いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
特別試験のルールが発表された、木曜日の放課後。
私たち二年Aクラスは、全員が教室に残り、早速作戦会議を開いていた。
情報漏洩を防ぐため、教室の前後にあるドアの外には見張り役の生徒を配置し、周囲への警戒も怠りなく行っている。
教壇の前には一之瀬と神崎が並んで立ち、その傍らで白波が書記役としてホワイトボードの前にスタンバイしていた。
「みんな、残ってくれてありがとう! さっそく特別試験について話していこうか」
一之瀬が明るく、それでいて引き締まった声で切り出す。
「とりあえず、みんなが考えた作戦でも、警戒すべき点でも、何かあれば自由に発言してくれ」
神崎の促しを受け、最初に浜口がスッと手を挙げた。
「やはり一番警戒すべきなのは、体育祭の時のように三クラスで同盟を組まれることですね。それをされてしまえば勝ち目はありません。我々のプライベートポイントを使って交渉してでも、同盟の成立は阻止するべきかと思います」
「浜口の言う通り、警戒しなきゃいけないのは分かるけどさ」
柴田が腕を組みながら、少し首を傾げる。
「一位しかプラスの報酬にならないのに、そう簡単に同盟なんて組めるか? 今の時期なら、CクラスやDクラスだって背水の陣で、単独で一位を狙いに来るんじゃないか? 俺としては、龍園が生徒を脅して無理やりスパイに仕立て上げるような、盤外戦術を取ってくることを警戒すべきだと思うぜ」
「それこそ、仮に三クラスで同盟を組まれるなら、CクラスとDクラスのどちらかが一位になったら、協力したクラスへプライベートポイントを支払うみたいな契約をすることも考えられるんじゃないかな?」
網倉が浜口と柴田の意見を統合するような推測を口にした。
「でもさ、プライベートポイントで契約って言っても、一位の報酬と釣り合うかな?」
姫野が冷静なトーンで口を挟む。
「学年末試験や、まだ残りの一年があるとはいえ……これまでのクラスポイントの変動から言っても、CクラスとDクラスにとってはもうデッドラインが近いと思う。私も柴田くんの言うように、龍園くんたちの手荒な手段には警戒すべきだと思う。少なくとも、一人の時は出歩かないとか、監視カメラがないところは避けた方がいいね」
(……うん。完璧だね)
活発に交わされるクラスメイトたちの意見に、私は内心で深く頷いた。
(みんな、警戒すべき最悪の事態をしっかり理解している。……龍園も今さら暴力を伴うような直接的な盤外戦術を使う可能性は低いとは思うが、スパイ工作も含め、しっかり警戒しておくに越したことはない)
彼らの確かな成長と注意深さに、私は満足げに目を細めた。
「うん。同盟は当然警戒すべきだと思う」
皆の意見を聞き終えた一之瀬が、真剣な表情で口を開いた。
「三クラスで同盟を組まれるかはともかく、二年生になってからCクラスとDクラスはずっと同盟関係にあるからね。ここでも手を組んでくる可能性は、十分にあると思うよ」
一之瀬の言葉に、隣に座っていたひよりが静かに手を挙げた。
「順番次第ではありますが、彼らが手を組むのなら、確実に五十点ずつは確保されてしまいます。……ですが、もしそうなれば、試験開始後に私たちもBクラスと談合し、プロテクトし合うカウンターを合わせることも可能かと思います」
「だが、坂柳がそう簡単に俺たちと手を組むか?」
神崎が、鋭い視線を向けて疑問を呈する。
「Bクラスにとっては、ここで一位を取ることが出来れば、Aクラスに返り咲くことが出来る大チャンスだ。手を組んで安定を取るよりも、全力で勝ちにくるのではないか?」
神崎の懸念ももっともだ。だが、私はあえてフッとオサレな笑みをこぼし、ゆったりと口を開いた。
「――高みを目指す者ほど、足元には敏くあるべきさ。己が立つ場所さえ揺らいでいるというのに、遥かな頂を見上げる者はいない。……一度の敗北で築き上げたものを失うくらいなら、まずは己の城壁を固める。それが、為政者の選ぶべき理というものだよ」
「『Bクラスと私たちの差は僅差ですから、下位のクラスに同盟を許して最下位に沈み、プライベートポイントを失うリスクを負うよりも、まずは自分たちのクラスを守ることを優先するはずだ』と仰っていますっ」
ひよりが完璧に翻訳すると、神崎は腕を組んで小さく頷いた。
「……なるほどな。もう後がないCクラスやDクラスとは、また置かれている立場が違うわけだな」
「はいっ。ですから、CクラスとDクラスが手を組むのなら、坂柳さんもこちらと手を組んでくださると思います」
ひよりはコクリと頷き、さらに分析を重ねる。
「一ターン目で相手の同盟に気づけるかにもよりますが、そうなれば全クラスが五十点を確保した上で、同盟を組んでいないクラスからの防御でどれだけ得点できるかの勝負に持ち込めると思います。……もちろん、順番次第では同盟自体が機能しないこともあるでしょうけれど」
(さすがひよりだな! 俺の考えてることと全く同じだ!)
