OVA:共鳴を使わない男を、共鳴最強の世界三位にぶつけてみた   作:檻@102768

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9 冠を戴くことなく、頂に至る

 

 

 

 そのテーマの発表は、当時のプレイヤーたちにとって、福音のように見えた。

 

 

 

 極めて軽量でありながら、勝敗そのものを歪めるルール介入型クリーチャー、〈縛なるもの 終焉未達体(ネヴァー・エンド)〉。

 ライフゲインとデッキ修復を一枚でこなす、〈停滞の福音〉。

 そしてそれら二つを結びつける、もう一つの秘宝。

 ピッチスペル〈白閃の聖句〉を始めとして組み込まれていた、数多の軽量な妨害と除去。

 

 『未葬教典』と銘打たれ、悪魔である〈ネヴァー・エンド〉を崇拝対象として設定(デザイン)された歪なテーマ。

 

 

 ――――発表当時、少なくないプレイヤーが思った。

 

 

 これで環境は変わる、と。

 

 無理もない。

 

 

 

(ほんと、それほどまでに、環境が煮詰まってたからなぁ。当時のアレはしんどかった)

 

 

 『潔白教団』。

 

 俗にそう呼ばれたコンボのテーマが、環境に君臨していた時期があった。

 

 《白塔の大神官》を中心としたそのデッキは、ひたすら執拗に『戒律』と称して選択肢を奪っていく。

 〈破門宣告〉でクリーチャーを追放し、〈告解の祭壇〉で手札を公開し差し出させ、〈異端審問録〉で相手の山札を暴き尽くす。

 

 そして、十分に『断罪カウンター』が積み上がったところで、〈赦されざる未来〉が相手の山札(みらい)をまとめて奪い去る。

 

 盤面だけではなく、まだ引かれていない可能性そのものを裁くデッキ。

 

 クリーチャーは破門という名の追放で消し飛ばされる。

 手札は告解という名の選択を迫られる。

 山札は審問という名のもとに暴かれる。

 

 そして最後には、未来そのものが赦されない。

 

 かつて清廉な導き手だったはずの者たちは、いつしか邪教と呼ばれるほどに、相手の未来を裁き続けた。

 

 勝つためのカードを引く前に。

 そもそも、勝つための未来そのものが失われていく。

 

 コントロールの封殺力と、コンボの決定力。

 その二つが噛み合った結果、当時の「教団環境」は、あまりにも息苦しいものになっていた。

 

 

(それに歯止めかけようとしてデザインされたのが、『未葬教典』。

 デッキ破壊のコンボに対し、デッキ修復のコントロールで対処する……ってのは、理に適ってるよな)

 

 

 〈ネヴァー・エンド〉を中心とした新テーマの発表は、確かに福音だった。

 そんな環境に対して、運営が投げ込んだ回答。

 

 

 相手が未来を奪うなら、こちらは奪われた未来をとり戻す。

 

 デッキ破壊には、デッキ修復を。

 追放には、追放されない終焉未達体を。

 必殺のコンボには、勝敗拒否を。

 

 それ以外には除去や妨害で、相手の好き放題にはさせない。

 勝ち筋はデッキ切れ。長いゲームレンジで優位を重ねて、相手の思惑を押し潰す。

 

 暴走した聖職者を、裁かれるべき魔性が裁くという皮肉。

 

 

 そうやって環境を荒らし回った王者を、徹底的にマーク。

 メタを張り、歯止めをかけようとした。

 

 基本、環境デッキを抑え込むのには二パターンある。

 相手に徹底してメタを張るか。

 相手より早いゲームレンジでゲームを終わらせるか。

 

 コントロールと入り混じったとは言え、まがりなりにも既にコンボ環境。

 ビートダウンが多数姿を消しているこの状況で、「さらに早いコンボ」を実装するのは、一層の環境の荒廃を招く。

 

(それを見れば、「徹底してメタを張る」方向に舵を切ったのは、英断だった。

 特に、コントロールであれば自ずとゲームレンジもだいぶ長くなる。

 ここにビートダウンが帰ってくる余地があれば、また環境は入り混じり、活性化するだろう……って見通しも、間違いじゃないんだが…………)

 

 

 なるほど、理屈は通っていた。

 

 環境がトップメタ一色に染まり、煮詰まった。

 プレイヤー全体に倦怠が漂い始めた時期。

 そこへ一石を投じようとした運営が、これなら、と。満を持して世に送り込んだテーマ。

 

 少なくとも――――――発表された瞬間は。

 

