思うに、乗り潰しはしまいか。
「くふっ、いい心がけですね。小槌アオバ」
篝火の燃え盛る裏路地の空き地。誰もが寝静まる暗がりの中から、がちゃがちゃと鎧の音と共に軽い口笛が聞こえてきた。
手元の槌から目を離し、顔を上げる。業火で煤けた地面を踏みしめ、細く長い脚が近づいてくるのが分かる。
重苦しい脚甲、すらりと伸びた足と、スタイルのよさを強調する豪奢な服。べったりと返り血が付着した肩当て。血糊で満たされた銀色の髪。
杖か剣のようにも似て籠手の中に収まる大きな釘は、彼女自身の役職──或いは敬称をそのまま表しているかのようだ。
「あ、握る者さま。ええと……少し眠れなくて、装備の手直しをしてまして……」
ずっと押し黙っていたから乾いて張り付いた唇を舌先で湿し、口を開く。装備の至る所にこびりついた夥しい油と血を拭っていた
その時。がつん、と金が擦れる音がした。ここに至ってようやく、これまで長い間、私が少しだけ自堕落に足を伸ばしながら鉄の棺に座っていたことに気づいた。
ひゃっと息を呑む私のことを愉しげに見つめつつ、握る者さまは口角を薄く上げる。
「くく。どうやらN社式の葬儀用品は初めてとみます。ですが今気づき、そうして”開かれた”通り……あなたが押し潰していたものは穢らわしい義体を集積し、焼き払うために溜め込まれたもの。義体たちの身体から剥ぎ取った不潔極まりない
折角ですので機械粛清から続く義体狩り史についても講釈しておきたいところですが……重要なことは一つだけ。前提となる知識なしに未分化のまま現前する存在たちの中で、あなたはそれを瓦礫の一種、もしくはただの戦利品入れとしか見ていなかった。……という理解だけで十分です」
……どうやら、怒ってはいなさそう。それだけ分かれば十分か。
握る者さまの機嫌はいつだって平静通り。いつも私にはよく分からない教義を語り、金槌と呼ばれる私たちを指揮してくれる。
時折見せる義体への憎しみは鬼気迫るところがあるけれど、
もっと教義を聞いて、演説をメモ抜きでちゃんと理解して、変な味のする経験缶詰をもっと食べれば別なのかもしれないけれど。
「ご、ごめんなさい。大槌さまくらいしか、この時間まで見回りには来ないからって」
手にした槌を支えに立ち上がろうとすると、それを軽く制止した握る者さまは、いつも以上ににこやかな笑みを浮かべる。
そうして私を抱擁するかのごとく、初めて飛び立つ人の翼にも似て両腕を大きく広げた。
「悔い改めることはありませんよ、小槌アオバ! あなたの研鑽は、あなたの無知は、むしろ褒め称えられるべきもの。
──何故なら、あなたたちはファウストに……私に握られる金槌なのですから!」
いいですか。
あっけにとられる私のことなんて垣間見ず、彼女は滔々と流れるように口を開く。
「釘を打つために金槌があるのならば、釘を打てない金槌はただの木材と鉄の複合体に過ぎない……ですがあなたも、中槌の二人も、自ずから釘を打つための
へへ。口角が緊張で固まる。
とりあえず褒められていることは確か……なんだろうけど。面と向かってそこまで頑張ってるわけでもないことを評価されると、少しだけ気恥ずかしさのほうが勝る。
例えるなら、仕事で使うコピー用紙を自費で買いに行った時のような。なんでもない仕事が終わるのを、誰かがそばで見守っていた時みたいな。
「……あれ」
前もなんだか、こんなことあった気がする。
ふとよぎる既視感。淡く苦いコーヒーの味を思い出す。汗臭い脂汚れの匂いがツンと鼻を擽る。
くらりと目を白黒させた私のことを見てか見ずにか、眼の前の彼女はひゅいと口笛を一つ響かせる。甲高く軽い音色で一気に現実へと引き戻される。
軽鎧に身を包んだ握る者さまは、そのまま瞬きする間もなく私の隣に腰を下ろす。先程死者を悼むための棺だと言い切った屑箱を敢えて痛めつけるかの如く、勢いをつけてどかりと座る。
つい先程咎められるように……確認されるように言われたばかりの棺桶を踵で足蹴にした握る者さまに、私はおずおずと口を開いた。
「あ、あの……これ、棺って」
