく、何台ものホロモニターとゲーミングチェアが鎮座し、机の上には空になったエナジードリンク「ZONE」の缶が並んでいた。  そして、その奥のベッドには、毛布にくるまった巨大な芋虫のような物体が転がっている。

 

「ほーら、ひとみ。朝だぞ、起きろ」

 

「……んぁぁ……やだぁ。えぇー、もう夏休みでしょぉ、昼まで寝るぅ……」

 

 毛布の隙間から、ぼさぼさの髪と、イヅモのブルーライトに慣れきった気怠げな目が覗く。

 

「やらせいでか。というか、今日はまだ終業式があるっての。ほら、起きろ」

 

「あー、低血圧にはやっぱりZONEが……ちょ、待っ、重力! 重力が私を離さないの!」

 

「寝言はいいから!ったく中学二年にもなって、来年の受験は流石に手伝わないぞ?」

 

 こんはフィジカルの強さを遺憾なく発揮し、ベッドに張り付こうとするひとみを毛布ごと強引に引き剥がした。

 物理的な抵抗も虚しく、ゲーマーの貧弱なPOWでは鍛え上げられた幼馴染のSTRには敵わない。

 一階のリビングに引きずり降ろされたひとみを、こんは呆れ顔で待ち構えていた彼女の母親へと引き渡す。

 

「こん君、毎朝ごめんねぇ。ほらひとみ、顔洗って着替えなさい!」

 

「……うぅ、こんのバカ、鬼、武僧(リアルモンク)ぅ……」

 

「いいからとっとと飯食え『魔法使い』、うちは神道だ僧じゃねえ」

 

 半泣きで洗面所へ向かう幼馴染の背中を見送りながら、こんは「やれやれ」と肩をすくめた。

 神社の厳格な空気と、最先端のゲーム部屋、そして変わらない幼馴染の寝顔。

 最先端の電脳村でも、そこにあるのは、どこにでもある穏やかで賑やかな朝の風景だった。

 

 

     * * *

 

 

 夏の蝉時雨をかき分けるように、赤いランドセルをパタパタと揺らしながら、ピンク色のミニスカートをはためかせて走る少女がいた。

 薄茶色の髪をポニーテールに揺らす桜歌(おうか)ミズキの両手には、小学生が持つにはいささか不釣り合いな、ずしりとした重さの金属の塊が抱えられている。

 

「ゲンゾウおじーちゃんっ、この子直ったよ!」

 

 ミズキは公民館の古い引き戸を器用に肩で押し開けながら、自信満々な声を上げた。

 向かった先は、公民館の奥にある宿直室。

 そこはもはや「宿直室」という名ばかりの、その老人の私室であり、秘密基地だった。

 部屋には常に、焼けたハンダごての香ばしい匂いと、3Dプリンターが稼働するケミカルな香りが立ち込めている。

 デジタルなMRの光で覆われたこの村の中で、ここだけが確かな「物理(ハード)」の熱と重さを持った空間だった。

 

「おや、ミズキちゃん。……ははぁ、こりゃまた重そうなものを」

 

 作業机に向かっていた老紳士、宇津木ゲンゾウは翡翠のブローチを揺らして、油で汚れた眼鏡を押し上げながら振り返った。

 そして、いつもの柔和な笑顔を浮かべると、嬉しそうに駆け寄ってドズン!と重い鉄塊を置いたミズキの頭を、大きな手でわしゃわしゃと撫でた。

 

「おぉ、どれ。動かしてみようかねぇ」

 

 ゲンゾウが受け取った機械――不調で動かなくなっていた全自動芝刈りロボットのスイッチを入れる。

 ヴン、と低い起動音が鳴り、ロボットのカメラアイがゆっくりと点灯した。

 内蔵された多脚がカシャリと展開し、ギゴガゴゴ……と少しだけ軋む音を立てながらも、確かにその場に立ち上がってみせた。

 

「おお! 元気になったねぇ。どこが悪かったんだい?」

 

「えっとね、回路がいくつか焼き切れてたから、そこだけ入れ替えてはんだ貼りなおして……」

 

 ミズキは得意げに胸を張り、くふふと笑った。

 

