[一部完結]戦闘不能のD級覚醒者、ダンジョンで198円のバジルを育てる 〜能力は「土いじり」だけ。10センチの土壁で推し(苗)を守る配信が、疲れた世界をそっと癒やしていく〜 作:AI teller
月曜日の朝8時。
オフィスは新宿三丁目。ITサービス会社の6階。社員120人。俺は管理部の事務。Excelとメールと電話。
「柏木ー、来月の予算書のフォーマット変えたいんだけど」
「どこを?」
「グラフ。棒グラフじゃなくて円グラフにしたいって部長が」
「円グラフにしたら何が改善されるんですか」
「わかんない。部長の気分」
「……はい。変えます」
上司の田村さん。42歳。悪い人じゃない。でも意味のない作業を振ってくる。棒グラフを円グラフに変えても何も変わらない。部長の気分に2時間の作業をかける。
Excelを開いた。関数。VLOOKUP。IF。SUMIF。手が自動で動く。脳の半分は仕事をして、残りの半分はセーフエリアC-7のことを考えている。
あそこの土、来週触ったらどうなってるかな。脈動が毎週強くなっている。3週目。4週目はもっと。
「柏木?」
「あ、はい」
「ぼーっとしてた。大丈夫?」
「大丈夫です。すみません」
田村さんが不思議そうな顔をした。俺は社内では「普通の事務員」だ。覚醒者であることは知られているが、D級であることも知られている。
「そういえば柏木、覚醒者なんだっけ」
「はい。D級ですけど」
「何ができるの?」
「土のpHを調整できます」
「……ぴーえっち? 何それ」
「土の酸性度です」
「それ、仕事に使える?」
「使えません。Excelのほうが100倍役に立ちます」
「だよなぁ」
田村さんが笑った。悪気はない。D級の能力が仕事に役立たないのは事実だ。
午前中の仕事を片付けた。経費精算。予算書のグラフ変更。会議室の予約。来客用のお茶の準備。覚醒者の能力を一切使わない業務。
向かいの席の同期、木下が声をかけてきた。C級。炎属性。覚醒者専門の部署に異動が決まっている。
「柏木、昼メシ行かない?」
「いいよ」
社食。日替わり定食。鯖の味噌煮。520円。
「お前さ、最近DunCastで配信してるって?」
「え、知ってるの」
「会社のグループLINEで回ってきた。『同期がダンジョンでバジル育ててる』って」
「……誰が回したの」
「営業の山田。『これ柏木じゃない?』って。バズってんじゃん」
「バズってないよ。リスナー42人だよ」
「切り抜きは5万再生だろ? 十分バズだよ」
「5万は……たしかに多いけど、A級覚醒者の配信は100万再生とかだし」
「比べるなよ。お前はお前だろ。てか面白いよあの配信。10センチの壁で鳥追い返すやつ。昼休みに見て笑った」
「笑うところなのか、あれ」
「笑うよ。でもなんか、いいんだよな。見てると落ち着く」
木下が鯖の味噌煮を頬張りながら言った。
「お前の配信、戦闘がないからいい。俺たちの部署、毎日ダンジョン攻略の報告書読んでるからさ。死亡報告とか負傷報告とか。殺伐としてるんだよ。お前の配信は平和。バジルが育つだけ」
「D級だから平和なだけだよ」
「それでいいんだよ。平和でいいんだよ」
木下が黙って鯖を食べた。炎属性。戦闘ができる能力。でもその裏に、殺伐とした日常がある。
俺は知らなかった。D級だから。戦闘の世界を知らない。
「木下」
「ん」
「ありがとう。見てくれて」
「フォローしたよ。GreenThumbって人のコメントが面白い」
「あの人、何者かわからないんだよな」
「金持ちの農家じゃないの」
「かもしれない」
†
水曜日。
仕事中に澤村さんから電話があった。ダンジョン管理局(JDA)の職員。新宿御苑跡のゲートの人だ。
「柏木さん、お疲れさまです。ちょっと一件、お伝えしておきたいことがありまして」
「お疲れさまです、澤村さん。何かありましたか?」
「いえ、悪い話じゃないですよ。柏木さん宛てに国際郵便の小包が届いています。本部から新宿支部に回されてきました」
「小包? 俺にですか?」
