[一部完結]戦闘不能のD級覚醒者、ダンジョンで198円のバジルを育てる 〜能力は「土いじり」だけ。10センチの土壁で推し(苗)を守る配信が、疲れた世界をそっと癒やしていく〜   作:AI teller

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第9話 庭の記憶 落ち着く場所、震える手のひら

 土曜日がきた。今日は朝から落ち着かなかった。

 

 理由は管理局からの連絡。水曜日に澤村さんから電話が来たのだ。

 

「柏木さん、今週の土曜に見学者が来ます。3名。管理局本部が手配した視察ツアーです。三島分析官も同行されますが、主導しているのは評価課の水野評価官です。気をつけてください。少し、厄介な人ですから」

 

「水野さん? 三島さんの知り合いですか?」

 

「管理局のレジェンドですよ。今は引退して評価課の顧問をしていますが、彼女が『国家資産』だと判断した覚醒者は、例外なく管理局の直轄管理下に置かれます。たぶん三島分析官が必死にいなしてくれてはいるんですが……」

 

 断れそうにはない。けれど、自分の小さな庭が、そんな物騒な天秤にかけられようとしている事実に、胃のあたりが少し重くなった。

 

 

 土曜日。昼の2時。ゲートを通った。

 

 セーフエリアC-7。いつもの景色。でも9週間前とは別の場所みたいだ。

 

 バジ太郎が中央に座っている。葉の数はもう数えるのを諦めた。1枚ずつ報告していた頃が懐かしいほどに今は茂り、小さな木のように見える。

 

 トマ次郎の実。先週は緑色だったが、今日見ると表面にうっすらとオレンジ色が滲んでいた。日がよく当たる側から、じわじわと生命の色が差してきている。

 

 「色が変わってる」

 

 声に出した。1人だから、声が小さい。

 

 手を伸ばして触ろうとして、やめた。表面の皮が放つ、ピンと張った緊張感。「今はまだ」と拒絶された気がして、自分のタイミングで熟してくれ、と心の中で呟いた。

 

 ミン三郎は相変わらず壁の中で暴れているが、35センチまで深くした根止め壁が、なんとかその野心を押し留めている。

 

 ラベンダーの苗も、ようやくこの土地に馴染んだようだ。緑の中にぽつぽつと、今にもほぐれそうな濃紫の蕾が三つ、浮かんでいた。

 

 石のベンチ。俺が魔力で地面の石を寄せ集めて作った、たった一人のための居場所。

 今日はここに、俺以外の人間が座る。

 

 カケルとチビケルもいる。今日は入ってこない。チビケルはすでに体長30センチを超え、もうチビとは呼べないサイズになっている。

 

 まもなく、世界の縮図のような大人たちが、この6畳の聖域にやってくる。

 

 †

 

 土曜日の午後二時半。新宿御苑のゲート前には、見えない火花が散っていた。

 

「三島さん。あなたはいつも現場を甘やかしすぎるわ。この『座標安定度』の異常値、このまま野離しで海外に漏れればどれほどの騒ぎになるか分かっているの?」

 

 水野評価官が、ゲートの鉄扉を鋭い指先で叩いた。管理局のレジェンドであり、国家利益のために覚醒者を「資産」として選別してきた強硬派だ。

 

「水野さん、だからこそ『未確定』として保護しているんです。無理な囲い込みは、この繊細なバランスを壊しかねない」

 

 三島分析官は、いつものポーカーフェイスでその追及をいなしている。

 

「建前はいいわ。私は今日、ここを『国家直轄区域』に指定するための最終確認に来たの。柏木さんというD級の身柄も含めてね」

 

 水野さんの言葉に、俺の背中に冷たい汗が流れた。身柄の拘束。国家による管理。

 三島さんは、一歩も引かずに彼女を見据えた。

 

「……水野さん。あなたがかつて評価した覚醒者たちが、今どうなっているかご存知でしょう。もし、彼らが求めてやまない『唯一の静寂』がここにあるとしたら、無理な管理でその主ハルの精神を削るのは、国家にとって最大の損失ではないですか?」