「あとは、鋭角四十五度でぶっ叩いたら直った!」

 

「おやおや」

 

 仕上げの『根性注入(物理)』にゲンゾウは少しだけ冷や汗をかきつつも、目を細めて笑った。

 ミズキの頭には、見えない犬の耳と尻尾が生えていて、今もちぎれんばかりにぶんぶんと振られているのが見えるようだ。

 

「ミズキちゃんの手は、魔法の手だねぇ」

 

「えへへー!」

 

 ゲンゾウは、油まみれになったミズキの小さな掌をそっと包み込んだ。

 その手は、老人のものと同じように、確かな熱を持っていた。

 

「これからも、その手で壊れた機械を繋ぎなおしておやり」

 

「うんっ!」

 

 ミズキの屈託のない笑顔と元気な返事が、油の匂いのする部屋に明るく響くのだった。

 

 

     * * *

 

 

「なぁなぁ、中3の……先輩もプールで見たってよ。あの噂」

 

「電脳幽霊のカゲリさん? こえぇ……」

 

「結局あれ、呼び出し方どれが正しいんだろうな」

 

「最近、ガキ大将のバスコさんが調べてるってよ」

 

「イヅモ越しじゃなきゃ見れないんだろ? 駄菓子屋のAI姉妹と一緒じゃん」

 

「ぶっ、あれもある意味エロオバケだろ」

 

 騒がしい噂話と、ランドセルの擦れる音、そして少し低い中学生たちの笑い声が、朝の通学路に響く。

 若者の過疎化がまだ完全には解決していない黒客村では、村唯一の教育機関「黒客総合学校」のひとつの校舎で、小学生から中学生までが共に学んでいる。

 年齢や背丈の違う子供たちが混ざり合ってグループを作り、夏休みへの期待に満ちた表情で登校していくのが、この村の朝の風物詩だった。

 通学路の途中にある古い駄菓子屋『無銘かるた』では、店先に浮かぶ等身大のホログラムが、登校する子供たちを見送っていた。

 うさぎ耳と猫耳のついた大きな魔女帽子を被った、スタイル抜群の二人の少女――AI姉妹のリベラとセレだ。

 朝のアンニュイな空気の中で欠伸をする彼女たちに、思春期の男子生徒たちが顔を赤くしながら手を振る。

 猫耳のセレが悪戯っぽい笑みを浮かべて投げキッスを送り、うさぎ耳のリベラがはにかみながら手を振り返すと、男子たちは奇声を上げて走り去っていった。

 そんな賑やかな日常を、ファインダー越しに切り取っている少年がいた。

 小五の東北もんたの手に握られているのは、今年の誕生日に父親から買ってもらった、老舗カメラメーカー製の一眼レフデジカメだ。

 一見レトロな外見だが、最新の『イヅモ・システム』とデータ同期できるハイテク機である。

 

「もんたー!」

 

 カシャ、とシャッターを切ったもんたの背後から、元気な声が降ってきた。

 

「あ、ミズキちゃん」

 

 手を振って合流したのは、先ほどゲンゾウの元から帰ってきた桜歌ミズキだ。その後ろから、眠そうに目を擦る中二の恵那ひとみと、彼女の腕を引く白神こんが続く。

 

「おっ、やってんねぇ」

 

「アルバムの写真集めは順調かい、もんた?」

 

 こんが爽やかに笑いかけると、もんたはデジカメのモニターを見つめながら、困ったように眉を下げた。

 

「それが……最近、黒いノイズが映っちゃうのだ」

 

「心霊写真ってやつか? 令和に入るちょっと前に流行ったっていう」

 

「オカルト~? さすが神社の息子、言うことが古くさーい」

 

 ひとみがからかうようにこんの脇腹をつつく。

 

「じゃあ、カメラなおそっか?」

 

「ミズキちゃんの根性注入(ぶったたき)は、最後の手段にしておきたいのだぁ……」

 

 ミズキが拳を握り込んで提案するのを、もんたが涙目で制止する。

 学年も性格もバラバラな四人だが、彼らはいつだってこうして集まる、気の置けない仲良しグループだった。

 ――そんな四人の賑やかなやり取りを、通学路の入り口に停車した黒塗りの高級車の後部座席から、静かに見つめる瞳があった。

 車体に『EMM.corp』の銀色のエンブレムが輝くその車の遮光窓の奥で、白い長髪の少女が、赤い唇を面白そうに弧の字に歪めていた。

 

