いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
一月上旬。肌を刺すような冷たい冬の風が吹く中、私とひよりはいつも通り手を繋いで、学校へと続く並木道を歩いていた。
吐く息は白く染まっているが、繋いだ手から伝わる温もりが、身も心もポカポカと温めてくれる。
「ふふっ。学校が始まって、惣右介くんもなんだか嬉しそうですねっ」
隣を歩くひよりが、上目遣いで私を見上げながら微笑みかけてきた。
「――凍てつく季節の休息も悪くはないが、やはり私は、賑やかな星々が瞬くこの箱庭の空気が性に合っているようだ。再び皆と軌跡を交わせることが、純粋に喜ばしいからね」
(訳:冬休みももちろん楽しかったし長い休みも好きだけど、クラスのみんなに会えるし学校も大好きだからね!)
「はいっ。私も、またみんなに会えるのがとっても楽しみです」
私のオサレな言葉に、ひよりは花が綻ぶような笑顔を見せてくれた。
Aクラスの教室に足を踏み入れると、すでに登校していたクラスメイトたちの賑やかな声が出迎えてくれた。
私がオサレに挨拶をすると、柴田や網倉たちが「おはよう藍染!」「今年もよろしくね!」と元気よく返してくれる。
その後も登校してきたクラスメイトたちと挨拶を交わし、穏やかな朝のひとときを過ごした。
やがてチャイムが鳴り、教室の前方扉がガラリと開く。
「みんな〜……おはよぉ〜……」
担任の星之宮先生が、ひどく間延びした声と共に、ふらふらとした足取りで教壇の前に立った。その顔には、隠しきれないほどの疲労と気怠さが滲み出ている。
(三学期早々、二日酔いで来るなよ!?)
私は手元の本から視線を上げ、内心で盛大なツッコミを入れた。
しかし、クラスメイトたちはすでにこの駄目な大人にすっかり慣れきっており、クスクスと笑い声を漏らしている。
「先生、またお酒ですか〜?」
「彼氏と別れてヤケ酒しすぎちゃった〜……うぅ、頭痛いぃ……」
星之宮先生が教卓に突っ伏して泣き言を漏らすと、前方の席の女子生徒が容赦のない追撃を放った。
「お酒ばっか呑んでるから、フラれちゃったんじゃないんですかー?」
「ち、違うもん! 私から振ったんです〜!」
星之宮先生はムキになって反論した後、チラリと私とひよりの方を見て、恨めしそうに唇を尖らせた。
「あーあ……私も椎名さんみたいに、藍染くんみたいなカッコよくて一途な彼氏とイチャイチャしたいわ〜」
冗談めかして私たちの仲を羨み、だらしない笑みを浮かべる星之宮先生。
その姿に、私は内心で呆れ返っていた。
(いや、生徒にそんな愚痴こぼして羨んでどうすんだよ! 先生、もうちょっと大人としての自覚を――)
適当にスルーしようとした、その瞬間。
私の意思とは裏腹に、口が勝手にオサレな煽りポエムを紡ぎ出してしまったのだ。
「――自ら手放した縁を前に、まだ無限の春が続くと錯覚している姿はひどく滑稽だね。己の砂時計がどれほど枯渇しているかも理解せず、安酒でその余白を浪費するとは……いっそ見事なほどの喜劇だよ」
(煽るな俺の口ィィィ!!? 三十路手前の担任に向かって『枯渇した砂時計』とか、あまりにも無慈悲すぎるだろ!! 絶対キレるぞ!?)
自らの口から放たれた鋭利すぎるポエムに、私は内心で絶叫した。
案の定、星之宮先生の顔からスッとだらしない笑みが消え、こめかみのあたりがピクッと引き攣る。
しかし、私がフォローを入れる間もなく、隣に座っていたひよりが完璧な天使の笑顔ですかさず口を開いた。
「『自分から振ったと強がっていますが、もう相手を選り好みしているような余裕なんてないのでは? ご自身の賞味期限がとうに切れている現実から目を背け、ヤケ酒ばかり呑んでいるようでは、本当に生涯独身のまま孤独な結末を迎えてしまいますよ』と仰っていますっ!」
(ひよりさぁぁぁん!!!? なんでそこに致死量の猛毒を足しちゃうのおぉぉ!? 『賞味期限切れ』に『生涯独身』って、三十路手前の独身女性に対する絶対的NGワードの即死コンボじゃないか!!?)
いつもは私のポエムを優しく包んでくれるはずのひよりが、笑顔のまま極めて鋭利なナイフで急所をえぐりに行ったことに、私は内心で盛大に頭を抱えた。
あまりの追撃に、星之宮先生の顔からは完全に表情が抜け落ち、教室の空気が氷点下まで冷え込む。
「…………生涯、独身……?」
地を這うような底冷えする声とともに、星之宮先生の背後にどす黒いオーラが立ち上った。
(ひぃぃぃっ!? 完全に殺意の波動に目覚めてるじゃないか!?)
