機動戦士ガンダム外伝 アルバ・ラル伝 作: ares-vargas
戦場を赤く染め、人々に「彗星」の恐怖を刻みつけたのは、
一人の男の類まれなる才能だった。
しかし、その男が駆る「赤い怪物」の心臓部に、誰が火を灯したのかを知る者はいない。
これは、歴史の表舞台から消し去られた、もう一人の「ラル」の物語。
叔父ランバ・ラルが武人の誇りを守り、義兄キャスバル・ダイクンが復讐の仮面を被る一方で、一人の少年は、月の裏側で鉄とオイルにまみれながら、神を殺すための牙を研ぎ続けた。
ハモンが願った「普通の生活」を捨て、
ミノフスキー博士が恐れた「力の真実」を暴き、
テム・レイが信じた「技術の善意」を嘲笑う。
「あの方が望む場所へ、誰よりも速く届けるための『肢体』を、僕が造り上げる」
純粋すぎる執着は、やがて狂気という名の至高の技術へと昇華される。
軍神アレスの名を冠し、歴史の歯車を狂わせた天才技師、アレス・ヴァルガス。
彼が造り出した「黒い霧」と「赤い残光」が、宇宙の運命をどう変えたのか。
その産声は、10年前のムンゾの雨夜から始まっていた――。
エピソード1:0068年・分かたれた運命
ムンゾ自治共和国の夜は、むせ返るような硝煙と、降り続く冷たい雨の匂いに満ちていた。
「ダイクンが死んだ」
その一報は、サイド3の均衡を瞬時に崩壊させた。
父レムス・ラルがザビ家の放った刺客に倒れた時、10歳のアルバ・ラルは、自らの幼年期が音を立てて瓦解するのを聞いた。
辿り着いたのは、宇宙港の最果てにある秘密のドックだった。
そこには、二隻の小型シャトルが、闇に紛れるようにしてエンジンを微動させていた。
先行するシャトルには、ハモンに導かれたキャスバルとアルテイシアの姿があった。
アルバは、タラップを上るキャスバルの背中を見つけ、反射的に叫ぼうとした。
「兄様!」
だが、その声はハモンの掌によって遮られた。
彼女はアルバの細い肩を、壊れんばかりの力で抱き寄せる。
「泣かないで、アルバ。……あとのことは、私たちに任せて。あなたは別の船に乗るの」
ハモンはアルバの目線に合わせ、跪いた。
彼女の瞳には、愛するランバの血筋だけは何としても守り抜こうとする、悲痛な、そして狂おしいほどの情愛が宿っていた。
「あなたはリカルドさんの下で、普通に生きなさい。ザビ家のことも、ラル家の誇りも、今日この場所で捨てて……自分のことだけを考えなさい。いいわね、アルバ。笑って生きるのよ」
ハモンの最後の手の温もりが離れた瞬間、アルバは強引に別のハッチへと押し込まれた。窓越しに見えたのは、夜空へと吸い込まれていくキャスバルたちの機体。
兄と仰いだ少年は11歳、自分は10歳。わずか1歳の差でしかない二人の少年を乗せた船は、重力の下と、真空の月の裏側へ――永遠にも等しい距離へと引き裂かれた。
数日後。月面都市フォン・ブラウン、第13極秘ドック。
密航船のハッチが開くと、そこにはムンゾの湿った空気とは無縁の、乾いた無機質な静寂が広がっていた。
アルバを待っていたのは、漆黒の宇宙服に身を包み、高度な通信機器と最新の自動小銃で武装した、異様な集団だった。
ヴァルガス家私設軍隊。その中心で、一人の男が傲岸に立っていた。
叔父ランバと血よりも濃い誓いを交わした義兄弟であり、月の裏側を牛耳る実力者
リカルド・ヴァルガスだ。リカルドは、タラップを降りた10歳の少年の顔を、値踏みするように、あるいは憐れむように覗き込んだ。
「……待ちくたびれたぞ、ラルの若造。父親の葬式は済んだか?」
アルバは何も答えず、ただ唇を噛み締めてリカルドを睨み返した。その瞳に宿る、逃れようのない「ラルの情念」を見て、リカルドは鼻で笑った。
「いい面構えだ。だが、今日この瞬間からお前にアルバ・ラルという名は無い。……受け取れ」
放り投げられたのは、一枚の冷たい電子身分証だった。
「今日からお前の名はアレス・ヴァルガスだ。復讐も、ラルという名も忘れろ。ここでは俺が親であり、法だ。……分かったな、アレス」
