パタリと扉を閉める音とともに部屋から出て来たシル。
「シルさん、ヘスティア様は……?」
「大丈夫です。ただの過労みたいですから。」
「過労……。じゃあ?」
「はい、命に別状はありません。」
今は夕暮れ時。
モンスターを倒した後、ハヤテは怪物祭に来ていたシルと偶然出くわして彼女の勧めで意識を失っているヘスティアをここに運び込んだ。
一連の騒動は沈静化された。しかし、犯人は捕まっておらず、手掛かりすらもないという。
(…まぁ、捕まえられるわけないよなぁ。)
物語を知っているハヤテはやるせない気持ちになったという。
酒場の離れの二階。ヘスティアを部屋に寝かせて、ハヤテは西日に照らされる木張りの廊下でシルと向かい合っている。
「よかった。急に倒れたので驚きましたよ…。」
「ふふ、お疲れ様です。ハヤテさん。」
ほっと安心するハヤテに微笑んだシルは、やがておずおずと声をかける。
「今日はすいませんでした。私がお財布を忘れ居たせいで、災難に巻き込まれてしまって……。」
「へ?あ、いえいえそんな。シルさんの所為じゃないですよ。」
(ほんとに、犯人はフレイヤ様だから。シルさんは関係ない、と思いたいなぁ。)
内心悶々としながら返すハヤテ。
「でも、今回の騒ぎで、町の皆さんは口々に言われてました。あの冒険者は、ハヤテさんは勇敢だったって。」
「ん?」
「私もそう思います。実は私、大通りでハヤテさんがモンスターと戦うところを一度だけ目にしていたんですけど……。」
「勇敢、ですか。俺のあれはどちらかというと蛮勇だと思いますよ?全然歯も立たなかったですし。」
「それでも、格好良かったですよ?」
「え?」
「……不謹慎ですけど、あの時モンスターへ立ち向かっていたハヤテさんに、その、見惚れちゃいました。」
そっと距離を縮め、手で壁を作りながらそっと耳元でささやかれる。
ハヤテから離れたシルは夕日に顔を照らされながら艶やかにほほ笑んだ。
「お店の方を手伝えって言われてしまったので失礼しますね。」
「あ、はい。」
「ベッドは使っていて大丈夫ですから。それじゃあハヤテさん、また今度。」
ぱたぱたと廊下から姿を消すシル。
「……若干漏れ出てなかった……?」
何とも言えない表情でつぶやくハヤテ。
そっとヘスティアが寝ている部屋の前に移動する。
ドゴン、と何かが倒れる鈍い音が聞こえた。
「!!」
ためらうことなく部屋へ突入し構える。さっと部屋を見渡すと、そこにはベッドから転がり落ちたと思われるヘスティアの姿があった。
顔から床に突っ込んでいる、奇天烈なポーズを決めていたため、ハヤテの頭の中が一瞬空白になった。
「……。え、いやちょ、大丈夫ですか!?」
慌ててヘスティアに駆け寄り彼女の身体を横抱きの形で抱き上げる。
「なにがあったんですか一体!?」
「あ、ああ。ハヤテ君……いや、起きたから立ち上がろうとしたら、力が入らなくてね。」
「力が入らない……。あの、過労と聞きましたが、三日間何があったんですか?」
ふっ、と小さな女神は遠い目をする。
「土下座だよ。」
「……土下座?」
「首を縦に振ろうとしない頑固女神の前で、土下座を三十時間続けるという耐久レースを……。」
「いやいや、三十時間!?え、俺の知ってる土下座じゃない?新手の拷問ですか!?」
「いや、奥義さ。土下座は最終奥義なんだよ……。」
うわごとのように奥義奥義とつぶやくヘスティアに、ハヤテは冷や汗をかく。己の知っている土下座とはそんな耐久レースをするようなものではなかったはずだと。
「いや、なんでそんなことになるんですか…。ヘスティア様はパーティーに出席したのではなかったんですか?」
「……これ。」
「え?」
たどたどしい動きでヘスティアの手がハヤテの腰に差された黒い剣に触れる。
ハヤテははっとなった。
この武器について何も聞いていないのだ。
剣を腰から鞘ごと引き抜き、観察する。
鞘の隅、 『Ἥφαιστος』という神聖文字によく似た刻印がある。
ロゴタイプと言われるものだった。
「……ヘスティア様、これは……。」
「ごめんね、心配かけて。でもね、見ているだけは嫌だったんだ。…養われるだけじゃ…助けられてばかりじゃあ嫌なんだよ……。」
ハヤテの手が震える。
ゆっくりと鞘から剣を引き抜く。
改めて見せつけられる、漆黒の刀身。
直剣は、前まで使っていたものとは比べ物にならない切れ味であることは素人目にも一目で理解できる。細かく刻まれているのはおそらく神聖文字。
刃の先から柄の先端まで黒一色。しかし、どこか生命のようなものを感じさせる不思議な紫紺の光を発していた。
「これ、世界に一つしかない、君専用のモノなんだ。すごいだろ?」
「…なぜ……これを、俺に……?そもそも、ヘファイストスの武器は高価すぎるんです。お金は……。」
「大丈夫、話は付けてきたから。」
声が震えるハヤテ。そんな彼を見て、ヘスティアは優しく微笑む。
「強く、なるんだろう?」
「ッ……!」
「いったじゃないか、手を貸すって。これくらいのお節介はさせてくれよ。」
(ちがう、ちがうんです、ヘスティア様…これは、本来俺でなく、彼のための…)
堪えようとすればするほどに、涙があふれてくる。
「誰よりも何よりも、ボクはきみの力になりたいんだ。…だってボクは、君のことが好きだから。」