「……あの子、視えとるね? やっぱり、この村にはそういう『特別な子』が集まるんやねぇ」

 

 少女のアメジスト色をした視線の先には、空を見上げるもんたの姿がある。

 瞳の奥で、チキチキキと深紅の光が明滅する。

 クスクスと、年相応の無邪気さと、底知れぬ企みを孕んだ愉快な笑い声を漏らすと、少女は膝の上に置いてあった赤いランドセルを背負った。

 

「ほな、行こか……はじめての、なつやすみ!」

 

 うきうきとはしゃぐように声を張り上げて、車の重厚なドアが開く。

 日本の夏には似つかわしくないほど洗練されたスマートドレスを纏った少女が、アスファルトの上に軽やかに降り立った。

 その瞬間、世界を覆う極彩色のテクスチャが、ほんの一瞬だけ、微かにノイズを走らせた。

 

 

     * * *

 

 

「えー……であるからして、桃太郎は海を渡って大陸へ行き、ジンギスカンになるのでありまして。何が言いたいのかと申しますと……」

 

 二〇四五年の学校では、炎天下の校庭や、サウナと化した体育館で全校集会を行うなどという非論理的な真似はしない。

 無学年制クラスに割り当てられた色々な学年の生徒たちは冷房の効いた教室の自分の席に座り、机の上に展開された個別指導用のホロモニターを眺めていた。

 普段なら、同じクラスを割り当てられた学年もバラバラな生徒たち個人の目の前で、日本中の有名校から配信されるトップ講師の洗練された授業映像が映し出されるリモート教育個別空間。

 

 そこへ今日は全校生徒一律で、校長の「テカテカに光る頭頂部」がドアップで映し出されていた。

 時代がどれだけデジタルに進化しても、校長の長話と、おじいちゃんのカメラのセッティングミスだけは変わらないらしい。

 

 生徒たちは、必死に笑いを噛み殺しながらそのシュールな光景を見つめていた。

 

「……えー、ではぁ、一学期の終業式を終わりたいと思います。各クラスの先生から夏休みの予定についてお話があると思いますので、まだ席は立たないように……」

 

『校長! 校長! ズレてます、すーれーてーまーす!』

 

 音声マイクに、小声で必死に呼びかける教頭の悲鳴が乗る。

 ようやく自分の視界に入ったモニターを確認した校長が、「えっ? ……っあ!」と素っ頓狂な声を上げた瞬間、映像は一斉にブラックアウトした。

 

  数秒の静寂の後、校舎全体がどっと大きな笑い声に包まれる。

 そんな弛緩した空気を切り裂くように、廊下から『ドドドドド!』と地鳴りのような足音が響いてきた。

 

「はぁぁぁ—――!! とぅっ!!」

 

 勢いよく教室の扉がスライドし、真っ赤なジャージを着た男が飛び込んできた。

 もんた達四人ともいるクラスの担任、烈戸 大昴(れっど だいや)先生だ。

 デジタル防衛庁からの出向という異色の経歴を持つ彼は、汗の滲む爽やかな笑顔で黒板の前にずしゃあああ!と、スライディングしながら着地した。

 

「みんなぁ! 校長の有難い話は耳に入ったな! いや、この際入ってなくてもよろしい!」

 

 烈戸先生は白い歯をキラリと光らせ、生徒たちを見渡した。

 

「良い日だな、皆も早く遊びたくってうずうずしてるよなぁ!

 だが、夏休みは明日からだ! 一日目の夜にはBBQパーティがあるし、三日目には怪談大会、四日目には花火大会も控えてる!