 

(その目論見…………ぶっちゃけ外れたんだよなー(・・・・・・・・・・・・・)。マジで。

 本当に、全く、思惑通りにいかなかったんだよ)

 

 

 

 いや、カード単位で見れば成功だったのだろう。方針も間違ってない。

 

 コントロール使いたちは、新しい選択肢が貰えたとほくほく顔だった。

 実際、このテーマから生まれた妨害や除去は、環境が進んでなお、今でも採用するデッキは少なくない。

 

 

 だが、運営の思惑とは裏腹に。

 このテーマを握り、ディープに使い込むプレイヤーは、ほとんど現れなかった。

 

 

 勝てなかったからではない。

 

 むしろ、勝てた。圧勝だった。

 

 

 当然と言えば当然。

 環境への対抗策(メタ)であることを望まれたデザインの段階で、『潔白教団』に対しては、明確に有利がついていた。

 

 デッキ破壊は修復される。

 追放は〈ネヴァー・エンド〉に届かない。

 必殺のコンボは、勝敗拒否によって止まる。

 

 相手の勝ち筋を受け止めるという一点において、その完成度は疑いようがなかった。

 

 ただし。

 

 

(『理論上で勝てる性能が備わっている』ことと。

 『現実の対戦で、勝ち切れること。大会という場で勝ち続けられるか』は、別の話だったんだよな)

 

 

 つまるところ。

 『未葬教典』には最初から最後まで、どうしても付き纏う欠点があったのだ。

 

 

 何しろ、ゲームが長い。

 

 とにかく、長い。

 

 

 『潔白教団』に対しては、確かに勝てる。

 相手の山札破壊を修復し、追放を〈ネヴァー・エンド〉で受け流し、必殺の一撃を勝敗拒否で止める。

 相手が積み上げてきた勝ち筋を、ひとつずつ、丁寧に、無に帰していく。

 

 それは強い。間違いなく強い。

 

 

(だが――――強いことと(・・・・・)楽しいことは別だった(・・・・・・・・・・)

 ファイトはあくまでゲームで、勝っても楽しくないゲームって、勝てたとしても別にプレイしたくないんだよ…………)

 

 

 勝つまでが、あまりにも遠い。

 

 『未葬教典』の基本方針は、相手の勝ち筋を否定し続けることにある。

 こちらから積極的にライフを詰めるわけではない。

 巨大なフィニッシャーで一気に殴り倒すわけでもない。

 

 相手の攻撃を受け止め、山札を修復し、ライフを回復し。

 その障害をすり抜けて一気に決めに来る相手には、〈ネヴァー・エンド〉で勝敗そのものを拒否(ロック)する。

 

 そうしていれば、最後には相手が先に尽きる。

 

 勝つ。

 確かに勝つ。

 

 だが、それは勝利というより、相手が力尽きるまで見届ける作業(・・)に近かった。

 

 

 

 そして何より。

 『未葬教典』は、当時の環境(メタゲーム)である『潔白教団』にどれだけ有利であっても、次の環境(メタゲーム)に上り詰められなかった理由があった。

 

 

 環境に君臨するうえで、最大の仮想敵(・・・・・・)とは何か?

 

 そこに立ちはだかるのは、型落ちになりつつある前環境の王者ではない。

 当然、「自分と同じ、最新のシリーズで武装したデッキ」である。

 

 

 環境に食い込むということは、当然、そのデッキを握るプレイヤーが増えるということだ。

 握るプレイヤーが増えれば、何が起こるか。

 

 当然――――――ミラーマッチの頻発である。

 

 それが、このテーマにとっては致命的だった。

 

 すなわち――――『未葬教典』には、ミラーマッチ適性(・・・・・・・・)というものがあまりにも欠けていた。

 

 

 なにせ『未葬教典』同士のミラーマッチがどれほど泥沼だったのか。考えるだけでうんざりする。

 筆舌に尽くしがたいほどだった。

 

 相手の勝利も自分の敗北も封じるモンスターに、デッキ修復とライフゲインまで備えた鉄壁の構え。そして勝ち筋がデッキ切れ。

 

 

(この、相手の優位性を全部潰したうえで自分の優位性も全部死ぬ相手と長時間やりあえとか、もう嫌がらせのレベルだった。

 コンボ同士の瞬殺じゃんけんも大概だけど…………

 

 パーミッション同士で、延々と妨害を差し合いながらデッキ切れを狙うのは、しんどいとかいうレベルじゃないんだよ)

 

 