その言葉を聞いたハヤテの胸に、ズキリと重い痛みが走る。それは、本来ここに居るはずの彼に対する罪悪感と、ヘスティアをだましているような状態の己に対する不甲斐なさ。そして、彼女の言葉を素直に受け取れない己の浅薄さからくるものだ。
「で、も……俺は……!」
口は動かない。
だが、ヘスティアは満面の笑みを湛えた。
「いつだって頼ってくれよ。大丈夫、なんてったって、ボクはきみの神様なんだぜ?」
ハヤテは限界を迎えた。
もう、涙をこらえることはできなかった。
「っ、……!」
声を押し殺して泣くハヤテをやさしく抱きしめるヘスティア。
ハヤテが泣き止むまで、ヘスティアは彼を抱きしめ続けた。
「っ、お見苦しいところをお見せしました。」
いまだに眼が赤いハヤテ。
「見苦しいことなんかないさ。素直なのはいいことだよ。」
優しく微笑むヘスティア。
いまだに、胸の中の痛みは消えない。でも、それでも。こんな自分でも、これだけのものをもらったのならば、中途半端だけは許されないのだと、決意を新たにするハヤテ。
「…、ヘスティア様今はゆっくりお休みください。眠るまで、今度は俺が傍にいますので。」
「そ、っか。うん、じゃあすこし、ねさせてもらうね……。」
「はい、おやすみなさい。ヘスティア様。」
「おやしゅみ…はやてくん……。」
彼女の上に毛布を掛け、手を握る。
眠りにつくまでそう時間はかからなかった。
翌日、ヘスティア様が回復したので、シルさんにお礼を言った後、俺たちはホームに帰ってきていた。
「いやぁ、なんか久しぶりな気がするなぁ。」
「まぁ、丸三日も離れていましたからね。」
朝食をとりながら話し込む。この感じも久しぶりだ。
「あ、そうだ。ハヤテ君、ステイタスを更新しようか。」
「そうですね。わかりました。」
俺は手早く朝食を食べ終えて、ベッドの上に横になる。
ヘスティア様が俺の背に乗り、ステイタスを更新してくれる。
「……すさまじいね、今の君のステイタスは。」
そう言って、今のステイタスを移した紙を渡してくれる。
祐樹 ハヤテ
LV 1
力:D589→B712 耐久:E498→C601 器用:C609→B749 敏捷:C632→A801 魔力:I0→0
スキル
・獲得経験値の増大
・限界の超克
・モンスターとの遭遇率補正
・試練の到来
・試練超克時、経験値獲得大
「すさまじいですね。敏捷がもうAですか。」
「ここまでの上がり方はやっぱりスキルがあるからかな。」
しかし、奴を倒してもランクアップはしなかったか……。そこが少し残念だ。強化種相手だったのだから少しは期待していたのだが……。
まぁいいだろう。
「さて、今日はダンジョンに行くのかい?」
「そうですね、もう少し下の階層に進出するつもりです。」
「そっか。くれぐれも気を付けてくれよ?」
「わかってます、必ず帰ってきますから。」
防具を身に着け、聖火の剣を腰に差す。
「それでは、行ってきます。ヘスティア様。」
「行ってらっしゃい!ハヤテ君!」
ヘスティア様の声を背に受けながら、ホームを出てダンジョンへ向かう。ステイタスもかなり伸びたことだし、稼ぎを増やすためにも8層くらいまでは下りたいところだ。
じりじりと土を擦る音が鳴る。
現在地は7階層。俺はそこで、聖火の剣をそいつに向けていた。
四本脚と日本の細い腕、大きな双眼。全身真っ赤なそいつは蟻を大きくした姿をしている。
普通のありと違うのは、身体が人並みに大きいということと、腰を起点にして上半身がもたげるよう起き上がっているということだ。
『キラーアント』
7階層から出てくるモンスター。確かウォーシャドウと同じ新米殺しの異名を持つモンスターだ。
体は頑丈な甲殻を纏っていて、ゴブリンなんかとは比べようもない攻撃力。外皮は鎧のように固い。半端な攻撃は通じないため、ダメージを与えるのはかなり難しい。
腕には発達した四本の鉤爪がある。
防御を崩せず、鋭い爪で致命傷をもらう。これがキラーアントにやられるパターンらしい。
これまでとは明らかに勝手が異なるので、5階層までに慣れ切った冒険者は奴の餌食になるんだそうだ。
『ギギッ』
キチキチキチ、とキラーアントが口をもごもご動かし歯を鳴らす。
キラーアントは仲間を呼ぶことがあるらしい。叫び声をあげるとかでなく、ピンチになると、そういうフェロモンみたいなのを出すんだそうだ。
甲殻との相性がいい能力をしている。生存性が高いのが厄介だ。
倒すなら、甲殻の隙間などを狙う、もしくは一撃で完全に殺しきるか。
「……!」
先に動く。
奴の鉤爪が左から迫るが、切断する。
俺の剣の方が早い。
キラーアントを上回る攻撃速度で、奴の腕、足を続けて切り裂く。
完全に動けなくなったところで、俺は剣を横一文字に薙いだ。
剣は甲殻に阻まれることなく振り切られ、キラーアントは灰になった。
剣を振るい、付着した体液を払いながら、剣を見る。
一切の違和感もなく、俺になじむ。
威力は言わずもがな最高である。
さすがの一品だ。
「さてと、魔石魔石。」
先ほど倒したのでキラーアントは9匹目である。
奴への対応、というかまぁキラーアントの防御力は俺に対して意味をなしていないので対応も何もないのだが。
とにかく、余裕をもって俺は7階層の探索を続けるのだった。