ようこそ実力至上主義の教室へ ~ギフテッドとN.I.N.J.Aと……~ 作:山上真
「それで、どうでした、橋本くん?」
上級生が『ハードル競争』をやっている最中、自身が支持する派閥の主――坂柳有栖から橋本正義は唐突に問われた。
その問いには、主語も何もなかった。察しの悪い人物であれば、有栖が何に対して問うているのかも分からないだろう。
しかし、橋本は察しの悪い人物ではない。然るに、『唐突』というのは正確ではないだろう。
何せ、高いポイントを払ってまで――それも身銭である――『百メートル走』と『ハードル競争』における池の権利を落札して橋本に宛がったのは有栖なのだ。
である以上、実際に対峙した橋本から直接所感を聞こうとするのは何もおかしくはない。
「そうさなぁ~。やりよう次第じゃ勝ち目はあるかもしれないな……。同じレースに出たから分かるが、ゴールした直後の池はかなり息を切らしてたんだよ。たぶん、全力疾走した場合は百メートルかそこらが体力の限界なんだと思う。
だが、次の競技である『ハードル競争』は御覧の結果だし、疲労は早いけど回復速度も速いんだと思う。
また、その『息切れ』のレベルにも違いがあった。当然ではあるが、単に全力疾走すりゃあいいだけの『百メートル走』の方が顕著だったな。それに比べれば『ハードル競争』の方は余裕があったように思う」
橋本は顎に手をやりながら答えた。キチンと池の名前を出して、『その意は汲んでますよ』とアピールするのも忘れない。
橋本には予め『着順は気にするな』と指示が下っていた。だからといって手を抜いたつもりはないが、その言葉のおかげで精神的に余裕があったのは事実だ。
同時、口頭では『池に注視しろ』などという指示が下っていなかったことも大きいだろう。事前に橋本が伝えられたのは、『池の権利を落札して橋本と同一レースに宛がった』ことだけだ。
まあ、それだけで有栖の意図を推測することは容易い。奥の奥まで察することは出来なくとも、表層だけなら十分だ。
しかし、実際に指示されたわけではないのだから、必ずしも果たす必要がないのも事実。
つまり、あくまでも橋本自身が有栖からの覚えを良くするべく、無理のない範囲で池に気を払っていただけである。
「フフ、流石橋本くんですね」
そして、有栖が微笑を浮かべながら橋本を褒めたことで、功を奏したことが確定した。
「しかし、なるほど……。『ハードル競争』の場合、どうしても障害物である『ハードル』を意識しなければなりませんからね。『全力疾走』からは程遠くなるでしょう」
「ああ。実際にやった身から言わせてもらえば、どうしたって集中しきれねえ。上位を目指そうとすればするほど、それは顕著になるだろうな。
これを一ヶ月やそこらの練習でどうにかするのは不可能だ。そりゃまあ、練習の密度次第では可能かもしれねえけど、学校側に与えられた時間だけではたぶん無理だと思う」
実際に走る側には、『早くゴールしなければならない』という焦りと、『ハードルを倒すわけにはいかない』という焦り、異なる焦りが同時に襲い掛かることになる。
その上で、ハードルに接触した場合には0.3秒、ハードルを倒した場合には0.5秒のペナルティがクリアタイムに加算されてしまう。一個ならそこまででもないだろうが、用意されたハードルの数は全部で十個もあるのだ。それが十メートル間隔で置かれているのだから、飛び越えたと思ったら程なくして再び障害物が待ち受けていることになる。
速度を出せば出しているほどに体感は短く感じるだろうし、それだけ引っ掛かったり倒してしまう確率が跳ね上がるだろう。
要は、『ハードルにどれだけ意識を払わずにいられるか』に焦点を当てられる勝負でもある。
極論、全てのハードルを倒して5秒のペナルティが加算されたとしても、それを物ともしないタイムを叩き出していれば『一つの正解』ではあるのだ。――とても現実的でないのも事実だが。
「『N.I.N.J.A』つってたっけ? 最初に話を聞かされた時には俄かに信じられなかったけど、今は実感してるよ。池の奴、ハードルを意にも介してなかった。そんだけの余裕があった。
普通に考えて、陸上部の所属で『ハードル競争』の選手でもねえ限り、そんなのはあり得ねえだろ。けど、池は陸上部でも何でもねえ。なら、その『あり得ねえこと』を補填する何かが必要になる。それが『日本古来の忍者の末裔』ってんなら、一抹の筋は通る。
つうか、それで納得しねえとこっちがやってらんねえ。これでも俺、テニス部だし、身体能力にも自信があるんだぜ。それが『無所属の奴に負けた』とあっちゃな……。事実を認めなくちゃならんにしても、『受け入れるだけの理由』は欲しくて堪らねえよ」
肩をすくめて橋本は言った。紛うことなき本音である。一般的な池の前評判が低いからこそ、ただ敗北を受け入れるのは至難だった。
