デバッガーズの夏【先行体験版】   作:EMM@苗床星人

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Log02『1日目:角にスタックした迷子犬』

 私の事を魔法使いなんて、誰が言いだしたんだっけ。  

 あの日のイヅモに映ったノイズも、闇の中に消えたカゲリも、あのヨーコが流した涙さえも、全部誰かが決めたプログラムの不具合に過ぎなかった。  

 ……でもね、私の演算(まほう)が弾き出した答えは、一つだけ。

 壊れたデータを救うのに、理由も道理も必要ない。

 この指で全部ぶち壊して、欲しいものだけかっさらう。

 今も昔も、私のやることは変わらない。

 

      —―恵那 ひとみ

 

 

     * * *

 

 

『ぴろりん、ぴろりろりん』

 

 昨日と同じ、気の抜けた電子音が、東北もんたの夏休みの幕開けを告げた。

 重たい瞼をこすりながらイヅモを起動すると、古民家の天井には、いつもの天気予報やニュースのポップアップに混じって、見慣れないアイコンが点滅していた。

 昨日、強制的にインストールされた『デバッガーズ』専用のチャットアプリだ。

 

 新着通知は一件。

 

 もんたが空中で指をクリックすると、可愛らしい蜘蛛のアイコンから、やけにポップな吹き出しが飛び出した。

 

『みんなおはよう! はよ起きんとラジオ体操始まっちゃいますえ!』

 

 文面から飛び出してきそうなほどの、強烈なハイテンション。

 もんたは寝ぼけた頭で、そのメッセージをまじまじと見つめた。

 

(……昨日のあれは、夢じゃなかったのだ)

 

 夕暮れの教室で、僕らの心の奥底を見透かすような言葉を投げかけ、妖しく微笑んだ少女。

 あんなにも蠱惑的な勧誘をした直後、まるで幻のようにフッと気配を消して去っていった、あの「魔王」のような転校生。

 

 けれど、画面に表示されているのは、そんなミステリアスな雰囲気など微塵も感じさせない、ただの「夏休みが待ちきれなくて早起きしちゃった小学生」のメッセージだった。

 そのあまりのギャップに、もんたは思わず脱力してしまう。

 

「……ラジオ体操、行かなきゃなのだ」

 

 神様の気まぐれか、それともこれが素顔なのか。

 考えても答えは出そうにない。

 もんたは大きく欠伸をすると、スタンプカードの景品である冷えたラムネの味を思い浮かべながら、這い出るように布団から起き上がった。

 

 

     * * *

 

 

 村の中央公園には、眠い目をこすりながら集まった子供たちと、農作業前の大人たちの姿があった。

 朝霧が晴れ始め、じわりと湿度を含んだ熱気が立ち込め始めている。

 

「おはよ、もんた」

 

「ぉあー……灰になるぅ……」

 

 爽やかに片手を上げて挨拶するこんの肩には、骨が抜かれた軟体生物のようにしなだれかかり、この世の終わりみたいな呻き声を上げるひとみの姿があった。

 その向こうからは、ゲンゾウさんと手を繋いだミズキが元気よく歩いてくるのが見える。

そして――。

 

「みんな、おはようございますえ!」

 

 ふわり、と。

 一瞬前までは誰もいなかったはずのブランコの柵の横に、いつの間にか彼女はいた。

 相変わらず神出鬼没なヨーコだが、今朝の彼女はどこかそわそわと落ち着きがない。

 もんたたちの姿を見つけるや否や、弾けるような笑顔で駆け寄ってきた。

 

「……おはよう。ていうかさぁ」

 

 ひとみはこんの肩から離れ、幽霊のようにふらりとヨーコに近づくと、気怠げな瞳を向けた。

 

「昨日も思ったんだけどさ、そのドレス暑くないの? 体操する格好じゃないでしょ」

 

「えへへ、これですか? 実はこのドレス、最新式の冷房機能(クーリング・システム)つきなんですえ」

 

「はぁ?」

 

 ひとみが疑わしげに手の甲をヨーコの肩に当てると、ひやりとした冷気が肌に伝わってきた。

 外気の蒸し暑さとは無縁の、人工的な涼しさだ。

 

「……なにそれ、ずっる」

 

