金貨の娘   作:美穂

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外章 第5節 星海の鐶(第3項)

私は一人船尾に立ち、

アルを抱えて遠ざかる景色を眺めた。

 

 

「アルムデナ。」

 

 

銀糸の飾緒を首輪にした

黒猫を正式な名前で呼ぶと、

月と同じ色の目を閉じて細め

僅かに口を開いた。

 

 

久々に名前を呼ばれた為に、

尻尾を鞭みたいに撓らせて

私の腕を何度も叩く。

 

 

要塞と町を組み合わせた、

古代の神聖な女の名前。

 

 

大陸由来の名前のせいで、

南部訛りのサンサは発音できなかった。

 

 

その名前を今更呼び直す気も無く、

サンサの使っていた略称の方が

アルには馴染んでいる。

 

 

猫と言葉は交わせなくても、

ニースの私にはその所作だけで

常にアルの思考と膨大な知識が、

噴水のように湧いて槽を満たす。

 

 

アルに対してニースを用いれば、

目を通して考えが伝えられる。

 

 

ネルタの革命で右腕を失ったサンサは

逃げ延びた森の中でアルと出会い、

ニースの技術を得ると、死を失った。

 

 

トリンに刺された私も、同じく死を失った。

 

 

私達は死を失ったことで

永遠とも呼べる時間が得られ、

同時に長い退屈を得ることになった。

 

 

これを古代の人々は不老不死と呼んだ。

 

 

頭の中に浮かんだ疑問は

ニースの技術ですぐに解消され、

飢えを忘れ、休息を必要としない。

 

 

フルリーンに髪の色を染めて貰わなくても、

サンサと同じく簡単に変えられた。

 

 

際限なくニースを使えば

役者のゼオと同じく信用を失うので、

この技術は秘めておきたかった。

 

 

良く知る隣人や、犬猫といった動物の姿、

石像などの無機物に変わることができても、

本来の魂を失ってしまう気がする。

 

 

サンサが幾人もの盗賊に襲われても、

ユヴィルの傭兵達に腹部を斬られても、

彼女が死ぬことはなかった。

 

 

ニースの技術を得た私は、

ヘッペに首を刺されても死ななかった。

 

 

魂も失っていない。

 

 

ゼズ島の禁足地、管理者の待つ地では、

雷霆を発生させる列柱が

入植者の侵入を阻む。

 

 

ソーマは子孫を残した後に

禁足地へ向かい、雷霆で実体を消化した。

 

 

物差しや天秤の錘では量れない、

遥遠代という過去に失われた

超越した技術が存在した。

 

 

万能に思えるニースであっても、

獲得者には多くの制限が設けられていた。

 

 

外見がそのままでは重さだけを変えられず、

大きな相手には力負けしてしまう。

 

 

街道で浚渫の監督をしていた男に

肉体で抵抗するには、ニースを使って

対抗しなければいけなかった。

 

 

協力者を増やして組織を作ろうにも、

ニースの獲得者は増やせない。

 

 

子孫を作ってもニースの複製はできず、

肉体を構築する設計図は異なるので、

生まれ変わりを作ることはできない。

 

 

ニースを獲得した者が複数居ても、

思考の伝達を遠距離で行えない。

 

 

人間に与えられたニースは、

獲得した者同士を接触させずに

群れの中で競争を促すものだった。

 

 

――蜜も赤子には毒だね。

 

 

ニースで指導者と呼ばれたソーマは

神々のように不老不死の仕組みを得て、

禁足地で雷霆を受けた。

 

 

この永遠の退屈の中で、

サンサは復讐と継承という

二つの目的を成し遂げた。

 

 

権能を持つアルが他人にニースを与えれば、

先のニース獲得者は死を取り戻す。

 

 

私は死を受け入れられなかった。

 

 

私がニースを得ると同時に

サンサのニースは溢出し、

不老不死を失った彼女は死を取り戻す。

 

 

そのことを知ったのは、

私がニースを獲得した後だった。

 

 

サンサにニースを返すことは不可能で、

私への継承は元から彼女の狙いでもあった。

 

 

後悔はあっても、

そのおかげで覚悟が決まった。

 

 

夜の館に売られた孤児で、

いつまでも逡巡していた私の背中を

サンサが押した。

 

 

まるでニクスみたいな便宜的な解釈だった。

 

 

メリエ家の娘は子孫を作り、

家名と資産を守る為に育てられた。

 

 

娘でしかない私は、

父母から娘としての役割以外に

なにも望まれなかった。

 

 

そのせいか、私は家庭教師のサンサから

大陸から入ってくる俗な本を教わった。

 

 

孤児になって夜の館に買われてからも、

大陸で緩衝材にされる羊皮紙を集めた。

 

 

私は娼婦にも袋を変えただけの

ドレイプになるつもりもない。

 

 

フランジになってスースと名前を変えても、

メリエ家の呪いは父母と後継者だった

幼いニコラの死後でも続いた。

 

 

私自身に変化は無かった。

 

 

