いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
十二月二十三日。二学期の終業式を目前に控えた、凍えるような朝。
私は寮のロビーにあるソファに深く腰を掛け、重い息を小さく吐き出した。
(……結局、一睡もできなかったな)
昨夜、帰り道に清隆から受けた『恋愛指南』のせいで、私の脳内ではひよりの無防備で愛らしい仕草が無限ループを引き起こし、完全な睡眠不足に陥っていた。
目を閉じて微かな頭痛に耐えていると、ふわりと心地よい香りが鼻をくすぐった。
「惣右介くんっ! おはようございますっ」
顔を上げると、真っ白なコートに身を包んだひよりが、可憐な笑顔を浮かべて立っていた。銀色の髪が、朝の光を浴びてキラキラと輝いている。
(っ……!)
――『そうしたサインを、お前は見逃していないか?』
清隆の言葉が再びフラッシュバックし、私の心臓がかつてないほどの早鐘を打ち始める。
(今まで普通に挨拶を交わしていただけなのに……昨日あんな話をしたせいで、いちいち意識してしまう……! いや、ダメだ。今日は特別試験の結果発表もあるし、生徒会長として終業式の進行もある。しっかり気持ちを切り替えないと!)
私は内心で必死に自分へビンタを放ちながらゆっくりと立ち上がり、絶対的な強者の余裕を纏った笑みを浮かべてみせた。
「――今日の君も、朝焼けの空より眩しい輝きを放っているね」
(訳:おはよう、ひより)
私がオサレな言葉で寝不足を誤魔化そうとすると、ひよりは少しだけ心配そうな表情を浮かべ、きゅっと私の袖を掴んだ。
「惣右介くん? どうかされましたか?」
(か、可愛い……っ!!)
上目遣いで私を見つめる、その純粋で真っ直ぐな瞳。
破壊力抜群の仕草に、私のポーカーフェイスが内側から崩壊しかけるが、なんとか表情筋に力を込めて耐え抜く。
「――杞憂だ。この箱庭で為すべき務めが、私を呼んでいるだけさ。さあ、共に歩もうか」
(訳:なんでもないよ! 今日は結果発表もあるから、気合いを入れないとね!)
私がすかさずエスコートするように手を差し出すと、ひよりはホッと表情を緩め、「はいっ!」と嬉しそうに私の手を取った。
繋いだ手から伝わる温もりに再び顔面が熱を持つのがわかったが、私は必死に平常心を装いながら、愛しい恋人と共に学校へと向かう並木道を歩き出した。
◇ ◇ ◇
朝のホームルーム。
教壇に立った星之宮先生は、いつもの少し気の抜けたような、それでいてどこか掴みどころのない笑顔でクラス全体を見渡した。
「それじゃあ、昨日の特別試験の結果を発表するね〜。みんな、本当によく頑張ったわね〜!」
そのふんわりとした声に、クラスの空気は一瞬にして張り詰める。
星之宮先生がタブレットを操作すると、教室のモニターにAクラスとBクラス、そしてCクラスとDクラスの対戦結果が表示された。
Aクラス対Bクラス ――Aクラスの勝利
Cクラス対Dクラス ――Dクラスの勝利
「やったぁぁぁっ!!」
「勝った……! よっしゃああああっ!」
黒板の文字を見た瞬間、クラス中から爆発的な歓声が上がった。柴田や網倉たちが飛び上がって喜び、張り詰めていた糸が切れたように、あちこちで安堵の息が漏れる。
星之宮先生はニコニコと笑いながら、さらに現在のクラスポイントを書き加えていく。
Aクラス:1594(+50)
Bクラス:1480(−50)
Cクラス:836(−50)
Dクラス:741(+50)
「結果はうちのクラスの勝利よ〜!みんな、冬休みの前にAクラスの座を守り切れて、本当におめでとう!」
先生の労いの言葉に、クラスメイトたちは互いの健闘を称え合うように肩を叩き合った。
私は一番後ろの席から、その歓喜の輪を静かに見つめながら、フッと口角を上げた。
(今回は勝てて、無事にAクラスの座を守ることはできた。だが……純粋な正答率という点で見れば、実はBクラスの方が僅差で上回っているな)
私は黒板に書かれた詳細なデータに視線を向け、冷徹な思考を巡らせる。