 不満げに呟いたひとみだったが、次の瞬間には「生き返るぅ……」と呟きながら、ぺたぺたとヨーコの二の腕や背中に触れて、その冷たさを堪能し始めた。

 

 

「やーははは」

 

 ヨーコはくすぐったそうに、けれど嬉しそうに身をよじっている。

 

「ふいー、今年もよろしくお願いしますよッと」

 

 そんな子供たちの様子を微笑ましく眺めながら、ゲンゾウさんが赤錆びた箱をブランコの座面に置いた。

 年季の入ったラジオだ。

 塗装は剥げ、アンテナは曲がっているが、こんなハイテクな時代になってもまだ現役で動いている。

 単純な機構の偉大さを、そのボロボロの機体が無言で語っていた。

 カチッ、とスイッチが入る。

 ザザッ、というノイズ混じりの音と共に、あのメロディが公園に響き渡った。

 

『あーたーらしーいー、あーさがーきーたー。きーぼーおのー、あーさーだー』

 

 少し間延びしたピアノの音。

 それは、スマートダストの描く電子の空の下でも変わらない、ニッポンの夏の始まりを告げる風物詩だった。

 

 

     * * *

 

 

 

 ラジオ体操の終わりの深呼吸が、朝の空気に溶けていく。

 ざわざわと列を崩した子供たちは、学校から配られた厚紙のスタンプカードを手に、ゲンゾウさんの前に行儀よく並び始めた。

 彼の胸に下げた翡翠のブローチが、朝日を反射してチラリと輝いている。

 

「はい、今日もよく来たねぇ。偉いぞ」

 

 ゲンゾウさんは一人一人に声をかけ、その小さな手を自分の分厚く温かい手で包み込むように添えて、丁寧に朱肉のハンコを押していく。

 ポン、ポン、と心地よいリズムが刻まれる中、もんたの耳が、列の中ほどで生じた微かな異音を捉えた。

 

「――んっ」

 

 それは、苦痛を堪えるような、小さな呼吸の詰まる音。 見れば、自分の番を待っていたヨーコが、こめかみを押さえてふらりとよろめいていた。

 

「どうしたのだ?」

 

 すかさず駆け寄ったもんたに、ヨーコはハッとしたように顔を上げ、すぐにいつもの笑顔を取り繕った。

 

「え、いやぁ、はは。……ちょお立ち眩みしてもうたな。いややわぁ、こんなとこで都会っ子のひ弱さが出てまうんは」

 

「大丈夫?」

 

「ええ、ええ。朝ごはん抜きやったからかなぁ」

 

 冗談めかして笑う彼女の額には、うっすらと脂汗が滲んでいるように見えたが、彼女はそれを気にする素振りも見せずに列を進んだ。

 

「おや、転校生のお嬢さんだね。ようこそ黒客村へ」

 

「あ、はい。よろしゅうお願いします」

 

 順番が回ってきたヨーコは、少し緊張した面持ちで自分のスタンプカードを差し出した。  ゲンゾウさんは「ふーっ」とハンコの印面に息を吹きかけ、湿り気を与えてから、ゆっくりと、そして力強くカードに押し付ける。

 

 ぎゅっ、と紙に繊維が食い込む感触。 離すとそこには、少し滲んだ、世界に一つだけの赤い花丸が咲いていた。

 

「……」

 

 ヨーコは、返されたカードを両手で恭しく受け取ると、そのインクの匂いを確かめるように鼻を近づけた。 そして、ほう、と熱のこもった溜め息をつく。

 

「……ええやん、紙に判子。弄ってしまえるデジタルな証明(ログ)よりも、こういう確かな証が残るんって……なんか、ええね」

 

 その横顔を、既に判を貰って列を離れていたこんが見つめていた。 昨日、教室で見せた管理者(アドミン)としての冷徹な顔。 今、アナログな温もりに触れて、純粋に感動している少女の顔。

 

(……不思議な子だな。どっちが本当の彼女なのか、まるで分からん)

 

 こんは腕を組み、彼女の正体を探るように目を細める。

 しかし、その表情に一切の偽りや演技がないことだけは、心理学をかじった神主の息子としての直感が告げていた。

 

 

     * * *

 

 

通学路の途中、古びた日本家屋を改装したその店はあった。

 