「対外的な評価まで考えた場合、せめてもの救いは、夏休みの終わり頃から『鬼龍院楓花が池寛治に注目していた』という噂が流れたことだろうな。鬼龍院先輩は高円寺に負けず劣らずの自由人だと評判だが、その一方で実力を評価されてもいる」
「そんな実力者が注目した以上、池くんが予期せぬ実力を発揮しても周囲は自然と納得します。
また、体育祭が終われば池くんに落札したポイントの一部が振り込まれることになり、それを私が行ったことも池くんの知るところとなります。場合によっては茶柱クラスの首脳陣にも伝わるでしょう。
極論、橋本くんが勝っても負けても私たちのクラスにはメリットが生まれます」
分かりますか? そう言わんばかりの眼差しを、有栖は橋本に向けた。
「俺が勝ってれば単純に得点が。俺が負けてれば姫さんの抜け目の無さが。……そんなところか?」
橋本はやや気圧されながら、それでも口を開いた。
「フフ……。ええ、はい。そんなところです。勝負事というのは、勢いに乗られるのが一番厄介ですからね。
『士気の高さ』というのは、明らかな格下が相手であろうと馬鹿に出来ない効果を齎します。まして、個人戦力では私たちに渡り合える人材が配属されているのだから、尚のこと無視はできません。である以上、機会があるなら逃さず相手の士気を挫くのが常套手段というものです。
相手が猪なら効果が出るか怪しいですが、『首脳陣』というものには知者が含まれていて然るべきですからね。そして、知者であればあるほどに、私という壁を勝手に高く見積もってくれるでしょう」
有栖は口元に弧を描いて語る。
池寛治という人物を知っている者ほど、普段の低評価も相俟って、先の噂を意に介しはしないだろう。
そんな中、有栖は多大なポイントを使ってまで池を『テニス部所属のスポーツ自慢』である橋本に宛がったのだ。
実際に橋本がスポーツ自慢かどうかなど関係ない。重要なのは『テニス部所属』という事実から周りがそう思うことで、そう思われるに足るだけの身体能力を橋本が有している点にある。
池が、茶柱クラスが、有栖への警戒心を高めた時点で、有栖の目的は達成されている。
端的に言って、クラス単位で見た場合、茶柱クラスは一番実力が低い。リーダーの擁立が遅かったことが一番の理由だが、だからこそ平田という人望も能力もある実力者がリーダーになったところで、一朝一夕でクラスを纏められるものではない。自然、取り得る手は限られる。
そも、クラス評価とは裏腹、個の能力だけならバカに出来ない者たちが揃っているのも茶柱クラスなのだ。須藤なんて、身体能力だけを見れば学年でもトップ層だろう。幸村だって学力はトップ層だ。
である以上、人材を適切に配置し、その上で連携能力を高められたなら、途端に侮れなくなってしまう。
平田の信望を鑑みれば、人材の適切な配置だけなら容易くやってのけるだろう。だが、連携能力を高めるのは一朝一夕では行かない。地力そのものの向上を図るとなれば尚更だ。
茶柱クラスには、『自分たちが最下層』という自覚がある。だからこそ、『Aクラスでの卒業』を目指すとなれば、地力の向上を図らずにはいられない。連携能力を高めずにはいられない。
それを実行しようとすれば、伏して牙を研ぐのが一番だ。言い換えれば、『最下位を維持し続けて他クラスからの警戒心を低下させる』ということだが。そうしないと、向上させるための時間を用意できない。
しかし、能力を向上させていざ実行しようにも、『タイミングの見極め』が重要な要素となるのは間違いない。その際に、過剰な警戒心は足を引っ張ることになりかねないのだ。
「『疑心、暗鬼を生ず』ってやつか……。おっかないね、うちの姫さんは。三年間という長丁場を見据えて、今から手を打っているわけだ」
「戦略とはそういうものでしょう。『死力を尽くした真剣勝負』に華があるのは認めますが、クラスを束ねる『女王』としては、『堅実で確実な勝利』を目指さないわけにはいきませんよ。
そしてそのために必要なのは、『相手が実力を発揮しきれない状況』を作り上げることです。その際に、わざわざ卑怯卑劣な手段を使う必要などありません。
まあ、必要な際にはそのような手段も辞しませんが、基本的には日頃の行いの積み重ねにより『相手の誤認を促す』だけで事足ります。リスクも少ないですしね」
勝負事において、多くの人間は不安と無縁ではいられない。特に実力に自信のない者は、『これで勝てるのか?』、『十分な手は打ったか?』等々、勝負の直前どころか勝負の最中にも考えてしまうだろう。
そして、日頃の評価がそれをより顕著にする。反骨心だけで日頃の劣等感を払拭するのは無理があるのだ。
世の中、『下剋上』は何度か成立している。名高いのは織田信長が今川義元に勝利した『桶狭間の戦い』だろう。同年に起こった、浅井長政が六角氏に勝利した『野良田の戦い』も捨てがたい。