こつり。油で濡れた籠手で優しく棺桶の蓋を叩く。金属製のロッカーみたいな箱から中空特有の響く音が聞こえる。お尻の鎖帷子を伝って、生温い冷たさだけが居心地の悪さを伝えてくる。
たぶん苦虫を噛み潰したような、という形容が一番適切なんだろう。私はむっと眉をひそめつつ、人の腕ほどの太さもある釘を左腰の鞘へと収めた。
——なんで、わざわざ。今伝えてくるんだろう。
壊れた義体を入れるだけのゴミ箱だと思っていれば、誰かの死体の山だと気づかなければ、休憩がてら座っておこうだなんて思いもしなかったのに。
その癖。それを伝えてきた握る者さまに至っては、構わずこの棺を椅子にする。それってなんだかダブスタっぽくも思えてきて。
「ふっ。死は死として、死者は死者として存在し続けるのです」
無言の非難を受け取ったのか、彼女は歌うように口ずさむ。
「意思を失った存在はただの物に過ぎないということです。例えば既に切り離された義体のガラクタは、別に異端の罪の禊にはなりません。むしろそれらは彼らを改悛に導く愛すべき苦痛として……私たちを”死に向かわしめる”ための道標と化すのです。
有り体に言えば墓石はその在り処を示す石でしか無く、今まさに存在の現前を見る者は外でもないファウストであると言えるでしょう。──例え沸き立つ情動が、死を冒涜する憎悪であったとしても」
そこまで言い切った握る者さまの横顔を、ちらりと見上げる。
風も音もない湿った夜闇。鎖帷子の下に滲む皮脂の汚れ。ヌメッと残る血の匂い。私が着込んだ分厚い鎧が、ちょっとした身動ぎで擦れる音。
綺麗な銀色の髪とどこか遠くを見ているような水色の瞳は、なんだか大昔から生きてる哲学者みたいにも見える。
そのまま見惚れてしまうのも居心地が悪くて、ほんの少しだけ漂ってきた沈黙に耐えきれず私の方から口を開いた。
「ええと……棺も石も、結局
「くくっ。あなたにはまだ早いようですね」
ぽん、と籠手が頭の上に載せられる。普通なら重たい兜を被ってるところだけど、今は帽子も何もないただの髪の毛だけ。まるで教師が生徒の間違いを慰めるように握る者さまの掌が頭頂部を叩く。
冷たく硬い籠手の感触が痛みを返す。居心地の悪さが鈍く鉄の匂いを香らせる。
——なんだか幼く見られすぎているような。こんなこと、前にも何処かであったような。
だけど、その時は。多分もっと柔らかくて温かかったような。
むかむかと腹の底から脈打つ不快感。思い出せそうで思い出せない苛つき。誰に言うわけでもなく、小声でポツリと吐き捨てる。
「……しょうがないじゃないですか。経験缶詰を食べたって、よく分からないんですし」
この都市には、不可思議なものがたくさんあるんだから。どれだけ分解したって理解の及ばないものも、スパナで叩いて直せる程度の玩具なんか比べものにもならない機械も。
学んでなくたって動画で教えてくれる電気の脳も、知らないことを何でも答えてくれるAIも。
「動画を撮ったり、見たり出来ないって禁忌があるから、
学校に行ってたときは、業務の合間に一夜漬けで動画とノートを見て詰め込んでた気がするけど。この都市ではそんなこと出来るはずもなく。
もっといい方法があるのかもしれないけれど、結局今ここでは何もないし。
代わりとばかりに、他人から知識や経験を奪える呪いの釘があるだけ。
乱雑に積まれたゴミの山には、他人の経験をカタチにした、不思議なペースト状の缶詰があるだけ。
一度しか経験できないことを何度だって味わえる、悪夢みたいな自販機もあるのだろう。
「誰かのためだとか正義のためだとか……とにかく頑張ろうって思う気持ちも、思ったよりいい地頭も足りないから……」
きっと、私が選べなかった経験を押し付けてくれる魔法のチケットだって。
じわじわと汗ばむ鎧の下から、どうしようもない愚痴が湧き上がる。窮屈な大鎧に刻まれた釘と金槌の紋章を伝い、誰のせいにも出来ない怒りが静かに淀む。
白灰色に滲んた不愉快な想い。汗と乾きに不透明さを増した夜の空気。いつのことだったか思い出せない思い出。