私は内心で愛しい恋人の頭脳をべた褒めしつつ、さらに思考を深く潜らせる。
(ただ、クラスの総合力を考えれば、純粋な知識勝負の展開になると自分たちが不利になることは、清隆や龍園なら分かっているだろう。リーダーの力量が大きく作用するとはいえ、相手の思考を読み切ってそう簡単にプロテクトを成功させることは難しい。……明日以降、俺たちにも何らかの接触があってもおかしくはないな)
「うん! 藍染くんとひよりちゃんの言うことはもっともだね!」
一之瀬がパンッと手を叩き、明るく宣言する。
「今日のうちに坂柳さんに、そういう展開になった時に組むかどうか、あらかじめ連絡して打診してみるね!」
「警戒すべき点や全体の方針としては、こんなところか」
神崎がホワイトボードにまとめられた意見を見渡す。
「あとは作戦だが、個人個人が苦手な項目を除外設定した上で、試験までに勉強して各ジャンルの知識を付けたりするしか無さそうだな」
「ああ! ここまで来たら、あとはみんなで勉強頑張ろうぜ!」
柴田の元気な声に、クラスメイトたちも「おう!」「やってやろう!」と力強く応えた。
「よし! それじゃあ、最後に一番大事な話――リーダー決めだね!」
一之瀬がパンッと手を叩いて話題を切り替え、再び表情を引き締めた。
「もちろん、私が務める覚悟は出来てる。……でも、みんなの意見も聞かせて欲しい」
彼女が言い終わるより早く、私は静かに右手を挙げた。
「――その席、私が預かろう」
「藍染くん……」
一之瀬が目を見開き、クラスメイトたちが驚いたように顔を見合わせた。
「あ、なるほど。確かにプロテクトポイントを持ってる一之瀬が参加者側にいた方が、もし最下位になったとしても、プライベートポイントを吐き出す必要が無くなるしな」
渡辺が納得したように呟く。
「でも、他クラスだってうちのクラスが退学者を出さないことは分かってるだろうし、プロテクトポイントを削るより、プライベートポイントを削るために、一之瀬さんや椎名さんはそもそも狙われないんじゃないかな?」
津辺がもっともな疑問を口にする。
「それで言ったら、藍染くんだってどんな問題でも正解しそうだし、相手から指名されないんじゃない?」
姫野が小首を傾げた。
「みんなで話し合って指名ができるんだから、あえてその三人を除外して、苦手な課題が多そうな子にリーダーを務めてもらう方がいいんじゃないかな?」
網倉が真剣な表情で議論に加わる。
「……うん。確かにみんなの意見ももっともだと思う」
一之瀬は皆の意見を肯定しつつ、少しだけ表情を引き締めた。
「でも、今回は他クラスから退学者が出るかもしれない、厳しい試験だよね。誰かを意図的に狙ったりするような決断は……やっぱり、リーダーである私がするべきだと思うから」
彼女の覚悟のこもった言葉に、私は立ち上がり、フッと自信に満ちた笑みを浮かべた。
「――君の才覚を疑っているわけではないさ。ましてや、手柄を奪いたいわけでもない。ただ……君が自ら語ったように、この試験では誰かを蹴落とす覚悟が必要になる」
「……え?」
「――太陽は、ただそこに在ればいい。その光を、わざわざ曇らせる必要などないのだから」
私は一之瀬を真っ直ぐに見据えた。
「――だから、その役目は私に譲ってくれないか。君が光であるなら、私はその光の届かぬ場所に立とう」
「『帆波ちゃんの力が足りないと思って、私がリーダーになろうとしているわけではありません。ただ、帆波ちゃんが言ったように、今回の試験では他クラスから退学者が出るかもしれません。だから、帆波ちゃんが辛い思いをするような決断は、私が引き受けたいんです。今回の試験のリーダーは、私に任せてください』とのことですっ」
ひよりが私のポエムを優しく包み込み意図を伝えると、クラスメイトたちは真剣な面持ちで深く頷いた。
しかし、一之瀬だけは複雑な表情を浮かべて俯いていた。