 正直、俺がワクワクして爆発しそうだ!」

 

 暑苦しいまでの熱弁に、生徒たちも「おー!」と歓声を上げる。しかし、烈戸先生の次の言葉に、教室の空気は一瞬で止まった。

 

「と。 その前に、転校生を紹介するぜ!」

 

 え? と、生徒たちが顔を見合わせる。

 終業式の日に転校生? しかも、この村の噂のネットワークの網にすら引っかかっていない。

 唐突なイレギュラーに、生徒たちが困惑と好奇の視線を扉へ向けた、その時だった。

 

コン、コン、コン――。

 

 正確無比なメトロノームのように、硬質な靴音が廊下から響いてきた。

 やがて教室の敷居を跨いだのは、およそ「日本の小学生」という枠には収まりきらない、洗練された紫のスマートドレスの裾。

 次いで現れたのは、銀色の蜘蛛の巣を象った豪奢な髪飾りで、長いサイドテールに纏められた、色素の薄い純白の髪だった。

 少女はざわめく教室を気にする素振りも見せず、教卓の前へと歩み出る。 手にしたチョークで、黒板に流麗な文字で『燕糸 洋』とまで書きかけ――

 

「——ん、よいしょ」

 

 ふと手を止め、黒板消しでざっとそれを消した。

 そして、改めてカタカナで『ヨーコ』と書き直す。

 チョークを置いた少女が、くるりと振り返る。

 彼女がかけていたのは、村の子供たちが持っている支給品とは比べ物にならない、最新鋭のハイエンド・イヅモだった。

 その無機質なレンズの奥で、深淵を覗くかのようなアメジスト色の瞳が、すっと細められる。

 

「はじめまして。燕糸(えんし)ヨーコと申します」

 

 少女が微笑んだ瞬間、教室中の視線が彼女に縫い止められた。

 

「夏休みからの付き合いになってまいますけど……皆さん、よろしゅうお願いしますえ?」

 

 人懐っこい関西弁。可憐な笑顔。

 しかし、その声を聞いた者たちの網膜に、一瞬だけ、ゾクリとするような冷たいノイズが走ったことなど、まだ誰も知る由もなかった。

 

 終業式のホームルームが終わり、生徒たちが三々五々と帰り支度を始める時間。

 普段なら我先にと廊下へ飛び出していくはずの子供たちの足取りは、今日に限ってどこか重かった。

 その視線は、教室の真ん中に座る転校生、燕糸ヨーコに釘付けになっている。 にもかかわらず、彼女の周りにはぽっかりと、見えないドームが張られているかのように誰も寄り付こうとしなかった。

 その理由は、彼女の美しさに気圧されたからではない。もっと、大人たちの世界の、どす黒い噂のせいだった。

 

「……なぁ、あの子、燕糸の令嬢だってよ!」

 

「あのEMM社の新社長の娘さん!? じゃあネットの噂、本当だったんだ!」

 

「噂っていえば……前社長のロバート・シャイニーって、結局どうなったんだっけ。行方不明のまま?」

 

「……しっ! これ外で言うなよ、イースくんに検査(スキャン)されるぞ。……『腕』だけ見つかったんだってよ」

 

「うわ、何それ怖い……」

 

「権力争いの香りがするねぇ。この村に来たのって、都会のドロドロした争いごとから隠すためとか?」

 

 イヅモのプライベートチャットと、ヒソヒソ話の二重のノイズが教室に充満する。

 最先端の社会インフラを牛耳るメガコーポの光と闇は、子供たちの好奇心を刺激するには十分すぎるほど物騒だった。

 

「けっ!」

 

 そんな怯えと好奇心が混ざり合った空気をぶち壊すように、乱暴に椅子を蹴立てて立ち上がった少年がいた。

 世界的オペラ歌手の両親を持ち、自らも天性の美声(ビッグボイス)を持つガキ大将、バスコこと風呂誇大釜 唱太郎(ばすこだがま しょうたろう)だ。

 彼は、自分が浴びるはずだった皆の「注目」を根こそぎ奪っていった転校生が、気に入らなくて仕方がなかった。

 

「まるで風の又三郎ですなぁ……」

 

 呑気に呟くヨーコに、ずかずかとバスコが近寄ってくる。

 

「おい転校生! 随分と人気じゃねえか。……都会のなまっちょろいノリで、この村でやってけると思うなよ!?」

 

 バスコは威圧するように胸を張り、ヨーコの机にドンと両手をついた。

 教室中の空気が凍りつく。

 しかし、当のヨーコは微動だにしなかった。彼女は小首を傾げると、ふんわりと花が咲くように微笑んだ。

 