 駄菓子屋『無銘(むめい)かるた』。

 

 この村が電脳解放区として生まれ変わる直前、廃業していた駄菓子屋を、「無銘 乃蒼(むめい のあ)」という怪しげな中年男性とその妻が買い取り、リノベーションして復活させた店だ。

 一見すれば、赤錆びたトタン屋根に色あせた暖簾がかかる、昭和の香りを色濃く残した「古き良き駄菓子屋」にしか見えない。

 だが、その実態は――駄菓子に偽装した、店主お手製のハッキングツール販売所である。

 棚に並ぶカラフルなパッケージの封を破れば、MR認識機能によって様々な攻撃的、あるいは補助的なプログラムが解凍される。

 

 かつての子供たちが爆竹や銀玉鉄砲で背伸びしたスリルを味わったように、この村の子供たちはココアシガレットから展開されるガトリングでスクリプトを乱射し、フエラムネのエコーロケーションでデータをスキャンする。

 

 ここは、黒客村の子供たちにとって、安くて美味しいおやつを調達する場所であり、同時に冒険のための武器を補給する、文字通りの『兵站(アーセナル)』だった。

 

「いらっしゃーいにゃ、悪ガキども! 今日も体に悪い駄菓子をお求めかにゃ?」

 

 引き戸を開けると、元気な猫撫で声が飛んできた。

 カウンターに座っているのは、黄色い魔女帽子に猫耳を生やし、健康的なナイスバディをギリギリのタンクトップとショートパンツで包んだ少女、セレだ。

 

「好きなのを見てってねぇ、って……しゃ、社長!?」

 

 そしてもう一人。

 セレの横で、うさぎ耳のついた紫の魔女帽子を被り、ワンピースのエプロン姿で店番をしていた少女――リベラが、客の顔を見るなりギクリと固まり、直立不動の姿勢を取った。

 彼女たちは、イヅモのMR機能越しにしか視認できない、店主の趣味(性癖)全開でデザインされた高度なAI店員である。

 リベラの視線の先には、にこにこと笑うヨーコの姿があった。

「社長やのうて、その娘ですえ~? ええんよええんよ、楽にしてな~?」

 

「あ、そういう……あぁぁ申し訳ありません! まさかお嬢様自らお越し下さると分かってたら、もう少し歓迎の準備をしましたのに!」

 

 恐縮して頭を下げるリベラに、ヨーコはひらひらと手を振る。

 そして、リベラのエプロンの上からでも分かる、セレ以上に主張の激しいその胸元をジロジロと凝視した。

 

「ふむ……」

 

 ヨーコがおもむろに手を伸ばし、リベラの胸にそっと掌を当てる。

 物理的な感触はない。だが、イヅモの物理演算エンジンはヨーコの手の動きを正確に認識し、リベラの豊かな胸を「ぽよん」と柔らかく揺らしてみせた。

 

「……っひぇ!?」

 

「……900点! ええ仕事してますな、乃蒼さん!」

 

ヨーコは親指を突き立て、職人の技に感銘を受けたかのように目を輝かせた。

 

「な、なにがですかぁ!?」

 

「ヨーコちゃん、それはエロおやじの挙動だよぉ……」

 

 顔を真っ赤にして悲鳴を上げるリベラと、満足げなヨーコ。

 その様子に、ミズキがジト目で至極真っ当なツッコミを入れる。

 そんなカオスなやり取りをBGMに、もんた、ひとみ、こんの三人は、「やれやれ」といった顔で各々カゴを手に取り、今日の冒険に必要な「武器」を選び始めた。

 

「やー、大きいんはええことですよ。無いものねだり言いますか、憧れが高じてついつい見てまうんですえ?」

 

「いや、女子でもアウトラインはあるでしょ。……ま、分からんでもないけど」

 

