いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
十二月三十一日。大晦日の午後。
外の世界では冷たい木枯らしが吹き荒れているが、私の自室は心地よい暖房の熱に満たされ、完全なる平穏が保たれていた。
ソファの上で、私とひよりは肩を寄せ合い、同じブランケットに包まりながら静かにそれぞれの小説のページを捲っている。
クリスマスという特別な一夜を経てから、ひよりとの距離感は以前にも増して近いものになっていた。
「……惣右介くん」
不意に、隣に座るひよりが本から視線を外し、甘い声で私を呼んだ。
私が顔を向けるよりも早く、彼女は私の肩にそっと顎を乗せ、そのまま私の頬へとチュッと柔らかな唇を押し当ててきた。
(……っ!! なんだこの大天使は!? 幸せすぎて心臓が口から飛び出そうなんだけど!?)
私は内心で激しく身悶えしつつも、顔面は強者の威厳で完璧に凍結させ、彼女の頭を優しく撫でた。
「――君の気まぐれな熱は、冬の静寂を溶かすには十分すぎるほど甘美だね。……だが、あまり私を試すような真似は感心しないな」
(訳:急にそんなことされたら、可愛すぎてびっくりしちゃうじゃないか)
私のオサレな言葉に、ひよりは頬を赤く染めながらも、ふふふと嬉しそうに笑い、さらに私の腕へと深く身を寄せてくる。
「……だって。惣右介くんとこうしていると、胸の奥がずっと温かくて……どうしようもないんです」
上目遣いで見つめてくる潤んだ瞳。
その真っ直ぐな愛情表現に、私は降参するように息を吐き出し、彼女の華奢な肩を抱き寄せた。
やがて夜が更け、私たちは二人でキッチンに立ち、手早く年越し蕎麦を作り上げた。
去年の大晦日はテーブルを挟んで向かい合って座っていたが、今年はごく自然な動作で隣同士に腰を下ろしている。
温かい湯気が立ち上る蕎麦を一口啜り、私は隣で美味しそうに頬張るひよりへと視線を向けた。
「――細く、長く、途切れることのない時の糸。去年の夜に願った軌跡は、どうやら確実に未来へと繋がっているようだね」
(訳:美味しい? 去年もこうやって一緒に食べたけど、今年も一緒に年越し蕎麦を食べられて本当に嬉しいよ)
「はいっ。来年も、再来年も……このお蕎麦のように、ずっと一緒に歩んでいきたいです」
ひよりは私の言葉の意図を完璧に汲み取り、花が綻ぶような、この上なく愛おしい笑顔を向けてくれた。
テレビからは賑やかな特番の声が流れ、やがて画面は厳かな除夜の鐘の映像へと切り替わる。
『ゴォォォン……』
重厚な鐘の音が、新しい年の幕開けを告げた。
「あけましておめでとうございます、惣右介くん。今年もよろしくお願いしますね」
「――ああ。今年もまた、君と同じ時を刻んでいこう。新たな年の先に、幾つの季節が待ち受けていようとも……私の隣は、永遠に君のためにある」
私たちは温かいお茶の入った湯呑みを軽く合わせ、静かに、そして確かな熱を持って新年を祝ったのだった。
◇ ◇ ◇
一月一日。元日。
澄み切った青空が広がる新年の朝。
私たちは、Aクラスの面々と共に初詣に向かうため、ケヤキモール近くの神社へと足を運んでいた。
レンタルショップで借りたシックな黒の羽織袴に身を包んだ私と、水色と白を基調とした可憐な雪の結晶柄の振袖を纏ったひより。
待ち合わせ場所である鳥居の前に早めに到着し、二人で並んで待っていると、やがて見知った顔ぶれが賑やかに近づいてきた。
「藍染くん! ひよりちゃん! あけましておめでとう!」
華やかな赤の晴れ着姿の一之瀬が、パァッと明るい笑顔で駆け寄ってきた。その後ろには、白波、網倉、柴田の姿がある。
「あけましておめでとうございます、帆波ちゃんっ! お着物、とっても似合ってますね」
「――新年を祝うに相応しい、見事な桜花だね。今年も、共に高みを目指そう」
(訳:あけましておめでとう! 晴れ着、すごく似合ってるよ。今年もよろしくね)
「にゃはは、ありがとう! 二人とも、今年もよろしくね!」
一之瀬たちと挨拶を交わしていると、そこへ少し遅れて、最後の一人が足早に近づいてきた。
「すまない、少し遅れた」
真面目な顔で現れた神崎だったが――その腰元を見て、私たちの視線は完全に釘付けになった。
なぜか、その腰には堂々と『木刀』が差されていたのだ。
「か、神崎くん……? ……な、なんで木刀を差してるのかな……?」
一之瀬が引きつった笑いを浮かべ、頬をピクピクと引きつらせながら問いかける。
すると神崎は、さも当然のように木刀の柄に手を添え、真剣な眼差しで言い放った。
「これか。先日、池から譲り受けたものでな。……そして俺は、この刀に『
(神崎ィィィ!? なんで木刀に斬魄刀みたいな名前つけてんの!? しかもそれ、クリスマスに寛治が松下さんにプレゼントして突き返されたやつだろ!? なんでお前に渡ってんだよ!? ていうか初詣に木刀持ってくるな!?)