「はぁ、ご忠告ありがとうなぁ? 皆怖がって教えてくれへんさかい、助かりますわぁ。……親切やね、キミ?」

 

「っ!?」

 

 完全に悪意をスルーした、一〇〇%の全肯定それも輝くような笑顔。

 想定外のカウンターを受けたバスコは、顔を赤くし、息を呑んで一歩後じさった。

 そのアメジスト色の瞳の奥に、自分の大声など小石ほどにも感じていない「底知れなさ」を見てしまったからだ。

 

「ちょ、調子に乗るんじゃねえぞ!? お、おら行くぞお前ら!」

 

 顔を真っ赤にしたバスコは、子分たちを引き連れて逃げるように教室を飛び出していった。

 

「すごいのだ、バスコもたじたじなのだ……」

 

「関西人って、ああいうの妙に強いよなー」

 

 教室の端でその一部始終を見ていたもんたが、感心したようにカメラのストラップを弄る。

 その隣で、スマホゲームのログインボーナスを消化していたひとみが、視線も上げずに無関心に言った。

 

「どうでもいいじゃん、どうせ関わらないし」

 

「でも、一人なのかわいそうだよ。せっかく転校してきたんだから、話しかけに行こうよ」

 

 立ち上がろうとするミズキ。それを、「待て」と低く鋭い声が制した。 こんだ。

 神社の息子らしい、普段の穏やかさとは違う、警戒の色がその目に宿っている。

 

「噂は噂だが、背景が黒すぎるのは問題だ。

 違法サイトで出回った前社長の噂を持ってる生徒を、イースくんが検査して回っているのは事実だ。

 ここは一旦、慎重になった方が……」

 

 こんが論理的な制止を言い終える、その寸前だった。 四人が集まる机の上に、不意に、紫色のスマートドレスの影が落ちた。

 

「な、な、ちょおお話聞いてもらえませんかなぁ?」

 

 にっこりと、目の前でヨーコが笑っていた。

 ファインダー越しに世界を捉える動体視力の持ち主であるもんたの目ですら、彼女が席を立った瞬間も、歩いてくる気配も、全く追えなかった。

 まるで、瞬きをした瞬間にテレポートしたかのように。

 

「「……えっ?」」

 

 あまりの異常事態に、四人は一斉に息を呑み、金縛りに遭ったようにその場で固まった。

 

 石像のように固まった四人を前に、ヨーコはさも「困りましたわぁ」というように、長いまつ毛を伏せて人差し指を顎に当てた。

 

「みんな色々噂立てて、ほんまに困ったもんなんですけどなぁ。……私は、自分の意思でこの村に来たんですえ。目的はこの村のサーバーの、ゴミ掃除です」

 

「サーバーの……ゴミ? なに、それ」

 

 警戒心を解けないまま、こんが聞き返す。ヨーコは少しだけ声のトーンを落とし、教え諭すような口調で言った。

 

「この村、EMM社……うちのパパの会社の最新技術を惜しみなく導入しとる、一種の『自由領域(サンドボックス)』なんは、まぁこの村に住んどる子なら皆知っとりますよね?」

 

「しってるよー?」

 

「スマートダスト環境何かその最たる例だしね、あれで通信速度上がってオクルージョンもなくなったのはまぁ便利だと思ってるよ」

 

 ミズキが素直に手を挙げる、ひとみが適当に皆知ってる内容を答えると、ヨーコは「よろしい」とばかりに満足そうに頷いた。

 そして、彼女が空中で手首を優雅に翻した瞬間――四人が囲んでいた机の上に、光の粒子が集束し、黒客村の精密なMR立体地図が展開された。

 木々のざわめきや、川のせせらぎまで再現された美しいミニチュアの箱庭に、四人は息を呑む。

 

「実験環境(テストプレイ)やからね、どうしてもあちこちにデータのごみが溜まるんよ。バグ……いわば、電脳空間の怪異ですやね」

 

 ヨーコの指先が地図の上をなぞると、美しい緑の村のあちこちに、インクの染みのような「黒い靄」がブクブクと湧き上がり始めた。

 