 リベラの豊満な胸部に対するセクハラじみた挙動を、ヨーコは悪びれもせず力説する。

 その横で、ひとみは若干引き気味の表情を浮かべつつ、ココアシガレット型の攻撃プログラム『スクリプト・シガレット』を大人買いのごとく箱ごとカゴへ放り込んだ。

 ちなみに、小五にして発育の良いミズキのTシャツが若干のふくらみを主張しているのに比べ、中二のひとみと小五のヨーコの胸部は、悲しいかな「どっこい」の平原である。

 ひとみの言葉の端々に滲む「分からんでもない」という共感は、切実なコンプレックスの裏返しでもあった。

 そんな女子たちの少し際どい、そして残酷な格差社会を目の当たりにして、気まずくなった男子勢は視線を逸らした。

 ふと、もんたがカウンターの上で足をぶらつかせているセレに尋ねる。

 

「そういえば、最近店主のおじさんを見ないのだ。出かけてるのだ?」

 

「師父(マスター)は今、奥さんとラブラブ新婚旅行中にゃ!」

 

「……まだ結婚してなかったのか、あの夫婦」

 

 こんは呆れたように呟きながら、翻訳機能を持つ『ルルイエ・ドロップス』、精神防壁を展開する『メンタル・金平糖』、そして緊急気付け用の激苦チョコ『リブート・カカオ』を次々とカゴへ入れていく。

 あの胡散臭い店主、どうやら私生活も謎だらけらしい。

 そんな雑談を交わしながら、四人はそれぞれ選び抜いた駄菓子をレジカウンターへと並べた。

 

「そうそう、みんなのアプリには、ちゃんと前金のCF(クトゥルー・フレックス)届いてますかいな?」

 

「あ、きちんと届いてたのだ! びっくりしたのだ!」

 

 もんたがイヅモのウォレット画面を開くと、そこには『1500 CF』という数字が輝いていた。子供のお小遣いとしては破格の金額だ。

 ちなみにCFとはイヅモでのみ決済可能な電子通貨で1CFが1円に相当する、宇宙でもこれが共通通貨という謎な都市伝説がある。

 

「アルバイトを頼んだのは私やさかいね。これくらいのサポートはせんとあかんでしょ」

 

「ふーん。ま、追加報酬も期待してるよ、クライアント?」

 

 ひとみがニヤリと笑う間に、リベラがカゴの中身をスキャンする。

 『Pi』という軽快な電子音と共に、レジ横のモニターにそれぞれの合計金額が表示された。

 

「えーっと、もんた君は1250CF、ひとみちゃんは1000CF、こん君は1050CF、ミズキちゃんも1050CFね。みんな、これで問題ないかな?」

 

 リベラの問いかけに、四人はそれぞれの視界に表示されたホログラムの『購入』ボタンをクリックする。

 

『いあ! いあ!』

 

 レジから響いたのは、ポップな決済音声だった。

 

 さすがは黒客村の兵站。支払い完了の合図すら、冒涜的で愉快な響きをしていた。

 

 

     * * *

 

 

 黒客神社の裏手、鬱蒼とした鎮守の森の入り口。

 夏の日差しを遮る木々の影で、ヨーコが空中に展開したクエストウィンドウを読み上げた。

 

「最初のクエスト! 『神社近くに落ちてたバグを間違って食べちゃったせいで、位置情報スタックを起こし、リードを振り切って逃げちゃった電脳ペット『シバ』の捜索』!」

 

「……うちの近くに、なんてもんが転がってるんだよ」

 

 神社の息子であるこんは、頭を抱えてうんざりしたように首を振る。

 神域であるはずの境内が、データのゴミ捨て場になっている現実は頭が痛い。

 

「まぁまぁ。皆の実力のほどを見るには、ちょうどええ難易度(レベル)ですやん?」

 

「こんな程度の問題解決(チュートリアル)なら、腐るほどしてるっつうの。……もんた!」

 

 ひとみが苛立ち交じりに声をかけるよりも早く、もんたは既にポケットから駄菓子屋で購入した『スキャン・ホイッスル』を取り出していた。

 パッケージの封を切ると、イヅモがそのアイテムコードを認識し、ただのフエラムネが幾何学的な光の粒子を纏い始める。

 

「それじゃ、いくのだ……っ!」

 

 もんたは大きく息を吸い込み、力いっぱいラムネの穴に息を吹き込んだ。

 

「ふっ――ぴゅいーーーっ!」

 