「……でも」
一之瀬はギュッと両手を握りしめ、苦しそうに言葉を絞り出す。
「普段は私がリーダーをしているのに、こんな時にだけ……誰かを意図的に狙ったりするような嫌な役目を、藍染くんに押し付けるのは……」
「……だが、一之瀬がリーダーで、他クラスから脱落者を出すような戦術を本当に取れるのか?」
神崎が、静かに、しかし厳しく真剣なトーンで指摘した。
「それが取れないのなら、こちらの狙いが極めて読まれやすくなってしまう。一之瀬の優しさは本当に素晴らしいし、尊重されるべきだとは思うが……勝負とは時に、他者を蹴落としてでも勝つ必要があるんだ」
神崎の言葉に、教室がシンと静まり返る。
「神崎くん! なにもそこまで言わなくても……!」
「そうだよ! その帆波ちゃんの優しさで、これまでどれだけ私たちが助けられてきたか……!」
白波や網倉がたまらず一之瀬をカバーするように声を上げる。
「ううん、千尋ちゃん、麻子ちゃん」
一之瀬は二人を制し、自らの弱さと向き合うように前を見据えた。
「……神崎くんの言う通りだよ。ありがとう。私の理想が、この甘さが弱さだということは分かってる。勝つためには、私が……変わらないといけないんだよね」
「……いや。俺も言い方が悪かった。すまない」
神崎も少しバツが悪そうに謝罪を口にした。
(……勝利のため、そして一之瀬のためにあえて嫌われ役を買って出た神崎の覚悟も、クラスのために変わろうとする一之瀬の決意も、どちらも本当に尊いものだ。決して間違ってはいない)
私は二人のやり取りを見つめながら、静かに言葉を紡いだ。
「――神崎の語る覚悟も、一之瀬の抱く決意も、実に美しく、誇り高いものだ」
私の静かな声に、全員の視線が集まる。
「――神崎。泥を被る覚悟でリーダーを支え、勝利を希求する君の意思は見事だ」
「藍染……」
「――そして一之瀬。確かに勝利のために、非情な決断や他者を蹴落とす覚悟が必要な場面もあるだろう。……だが、その全てを君一人が背負う必要はないのだ」
「え……?」
「――人は、正しさだけでは歩めない。強さだけでは寄り添えない。ましてや、恐怖で繋ぎ止めた心に、真の絆など生まれはしない。……人の心を動かすのは、誰かを想う、ほんの僅かな温もりなのだ」
静まり返った教室に、私の声だけが真っ直ぐに響き渡る。
ひよりも敢えて言葉を挟まず、微笑みながら静かに頷いている。
皆がその言葉の意味を噛み締める中、私は一之瀬を真っ直ぐに見据えて言葉を重ねた。
「――君の優しさは、弱さなどではない。人を惹きつけ、誰かのために手を伸ばしたいと願わせる。それは、私とは異なる道の果てにある――君だけの強さだ。……君だけが持つその輝きを、勝利のために曇らせてほしくはない」
「『帆波ちゃんの優しさは、決して弱さではありません。その温もりがあるからこそ、みんなが「帆波ちゃんを助けたい」「帆波ちゃんの力になりたい」と心から願うのです。人の心を動かして、自分から力になりたいと思わせる――それは帆波ちゃんだけが持つ本当の強さです。勝利のためだからって、帆波ちゃんが変わる必要なんてありません』とのことですっ」
ひよりが優しく翻訳すると、一之瀬はハッとして息を呑んだ。
そして、ひよりは一之瀬を見つめ返し、自身の想いのこもった温かい言葉を付け加える。
「私も、惣右介くんの言う通りだと思います。帆波ちゃんの優しさは私たちの宝物です。だから……どうか全てを抱え込まず、私たちにも帆波ちゃんを支えさせてくださいね」
「ひよりちゃん……」
私はさらに一歩踏み出し、自らを責め続けていた彼女へと語りかける。
「――私に託してはくれないか。君のため、そしてこのクラスのために……立ちはだかる運命さえも断ち、明日を切り拓く剣となろう」
「『だからこそ、今回の試験は私に任せてください。帆波ちゃんがみんなを支えてくれるように、今度は私がみんなを導きます。だから……この試験の指揮は、私に預けてほしいんです』と仰っていますっ」