(今回は試験のルールに助けられた部分が大きい。単純な学力勝負となれば、やはりBクラスの地力は凄まじいな。坂柳と葛城の導く統率力が完璧に機能している証拠だ)
続けて、私は下段に記されたもう一つの対戦カード、CクラスとDクラスの詳細なデータへと視線を移した。
(結果的には堀北率いるDクラスが勝利を収めているが……この正答率と合計点からして、勉強が苦手な生徒の多いCクラスにしては、かなり健闘した結果と言えるな)
数字から読み取れる事実に、私は感心するように目を細めた。
(Dクラスとは同盟関係にあるとはいえ、龍園もタダで勝ちを譲るような真似はしなかったということか。……それに、今回の特別試験はCクラスにも十分に勝ち目のあるルールだったからな。おそらく龍園は、この真剣勝負を機にクラス全体の基礎学力の底上げを図り、自分たちの弱点を克服しようとしたのだろうな)
好敵手たちの優秀さと、見えざる成長を内心で称賛していると、教壇の前に立った一之瀬が、クラスメイトたちへ向けて澄んだ声を響かせた。
「みんな! 本当によく頑張ったね! これでAクラスのまま、みんなで笑って冬休みに入ることができるよ!」
一之瀬が花が咲いたような笑顔を見せると、クラス中から温かい拍手が起こる。
しかし、彼女はすぐに表情を引き締め、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「でもね、結果を見ればわかる通り、正答率ではBクラスの方が上だったの。今回は、試験のルールに助けられた部分も大きいと思う。だからこそ……ここで勝てたからって、絶対に慢心しちゃダメだよ。Bクラスの得意な学力勝負でも、次は真っ向から勝てるように、三学期ももっともっとみんなで頑張ろうね!」
一之瀬の力強く、それでいて謙虚な呼びかけに、クラスメイトたちは誰一人として浮かれることなく力強く頷いた。
「ああ、一之瀬の言う通りだな! もっと学力を上げないと!」
「うんっ! これからも勉強会、みんなで頑張ろうね!」
勝利に酔いしれることなく、さらなる成長を誓い合うクラスメイトたち。
(やっぱり、一之瀬は最高のリーダーだな! 彼女がみんなの心を一つにしてくれるからこそ、このクラスはここまで強くなれたんだ)
私は彼女の見事な統率力と、それに呼応するクラスの絆の深さに、内心で惜しみない称賛の拍手を送っていた。
◇ ◇ ◇
その後、体育館で行われた二学期の終業式。
私は生徒会長として、副会長の一之瀬や藤泉、書記の七瀬、会計の堀北、会計監査の天沢たちと共に式典の進行に携わり、何一つ滞りなく無事に二学期の全日程を終えることができた。
生徒会メンバー全員で手早く体育館の片付けを済ませた後、私たちは生徒会室へと戻り、細々とした備品の確認や戸締まりの準備など、後始末的な作業を行っていた。
全ての作業が完了したのを確認し、私は中央のデスクから役員たちを見渡した。
「――今日のところはここまでとしよう。各々、来たるべき時のために羽を休めるといい」
(訳:今日の作業は終わり。みんな解散して休んでね)
「はいっ。それでは藍染会長、皆様、良いお年を!」
藤泉や七瀬、堀北たちが次々と一礼し、生徒会室を後にする。
最後に残った一之瀬が、鞄を手にしながら不思議そうに私を見た。
「あれ? 藍染くん、まだ何かすることあるの?」
「――わずかに残った塵芥を払うだけさ。冬の眠りにつく前に、盤面を完全に整えておきたいからね」
(訳:うん。ちょっとだけ、冬休みの分の仕事を先にやっておこうと思って)
「そっか。あんまり遅くならないようにね! それじゃあ、また明日のクリスマス会で!」
一之瀬が笑顔で手を振り、部屋を出ていく。
静かになった生徒会室で、私は一人パソコンに向かい、予定していた書類作成の作業を手早く終わらせた。
(よし、これで冬休みはゆっくりできるな)
内心で大きく背伸びをし、電源を落として立ち上がろうとした、その時だった。
「藍染せぇんぱい! 忘れ物取りに来ましたぁ〜!」
バタンッ、と勢いよく扉が開き、一年生の天沢一夏がひょっこりと顔を出した。
「――未練を残すとは、君らしくないね」
(訳:忘れ物?)