神崎のあまりにも真顔なボケに、私が内心で激しくツッコミを入れていると。
一之瀬は笑顔をピタリと固まらせたまま、ゴゴゴゴ……と背後から底知れぬ黒いオーラを立ち上らせた。
「…………木刀の名前は訊いてないんですけど?」
「ほ、帆波ちゃん! 黒いオーラ出てるよ! 落ち着いて!」
「そ、そうだよ! 折角のお正月なんだし!」
静かなる怒りを放つ一之瀬の両脇を網倉と白波が慌てて抱え込み、必死に宥める。
柴田が顔を引きつらせながら、恐る恐る神崎に尋ねる。
「か、神崎……お前、それボケじゃなくてガチで持ってきたのか……?」
「? ああ。和装には刀が似合うだろう」
大真面目な顔で首を傾げる神崎に、網倉が引きつった笑顔のまま尋ねた。
「ち、ちなみに……その木刀の名前の由来は……?」
すると神崎は、ふっと遠くの冬空を見つめ、芝居がかった真剣な声で語り出した。
「鵲とは、七夕の夜。天の川に群れ集い、星と星を繋ぐ橋を架けたと伝えられる鳥だ。我らAクラスもまた、立ちはだかる試練の川を越え、勝利という頂へ至るための橋を架けねばならない。……この刀には、その大義が込められている」
(確かにオサレだけど!? 意味合いもちゃんとオサレではあるけど!! そもそもただの木刀に名前を付けるなよ!?)
私が内心で全力のツッコミを入れていると、神崎の堂々たる演説に一之瀬は深くため息をつき、私の隣に立つひよりは「ふふっ」と楽しそうに笑い声を漏らした。
「…………はぁ。もう、持ってきちゃったものは仕方がないけど……絶対に振り回したりしちゃダメだからね?」
一之瀬が深くため息をつきつつ、半ば諦めたように釘を刺すと、白波が「でも面白いから、今の神崎くんの写真撮っておこーっと!」とスマホを構え、カシャッとシャッターを切った。
すると、白波はその写真撮影の流れで何かを思い出したように、嬉しそうな顔で私たちの方へと近づいてきた。
「そういえばさ、藍染くん、ひよりちゃん。クリスマス会でプレゼントした『帆波ちゃん写真集』、どうだった?」
白波の問いかけに、ひよりはふわりと微笑んで答えた。
「はいっ。帆波ちゃんの魅力がたくさん詰まっていて、とても素敵な写真集でした」
「――ああ。君の情熱が込められたあの聖典は、確かに見事なものだった。一之瀬の魅力を余すところなく切り取った、素晴らしい仕上がりだったよ」
(訳:凄いクオリティだったよ)
「えへへ、でしょでしょ!」
得意げに胸を張る白波に対し、ひよりが先ほどの神崎の一幕を思い返すように、ふと手を合わせた。
「ふふっ。先ほどのような何気ない日常の瞬間も含めて……せっかくですから、卒業するまでに、クラスの皆さんでたくさん写真を撮って、私たちの思い出をまとめたアルバムを作ってみるのはどうでしょう?」
そのひよりの素敵な提案に、神崎のボケで少しカオスになっていた空気が一気に明るくまとまり、一之瀬が目を輝かせて会話に加わってきた。
「あ、それすっごくいいアイデアだね! みんなの思い出が一冊に残るなんて素敵!」
柴田もポンッと手を叩いて賛同する。
「ああ! 自分たちで作る卒業アルバムみたいなもんか! いいなそれ、絶対楽しいじゃん!」
「大賛成! じゃあ、今日もいーっぱい写真撮らなきゃね!」
網倉も元気よく弾んだ声を上げる。
(……学校側が用意してくれる公式の卒業アルバムもあるのだろうが、こうしてクラスの仲間たちと手作りで思い出のアルバムを創り上げるというのも、最高に素晴らしいな……!)