 楽しさという根幹、ゲーム性の喪失が、著しい。

 

 互いに山札を修復する。

 互いにライフを戻す。

 互いに〈ネヴァー・エンド〉を召喚し直す。

 互いに相手の勝ち筋を妨害する。

 

 勝てないし勝たせない。

 

 それでは――――ゲームが、終わらないのだ。

 

 一戦が長い。

 長いどころではない。

 勝敗がつくまでに、集中力も、時間も、対戦者の精神も削られていく。

 

 環境が一色に染まるのは嫌なものだ。

 速度が売りのコンボミラーなら、決着は往々にして初期手札で決まる。

 

 だが、『未葬教典』は逆だった。

 長期戦が前提で、運の介入が薄く、長くなればなるほど腕が問われる。

 理想論では、それは良いことのはずだった。

 

 しかし――――問われる集中力の長さが、プレイヤーの許容域をあっさり超えた。

 だから、握れば環境トップに圧倒的に優位だとしても。

 腕に自信があれば、ミラーでも勝ちきれるとしても。ここまで勝てたとしてもしんどい(・・・・)デッキなど、誰もプレイしたくはなかったのだ。

 

 環境に上り詰めるには、勝てる勝てない以上に『勝負がつかない』デッキではいけない。仮に勝てても握られない……という残酷な事実がそこにあった。

 

 

 結果として、『未葬教典』は一定数の使い手を得ながらも、環境を染め上げるには至らなかった。

 

 

 そして――――『未葬教典』が環境に君臨するまでもなく、『潔白教団(・・・・)は駆逐される(・・・・・・)

 

 

 差し置いて次に環境に君臨したのは、《アポカリプス・ドライブ》と銘打たれた、コンボデッキ(・・・・・・)

 

 単一のテーマではない。――――皮肉にも。環境を揺るがせた『未葬教典』から、切り札を輸入して組まれた複合テーマ。

 

 

 その構造は、あまりにも破滅的(ワイルド)だった。

 

 

 『未葬教典』というテーマ本体は、防御に寄りすぎていた。

 勝敗を拒否し、山札を修復し、ライフを戻し、相手の勝ち筋を否定する。

 それは確かに強い。パーミッションでありながら、長期戦にも高い適性を持つ。

 

 強いが、勝つまでが遠い。

 

 

 だが、〈ネヴァー・エンド〉というカードだけを切り出して見れば、話は別だった。

 

 

 軽い。極めて軽い。

 取り回しが良く、複数枚デッキに組み込んでも負担にならない。

 

 場にいる限り、相手は勝てず、こちらは負けない。

 

 これを見て、テーマ通り、お手本通りの耐久戦だけではなく、悪用(・・)を考えるのがカードゲーマーというものだ。

 

 実際、軽さによる取り回しの良さと、低スタッツ故の場持ちの悪さ。

 〈ネヴァー・エンド〉は収録されたパーミッションよりも、よりコンボの方に適性が高かった。

 

 

(まあ、単純なカードパワーの話だ。

 

 自分も巻き込むリスクがあるカードほど、そのぶん軽く、強く作られやすい。

 だったら、負けない保証を立てたうえで、そのリスクだけ踏み倒そうと考えるやつは当然出る)

 

 

 ならば防御的なコントロールの中で、相手が力尽きるまで守るのではなく。

 限界まで自爆リスクを高めた、高速高パワーコンボに組み込めばどうなるか。

 

 実際、この性能を見て、短期決戦への適性がより高いと勘づいたものは相当数いたのだ。

 

 

 

 答えは、単純だった。

 

 

 壊れた。

 

 

 『滅亡への暴走(アポカリプス・ドライブ)』。

 

 それは『未葬教典』から〈ネヴァー・エンド〉だけを輸入し、残りの枠をハイリスクハイリターンのコンボパーツで埋め尽くした、凶悪な複合デッキ。

 

 負けない保証だけを悪魔から借り受け、あとは自分のやりたいことを最速で押し通す。

 

 デッキ思想としては、『未葬教典』とは真逆に近い。

 守るための勝敗拒否ではない。

 無茶を通すための勝敗拒否。

 

 

 その無茶のハイリスクは、〈ネヴァー・エンド〉が場にいる限り、敗北というカタチで訪れない。

 

 死なないなら、どれだけ命を削ってもよい。

 負けないなら、どれだけ無茶をしてもよい。

 

 悪魔を崇める教典は、誰かを救うための聖句ではなかった。

 それはやがて、滅びへ向かってアクセルを踏み抜くための、免罪符になった。

 