アレス、と名付けられた少年は、その身分証を指が白くなるほど強く握りしめた。
ハモンの「笑って生きろ」という願いとは裏腹に、アレスの心の中では、冷たく研澄まされた何かが、産声を上げ始めていた。
エピソード2:0071年・鉄の巨人の洗礼
アナハイム・ハイスクールの引率教師の退屈な講釈が、広大なドックの反響音に溶けて消える。
13歳のアレス・ヴァルガスは、クラスメイトたちの群れから音もなく離れ、その「怪物」の足元へと吸い寄せられていた。
初期型モビルワーカー。無機質な水銀灯の光を浴びて鈍く輝くその鉄の巨躯は、まだ装甲が完全に閉じられておらず、胸部のハッチからは内臓のごとき複雑な配線と、流体パルスの銀色の管が剥き出しになっていた。
「……不自然だ」
アレスは独り、機体の脚部ユニットに触れた。
指先から伝わる、熱を帯びたオイルの微かな振動。
アナハイムの技術者たちは「精密な作業」を謳うが、この関節の多重構造と、異常なまでの減衰比は、繊細な作業のためではない。
衝撃を――外力による破壊的なエネルギーを、瞬時に受け流すための「戦闘」の骨格だ。アレスは無意識に、傍らの作業用コンソールに指を走らせていた。
モニターに流れる未完成の姿勢制御プログラム。
彼は、まるで喉の渇きを癒やすかのように、その「欠陥」を脳内で修正し、キーを叩いた。
「君……! 何をしている、そこは立ち入り禁止だぞ!」
背後から突き刺さるような鋭い声が響いた。
アレスはハッとして、自分の指がコンソールのキーに乗っていることに今更ながら気づき、指先を弾かれるように引っ込めた。
振り返ると、そこには脂ぎった作業服を纏い、厚い眼鏡の奥の瞳を怒りに燃えさせた一人の男が立っていた。
ジオニック社から派遣されていた若き技師、テム・レイである。
「……君、名前は。ハイスクールの何年生だ」
テムの問いかけに、アレスは喉の奥が乾くのを感じた。努めて平凡な、どこにでもいる学生を演じなければならない。ハモンの「普通に生きろ」という言葉が、呪文のように脳裏をよぎる。
「……1年生です。アレス・ヴァルガスといいます。……すみません、珍しかったので、つい」
アレスは小さく肩をすくめ、丁寧に会釈した。
だが、テム・レイの視線は少年の顔ではなく、彼が今しがた「弄った」モニターの数値に釘付けになっていた。
「ヴァルガス……。あの、フォン・ブラウンのリカルド・ヴァルガスの身内か」
テムの追求するような声に、アレスは小さく頷いた。
「はい。父の代理でドックに出入りすることが多いので、多少の知識があるだけです。ご迷惑をおかけしました。失礼します」
アレスはこれ以上深入りされるのを避けるように、足早にドックの出口へ向かおうとした。しかし、背後から放たれたテム・レイの呟きが、冷たい風のようにアレスの項(うなじ)を撫でた。
「多少の知識、か。……君が今、この瞬間に書き換えた流体パルスの同期数式は、そんな言葉で片付けられる代物じゃない。ミノフスキー博士ですら、一週間は頭を抱えるはずの『正解』だ」
テムは眼鏡を押し上げ、去りゆく少年の華奢な背中を、畏怖すら混じった眼差しで見つめていた。
「君、自分の才能を自覚しているのか?」
アレスはその言葉に答えず、ただ早歩きで出口へ向かった。鋼鉄のハッチを抜け、人工の風が吹く通路に出た時、彼は初めて深く息を吐いた。
(……自覚、なんてしていない)
アレスは、手すりを握る自分の指先を見つめた。薄汚れたオイルの汚れが、爪の間にわずかに残っている。ハモンは言った、「笑って生きろ」と。ザビもラルも忘れ、一人の子供として平穏を享受しろと。
だが、この冷たい鉄の塊に触れ、複雑な数式の海に沈んでいるときだけは、胸の奥で疼き続ける「復讐」でも「悲しみ」でもない、正体不明の疼きが収まるのだ。もし、兄様が
自分よりわずか1歳年上なだけの、あの聡明で誇り高かった兄様が、地球の空の下で
自分よりも過酷な運命の炎に焼かれているのだとしたら。