「私は『巣』を張って、この村のそういったバグの噂を収集して……誰かにそこを『修正(デバッグ)』してもらう為に来たんですえ」

 

「巣……」

 

 引っかかるいい方にもんたが反応すると同時に、ぱちんとヨーコが指を鳴らす。

 すると、彼女の背後の黒板が巨大なホロモニターへと切り替わり、見慣れないウェブサイトの画面が映し出された。

 

『黒客村の不思議な噂、教えてください』

 

 簡素だが、どこか薄気味悪いフォントで書かれたその掲示板サイト。

 同時に、立体地図上で蠢いていた黒い靄が四つの地点に集約され、「ピロリン!」という軽快な電子音と共に、赤く点滅するピンが立ち、詳細なデータファイルが紐づけられた。

 そのあまりに鮮やかで高度なハッキング技術のデモンストレーションに、ゲーマーであるひとみが目を見開く。

 

「……あ、あんたがやればいいじゃないか。そこまで知ってるなら」

 

 怯えを隠すように尖った声で放たれたひとみのツッコミに、ヨーコは「当たり前やんか」とでも言うように微笑んだ。

 

「私はデバッガーやのうて、『管理者(アドミン)』ですさかい。……こういった軽微なバグに私が直接関わると、村の基幹データごと逝ってまう可能性があるんです」

 

「あどみん……」

 

 基幹データごと逝く。ミズキにはよく分からない例えだったが、つまり、ヨーコ自身が直接手を出すのは「強すぎるからダメ」ということらしい。

 ならば、と。ファインダー越しにずっと彼女の瞳を見つめていたもんたの胸に、最も純粋な疑問が浮かび上がった。

 

 学校中を見渡しても、頼りになる大人や、自分たちより強い上級生はいくらでもいるはずだ。

 

「どうして……僕らなのだ?」

 

 もんたの問いかけに、ヨーコは初めて、子供に対するものではない、獲物を見定めた捕食者のような熱のこもった視線を四人に向けた。

 動けない四人を蜘蛛の巣に絡めとったかのように、ヨーコは教室の床を滑るように歩き出す。

 その細い身体をしなやかに動かし、まず立ち止まったのは、ひとみの横だった。

 ヨーコは屈み込み、長い指先をそっとひとみの顎に添えて、上向かせる。

 

「恵那ひとみさん。君が『魔法使い』いうHNで、夜な夜な掲示板で配っとる『電脳爆竹』、あれ傑作やねぇ?」

 

「……っ!?」

 

 心臓を鷲掴みにされたように、ひとみの身体が強張った。

 小遣い(CF)稼ぎのために違法サイトで自作のハッキングツールを売っていることは、誰にも――もちろん隣のこんにさえ――言っていない秘密だ。

 何重にも偽装した匿名アカウントの正体を、この少女はたった今出会ったばかりで、疑いすらなく言い当てたのだ。

 

「君の、あの既存のファイアウォールの穴を突くセンス、天才的やと思います。

 ……せやけど、そんなおもちゃ、近所の電子犬を驚かせるだけじゃ勿体ない。

 もっとデカい門、ブチ壊してみる気ぃありませんか?」

 

 年下のはずのヨーコが、動けないひとみの頭を撫で耳元で囁く甘い誘惑。

 個人の特定という、ネット社会における致命的な生命線を握られたひとみの胸に湧き上がったのは、恐怖ではなかった。

 自分を見下ろす『神(アドミン)』に対する、クリエイターとしての激しい怒りと対抗心だった。

 

「――っは。上等じゃん」

 

 ひとみは震える手で机を叩き、引きはがしたアメジストの瞳を真っ向から睨み返した。

 

「飼いならす気なら気をつけろよ、管理者。そのふざけたソースコード……隙を見て、逆に覗き返してやるよ」

 

「ふふっ。ええよ、いつでも受け付けます」

 

燃え盛る激情を目にしたヨーコは、嬉しそうにペロリと舌なめずりをして笑った。

 

 次に彼女が目を向けたのは、ミズキだった。 ヨーコは驚いて固まるミズキの、油とハンダの匂いが染み付いた両手をそっと包み込む。

 