 

 三島さんは、水野さんが最も重んじる「国家の利益」という土俵で、静かに王手をかけた。

 

 「中を見て、判断してください。彼を縛るのが正解か、それとも自由にさせておくのが正解か」

 

 †

 

「あら」

 

 立ち止まった。ゲートから三歩。不毛な「死の土」が広がるはずのダンジョンで、その女性は吸い込まれるように足を止めた。

 

「……なんだろう、ここ」

 

「何かありましたか、水野さん」

 

 三島さんが後ろから声をかけるが、彼女は答えない。60を超えた伝説的評価官・水野さんは、ゲートのすぐ内側で深く、肺の奥まで空気を吸い込んだ。

 

「落ち着く」

 

 理由を探すような目で周囲を見回して、彼女は不思議そうに首を傾げた。「ダンジョンの中なのに。なんでこんなに、深い井戸の底にいるみたいに落ち着くのかしら」

 

 その「落ち着く」という一言が、その場の空気を少し柔らかくした。

 

 俺が配信のコメント欄で何度も見てきた言葉を、この不毛な空間で、初めて会う「評価のプロ」が口にしたのだ。

 

 遺族会の高梨さんもうなずいた。「確かに……空気が違いますね。毎日、誰かの涙に触れていると呼吸の仕方を忘れてしまうんです。でも、ここでは胸のあたりがふっと軽くなる感じがします」

 

 研究員の佐々木さんは、最初は仕事モードで分析器を取り出していた。しかし、数値を測ろうと屈みかけた途端に動きを止め、力なく笑ってゆっくりとベンチへ歩いていった。

 

「……いいベンチですね」

 

「魔力で石を寄せて作りました。座り心地は悪いと思いますけど」

 

「いえ。ちょうどいいです。座ったとたん、肩の重荷がすとんと落ちる感じがして。……データ取る前に、一息つきたくなってしまった」

 

 専門家が分析より先に、座ることを選んだ。その事実が、少しだけ怖くて、少しだけ誇らしかった。

 

 三十分間、俺は自分の「家族」を紹介するように庭を案内した。

 

「これがバジ太郎です。最初に植えたバジル。198円。サミットで買いました」

 

「サミットって、あのスーパーの?」

 

 水野さんが温かく笑った。「スーパーの苗がダンジョンでこんなに立派な『株』になって。すごいわね、柏木さん」

 

「すごくはないです。普通のバジルです。ダンジョンの土がたまたま合っていただけで」

 

 オレンジ色が滲み始めたトマ次郎の実を見せると、佐々木さんが眼鏡の奥で目を細めた。

 

「ダンジョン内で果実形成まで到達した記録は世界初です。論文になりますよ。価格は関係ありません。緑からオレンジに変わる、その一段階ごとに、環境との相互作用が刻まれているんですから」

 

 説明しながら気づいた。俺はこの庭のことをよく知っている。数ヶ月の記憶。どの植物がいつ芽吹き、いつ花を咲かせたか。

 

 どの鳥がいつから食べ方を変えたか。ガイドのように話している自分に驚いた。いつの間にか、この六畳の空間が俺の知り尽くした場所になっていた。

 

 高梨さんがしゃがんで土に触れた。「本当だ。温かい。ダンジョンの中なのに」

 

「脈動、感じますか」

 

「脈動……?」

 

「毎週強くなってるんです。最初はかすかだったのが、今は手のひら全体に伝わってくる」

 

 彼女は不思議そうに自分の手のひらを見つめ、「変な言い方だけど、土がちゃんと生きている感じがします」と小さくつぶやいた。

 

 気がつけば水野さんも土に手を触れていた。

 

 †

 

 水野さんは、しばらくの間、無言で土の温もりを確かめていた。

 ゲート前で見せていた、あの「選別者」としての鋭利な眼差しは、今はもうどこにもない。

 