本の中だけでしか知らない

大陸への憧れはあっても、

目的や主体性が無かった。

 

 

ニコラと同い年だったレナタは

やりたいことをしていて、

気がつけば画工になって

私より遥かに先を歩いていた。

 

 

『海船に乗って経験してみたらいいわ。

 

 大陸はスーの行ってみたい

 ところなんでしょ?』

 

 

サンサが私を捓った。

 

 

このニースの技術があれば

大陸まで一人で泳いでだって――、

たとえ泳げなかったとしても

海底を歩いて行ける。

 

 

無知が生んだ虚しい妄想だった。

 

 

ソーマが歩いてきた道を擬えたり、

不老不死の身体を使って大陸を周遊しても、

永遠の退屈は解消されはしない。

 

 

私はサンサが収穫祭に向けて書いた

指導者ソーマの戯曲を思い出し、

彼が辿り着けなかったゼズ島の

南側の開拓を行うことを考えた。

 

 

協力者を募って、

大陸の要塞都市エンカーから

ゼズ島南部の開拓を目指す。

 

 

管理者の意志が、

私に行動させるのかもしれない。

 

 

そうであってもラッガやゼオ、

フルリーン達の協力は欠かせない。

 

 

気紛れな動物達の制約で、

私は自由にニースを増やすことはできない。

 

 

私はゼズ島を出て南側に行く為に、

メーニェの姉妹を通じて

エンカー半島で大陸の通貨を偽造する。

 

 

管理者の企み通り、

大陸のソーンとクレワを争わせる。

 

 

管理者はあの島に牛、羊、

馬、兎などの動物を与え、

ひとの為の舞台を用意した。

 

 

肉体労働者のソーマの欲を利用して、

人々に競争を求めた。

 

 

サンサの復讐心を利用して、

カヴァとネルタを争わせた。

 

 

オーブ領で通貨を偽造し、

遥遠代に大陸で失われた

シルクの製法を与えた。

 

 

大陸の2国を偽貨で惑わせれば、

ゼズ島が大陸に狙われる可能性も減り、

島はそのあいだに大陸と戦う準備もできる。

 

 

――奸佞邪知ってこのことだね。

 

 

サンサみたいな悪巧みに、

自虐して鼻で笑ってしまう。

 

 

――管理者は人々に競争と繁栄を求め、

  一方で相反するものを求めている。

 

 

入植した人々を繁殖させて争わせ、

大水害を与えて怠惰な安寧を破壊した。

 

 

全部を元に戻す為に。

 

 

ニースの知識があったところで、

遥遠代の技術を取り戻すには

何百年も掛かってしまう。

 

 

材料の採集や量産には需給が重要で、

試行を繰り返し、技術の発展には

何十億もの人間の繁栄が必要になる。

 

 

大陸という僅かな大地しか持たず、

奪い合いに明け暮れる人類には難しい。

 

 

管理者の意志は星空への帰還を目的にして、

この星で生き延びた人間に道標を与えた。

 

 

流れ星の夢、叶わない欲望。

 

 

火葬場の緑の上でサンサが私達にした、

星座になれなかった星鳥の作り話。

 

 

星を掴むには、

あまりに迂遠な計画と言える。

 

 

――完全なる還元。

 

 

何百年も掛かる星鳥の計画とは別に、

管理者の個体は群体に反した意志を持ち、

この技術の復元を望まない。

 

 

個体はいまも群体に死を諭している。

 

 

――死を受け入れなさい。だね…。

 

 

オーブ領の先々代領主、グレイ老の言葉。

 

 

禁足地からオーブ領に現れた森の賢女、

サンサの協力者になった彼もまた、

古くにニースを得ていた一人だった。

 

 

黒い体毛に覆われた

金色の瞳が私を見つめ、

声も無く呼び掛ける。

 

 

船が濃い青の海を掻き分け、

波が白い航跡を描く。

 

 

泡で出来た航跡は、

ひとの足跡よりも早く消えてしまう。

 

 

――鉄の船、か。

 

 

航跡の先には種を載せた巨大な船が、

果てのない海に姿を浮かべている。

 

 

いつだかサンサが船の定義を私達に訊ねた。

 

 

永遠とも呼べる一瞬が、あの場所にあった。

 

 

夕日がゼズ島全体を金赤色に染め、

島にはやがて夜が訪れる。

 

 

「あれがあなた達の船なんだね。」

 

 

金の目をした動物の尻尾が私の腕を叩く。

 

 

管理者の個体の故意により、

果てのない海に巨大な島が現れた。

 

 

彼女が求めた、完全なる還元の為に。

 

 

天蓋山は常に蒸気を上げて水を生み、

セリーニの塊茎が腐敗して豊穣を与える。

 

 

擬態した動植物が生息する、

島に擬態した星空の船。

 

 

「また会いましょう。金赤色のサンサ。」

 

 

恒星の名前に別れを告げると、

私の胸元で黒猫のアルがミャオと鳴いた。

 

 

 

 ◆ 外章 『天蓋の島』 おわり

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