「桜歌(おうか)ミズキさん。その油まみれになっとる君の手、ええなあ。

 ……論理(ソフト)なんて所詮は幻やけど、君が直す機械は『本物』ですえ。

 もしイヅモの回路が焼き切れても、君が隣におったら安心や」

 

「……!」

 

 ヨーコのその言葉に、ミズキの胸がトクトクと高鳴る。

 ゲンゾウさんにいつも言われる『魔法の手』という言葉が、頭の中でリフレインした。

 

「君の手は、仮想の怪異に立ち向かう人たちを守る、物理的な『戦士』になれる証や。手伝ってくれませんやろか?」

 

「……あはは、良いよ! ミズキが手伝ってあげる!」

 

 ミズキは満面の笑みで、ヨーコの手を握り返した。

 次に、ヨーコはくるりと踵を返し、こんを見据える。

 

「白神(しらかみ)こんさん。あんた、『私ら』と同じ匂いがしますなあ。……機械の奥から聞こえてくる、あの『ささやき』」

 

 その言葉に、こんは背筋に冷たい粟が立つのを感じた。

 初めてイヅモを装着した日から、ずっと耳の奥で鳴り止まない幽かなノイズ。

 神社の宮司である父親にすら「気のせいだ」と片付けられたその『声』を、彼女は知っている。

 

「あんたも、無視できへんのちゃいますか? みんながデータの海で溺れそうになった時、声を聴いて手を引いてあげられるんは、その声の出処を聞けるあんただけなんよ」

 

 底の知れない怪異の気配。こんは神社の跡取りとして、強烈な警戒心を抱く。

 ……だが、何故か放っておけなかった。

 

「……はぁ。良いだろう。ひとみとミズキが手伝うって言うなら、俺が近くで見てないといけないよな」

 

 観念したように溜め息をつくこんに、ヨーコは満足そうに微笑んだ。

 

 そして最後。

 彼女はもんたの席の前に立ち、トンと両手を机についた。

 

「東北もんたさん。君、いつも空の端っこ見てますやろ? イヅモのフィルターそんなに下げて、よお見える代わりに頭の処理(MP)もたまに悲鳴上げとるんやない?」

 

「えっ、あ……」

 

 図星を突かれ、もんたはカメラを抱え直して慌てた。

 見えないはずの「黒いノイズ」を見るために、こっそりイヅモのセキュリティフィルター深度を下げていることまでバレている。

 

「普通のイヅモの設定やと見えへん、データの『ゴミ』とか『ノイズ』……君の目には映ってるんと違いますえ? その『見つけ出す力』、貸してほしいんです」

 

「見つけ出す、力……」

 

「それはな、もんたさん。

 この村を怪異から救うきっかけになる探索者の力……そこに手を出す勇気を持つ、現代における『勇者』の資質なんですえ」

 

 ――勇者。

 その響きに、もんたは強く胸を打たれた。 毎日見上げていた空のヒビが、ただの不気味なバグではなく、自分だけに許された冒険の入り口のように思えた。

 

「この村の皮を剥いだら何が出てくるか、一緒に見てみたくありませんえ?」 「……っ!」

 

 もんたは少しだけ戸惑い、けれど、やがて屈託のない、太陽のような笑顔を浮かべて力強く頷いた。

 

「……わかったのだ、僕! 僕にできる事なら、やってみたいのだ!」

 

 その迷いのない元気な返事に、ヨーコは一瞬、ハッとしたように目を見開いた。

 次の瞬間、彼女は「ぷっ」と吹き出し、コロコロと鈴を転がすように笑いながら立ち上がった。

 

「あはは! ええですよ。ほな決まりや!」

 

 ヨーコが空中で指を弾く。

 『ピロン♪』という電子音と共に、四人のイヅモの視界に、デフォルメされた可愛らしい蜘蛛のチャットアイコンがポップアップした。

 

「これから君たちはデバッガーズ……いや、『黒客村デバッガーズ』! ここに結成や!」

 

 窓から差し込む夕日を背に、彼女は高らかに宣言する。

 ある時は深淵の神のように妖しく、ある時は悪童のように子供らしく。

 その目まぐるしいほどの「セカイ」のきらめきに、四人はただただ、目を奪われていた。

 

Log01 Fin.

 

 

 

 

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