 結果として、『潔白教団』は完全に終わった。

 

 

 リスクをも飲み込んで爆速する相手に、悠長にアドだけを積み重ねるデッキが追いつける理由がない。

 そしてコンボデッキにとって速度差(・・・)は致命的。こちらの切先が届く前に切り捨てられれば、逆転の機会は巡ってこない。

 

 仮に対峙した場合、勝率は圧倒的に《アポカリプス・ドライブ》が優勢。

 〈ネヴァー・エンド〉の除去や妨害に成功しても、大半が自爆気味に引き分けにまで持ち込まれる。

 

 

 結果、『潔白教団』は、『未葬教典』によって否定され。

 『未葬教典』から生まれた悪魔を積んだ『滅亡への暴走(アポカリプス・ドライブ)』によって、とどめを刺された。

 

 

(皮肉な話だよな)

 

 

 環境を救うために生まれた悪魔は、テーマ本体では王座に届かず。

 その一部だけを切り取られ、より凶悪な王者の心臓として使われたのだ。

 

 

 そしてこれほどまでに高速化を極めた環境に、ビートダウンが介入する余地などあるわけもない。

 

 コンボデッキが台頭している環境に、コントロールのメタテーマを投入する。

 そうすればコンボは鳴りを潜め、コントロールが優勢になり。

 そのコントロールに有利を取れるビートダウンも居場所を得る。

 

 そうなれば、ビートダウンを上から叩けるコンボデッキも、いっときは勢力が衰えてもまた舞い戻り、バランスを保つだろう。

 

 

 運営が当初イメージしていたそんな環境の変遷は、全くの裏目となった。

 

 

 

 そして、厄介なことに。

 

 そんな環境であっても、『未葬教典』の相性有利そのものは変わらなかった。

 

 

 

 『潔白教団』には勝てる。

 その次の王者、『滅亡への暴走(アポカリプス・ドライブ)』にも勝てる。

 

 相手が勝敗を踏み倒す悪魔を使おうとも、本家本元にもそれはある。

 そしていざ自爆覚悟で爆走しようとも、デッキ修復にライフゲインをも備えたコントロールを押し切るのは並大抵ではなく。

 

 

 だからこそ、なおさら歪だった。

 

 

 そうして環境に圧倒的に有利でありながら、握る者は極わずか。

 『未葬教典』のプレイヤーは増えない。…………増えれば増えるほどミラーの危険性が高まり、勝敗がつかない退屈が待っている。

 

 

 そして、そんな僅かな仮想敵のためだけに、ビートダウンを握る者もおらず。

 たまに当たる『未葬教典』を地雷扱いした程度で。環境は、『滅亡への暴走(アポカリプス・ドライブ)』が制覇。

 

 

 運営も、そこでようやく悟ったのだろう。

 

 デッキ破壊を止めるために、より硬いコントロールを与える。

 その方向では、環境は健全にならない。

 

 

 そうして次に生まれたテーマが、《亡霊たちの饗宴》。

 

 

 まさに発想の転換だった。

 多数の墓地起動。墓地展開。墓地に落ちたことをトリガーとする誘発。

 

 失われたものを取り戻すのではなく、リソースに変えるテーマ。

 

 そこで《アポカリプス・ドライブ》もようやくブレーキを踏み、停止した。

 自爆覚悟の決死の速度が相手に利するというのなら、後に残るのは一方的な自爆だけだ。

 

 そうして、環境(メタゲーム)はまた違う方向に動き始めた。

 自爆覚悟の速度を緩め、より健全に優位(アド)を積み重ねていく環境に。

 

 速度が緩むことで、ビートダウンも息を吹き返し、こうしてようやく環境は正常化の兆しを見せた。

 

 

 

 ああ――――

 

 

(だからこのテーマは、そういう顛末に終わったテーマだった。

 当時の環境に圧倒的有利(・・・・・・・・・・・)。だがミラーマッチ適性が地の底の底。

 トップメタへの相性は上の上でも、環境を支配する適性は下の下の下)

 

 

 結局。『未葬教典』は、一度も環境に立てなかった。

 目玉であった〈ネヴァー・エンド〉を始めとして、後世に残ったカードはいくつもある。

 だが、それでも覇者にはなれなかった。

 

 王者を倒すために生まれ。

 次の王者さえねじ伏せるポテンシャルを持ちながら。

 

 それでも、自らが王者になるには――――あまりにも握る者を選びすぎた。

 

 

 

 

 