私じゃない、私の青春にはなかったはずの記憶が蘇る。私が知るはずもなかっただろう経験が、縷々に連なる学園の思い出をぼんやりとした煙に巻いていく。
緊張で脈打つ心臓に、不快な弱音に打ちひしがれそうになったその時、ふと。
「──少しずつ、出来るところから浄化しなくちゃ」
思わず、誰かが口を借りたかのように、言葉が溢れた。
うじうじと悩んで涙も流せなかった私の声で、いつかのあの日に胸を張って言い切れなかった言葉が口をついて噴き出した。
…………あれ。
疑問に思う間もなく。ひゅい、と口笛の音が鳴る。二枚のコインが棺の上を転がる音がする。
蕩けた視界の焦点が徐々に隣の握る者さまへと合わされてゆき、緩やかに口角を上げた銀髪の彼女が嘯く。
「くっくっ……あはぁ、純真な子供は可愛いですね。過去と比較して成長が明確だという点は幼稚な純粋さに優越します」
「それ……褒められてますか?」
握る者さまの口振りに、多少は穏やかになった脈拍が水を差す。くすりと全てを想定していたかのように彼女は笑う。
緩やかに流れた生温い風が銀髪を揺らし、微かな金色のメッシュをちらりと篝火の灯りに煌めかせた。
「くふふっ、勿論、単純化された讃嘆ですよ。ファウストは嘘をつきますが、本心もまた同じ舌で話すのです。利益を最大化することに苦心しない
握る者さまは小さく口元を上げる。
赤く長い舌をちろりと出して見せる。
なんだか、煙に巻かれている気もする。
──よくわからないけど、考えても無駄か。
ふっと息をこぼして思考をシャットアウト。にへらと笑いもせず、そろそろ寝ようかと思い立つ。
座り心地の悪い棺から立ち上がろうとする刹那。握る者さまの指先が私の鎧の片端を掴み取った。
「ああ。ところで小槌アオバ。私があなたを見出してからもう長いですが……どうでしょう。次の集会で、あなた自身の回心を語ってみては」
「……え?」
絡められた指先に、動きが止まる。
呆気にとられた私へと座るように促すかのごとく、籠手と籠手とが柔らかく擦れる鈍い音を響かせる。
「くふっ。あなたに必要なのは経験です。自由の刑のなかで”不安”に打ち勝つ正しさ、その証左。自ら選び取った栄誉を実感できる経験こそ、あなたにとっての
促されるままにまた座り直す。ほんの少しだけ血の通い出したお尻が、忘れていたかのように痛みを返す。
集会。朝も昼も夜もない釘と金槌たちの中で、唯一と言っていいほど決まっている日課。
普通は握る者さまが一人で教義についてお話して、一日の予定を話して、それからようやく朝ごはんがてらの経験缶詰と言った流れだけど。たまに小槌から中槌に昇格した人だったり活躍した人だったりを皆の前で表彰する場にもなる。でも。
──そんな大事なこと、なんで私に。
遅れて浮かぶ疑問を先取りしたかのように、つい先程耳の穴の奥を通り抜けた握る者さまの言葉が反響した。
経験。正しさの証左。自ら選び取った、体験。
……つまり、私に期待してくれてるってことだろう。
だってその方が単純で良いから。一本の金槌みたいに、眼の前の言葉だけを摂取して喜べるから。
ずし。と、いつかそんなこともあった思い出のように、単純化された期待が仮初の重さを増した。
白灰色に濁る記憶の中で、浅く息が吸えるようになる。身体が熱を持っているかのように心臓が高鳴り、夜風が少しずつ寒く感じてくる。
火照った額を籠手で拭い、がちゃがちゃと鳴る腰の釘をずらして邪魔にならないように整え、ふっと一つ呼気を吐いて握る者さまの方を向き直った。
「握る者さま。私、なにを話していいかとか……知らないんですけど」
「内容は特に問いません。義体を潰す喜び、義体に身を埋める不埒者への怒り。ファウストに従う楽しみ、フィクサーとの戦いで砕かれた同胞の哀しみ。何でも良いのです。或いはその心理を語らずとも、敢えて金槌たちの受け取り方に任せるという方法も取れるでしょう」
握る者さまは楽し気に言葉を並べる。思い返せば確かに、私より後に入ってきて中槌になったのはそういう事を口ずさむ人たちだ。