ひよりが言葉を紡ぎ終えると、張り詰めていた糸が切れたように、一之瀬の大きな瞳からポロリと大粒の涙が零れ落ちた。
「藍染くん、ひよりちゃん……っ」
自分を否定し、無理に変わろうと思い詰めていた心を救われ、一之瀬は両手で顔を覆って小さく肩を震わせた。
その様子を見ていた神崎が、自嘲気味に息を吐く。
「……やはり俺は、お前のように上手くは立ち回れないな。一之瀬を支えたいという気持ちはあるんだが、どうにも不器用でいけない」
己の不器用さを嘆く神崎に、私はフッと優雅な笑みを向けた。
「――悲観することはない。私には私の、君には君にしか果たせぬ役割がある。天を断つのが私の剣ならば、君のその不器用な誠実さは、揺るぎなき大地として我々の軌跡を支え続ける。……どちらが欠けても、我々の世界は成り立たないのさ」
私の言葉を受け、神崎は腕を組み、口元に微かな笑みを浮かべた。
「……ふっ。ならば俺も藍染、お前のように『約束された勝利の剣』となって、このクラスの道を切り拓こう」
(神崎ィィィ!? それは斬魄刀じゃないぞ!?)
すると、感動に包まれていた教室の空気を切り裂くように、柴田や網倉たちが勢いよくツッコミを入れる。
「おい神崎! また藍染の真似してるのかよ! 今すっごくいい雰囲気だったのに!」
「そうだよー! 私まで泣きそうだったのに、なんか笑っちゃったじゃない!」
クラスメイトたちの明るい非難に、神崎は「ふっ……」とオサレに前髪をかき上げた。
その温かくも滑稽なやり取りに、泣いていた一之瀬も思わず吹き出した。
「ふふっ、あははっ……! もう、みんな本当にありがとう……!」
一之瀬は袖口で目元を拭うと、憑き物が落ちたような、いつもの最高に眩しい笑顔を咲かせた。
「……うんっ! 今回の試験は、藍染くんに任せるよ!」
その言葉に、クラス中から温かい拍手と明るい笑い声が沸き起こった。
(……俺の我儘かもしれないな)
私は拍手に包まれる教室の中で、密かに息を吐き出した。
(一之瀬にとっては、勝利のために冷徹さを身につける貴重な成長の機会だったのかもしれない。……だが、彼女のように心優しき人間が、他者を蹴落としてまで勝利を得るように変わってしまうことを、俺は『成長』などとは呼びたくない)
人は決して一人では生きていけない。だからこそ、互いの欠落を補い合い、支え合うのだ。
(彼女がその温もりで皆を包み込むというのなら、俺が冷徹な決断をする役目を引き受け、クラスを守るための剣となればいいだけの話だ)
とはいえ、現実は甘くない。
(理想を言うのなら、最下位になっても確実に退学者を救済するであろうBクラスを落としたいところだが、坂柳相手にそう容易く事が運ぶとも思えない)
(なるべく一之瀬の意思は汲み取りたいし、他クラスからも脱落者を出さないように立ち回りたいが、この試験の仕組み上、全クラスで談合でも成立しない限りそれは極めて困難だ)
いざとなれば、かつてのクラス内投票の時のように、不足分のプライベートポイントを他クラスへ貸し出すという選択肢もなくはない。あの時は交渉が決裂し、結果的に退学者を出してしまったが――。
(いや、今の時期にポイントを失って最下位に沈み、借金まで背負ってしまえば、事実上Aクラスへの道は完全に閉ざされる。龍園も堀北も、そんな死に体になるような取引は絶対に受け入れないだろう。あの時とは、残された時間も各クラスが置かれている状況も違いすぎる)
私は内心で、冷徹な思考のスイッチを入れた。
(一之瀬の理想は尊重する。だが、最優先すべきは当然このクラスの勝利だ。そのために、俺は俺ができる全力を尽くすだけだ)
三学期最初の、過酷な特別試験。
クラスの光を守るため、私は自ら司令塔となる道を選び、来たるべき決戦へと静かに闘志を燃やしていた。