私がオサレに問いかけると、天沢はニヤニヤと小悪魔的な笑みを浮かべ、私のデスクの前にまでやってきた。
「ニシシ。忘れ物はついでですよぉ。実はぁ、一夏サンタから、藍染せんぱいにプレゼントを持ってきたんです!」
そう言って、彼女は背中に隠していた小さなコンビニの袋を、私の胸元へと押し付けてきた。
(おっ! なんだろう? ……そういえば、俺も生徒会のみんなに労いとして何かあげれば良かったかな)
私は内心で少しばかりの後悔を覚えつつ、あくまで優雅な動作でその袋を受け取り、中身を覗き込んだ。
そこに入っていたのは――見慣れない四角い小箱。
ご丁寧に『極薄』と書かれた、例のアレだった。
(コンッ!!???)
私の思考回路は、その瞬間に完全にフリーズした。
心臓がドクンと嫌な音を立てて跳ね上がり、呼吸の仕方を忘れる。
「ちゃーんと使わないとダメですよぉ? せんぱい、すっごく奥手みたいだから、私が背中を押してあげます!」
完全に硬直している私を見て、天沢は腹を抱えるようにしてケラケラと笑った。
(こ、こいつ……っ! 無人島の時は、あんなに俺にビビり散らかしていたくせに……最近、俺の態度が柔らかいのをいいことに舐めすぎじゃないか!?)
私は内心で怒りとも羞恥ともつかない感情を爆発させながら、必死に表情筋を凍結させ、その禍々しい小箱の入った袋を突き返そうとした。
「――君の浅薄な施しなど、私には不要だ。持ち帰るがいい」
(訳:いらないよ!! なんでこんな物渡してくるんだよ!?)
私が鋭い視線と共に突き返そうとすると、天沢は受け取ろうとせず、さらに口角を吊り上げた。
「でもぉ、いざそういう雰囲気になった時にコレが無いと、困っちゃいますよねぇ?」
(ならないよ!……と、言いたいところだけど……。昨日の清隆の言葉のせいで、絶対にそういう雰囲気にならないとは言い切れない自分がいる……っ!)
予期せぬ角度からの指摘に、私がわずかに険しい顔で固まっていると、天沢は「あれぇ?」と大げさに首を傾げてみせた。
「どうしたんですかぁ? ちなみに綾小路せんぱいは、喜んで貰ってくれましたよぉ?」
(本当に何してんだコイツ!? 女子としての恥じらいはどうした!? いや、ていうか清隆ァ! お前、絶対クリスマスパーティーで消費する気満々で受け取っただろ!?)
私は常軌を逸したホワイトルーム生たちの生態に戦慄しながら、強者としての威厳を保つためにゆっくりと口を開いた。
「――蕾のまま咲き誇る花もある。可憐なる乙女が、自ら泥濘に足を踏み入れるような真似は感心しないな」
(訳:女の子なんだから、そんなことしてたらダメだよ!)
私がオサレに咎めると、天沢はぴたりとニヤニヤ笑いを止め、急にしゅんとしたように眉を下げた。
「……だってぇ。私、藍染せんぱいに喜んで欲しくて……」
上目遣いで、どこか捨てられた子犬のような寂しそうな瞳を向けてくる天沢。
(……うっ。後輩にそんな悲しそうな顔をされると、ここで突き返すのも大人気ない気がする……! かといって、コレを受け取るのもどうなんだ!? どうすればいいんだ、俺!?)
私が脳内で激しい葛藤を繰り広げていると、天沢は一瞬で元の小悪魔的な笑顔に戻り、ひらひらと手を振った。
「ニシシ! というわけで、返品は受け付けませぇん! 椎名せんぱいと、熱い夜を過ごしてくださいねー! じゃあねっ!」
天沢は私の手をスルリと躱すと、そのまま脱兎のごとく生徒会室から走り去っていった。
「……」
取り残された私は、手元にある問題のブツと、閉ざされた扉を交互に見つめ、ただ一人呆然と立ち尽くす。
(……これ、どうしよう……? いや……後輩からの善意のプレゼントだしな! うん! やましい気持ちで受け取るわけじゃないぞ! これはあくまで、生徒会長としての度量の広さを示すためだ!)