 彼女はゆっくりと立ち上がると、衣服についた土を払おうともせず、三島さんに向き直った。

 

「……三島さん。さっきの言葉、少しだけ訂正するわ」

 

 その声は、ゲート前とは打って変わって静かだった。

 

「ここは『国家資産』なんて言葉で縛っていい場所ではないかもしれない。そんなことをすれば、この子が今感じている『安全』という名の、脆くて尊い均衡が壊れる可能性があるとあなたは言いたかったのでしょう」

 

 三島さんは、何も言わずにただ眼鏡の奥で視線を返した。

 

「柏木さん。あなたは『土が合っていただけ』と言ったけれど、それは違うわ」

 

 水野さんは、トマ次郎のオレンジ色の実を優しく指先で見つめ、俺に微笑みかけた。

 

「あなたがこれまで、一秒一秒をここで過ごし、手をかけ続けてきた。その『時間』そのものが、この静寂を作っているのね」

 

 彼女は三島さんの方を向き、いたずらっぽく目を細めた。

 

「三島さん。今は報告書にこう書いておきなさい。『極めて不安定であり、柏木氏による継続的な土壌操作以外に安定化の手段はない。第三者の介入は空間崩壊を招く危険性が極めて高い』……と」

 

 三島さんが満足そうに、深く頷く。

 

「……あなたの『嘘』に、私もほんの少しだけ加担してあげるわ。いつまで持つかわからないけれど。この場所を『資産』という名の檻に入れるのは、人類にとっても、私自身の矜持にとっても、忍びないから」

 

 三島さんは、ポーカーフェイスを崩さないまま、小さな声で応えた。

 

「……ありがとうございます、水野評価官」

 

 去り際、水野さんは俺の肩にそっと手を置いた。

 

「柏木さん。好きでやれることがあるのは、十分立派なことよ。……また来てもいいかしら? 今度は仕事じゃなく、ただの、バジル好きの客として」

 

「……はい。いつでも来てください」

 

 三人が去った後、俺はまだ温もりの残るベンチに座った。

 

 「落ち着く」と言ってくれた、あの人たちの温もりが、石の中に溶け込んでいる気がした。

 

 俺はただ土のpHを整え、水分を管理しただけだ。

 

 けれど、その単調な繰り返しが、あんなに怖かった人を、最後にはおばあちゃんのような顔で笑わせていた。

 

 A級やS級の覚醒者は、戦うことで人々を守っている。俺にはそれはできない。

 

 でも、誰かが「ここなら安全だ」と思える場所を整え続けることなら、もしかしたらできているのかもしれない。

 

 それが何の役に立つのかは、まだわからないけれど。

 

 †

 

「ダンジョン庭いじり配信を開始します」

 

「視聴者数……1,200人超えましたか。先週から常連コーナーも始めたので、今日もお願いします」

 

(Comments)

【 常連A】1,212人!

【 カンナ先輩】今日もよろしくお願いします

【新規32】初見。海外スレで話題になってて

【 毒舌キノコ】あの8人時代が懐かしい

【 常連B】8人の頃から見てました古参の誇り

【 gardenFan_03】なお今もやってることは庭いじり

【 GreenThumb】Good afternoon, everyone. Let's see the garden.(皆さんこんにちは。庭を見てみましょう)

【新規31】初見です! クリップ見てきました

【新規32】初見。海外スレで話題になってて

 

「今日は配信前に見学者が来てました。30分ですが楽しんでくれたみたいです」

 

(Comments)

【 常連B】ツアー!?

【新規33】リアルC-7ツアー……だと……?