しかし、これらが後世まで伝わっているのは、その勝利が『あり得ない』ことだったからだ。『有り得ざる勝利』、『劇的な勝利』だったからこそ、広く後世まで伝わっているのだ。
同時、その敗北を機に、負けた側は過剰に低く評価されがちだ。今川義元なんかいい例である。昨今は評価が上向いてきているが、それ以前は『海道一の弓取り』が見る影もなかった。……なお、弓取りとは『弓矢で戦う者』から『武士』、転じて『国持大名』を指し、海道は『東海道』を指す。
早い話、義元が『東海道に名を馳せた国持ち大名』なのは否定できない事実なのである。
そして、義元は武力だけではなく内政能力や外交能力にも卓越した手腕を持っていた。『今川仮名目録』の改訂や、甲斐の武田氏、相模の北条氏、駿河の今川氏による『甲相駿三国同盟』の締結からもそれは窺える。
同時代の名将、朝倉宗滴も『国持、人つかひの上手。よき手本と申すべく人』と、義元のことを高く評価していたとされている。
早い話、そんな高評価を受けていた人物が当時は弱小勢力に過ぎなかった織田家――それを率いていた信長に敗北したことで、これまでの評価が一変してしまったわけである。
これは義元が輿に乗っていたり、歌を詠んでいたことも一因だろう。とはいえ、輿の使用は『家格の高さ』を示すためであり、歌も『教養の高さ』を示す目的があった。文化人としての側面を必要とする『国持ち大名』としては決して間違った行為ではない。
ただ、信長に敗北したことによって『戦国大名』としての看板に瑕が付いたことは事実であり、それが『国持ち大名』としての側面まで波及してしまったのだ。
「往々にして、『下剋上』が成立する要因には、敗北した側の油断や慢心が挙げられます。極端な話、それくらいしか理由として強調できるものがないからですよ。
一説によると、浅井氏が六角氏に勝利した『野良田の戦い』は、浅井氏が総勢1万1000人、六角氏は総勢2万5000人と言われています。
信長が義元に勝利した『桶狭間の戦い』は、今川氏は総勢2万5000人、織田方はハッキリとしませんが、今川氏の本陣を奇襲したのは2000人ほどとされていますね。この内、今川本陣で織田の奇襲隊と対峙したのは5~6000人ほどだと伝わっています。
橋本くん、普通に考えて、この戦力差で勝てると思えます?」
「いや、無理。当時の実情なんざ知らねえから想像でしか言えねえけど、間違いなく無理」
不意に投げられた問いに、橋本は悩むことなく即答した。顔の前で片手を振って強調する。
「ええ、無理です。どれだけ『勝てる要因』を理屈で挙げても、最後には
人が『天才』と『凡人』に分けられることを私は否定しません。私自身、『天才』を自負していますからね。――ですが、だからこそ『天才』の少なさについても断言できます。
そして、如何な『天才』とて個人で出来ることには限りがありますので、程度にもよりますが数で攻められたら敗北は必至です。覆そうにも、『一騎当千』の実力者なんてそうはいないのが現実ですしね。
だからこそ、それを覆す要因として、殊更に敗北側の油断や慢心、勝利側の幸運が強調されるんですよ。
しかし、その油断や慢心は果たして如何ほどのものなのか? その幸運は如何ほどのものなのか? それを正しく語れる者もまたおりません。結局は結果論でしかないんですよ。
逆説、堅実に過ごしているだけでも、高評価を得ている私たちが負けることは早々ありません。それだけの地力が、『初期Aクラス』である私たちにはあります。各クラスの数に大差がない以上、物を言うのは『個の質』になりますからね。
勝負の内容次第では負けることがあるのも否定はしませんが、重要なのは『負け方』と『その後の対応』です。それを間違えて今川や六角のようにならない限り、最後には『個の質』の差で私たちが勝ちます」
橋本の答えを有栖は否定しなかった。むしろ同意した。
その上で、最終的には自分たちの勝利が揺るぎないことを断言した。
そう語る有栖からは、確かに『女王』としての風格が漂っているのだった。
今回は真嶋クラスから、有栖と橋本に焦点を当てました。
真嶋クラスと坂上クラスは同じチームではありますが、根底的には『敵対クラス』であるのも事実ですからね。
全部の情報が共有されているわけではありません。
池の参加表干渉権利を落札して橋本に宛がったことを事前に説明したところで、それは『チームの勝利』には何の寄与もしないのが一因でもあります。
勝敗自体は黙ってても明らかになるのだから、敢えて知らせる必要もありません。
そのため、龍園らと有栖らで『認識の齟齬』が発生している点を描写しました。
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