私は内心で激しくパニックに陥り、自らの口を盛大に呪った。
恐る恐る隣に視線を向けると、当のひよりは地獄のように冷え切った空気など全く意に介さず、ニコニコと楽しそうに微笑んでいる。
「せ、先生っ! 落ち着いてください! 藍染くんも決して悪気があって言ったわけじゃありませんから……ね!?」
このままでは教室が凍りつくと察したのか、一之瀬が顔に滝のような冷や汗を浮かべながら慌てて立ち上がり、必死に先生を宥めにかかる。
「……うぅっ……一之瀬さぁん……」
一之瀬の懸命なフォローに、星之宮先生の背後で渦巻いていた黒いオーラが少しずつ霧散していく。
しかし、私へ向ける視線にはまだ確かな怨念がこもっており、ギロリと恨めしそうに睨みつけてきた後、星之宮先生は胸を押さえて、致死量のダメージを受けたように教卓に沈み込んだ。
「……一之瀬さんの優しさと、藍染くんの容赦ない毒舌のギャップが朝から五臓六腑に染み渡るわぁ……」
しばらく教卓に突っ伏してうめき声を上げていた星之宮先生だったが、やがて「……はいっ!」と無理やり顔を上げ、パンッと手を叩いて空気を切り替えた。
「……それじゃあ、今後の話をしていきます! 来月には、これまでの学校生活の話や、進学や就職、進路に関する話をするための二者面談を行います! すでにみんなの保護者の方からは、聞き取り調査も終えてるからね〜」
先生の言葉に、教室の空気が少しだけ引き締まる。
(ふぅ……一之瀬の必死のフォローのおかげで、なんとか命拾いしたな……。後でしっかりお礼を言っておこう)
私は内心で深く安堵の息を吐き出し、改めて先生が口にした『保護者からの聞き取り』という言葉に思考を切り替えた。
(俺の保護者となると、孤児院の先生に聞き取りに行ったのかな? ……孤児院にいた頃は、俺の無意識の圧とオサレポエムのせいで先生たちには大迷惑をかけてたからな……。進路に関しては、これ以上迷惑をかけないように自分でしっかり決めよう)
私はかつての自身の黒歴史に思いを馳せながら、内心で静かに決意を固めた。
その後、いくつかの連絡事項を伝えて星之宮先生が教室を退出すると、クラスメイトたちは自然と進路の話題で盛り上がり始めた。
「Aクラスの特権がどの程度まで希望を叶えてくれるのかは分からないが……特権があるからといって、あまりにも自分の能力や特性とかけ離れたような進路は選ばない方がいいだろうな」
神崎が腕を組み、冷静で真面目なトーンで意見を述べる。
「うん。僕もそう思うよ。特権を使って無理に高望みしたとしても、その後についていけずに困るのは自分だからね」
浜口も深く頷き、神崎の意見を肯定した。
「だけどさ、大企業に直接就職するのもアリなんじゃないか? 普通にやってたら、そうそうクビになるようなことはないだろうし」
柴田が明るい調子で提案するが、神崎は首を横に振った。
「それこそ、大企業となると周りの同期のほとんどは大卒のエリートたちになるだろう。クビにならないからといって、そこでの競争に敗れれば出世することは叶わないはずだ」
「……確かに、神崎の言う通りだな。やっぱ大学に進学して、自分の強みを伸ばすか、苦手を克服してさらに成長するか、それがいいのかな」
柴田も納得したように頭を掻く。
「今の時代、いい大学を出ていることが絶対ではないけど、やっぱり選択肢の幅は全然違ってくるからね」
網倉も真剣な表情で会話に加わる。
彼らの未来を見据えた真面目な議論に、私はクラスの成長を感じて密かに感心していた。
すると、一之瀬が私とひよりの席へと歩み寄ってきた。
「藍染くんとひよりちゃんは、大学も同じところに行くんだよね?」
一之瀬の問いかけに、私はフッと優雅な笑みを浮かべた。
「――ああ。我々の歩むべき軌跡は既に定まっている。かつてこの箱庭で頂を極めた先導者たちが集う場所……学や橘のいる学び舎へ向かおうと思う。我々の力ならば、特権という幻に縋る必要もないからね」
「『学先輩や橘先輩と同じ大学に行こうと思っています。私達は特権がなくても学力的に問題ないので、進路はほぼ決まっています』と仰っていますっ」
ひよりが完璧に翻訳すると、一之瀬は「そっかぁ、すごいね!」と尊敬の眼差しを向けた。
「帆波ちゃんは、どうするんですか?」