【 gardenFan_03】うらやま

【 カンナ先輩】見学者の感想が気になります

 

「1人の方が入ってすぐに『落ち着く』って言ってくれました。理由はわからないけど落ち着くって。ダンジョンの中なのにって不思議そうにしてましたが」

 

(Comments)

【 GreenThumb】Of course they did. This place has a presence. You've made something real here.(当然そうなりますよ。この場所には存在感がある。あなたは本物のものを作ったんです)

【 カンナ先輩】空間安定度が高いから、体感的にも穏やかに感じるのかもしれません

【 gardenFan_03】わかる。「落ち着く」の理屈は分からないけど分かる

【 毒舌キノコ】ダンジョンで「落ち着く」って言える時点で人として一段階おかしい

【 常連A】俺らも毎週そこで落ち着いてる自覚持とうか

 

「さて今日の庭の報告です。まずバジ太郎。もう葉の数は数えるのが大変なくらい茂ってます。分析器で見ると、EM値が1.28。先週の1.23から微増」

 

「そしてトマ次郎!見てください」

 

 カメラを寄せた。

 

「実の色が変わってます。先週は緑だったのが、今日はオレンジが入ってる。光がよく当たる側から、じわっと色が乗ってきてます。熟し始めてる」

 

(Comments)

【 常連A】色変わってる!!

【 常連B】オレンジだ!

【新規41】ダンジョン配信ってこういうのなんだ……好き……

【 カンナ先輩】着色が始まってますね。あと1、2週間で赤くなるかも

【 gardenFan_03】ダンジョン産トマト、ついに……

【 GreenThumb】The color change looks healthy. Good carotenoid development.(色の変化が健康的に見えますね。カロテノイドの発達が良好です)

【 常連B】コメント欄に「カロテノイド」って単語流れる庭配信どこにあります?

【 常連A】ここです

 

「ふふ、俺にはオレンジ色が綺麗だということしかわかりません。でも、このオレンジを見てると、赤くなった姿が頭の中で勝手に想像されて、ちょっとドキドキします」

 

「ミン三郎は壁の中で大人しくしてます。こういう日があっても良いですよね、根が伸びてないので休憩中かも。ミントにも休みは必要です」

 

「ラベ四郎は蕾が三つ。咲いたら庭にいい匂いが増えるので楽しみです。バジルとラベンダーの匂いが混ざったらどうなるんだろう」

 

(Comments)

【 カンナ先輩】ラベンダーの香りにはリラックス効果があるから、見学者が落ち着いた原因の一つかも

【 毒舌キノコ】アロマテラピーをダンジョンでやる男。ジャンルが迷子だ

【 GreenThumb】Lavender and basil together is a classic companion planting combination.(ラベンダーとバジルの組み合わせは定番のコンパニオンプランツです)

 

 歩きながら、無意識に鼻から空気が抜けた。メロディになっていると気づいたのは、二周目に入った頃だった。

 

 唇を閉じているのに、喉の奥で音が揺れている。それは、かつて祖母が台所で歌っていた名もなき旋律だった。

 

 バジ太郎の近くで三拍。トマ次郎の前で一拍伸ばし。ミン三郎のエリアでテンポが少し速くなる。ラベンダーの前でまたゆっくりに戻る。じょうろで水をやるときのリズムに、なぜかぴったり合っていた。

 

(Comments)

【 常連A】うたってるw

【 常連B】つちのこ先生の鼻歌きた!

【 毒舌キノコ】仕事中に鼻歌。リラックスしすぎだ

 

 立ち上がった。ふとコメント欄を観て気づいた。

 

「……あ、すみません。鼻歌うたってました?」

 

(Comments)

【 カンナ先輩】何の歌ですか?

 

「何の歌だろう、昔、聞いた曲だと思うんですけど。子供の頃かな。土をトントンするときのリズムと、じょうろで水をやるときの音と、今の鼻歌が、全部同じテンポだった気がします」

 

 子供の頃。

 

 記憶が一瞬、揺れた。でも配信中だ。深くは考えない。

 

「それとカケルとチビケル。チビケルが30センチ超えました。もう立派な大人です」

 

 バジルの葉を投げた。5枚。カケルが3枚、チビケルが2枚。チビケルの食べ方がカケルに似てきた。

 

 くちばしで葉の端を挟んで、細かくちぎって、少しずつ飲み込む。最初の頃は丸呑みして喉に詰まらせていたのに。今は、まず一度だけ葉を軽くつついて、カケルのほうを見る。それから同じようにちぎり始める。完全に、真似をしている。

 

(Comments)

【 カンナ先輩】チビケルの食べ方がカケルに似てきましたね

【 gardenFan_03】親の背中を見て育つグラスバード

【新規45】えっ ダンジョンの鳥にも食育あるの……?