 間の抜けた、しかしどこか懐かしい笛の音が響く。

 その瞬間、音波は可視化された「浅黄色の波紋」となって、森の奥へと放射状に広がっていった。

 波紋が触れた木々や岩は、一瞬だけ緑色のワイヤーフレームとなってその構造を露わにする。

 広範囲ソナー探索。データの森を丸裸にする、駄菓子の魔術だ。

 

「……!」

 

 もんたのイヅモの視界に、『Pi-Ping!』という電子音と共に赤いターゲットマーカーがポップアップした。

 森の奥、光る犬のシルエットに、どす黒いノイズが重なって表示されている。

 

「……居たのだ! 一時半の方向、距離一二メートルなのだ!」

 

「よしきた!」

 

 もんたの報告と同時に、デバッガーズは弾かれたように駆け出した。 生い茂る草木をかき分け、道なき道を突き進む。

 

「『ヴぁう! わっきゃふっ……!』」

 

 指定された座標、古木の根元。 そこに、その「迷子」はいた。

 愛らしいマメシバ型の電子ペットだ。

 しかし、今は木の根元に自然と生じた「鋭角」から溢れ出す黒いノイズに足を取られ、身動きが取れなくなっている。

 もがくたびに、そのフワフワとした茶色の毛並みのテクスチャが、激しくモザイク状にブレて明滅していた。

 

「シバ!」

 

 バグに蝕まれ、苦しげに電子の遠吠えを上げる小さな背中を見つけ、もんたたちは足を止めた。

 チュートリアルの標的(ターゲット)確認。最初のデバッグの始まりだ。

 

「ありゃあ……こりゃ完全に、食べたバグデータと癒着しちゃってますなぁ」

 

 暴れるマメシバを見下ろし、ヨーコは腕を組んで冷静に分析した。

 

「位置情報がスタックしてるせいで、本人(ワンちゃん)も訳わからなくなっちゃってるし……無理に引き剥がせば、シバごとその存在(データ)が壊れてまう。

 さあて、どうなりますかな?」

 

 試すような視線を向ける管理者に対し、ひとみはポケットから『スクリプト・シガレット』の箱を取り出し、慣れた手つきで封を切った。

 

「なら、セキュリティを落として内部データだけ綺麗に切り離すしかないでしょ。……みんな、マルチでいくよ!」

 

「了解なのだ!」

 

 ひとみの鋭い号令に、もんた、ミズキ、こんが即座に応える。四人の意識が、遊び慣れた「戦場」へと切り替わった。

 

「「「マルチ・コンパイル、起動!!」」」

 

 その瞬間、四人の装着したイヅモのフレームから、可視化された光のラインが伸び、互いのデバイスへと接続された。

 赤、青、黄、緑――それぞれのパーソナルカラーで輝いていた光が、膨大な演算領域の共有(シェア)を示す、純白の輝きへと染まっていく。

 

「へぇ……!」

 

 ヨーコは興味深そうに目を細め、その本質を解析するかのようにひとみの奥で紅い光がチチチチと素早く明滅した。

 

マルチ・コンパイル。

 

 それは、この黒客村の子供たちが、大人たちの組んだ堅牢なプログラムを掻き回すために編み出した、独自の並列演算スタイルだ。

 子供一人一人のハッキング技術は、あくまで独学の真似事に過ぎない。

 癖もあれば、得手不得手もある。

 

 だが、その「計算リソース」を一つに束ね、ハッキング対象のSD(セキュリティ整合性)を集団(レイド)で叩くことで、彼らは大人顔負けの火力を生み出す。

 

 黒客村の子供たちにとって、セキュリティとは回避するものではない。

 手を取り合って攻略するダンジョンであり、倒すべき「レイドボス」なのだ。

 

 四人の視界に共有されたウィンドウに、イヅモAIからの警告ログが流れる。

 

『 [CAUTION] 未定義オブジェクト 「BUG-SHIBA」 を検知。 』

 

「まずは先手……!」

 

 ひとみはココアシガレットを口にくわえると、不敵に笑った。

 シガレットの先端から溢れ出した紫煙が、瞬時に幾何学的な光の粒子へと変わり、彼女の右腕を覆う巨大な「ガトリングガン」のホログラムを形成する。

 回転し始めたバレルから、鉛玉の代わりに無数の攻撃用スクリプトが吐き出された。

 

「喰らいなッ!」

 