金髪の中槌さんも、背の高い中槌さんも、大槌さんも。きっと、そういう話題の方がウケがいい。
——そうはいっても。具体的にって言われると困るもの。
「む、難しい……」
「一般的な講話手法としては、自身の経験を中核にエピソードと共感できるポイントを盛り付けたうえで最後に概念としての主題の提示を行えば良いとされます。
——無論ファウストは天才ですのでこの手法に固執する必要はありませんが」
どうでしょう。握る者さまは恰も課題を講評する教師であるかのように軽く促す。むむと電子化していない頭を捻ったまま押し黙る私に、焦りと言う名の促進剤を投与する。
そうこう唸ってもアイデアを出せない私を見かねたのか、握る者さまはポンと籠手の掌を打って呟いた。
「あはぁ……ならばそうですね。あの頃と比べたあなたの一番の変化、例えば──妄想にふけるのを止めて、周囲に聞こえない程度の音量でさりげなく毒舌を吐かなくなったこと。これを主軸に置いてみるのは」
言葉が耳に届いた瞬間、私の顔が火でも出そうなくらいに赤熱する。
あわ、と慌てふためく内心を、痛いくらいに浅くなった呼吸が支える。
「えっ——あ。あの頃は……」
「くふっ。気づかれていないとでも思いましたか? あなたはあなた自身が思っているより、よほど“彼ら”の中にあるのですよ。あなたがどこにも向きあうことなく毒舌を囁くたび、世間もまたあなたのように囁くのです」
恰も、夜闇の中で姦しく鳴くカエルのように。
握る者さまが艶めかしく続ける。自分の脇腹をほじくり返されるような恥ずかしさに耐えきれず、掠れた声で弱弱しく呟く。
「や、やめてくださいよ……握る者さま」
「おや。ファウストは快く思いますよ。自分の頭で過去を振り返り、現在へと塗り替えることが出来る者は人間だけですから」
くつくつと笑った握る者さまは、私の肩にぽんと籠手を載せる。金属と金属が擦れあう鈍い音が耳元で響くけれど、硬い鎧が痛みを完全にシャットアウトしてくれる。
釘と金槌をロゴ化した胸の社章が、なにかを固く鈍麻させていく気がした。
「頭に電極を埋め込み、クラウドに記憶を保存し、機械で動く子宮でホルモンバランスすら操作出来る輩には──穢れた義体どもには真似することも出来ません。真似しようとすら思わないでしょうけれどもね」
脳裏に響く口笛。鎧の冷たさ。棺の感触。コインに混じった鉄の匂い。
どろどろにぼやけてしまった思い出を振り返り、反省して、これからを考え直す。
金槌が釘を叩くものであるように、槌であることを思い直す。
握る者さまが言うことが、ほんの少しだけ理解できたような気がした。
──なら。
私は小さく息を吸って。こんな話はどうでしょうと前置いて。
「その。……ほんと、そんなに大層なことじゃないんですけど」
続けようとした途端。何を言おうとしたのか幾つかの思考が混ざる。言葉が途切れて、口が止まる。
別に口籠ることでもない。ぽつ、ぽつと逡巡していた思い出を話すだけ。
悩んで期待して裏切られて、たまに胸が温かくなる思い出があったような気がする日々を語るだけ。
思い返せばそれだけのこと。どろどろに積もった経験の沼から見たら、笑っちゃうような物事。
「ああ。えっと……少し前にカルフ村の掃討、ありましたよね?」
あんなに大事にしていた趣味を、青春の思い出を。なんであんなに握りしめていたのかも思い出せない。
なにか大きな転機があったのかと言われるとそうでもない気がするし、優しい先生のことが大好きだったような気もする。だけどこの時確か、もう先生と会えないって諦めていたような気も。いつか帰れるって期待してたような気も。
……ほんとに、なんでだっけ。
「えと。その、多分……あの時、大事にしてたシュッポのお守り、失くしちゃって」
口をついて出たのは、結局。どうでもいい理由だけ。話を誤魔化すだけの欺瞞だけ。
困ったように口元を緩めた私を、向き合うことすら出来ない私を、握る者さまがじっと見つめていた。
硬い鉄の棺のなか。どろどろに溶けた青葉が封されるみたいに。