 誰が呼んだか、「無冠の帝王」。

 

 王者を討つ力はあった。

 次の王者さえ、及ばないほどの硬さもあった。

 

 

 だが、それでも王座には届かなかった。

 

 

 あまりにも長く。

 あまりにも硬く。

 あまりにも、握ることに抵抗があった。

 

 そして何より。

 その強さを環境へ広げようとすればするほど、避けようのないミラーマッチが待っていた。

 

 勝てる。

 勝てるが、終わらない。

 

 強い。

 強いが、握りたくない。

 

 

 それが、『未葬教典』というテーマが抱えた致命的な矛盾(ジレンマ)だった。

 

 

 

(だが――――この世界では、その(・・)矛盾(・・)は解決している(・・・・・・・)

 

 

 

 共鳴がある以上、プレイヤーは原則、自分に最も適したテーマを握る。

 同じテーマに共鳴する者同士(レアケース)でもなければ、ミラーマッチはそうそう成立しない。

 

 

 ましてや、看板である〈ネヴァー・エンド〉は世界に一枚しか存在しないレガシーカード。

 仮に同じテーマ同士でぶつかったとしても、実質的にミラーが成立しない。

 

 それは、この世界だからこそ成立する、決定的な優位性だ。

 

 

 かつて『未葬教典』を王座から遠ざけた最大の憂いは、最初から存在しないに等しかった。

 

 

 

 ならば、残るものは何か。

 

 王者を真っ向から打倒する性能。

 次の王者も及ばず、一方的にねじ伏せる隙の無さ。

 そして、握る者を選びすぎたがゆえに誰も引き出せなかった、理論値の硬さ。

 

 長すぎるゲームを、長いまま勝ち切れる精神力。

 

 

 それを今、目の前の彼女は、共鳴によって最大限まで引き出している。

 

 必要な札を引き込み。

 必要なタイミングで構え。

 必要なぶんだけ、相手の勝ち筋を否定し続ける。

 

 王座に届かなかった怪物が。

 冠を戴くことのなかった無冠の帝王が。

 

 

 最強の共鳴使いの手の中で、かつてないほどに本領を発揮している。

 

 

 

(……そりゃ、強いわけだ)

 

 

 

 目の前に立ちはだかる世界三位を、改めて見据えた。

 

 

 そこで、ほんの一瞬だけ。

 プレイヤーとしてではない種類の感情で、彼女自身に目を奪われた。

 

 

 白磁のように澄んだ肌。

 長く流れる髪は照明を受けて淡く光を孕み、伏せられた睫毛の奥で、こちらの手札も、山札も、思考の癖さえも見透かすような瞳が静かに揺れている。

 

 そして、その肢体もまた、均整という言葉がよく似合った。

 豊かすぎるほどの曲線を抱えながら、それが少しも過剰に見えない。

 細い腰と伸びやかな背筋が、そのすべてを危ういほど絶妙な均衡に収めている。

 

 

 まるでプレイングそのもののように、整いすぎた顔立ちだった。

 けれど、ただ綺麗なだけではない。

 

 

 その美貌には、甘さよりも先に、研ぎ澄まされた冷たさがあった。

 微笑めば人を惹きつけるだろう。

 けれど今、その眼差しに宿っているのは色香ではない。

 

 幾度となく繰り出した必殺を受け止め、見切り、否定してきた強者の静けさだ。

 

 女性としての美しさに目を奪われたはずなのに。

 その奥にある、プレイヤーとしての怜悧さが、見惚れかけた意識を勝負の場へ引き戻してくる。

 

 

 

(……眼福、とか思ってる場合じゃないな)

 

 

 

 一瞬遅れて、自分の意識を盤面へ引き戻す。

 

 世界三位。

 その肩書きが持つ重みを、改めて思い知らされる。

 

 

 かつて王者にはなれなかった――――冠を戴けなかったテーマ。

 けれど今、それは間違いなく。

 

 

 

最強の共鳴使い(セレヴィア)の手によって、(いただき)に立っていた。

 

 

 







「囚われた砂粒は、
 同じ軌跡を巡り続ける」


     ―――――〈自転式の砂時計〉





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 お気に入り2100人突破+日間ランキング5位にランクインしていました!
 ここまでお読みいただきありがとうございます! このままいつか1位も……!

 あ、あと。セレヴィアのキャラデザのイメージを、今一度乗せておきます。
https://x.com/ori000123/status/2050500543362257346?s=61&t=lUpy0bCzURk6Qy_r5alO2A


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