 ダダダダダッ! と電子音が響き、情報の弾幕がシバへと殺到する。

 しかし――。

 

『……わんっ!』

 

 シバが短く吠えた瞬間、バチリとノイズが弾けた。

 着弾の刹那、シバの姿が掻き消える。

 次の瞬間には木の枝へ、その次は転がる石ころの鋭角へ、さらに舞い散る落ち葉の先端へ。

 ランダムかつ物理法則を無視した超高速移動(ショートワープ)で、ひとみの放った弾幕を全て回避してみせたのだ。

 

「……ッ、バグ技使いこなしてんじゃねぇし!」

 

 自信満々に繰り出した初撃を躱され、ひとみは怒りと共に吼えた。

 そこへ、冷静なシステム解析ログが追撃のように表示される。

 

『 [SYSTEM ANALYSIS] 位置情報プロトコルに致命的なパッチエラーを確認。当該個体は現実の座標系から脱落し、論理空間を浮遊(パケットロス)しています。 』

 

「なるほどね……!」

 

 こんが舌打ち交じりに叫ぶ。

 

「あいつ、自分が『どこにいるか』分かってないんだ! だから攻撃が当たらない!」

 

『 [BRAVER] 当該個体は座標が不安定(パケットロス)です。〈目星〉によるパケット解析を実行し、存在確率を強制固定してください。――逃がさないで。そこにいるって、言ってあげて。 』

 

「え、うん! わかったのだ!」

 

 視界に流れたサジェスチョンメッセージ。

 それはいつもの機械的な分析とは違い、どこか切実な、迷子を案じるような体温を感じさせる文章だった。

 もんたは一瞬戸惑ったが、すぐに力強く頷いてカメラを構えた。 『スキャン・ホイッスル』の効果で、敵の姿はもう赤いシルエットとして捉えている。あとは、その正体を確定させるだけだ。

 だが、敵もただのバグではない。

 

『――がうっ!!』

 

 木の枝の分岐点、その鋭角な隙間から飛び出したシバが、防衛本能剥き出しで牙を剥いた。

 本来、このモデルは防犯用の番犬も兼ねて設計されている。不審者(デバッガーズ)を撃退するための『噛みつき』プロトコルが、もんたの喉元へと迫る。

 

「……っ!」

 

 ガキンッ、と硬い音がした。

 シバの牙が食い込んだのは、もんたの首ではなく、割り込んだこんの左腕だった。

 シバは仮想物質であるため、肉が裂けることも血が出ることもない。

 しかし、こんの脳髄には、イヅモの神経接続を介した強烈な『疑似痛覚』が奔った。

 

「く、うぅ……!」

 

「ごめん! ありがとうなのだ、こん!」

 

 脂汗を流して耐える親友の背中越しに、もんたはポケットから一粒の『マーブル・トラッカー』を取り出し、全力で投げつけた。

 カラフルなマーブルチョコに偽装されたその追跡タグは、物理演算を無視してシバのノイズまみれの毛並みへ吸い込まれるように、すぽりと収まった。

 

「座標安定(目星判定:自動成功)……今っ!」

 

カシャッ!!バヂヂヂッ!

 

 もんたがシャッターを切る音が、森に鋭く響く。

 その瞬間、ランダムにブレていたシバの輪郭が、現像液に浸したようにくっきりと浮かび上がった。

 一時的だが、座標が強制的に固定されたのだ。 視界の隅で、敵のSD(セキュリティ耐久値)を示すゲージがガクンと下がる。

 

「シバの今いる場所を演算している回路は……ここ!」

 

 その隙を、ミズキは見逃さない。

 彼女は『バイパス・きなこ棒』の封を口で噛み切りながら、視界にオーバーレイ表示されたスマートダストのネットワーク回路図を睨んだ。

 複雑怪奇なデータの流れを、直感と経験で読み解き、その中枢となっている一本の樹の幹を見つけ出す。

 

「そこだっ!」

 

 ミズキはきなこ棒を、勢いよく樹皮の裂け目に突き立てた。

 すると、きなこに偽装された特殊プログラムを含んだナノマシンが傷口から流入し、樹の内部で新たなバイパス回路を一瞬で形成する。 本来の演算領域に高負荷のジャンクデータが流し込まれ、シバの処理速度が劇的に低下した。