私は誰に対するものかも分からない必死の言い訳を脳内で展開しつつ、その小箱を鞄の奥底、絶対に他人からは見えない深い闇の中へと封印した。
重い息を一つ吐き出し、無人の室内を見回す。
(はぁ……。天沢も、八神の件からすっかり元気を取り戻してくれたのは嬉しいけど……めちゃくちゃ俺のこと舐めてるよな。……まあ、あんな風に遠慮なく絡んでくる後輩なんて天沢くらいしかいないし、俺も嫌なわけじゃないけどさ)
私はかつての絶対的な恐怖を乗り越え、軽口を叩けるまでに図太く成長した白き部屋の刺客に対し、どこか保護者のような温かい眼差しを向けていた。
◇ ◇ ◇
その後。
図書室で待っていたひよりと合流した私は、冷たい冬の風が吹く並木道を歩き、ケヤキモールへと足を運んでいた。
目的は、明日のクラスで行われるクリスマスパーティー用の『プレゼント交換』の品を買うためだ。
「――予算は二千ポイント程だったね。君の選ぶ星の欠片なら、誰の手に渡ろうと必ずやその魂を潤すだろう」
(訳:予算は二千ポイントくらいだったね。ひよりの選ぶプレゼントなら、誰に当たっても喜ばれるよ!)
「ふふっ、ありがとうございます。惣右介くんは、誰に当たってもいいような無難なものになさいますか?」
ひよりが、私の右腕にきゅっと腕を絡ませながら楽しそうに見上げてくる。
「――ああ。万人の魂を照らすような、普遍的な輝きを選ぶのが王道だろうね」
(訳:そうだね。誰がもらっても困らないような日用品とかお菓子にするよ)
私はオサレに答えながらも、視線はどうしても、腕に絡みつく彼女の柔らかな感触へと向かってしまっていた。
(……ダメだ。清隆の言葉のせいで、ただでさえ意識しているのに。鞄の奥底には天沢に押し付けられたアレが入っていると思うと……完全にキャパシティを超えているぞ……!)
イルミネーションが輝き始めた華やかなケヤキモールの中。
私たちは様々な雑貨店や菓子店を見て回り、和やかにプレゼントを吟味していく。
(予算二千ポイントか……。去年のクリスマスは、神崎から『謎のポエム集』をもらって戦慄した記憶があるな……。今年は絶対に、神崎以外からのプレゼントが当たって欲しい……)
私は去年のトラウマを微かに思い出しつつ、無難でありながらも少しだけオサレな装丁の輸入菓子の詰め合わせを選び、レジへと向かった。ひよりもまた、可愛らしいデザインのマグカップと紅茶のセットを購入し、満足そうに紙袋を抱えている。
買い物を終え、寮へと向かう帰り道。
すっかり日が落ちた空には、澄んだ冬の星々が静かに瞬いていた。
「明日のクリスマス会、とっても楽しみですねっ」
ひよりが吐き出す白い息が、街灯の光に照らされてふんわりと消えていく。
「――ああ。我々を囲む星々の喧騒も、この聖なる夜の幕開けに相応しい舞台となるだろう。……だが、宴が幕を下ろした後は、君という月だけの輝きを、私の目に焼き付けさせてほしい」
(訳:うん、明日のパーティー楽しみだね。でも、夕方にパーティーが終わった後は、二人きりでデートを楽しもうね)
私が少しだけ手に力を込めて彼女の指先を包み込むと、ひよりは頬をほんのりと赤く染め、嬉しそうに微笑み返してくれた。
「はいっ。……私も、惣右介くんとの時間を、心待ちにしています」
純真なその笑顔に、私の心臓がまたしても小さく跳ねる。
鞄の奥底に眠る不純な小箱の重みに微かな葛藤を抱きながらも、私は隣を歩く愛しい恋人の温もりを感じていた。
訪れる聖夜が、私たちにどのような運命の欠片をもたらすのか。
私は澄み切った冬の夜空を見上げながら、明日から始まる特別な時間へ、ただ静かに想いを馳せるのだった。