私は内心でホクホクと温かい幸福感に包まれながら、新年早々から和気あいあいと盛り上がるクラスメイトたちの姿に、フッと優雅に口角を上げた。
境内へと続く石段をゆっくりと登り、賑やかな会話を楽しみながら鳥居をくぐる。
境内に着くと、私たちはまず手水舎で身を清め、参拝客で賑わう本殿へと向かった。
賽銭箱の前に立ち、二礼二拍手一礼。
(ひよりと、これからもずっと一緒にいられますように。それから、クラスメイトや友人たちが、みんな健やかに過ごせますように)
私は目を閉じ、心の中で静かに祈りを捧げた。
祈りを終えて本殿を後にすると、柴田が興味深そうに私に尋ねてきた。
「なあ藍染、何をお願いしたんだ?」
「――祈るということは、縋るということと同義だよ。それは弱者の行いだ。我々には無用のものさ」
(何言ってんの!? 俺の口ィィィ!? 今めちゃくちゃ祈ってたよな!?)
「はは! 藍染らしいな!」
「さすがは藍染だ。神仏に頼らずとも、己の力で運命を切り拓くということか」
柴田が楽しそうに笑い、神崎も木刀に手を添えながら深く頷いた。
「みんなでおみくじ引こうよ!」
一之瀬の提案で、私たちはおみくじを引くことになった。
各自が百円玉を箱に入れ、おみくじの紙を受け取る。
「わあ、私『大吉』ですっ!」
ひよりが嬉しそうにパァッと顔を輝かせる。
「ふふっ、惣右介くんは何でしたか?」
「――私の進む軌跡を揺るがすには至らない、些末な紙切れさ」
私はオサレに言い放ちながら、手元の紙を開いた。
(しょ、小吉……。まあ、凶よりはマシか)
私の完璧なポーカーフェイスの裏側で、内心は少しだけ安堵していた。
「あ、藍染くんは小吉だったんだね」
一之瀬が覗き込んで微笑む。
「おっ! 俺も大吉だぜ!」
柴田が嬉しそうに笑う。
「俺は『末吉』か。……構わない。鵲が天の川に橋を架けるように、運命もまた一歩ずつ切り拓いていけばいい」
「にゃはは、私は『中吉』! 今年もみんなで頑張ろうね!」
一之瀬が明るく笑い、私たちはそれぞれのおみくじを境内の木に結びつけた。
賑やかな初詣を終え、ケヤキモールへ戻る帰り道。
私はひよりと手を繋ぎ、前を歩くクラスメイトたちの背中を眺めながら、静かに息を吐き出した。
(……この学校で過ごせるのも、あと一年と少し、か)
そう考えると、ほんの少しだけ胸の奥が寂しくなる。
(……悔いのないようにしよう。みんなと笑って、騒いで、くだらないことで盛り上がって――そういう時間を、たくさん作ろう)
今こうして隣にいる大切な仲間たちと過ごせる時間が永遠ではないことくらい分かっている。
だからこそ、残された日々の長さを惜しむのではなく、ひよりや仲間たちと共に、この学校でしか作れない思い出を一つでも多く刻んでいきたい。
澄み切った冬の青空の下。
私は繋いだ手から伝わるひよりの温もりを確かめるように軽く握り返し、賑やかな仲間たちの背中を追って歩き出した。
◇ ◇ ◇
正月が明け、冬休みも残り数日となったある日の午後。
私の自室では、ひよりと共に、四人の来客たちを迎えていた。
清隆と、彼の恋人たちである軽井沢恵、佐藤麻耶、そして佐倉愛里の四人である。
リビングの一角では、女子四人がテーブルを囲んで紅茶とお菓子を楽しみながらガールズトークに花を咲かせている。
そして少し離れたテレビ画面の前では、私と清隆がコントローラーを握りしめ、格闘ゲームで熱い火花を散らしていた。
「オレもこのゲームを少し前に買ったんだ。最近は恵たちに勉強を教えながら、毎日研究している。――今日こそはお前に勝つぞ、惣右介」
清隆が無表情のまま、恐ろしいほどの指の動きでコンボを繋げてくる。
「――ほう。随分と深く、この盤上へ足を踏み入れたようだね。ならば見せてもらおうか。その研鑽が、どこまで私の領域に届いたのかを」
(訳:おお! 清隆も買ったんだね! ふふふ、でも負けないぜ!)
私は強者の余裕を漂わせるオサレな言葉を紡ぎつつ、画面に集中する。
(おお! めちゃくちゃ強くなってるじゃん!! いいね! そうこなくっちゃ!)