【 毒舌キノコ】ダンジョンの鳥にも教育があるのか。進化論が揺らぐ

【 GreenThumb】Learned behavior in dungeon fauna. Cultured behavior, even. Fascinating.

(ダンジョン動物の学習行動ですね。ちょっとした文化の芽生えかもしれない。興味深い)

 

「さて、今日のメインは土壌の全域チェックです。GreenThumbさんの分析器で庭全体を測ります」

 

 分析器を持って庭を歩いた。端から端まで。6畳。でも6畳にしては歩きでがある。これまでの手入れで、それぞれのエリアに個性が出ている。

 

 バジ太郎のエリアは温かい。トマ次郎のエリアは乾燥気味。ミン三郎のエリアは湿っている。ラベンダーのエリアはまだ馴染んでいない。石のベンチの下は冷たい。

 

 手を土に当てた。脈動。いつもの温かさ。でも今日はちょっと違う。

 

「……あれ」

 

(Comments)

【 常連A】あれ?

【 毒舌キノコ】お前の「あれ」はだいたい何か見つけたときだ

【 常連B】だいたいロクでもない発見の前触れな

【 gardenFan_03】※先生の「あれ」は重大なお知らせです

 

「脈動の位置が変わってる。今まで庭の中央、バジ太郎の下あたりが一番強かったんですけど、今日は……庭全体から感じる。端っこのラベンダーの下からも。石のベンチの下からも」

 

 手のひらに伝わるリズムが、バラバラじゃなくなっていた。どこに手を置いても、同じテンポで、同じ強さで、同じ方向に向かって脈打っている。土が一枚の毛布みたいに、庭全体を包んでいる感覚。

 

(Comments)

【 GreenThumb】The resonance is spreading. Your magic has permeated the entire safe area now. Not just the center — the edges, too.(共鳴が広がっています。魔力がセーフエリア全体に浸透した。中央だけじゃない、端まで)

【 カンナ先輩】庭全体に魔力が行き渡ったということですか

【 毒舌キノコ】土に魔力を浸透させきったのか。執念だな

 

「執念っていうか……毎週来てただけですよ。手を当てて、調整して、水やって。それを繰り返してたら、こうなった」

 

「とにかく、庭全体に脈動が広がったのは初めてです。多分いいことなのかな。庭が、まとまった一つの空間になってるような感覚があります」

 

「それぞれバラバラだったものが、今日は全体で一つの庭に見える。うまく言えないけど、ピースがはまった感じがする」

 

(Comments)

【 カンナ先輩】庭としてまとまったんですね

【 gardenFan_03】ジグソーパズルの最後の一ピースみたいな

【 毒舌キノコ】まだ6畳だぞ。完成を宣言するには早い

【 GreenThumb】A garden is more than the sum of its plants. You've created an ecosystem. A living space :)(庭は植物の総和以上のものです。あなたは生態系を作った。生きている空間を)

【 毒舌キノコ】生態系。6畳の

【 gardenFan_03】世界最小クラスの生態系

【新規50】6畳ワンルーム生態系、ちょっと住みたい

【 カンナ先輩】でもたしかに、ここには土と植物と鳥と人がいます。生態系って呼べますね

【 常連A】間取り「1庭K」ってこと?