もし、いつか再び、あの方が自らの意志で、あるいは運命に抗うために宇宙(そら)へ戻る日が来たとしたら。
(その時、僕は、ただ泣いているだけの無力な弟でいたくない)
アレスは、自らの掌を強く握りしめた。
リカルドの私設軍隊が使う古びた銃、アナハイムが造る未完成の巨人。
それらすべてを「自分の力」として手に入れなければならない。
(兄様……。あなたがもし、いつか戦場を選ぶというのなら。僕はあなたの、誰にも壊されることのない無敵の『足』になる。あの方が望む場所へ、誰よりも速く、誰よりも確実に届けるための『肢体』を、僕が造り上げるんだ)
それはもはや、純粋な兄弟愛ではなかった。いつか再会するであろう兄に、自分という存在を決定的に認めさせたい。
兄を支えられる唯一の人間として、その隣に立つ権利を得たいという、純粋ゆえに狂気を孕んだ「独占欲」に近い渇望だった。
アレスはテム・レイの視線を背中に感じながら、迷いのない足取りでドックを後にした。その足取りは、もはや迷える子供のものではない。
自らの手で、いつか兄を乗せるための「軍神(アレス)」の肢体を造り上げようとする、若き技術者のそれへと変貌していた
エピソード3:0075年・再会と狂気の調整
宇宙世紀0075年。サイド3、ジオニック社・本国第3研究所。
ハイスクールを飛び級で卒業し、弱冠17歳となったアレス・ヴァルガスは、ミノフスキー博士の招致を受け、再びこの「呪われた地」に降り立っていた。
アレスが配属されたのは、最新鋭機MS-04(ブグ)の開発チーム。
そこで彼は、一番弟子テム・レイが掲げる「教育型コンピュータによる補助」という人道的な設計思想を真っ向から否定し、パイロットの神経系と機体の挙動をダイレクトにリンクさせる、極限の調整に没頭していた。
「アレス君。君の調整したプログラムだが、テストパイロットから苦情が絶えない。機体の追従性が高すぎて、旋回時にパイロットの頸椎へかかる負荷が設計値を大幅に超えている」
テム・レイが困惑した顔で診断データを差し出してきたが、アレスは端末から視線を外すことさえせず、淡々とキーを叩いた。
「テムさん。それはパイロットの鍛え方が足りないだけです。機体は、脳が命じた通りに動かなければ意味がない」
「だがアレス、これでは並の人間には扱えん。……君の作る機械には、慈悲がない」
「慈悲? 戦場でそんなものが、何の役に立ちますか」
アレスが冷淡に言い放ったその時、ドックの重い防音扉が開き、騒がしい笑い声と共に、実戦テストのために軍から派遣された三人の大男たちが歩み寄ってきた。
後に「黒い三連星」として名を馳せるガイア、オルテガ、マッシュだ。
「おい! このデカブツを弄ったのはどこのガキだ!」
リーダーのガイアが、アレスのデスクに拳を叩きつけた。
「反応が過敏すぎて、まともに歩けやしねえぞ! センサーが敏感すぎて、ちょっとした重心移動で機体が跳ねやがる。欠陥品だ、こんなのは!」
アレスは冷徹な眼差しをガイアに向け、静かに宣告した。
「……それは、貴方が機体の速度に追いついていないだけです。この機体が求めているのは、計算機のように精密な操作です。無理なら、次の方に譲ってください」
「なんだと、この野郎……!」
オルテガが拳を握り、空気が凍りついたその時。背後から低く、だが鋼のように響く声が届いた。
「面白いことを言うじゃないか、小僧。俺の腕でも追いつけないか、試してみたくなった」
軍服をラフに着こなし、不敵な笑みを浮かべた男。……ランバ・ラル。アレスの心臓が激しく脈打つ。
7年前、自分を月へ逃がしてくれた叔父が、今、目の前に立っている。
アレスは完璧な「月の技術者」を演じ、深々と頭を下げた。
「……光栄です、ラル大尉。月のヴァルガス家から来ました、アレスです」
だが、ランバの笑みがふっと消えた。彼はアレスの横を通り過ぎようとした瞬間、ピタリと足を止め、万力のような力で少年の肩を鷲掴みにした。
「……リカルドの野郎、うまく化けさせたつもりだろうが」
魂を射抜くような確信に満ちた囁き。