 

『ぎゃんっ!』

 

 悲鳴を上げて動きが鈍るシバ。SDゲージは既にレッドゾーンだ。

 

「ごめんね、すぐに終わるから……!」

 

「ったく、チョロチョロと……ちょっと、寝とけ!」

 

 とどめとばかりに、ひとみが腕のガトリングから最大出力の『電脳爆竹』を放つ。

 シバの目の前で炸裂した極彩色の火花と爆音が、残っていたわずかなセキュリティ障壁を粉砕した。

 

 SD、ゼロ。

 

 ノイズが白化し、電脳の狂犬は糸が切れたようにその場に崩れ落ち、糸の切れた人形のように力なく横たわっていた。

 もつれていた黒いノイズは、活動停止と共に無害な白い砂嵐へと変わっていたが、まだバグデータはシバの深層にへばりついたままだ。

 

「よいしょ、っと……」

 

 ミズキが、油汚れのついた手でシバを優しく抱き上げる。

 その無防備な腹部に、もんたはそっと手を伸ばした。彼の『目』には、シバ本来のプログラムと、異物であるバグの境界線が、ミシン目が入っているようにはっきりと見えていた。

 

「……ここなのだ」

 

 もんたの指先が、シバの体を構成する仮想物質の中へと、ずぶずぶと沈んでいく。

 肉の感触はない。あるのは、少し温かい水に手を浸したような、高密度な情報の抵抗感だけ。

 もんたはシバのコアデータを傷つけないよう、慎重に、そして大胆に、白いノイズの塊だけを鷲掴みにした。

 その掌に伝わってきたのは、攻撃的な害意ではない。もっと、悲しくて、寂しい感情の残滓。

 

「……これは、怖いものじゃ……ないのだ……?」

 

 もんたが自然と、そう呟いたその時だった。

 

 

「ほら、もんたさん。デバッグ完了、そう言ったって下さい。

 この子を、此処に縛り付けるバグから解放したって?」

 

 そっと、いつの間にか寄り添っていたヨーコが、もんたの手に触れる。

 驚いた、しかし、意を決したもんたは、力強く宣言した。

 

「デバッグ、完了なのだっ—―!」

 

 バグを一気に引きずり出した、その瞬間だった。

 

『――――ッ!!』

 

 マルチ・コンパイルで意識を共有していたデバッガーズ全員の視界が、突如としてホワイトアウトした。

 森の景色が消え、脳内に直接、見知らぬ「誰か」の記憶データが奔流となって流れ込んでくる。—―—―――――

 

 

     ■ ■ ■

 

 

 

—―――――映し出されたのは、真っ白な天井だった。

 

 視点は低い。そして、全く動かない。

 瞬きすら億劫に感じるほど、身体が重い。

 視野の端には、点滴のチューブと、普通の病院にはありえないほど無骨で電子的な機材が山のように積まれ、自分の身体へとケーブルを伸ばしているのが見えた。

 ベッドの横に、誰か大人がパイプ椅子に座っている気配がする。

 だが、少女は首を動かすことさえできないため、その顔を見ることは叶わない。

 

『ねぇお父さん、私、お友達ができたんだよ!』

 

 少女の口から――いや、記憶の中の主観から、鈴を転がすような明るい声が響いた。

 

『……! そうか、隣に来た子と、仲良くなれたんだね……よかった』

 

 父親と思しき男性の声。

 その声色は優しかったが、どこか押し殺したような痛みを含んでいた。

 

『そう! その子も、私と同じ『S.N.W.(サニワ)受容体肥大』っていう病気でね、今ちょうど検査に行っちゃってるんだけど……すごいんだよ、なんでもデータに見えちゃうんだって!』

 

 少女の嬉しそうな言葉に、隣の大人は唇を強く噛むような、重苦しい間を開けてから言った。

 

『……ねぇ、カゲリ? カゲリも……データの中で自由に泳ぎたいかい?』

 

 かろうじて、視界が縦に揺れた。肯定の合図だ。

『うん。そうなったら、私もあの子も動けるようになるって、本当かなぁ』

 

『なるさ。そうなったらね……電脳世界の中だけじゃなくっ』

 