ひよりが問い返すと、一之瀬は少しだけ困ったように眉尻を下げた。
「うーん……。正直、将来どんな仕事をしたいかまでは、まだ考えられてないんだよね。とりあえず大学には進学できたらいいなとは思ってるんだけど……うちはあんまり裕福じゃないから」
母親と妹を故郷に残してきている彼女にとって、進学費用は大きな懸念材料なのだろう。
少しだけ翳りを見せた一之瀬に、私はオサレな笑みとともに助言を送った。
「――天は、ただ待ち続ける者には何も与えない。だが、己の手を伸ばし続ける者には、その先へ至るための道を用意しているものさ。返還を求めぬ恩恵もあれば、学び舎が自ら差し出す翼もある。……帰るべき城を持たぬ私もまた、その翼を借りて、この先へ羽ばたくつもりだよ」
「『成績優秀者を対象とした給付型の奨学金や、大学側の学費免除制度のことですね。惣右介くんも孤児院の出身なので、そういった支援制度を利用して進学するつもりです』と仰っていますっ」
ひよりが丁寧に翻訳した後、彼女自身も真剣な眼差しで一之瀬を見つめた。
「帆波ちゃんは成績もとても優秀ですし、ご自身の将来の選択肢を広げるためにも、そういった制度を利用して進学を考えてみるのも良いと思いますよ」
「うん……。アドバイスありがとう、藍染くん、ひよりちゃん。もちろん、そういう制度のことも自分なりに調べてはいるんだけどね。……でも、できるだけ早く働いて、お母さんや妹を私が支えてあげたいっていう気持ちもあって……」
一之瀬は複雑な思いを吐露し、迷いを見せる。
(……なるほど。確かに俺みたいに天涯孤独ならば、家族のことを気にせず自分の将来のことだけを考えられるが、家族への思いがある分、難しい問題だな。一之瀬の学力なら絶対に大学へ進学した方がいいとは思うが、それは俺やひよりが決めるようなことではない。しっかり家族と相談して決めるべきだ)
私は彼女の抱える責任感の強さを察し、内心でそう結論づけた上で、再び言葉を紡いだ。
「――道に迷うのは、背負うべき大切なものがある証さ。だからこそ、独りで答えを決める必要はない。来月の対話の刻、そして母君を交えたその先の語らいで……己の望みと、母君の想いを静かに重ね合わせてみるといい。……それでも道を見失った時は、いつでも私たちを頼りたまえ」
「『来月の二者面談や、その先にあるお母様を交えた三者面談で、ご自身の気持ちとお母様のお気持ちをしっかり話し合ってから決めるのが良いと思います。……それでも迷うことがあれば、私たちでよければいつでも相談に乗りますよ』と仰っていますっ」
ひよりの温かい言葉のフォローに、一之瀬の顔から迷いの翳りが少しだけ晴れた。
「うん、ありがとう! 二人に話を聞いてもらって少しスッキリしたよ。お母さんともちゃんと相談してみるね!……もし大学に進学することになるなら、私もひよりちゃんと藍染くんと同じ大学を目指そうかな!」
「本当ですか!? はいっ、ぜひ一緒に目指しましょう!」
一之瀬がいつもの明るい笑顔を取り戻し、ひよりと嬉しそうに笑い合う。
二人の心温まるやり取りを、私はホッコリとした気持ちで眺めていた。
(一之瀬が最終的にどんな道を選ぶにせよ、俺は一之瀬の決断を全力で応援するつもりだ。……けれど、もし本当に一之瀬が同じ大学に進学してくれたら、ひよりもすごく喜ぶだろうな。それに、うちのクラスや他クラスにも同じ大学を目指す生徒はいるだろうし……卒業しても、仲の良い友人たちと一緒に同じ大学に通えたら、それは純粋に嬉しいことだな)
誰もが未来へ向けて歩み出そうとしている教室の風景。
そんな平穏な空気を味わいながら、私はふと窓の外の冬空へと視線を向けた。
(クラスのみんなはもちろん、他クラスの生徒たちも、少しずつ自分の進路について真剣に考え始めている。……Aクラスこ特権があってもなくても、みんながそれぞれの理想的な進路に進めるといいな)
だが、この高度育成高校がただ平穏に日々を過ごさせてくれる場所ではないことも、これまでの経験から十分に分かっている。
(今週中には、また新たな特別試験の発表もあるだろう。どんな試験になるかは分からないが……Aクラスの座を守れるように、俺も力を尽くそう)
私は心の中で静かに決意を固め、前を向いて笑い合うクラスメイトたちを温かく見守るのだった。