「……よく、生きていた。……見違えたぞ、アレス・ヴァルガス」
アレスは目を見開いた。完璧な偽装、7年の歳月、アレスという新しい名。すべてを一瞬で貫きながらも、叔父は決して「かつての名」を口にしなかった。
それがこの地で生き残るための、血の掟であることを知っているからだ。直後に行われた、ガイアのMS-03(ヴァッフ)との模擬戦。
ランバの駆るブグは、重力下とは思えぬ加速でガイアを翻弄した。
だが、回避運動の勢いのまま、自らが保持していたヒート・ホークの刃が、コクピット・ハッチの僅か数センチ横を猛烈な勢いで掠め去る。
「っ……アレスの野郎、殺す気か!」
ハッチが開くと同時に、ランバの咆哮が演習場に響き渡った。
「おい、アレス! 今のは何だ。一歩間違えれば自分の斧で首を跳ね飛ばすところだったぞ」
「……ラル大尉。機体は貴方の『逃げたい』という反射に、最も忠実に答えただけです。それを制御できないのは、貴方の迷いです」
「……っ、ハモンが聞いたら泣き出すぜ、この毒舌は」
ランバは苦笑し、震える手でバイザーを上げた。
ハモンの「普通に生きろ」という願いに背き、自ら牙を研ぐ道を選んだ甥と、それを一目で見抜いた叔父。
二人のラルの、偽りの名を掲げた戦いがここから幕を開ける。
エピソード4:量産という名の去勢、そしてオリヴァー・マイ
「アレス・ヴァルガス君。君のMS-04(ブグ)は、一人の天才が振るう名剣としては完成されている。……だが、我々が求めているのは、万人の兵士が扱い、勝利を掴むための『工業製品』なのだよ」
技術審議会の冷徹な宣告が、アレスのプライドを粉々に砕こうとしていた。
反応速度を削れ、遊びを作れ、牙を抜け。突きつけられたのは、究極の機動兵器を、誰にでも扱える
「平均的な道具」――MS-05(ザクI)
へと堕とすための屈辱的な命令だった。アレスが拳を握りしめ、沈黙という名の抵抗を続けていたその時。会議室の末席で、それまで黙ってデータを眺めていた一人の男が口を開いた。
「……平均化することと、可能性を切り捨てることは同義ではありません。そうだろう、アレス君」
声をかけたのは、若き技術士官、オリヴァー・マイだった。
彼はまだ一介の技術員に過ぎなかったが、その瞳には、上層部の官僚たちとは違う、純粋に「技術の真実」を見つめる真摯な光が宿っていた。
会議が終わった後、薄暗い廊下でマイはアレスを呼び止めた。
「アレス君。君が絶望するのは早い。……軍が『量産』という安定を求めるのは、組織である以上仕方のないことだ。だが、現場(フィールド)は常に、その安定を破壊するほどの『突出した力』を必要としている」
「……マイさん。僕に、ナマクラを造れというのですか」
「違う。……君は、その内に『真実』を隠しておけ。いつか、君の造った怪物の牙を必要とするパイロットが現れた時、それに応えられるだけの余地をな」
オリヴァー・マイは、アレスの肩に手を置いた。
「……技術者の誇りは、カタログスペックには載らない。それは、限界を超えた戦場(現場)で、パイロットの命を救い、勝利をもぎ取る瞬間にのみ証明されるものだ。私は、君のその『過激な理想』が、いつか歴史を変える武器になると信じているよ」
マイの言葉は、アレスの凍りついた心に、静かな、だが消えない火を灯した。
アレスはそれから数ヶ月、死んだ魚のような瞳を装いながら、
ザクIのOSに幾重ものリミッターを書き込んでいった。
だが、そのプログラムの深層には、マイとの対話を経て研ぎ澄まされた、
真の覚醒を待つ裏のOSが、静かに息を潜めていた。
「……マイさん。あなたが言った通り、僕は牙を隠します。……来るべき日のために」
夜のドックで独り、リミッターを解除した実験機を駆るアレス。
嘔吐し、吐血しながらも、彼はマイが示した「現場での真実」を証明するために、自らの肉体を限界まで追い込んでいった。
ハモンが願った「笑って生きろ」という声は、今や、鋼鉄の巨人と共鳴するアレスの鼓動にかき消されていた。