 大人の声が、不意に詰まった。

 それは、溢れ出しそうな嗚咽を必死に飲み込むような、震える声だった。

 

『現実世界を……自由に遊びまわるんだよ……カゲリ』

 

 プツン、と。

 映像はそこで途切れた。

 

 

     ■ ■ ■

 

 

 

「――っ、はぁ」

 

 強烈な浮遊感と共に、視界が急速に色彩を取り戻す。

 目の前には、鎮守の森の風景と、ミズキの腕の中で不思議そうに首を傾げる、つぶらな瞳のマメシバがいた。

 バグは綺麗に消滅し、ただの人懐っこい電子ペットに戻っている。

 呆然とする四人の視界の隅で、無機質なシステムログがポップアップした。

 

『 [CAPTION] カゲリの記憶を入手しました 』

それは、ただのバグ退治にしては、あまりにも重く、悲しい報酬だった。

 

「い、今の記憶は……? カゲリって……あの、都市伝説の『カゲリさん』!?」

 

 いつも冷静なこんが、珍しく声を荒らげて狼狽えた。

 無理もない。彼らが追いかけていたのは、学校の怪談に出てくる不気味な幽霊のはずだ。

 それが、なぜこんな場所に落ちていて、電脳ペットの腹の中に納まっていたのか。

 そして何より、あの記憶の中にいた少女の、胸が張り裂けるような悲痛な『想い』。

 誰も予想していなかった「真実」の重さに、森の空気は凍りついたように静まり返った。

そんな動揺の中、もんただけは、カメラのレンズ越しに見るように、ただ一人違う反応を示している少女の横顔を見逃さなかった。

 

「ヨーコ……ちゃ」

 

 声をかけようとした、その時だ。

 

「……あの子は……こんな記憶を、まだ大切に……」

 

 ヨーコが、蚊の鳴くような声で呟いた。

 その表情は、友を想って泣きそうなわけでも、不可解な現象に戸惑っているわけでもない。

 そこにあったのは、もっと深く、重い感情。 かつて犯した過ちに対する『悔恨』。救えなかった過去への『懺悔』。

 そして、身を焦がすような『後悔』。

  彼女はギリ、と血が滲むほど下唇を噛み締め、深く俯いた。

 ――だが、それも一瞬のことだった。

 

「……ほら! うちらがバグを直していけば、いつかこの『カゲリ』さんにも会えるかもしれへんな!」

 

 もんたが言葉を紡ぐよりも早く、ヨーコはパッと顔を上げた。

 そこにはもう、先ほどの痛ましい陰りは微塵もない。太陽のような明るい笑顔が張り付いていた。

 彼女はもんたの手を強引に取ると、その握り拳を天高く掲げさせる。

 

「この調子でガンガンやっていきましょ! 先ずは最初の、デバッグ完了! ですえ!」

 

「あ、え? ……で、デバッグ完了、なのだぁ?」

 

 もんたが釣られて間の抜けた声を上げる。

 ヨーコは空中で指を弾き、管理者コンソールを開くと、軽快な手つきで操作した。

 ピロリン、ピロリン♪ と全員のウォレットから小気味よい音が鳴る。

 

「今回の報酬、一人三〇〇CF! 支払い完了! 今夜はBBQパーティもあるし、汗かいたままじゃあきまへん。みんな支度しましょ! お風呂にでも入りますか!」

 

 矢継ぎ早に話題を変え、明るく振る舞うヨーコ。

 それは明らかに、不自然なほどに、「カゲリ」の話題を避けるための道化だった。

 けれど、デバッガーズの誰も、それを指摘することはできなかった。

 初めて、彼女の完璧な振る舞いの奥に透けて見えた「弱さ」と「痛み」。それに触れることを、彼らの優しさが躊躇わせたのだ。

 その沈黙を破ったのは、ひとみだった。

 

「……はぁ。仕方ないなぁ」

 

 ひとみは肩をすくめると、いつもの気怠げな調子で、しかしどこかぶっきらぼうな優しさを込めて言った。

 

「うち、風呂がやけにでかいからさ。……入ってく?」

 

 その提案に、ヨーコは一瞬きょとんとして、それから本当に嬉しそうに、花が綻ぶように笑った。

 

 

Log02 Fin

 

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