 

「はい今日の配信はここまで。来週、トマ次郎の実がもっと色づいているかもしれません。楽しみにしてください」

 

(Comments)

【 常連A】来週も来る

【 常連B】トマ次郎の赤が見たい

【 gardenFan_03】毎週通うぞ

【 カンナ先輩】来週も楽しみです

【 毒舌キノコ】来る。トマトの成長を見届ける義務がある

【 GreenThumb】See you next week. And Tsuchinoko-sensei — keep humming.

(来週また。それとつちのこ先生、鼻歌を続けてください)

【新規33】なんで庭なんか作ってるの?

 

 最後のコメント。配信の終わり際。新規の人。

 

「なんで庭なんか作ってるの。うーん、いい質問ですね」

 

(Comments)

【 常連A】それ聞く?

【 常連A】なんかって言うな。番組タイトルだぞ

【 gardenFan_03】そこから説明すると第1話からになるけどいい?

 

「理由は……まあ、いろいろあるんですけど。短く言えば、土をいじるのが好きだから。D級の能力がたまたま土壌操作で、ダンジョンの土がたまたま温かくて。それだけです」

 

(Comments)

【 GreenThumb】Is it, though?(本当にそれだけですか?)

 

「……今日はここまでにしましょう。おつかれさまでした」

 

 †

 

 配信を切った。最高1,283人。

 

 画面が暗くなった。コメント欄の喧騒が消え、いつもの静寂が戻る。

 一人きりのセーフエリアC-7。薄紫の空に、ダンジョンの星である魔力の粒が静かに光っている。

 

「なんで庭なんか作ってるの」

 

 さっきの問いかけが、耳の奥に残っている。配信では「土が好きだから」と適当に受け流したが、それは真実の断片でしかない。

 

 石のベンチに座った。水野さんたちが座っていた場所は、もう冷たくなっている。石は人の温もりを長くは保てない。けれど、土は違う。数ヶ月に及ぶ俺の魔力と、ここで過ごした時間を、土は記憶として蓄えている。

 

 さっきの鼻歌が、まだ喉の奥で震えている。

 朝の光、味噌汁の匂い、ごはんが炊ける音。そして、じょうろが刻む「シャン、シャン」という水音。ホースではなく、ゆっくりと土に水を染み込ませるあの音に合わせ、誰かが台所で歌っていた旋律。

 じょうろを傾ける俺の指先の動きは、あの頃の手つきを無意識に模倣していた。

 

 俺は、あの音を聞きながら育ったんだ。

 

 手を土に当てた。温かい。

 初めてここに来た時、ダンジョンの土の温かさに驚いた。けれど、本当は知っていたはずだ。夏の朝、水をやった直後の、太陽を吸い込んでほわっと温かくなった土の温度を。

 その土を一緒に触っていた、小さくて皺だらけの、爪の間に土が入ったあの人の手を。

 

 今日会った水野さんの穏やかな笑い方は、俺がかつて知っていた「あの人」に似ていた。だから胸が詰まって、気づかないふりをした。

 

「Is it, though?(本当にそれだけか?)」

 

 GreenThumbさんの言葉が、重く響く。

 土が好きだから。D級だから。そんな整理された理由じゃない。

 俺が毎週ここに来て、土をトントンと叩き続ける本当の理由。

 

 数ヶ月前には何もなかった場所に、今は庭がある。誰かが「落ち着く」と言ってくれる場所がある。

 

 トマ次郎の実を見た。オレンジ色が滲んだ、小さな、けれど確かな生命。

 来週、この実が真っ赤に熟した時、俺はもう自分を誤魔化せなくなるだろう。

 

 立ち上がった。ゲートに向かいながら、振り返る。

 薄紫の空の下、バジ太郎、トマ次郎、ミン三郎、ラベンダーが、一つの空間として呼吸している。

 

 来週、話そう。

この庭のこと。俺がここにいる、本当の理由を。

 

 温かい土の脈動と、あの鼻歌が、俺の背中を押している。

 

 帰りの中央線、窓の外には東京の夜景が流れていく。

 

 指先には土の匂いが残り、数ヶ月分の土の記憶が手のひらにずっしりと積もっていた。




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