内心では白熱するバトルにテンションを爆上がりさせながら、私は完璧なタイミングでカウンターを合わせた。
一方、私たちの背後からは、和やかな女子たちの会話が聞こえてくる。
「ごめんねー、椎名さん。わざわざ紅茶にお菓子まで出してもらっちゃって」
「ふふふ。皆さんからも美味しいケーキを買ってきていただきましたし、私と惣右介くんも、こうして皆さんと過ごせて楽しいですから」
軽井沢の言葉に、ひよりがふわりと微笑んで応じる。
「てかさー清隆くん、最近部屋でめっちゃゲームばっかしてたけど、そんなにおもしろいの? あれ」
佐藤が呆れたように私たちの背中を見ながら言うと、ひよりは少し困ったように頬を掻いた。
「うーん……私もあの手のゲームはあまり得意ではないので、よくわからないんですよね」
「し、椎名さんは……普段は藍染くんと、デートでどんなことをするの……?」
佐倉がおずおずと尋ねる。
「お部屋で読書をすることが多いですね。二人で別々の本を読んで、その後に感想を言い合ったり、お互いのお薦めの本を紹介し合ったりしています」
「やっぱり読書って面白いの? 最近、勉強の一環で清隆に言われて本を読む機会も増えたんだけど、やっぱりなかなか集中力が続かないんだよねー」
軽井沢が肩をすくめると、ひよりは真剣な表情でアドバイスを送った。
「普段あまり本を読まれない方は、いきなり長編に挑むのではなく、短編集や、ご自分の興味のあるジャンルのエッセイから始めるのがおすすめです。一章ごとに区切りがつきますから、集中力も続きやすいですよ。もしよろしければ、後で読みやすい本を何冊かお貸ししましょうか?」
「へー! なるほどね! 椎名さんのおすすめなら読んでみたいかも。参考にさせてもらうね!」
佐藤たちも感心したように頷き、ガールズトークはより一層の盛り上がりを見せていた。
そして、画面の前では――。
「……そこだ」
「――甘いな」
激しい攻防の末、私が放った最後の一撃が清隆のキャラクターの体力を削り切り、画面に大きく『K.O.』の文字が浮かび上がった。
「……オレの負け、か。もう一度いいか?」
清隆が静かにコントローラーを握り直す。
「――君の刃は、確かに私の喉元まで届いていた。だが、それでもなお、この私を斬るには至らなかったようだね」
私は余裕を崩さぬまま、清隆を見据える。
「――君がどれほど高みへ昇ろうとも、その先にはまだ私がいる。望むのなら、何度でも挑むといい」
(訳:今のは結構危なかったよ! 清隆めちゃくちゃ強くなってるね! もう一度と言わず、何度でも!)
その後も何度か対戦を繰り返し、すっかり日が暮れた頃。
私はキッチンに立ち、腕によりをかけて彼らに夕食を振る舞った。
「済まないな、惣右介。夕食までご馳走になってしまって」
「ほんとありがとー! 藍染くんのご飯、すっごく美味しい!」
清隆と軽井沢たちが素直にお礼を口にする。
「――礼には及ばない。私の愛しき月と親交を深めてくれた君たちへの、ささやかな祝宴だ。存分に味わってくれたまえ」
(訳:全然いいよ! みんなもひよりと仲良くしてくれてありがとう)
「ひぇっ……!」
私がオサレに微笑みかけると、佐倉がビクッと肩を震わせ、小動物のように縮こまってしまった。
(……相変わらず佐倉さんには怯えられてるな。……ちょっとショックだ)
私が内心で少し傷ついていると、ひよりが優しくフォローに入る。
「ふふっ。『皆さんがひよりと仲良くしてくれてとても嬉しいから、気にせずたくさん食べてね』と言っていますよ」
「あ……っ、あ、ありがとうございます……っ」
ひよりの完璧な翻訳のおかげで、佐倉もようやくホッとしたように表情を緩めた。
その後は、和やかな雰囲気のまま夕食の時間を楽しみ、清隆たちは「また学校でな」と帰っていった。
すっかり静かになった部屋で、二人並んで食器の後片付けをする。
「ふふっ。今日はとっても賑やかで楽しかったですね」
「――ああ。たまにはああいう時間も悪くない」
洗い終わった皿を受け取りながら、ひよりがふと窓の外の夜空を見上げた。
「……もうすぐ、三学期ですね」
「――ああ」
ひよりの静かな呟きに、私も頷きを返す。
平穏で甘い冬休みが終わりを告げ、新たな特別試験、そして各々の思惑が交差する激動の三学期が幕を開けようとしている。
「――いかなる夜が私の前途を覆おうとも、迷うことはない。……私には、暗闇を照らしてくれる月がある。何よりも美しい、君という月がね」
「ふふっ。もう、惣右介くんったら。……はい、三学期も頑張りましょうねっ」
私たちは互いに微笑み合い、これから始まる新たな戦いに向けて、静かに決意を新たにするのだった。