「ええ。送り主は……アメリカのGreenThumbさん。柏木さん宛てに送られてきました。心当たり、ありますか?」
DMで言っていた通り、本当に送ってくれたんだ。わざわざ管理局の公式窓口を介して。
「あ、はい。……リスナーの方です」
「よかったです。本部のX線検査はパスしていますけど、かなり重いですよ。土曜にゲートを通るときにお渡ししますね」
「ありがとうございます。お手数をおかけします」
†
土曜日。夕方3時。セーフエリアC-7。
ポータブル土壌分析器を受け取った。pH計。水分センサー。温度計。全部プロ仕様。パッケージに貼られたシールに「For Tsuchinoko-sensei's garden」と手書きで書いてある。
俺の月給で買えない機材だ。ざっと見積もって15万円分。D級の月額手当50ヶ月分。
GreenThumbさんにお礼のDMを送った。
「届きました。すごい機材です。ありがとうございます。今日の配信で使います」
返信。3秒。
「Great. That analyzer's data will prove what I've suspected. Your garden is the only 'solid' place in this shifting world, Tsuchinoko-sensei.(素晴らしい。その分析器のデータは、私の予感を証明してくれるでしょう。あなたの庭は、この流動的な世界で唯一の『確かな』場所です、つちのこ先生)」
あなたの庭は、この流動的な世界で唯一の確かな場所。
言い方が大げさだと思った。「shifting world(流動的な世界)」という単語が、ダンジョンそのものを指している気がして、少し背筋が冷えた。
GreenThumbさんのプロフィールの緑の芝生と木々。すごく広い庭。敷地が見える限り芝生。一般家庭じゃない。農場? 牧場?に少し畏怖の念を感じているからだろうか。
それでも期待されていることが少し嬉しかった。
†
夕方5時。
「今週もダンジョン庭いじり配信を開始します」
「視聴者数……78人。先週から倍近く増えてる。嬉しいような。切り抜きの再生数が5万を超えたらしくて」
(Comments)
【常連A】78人!
【常連B】過疎じゃなくなってきた
【gardenFan_03】5万再生はすごい
【カンナ先輩】おめでとうございます!
【毒舌キノコ】人が増えたな。騒がしくなるのは嫌だぞ
【新規4】初見です。Redditから来ました
【新規5】初見。「D-rank dungeon gardener」の動画から
【GreenThumb】International viewers incoming. Welcome everyone.(海外の視聴者が来ていますね。皆さんようこそ)
「海外の人も来てる。英語のコメントが増えた」
(Comments)
【新規4】GreenThumb is a legend in the DunCast community.(GreenThumbさんはDunCast界隈のレジェンドですよ)
【常連A】GreenThumbさんって有名なの?
【新規4】Yeah, they comment on many top streams but never seen them THIS engaged.(はい。いろんな人気配信にコメントしてますけど、ここまで本気なのは初めて見ました)
【常連B】世界の有名人がうちの常連。何の冗談だ
「GreenThumbさんが他の配信でも有名だって……え、そうなんですか? 俺の配信、有名人が常連やってる過疎配信?」
(Comments)
【GreenThumb】Just a hobby gardener :)(ただの趣味の園芸家ですよ :))
【常連A】:)でごまかすのやめろw
【毒舌キノコ】『趣味の園芸家』がDunCastの有名人。設定に無理がある
【gardenFan_03】GreenThumbさんのプロフ見たら庭の写真がすごかった。牧場みたいな広さ
【カンナ先輩】テキサスの方ですよね。広い庭が似合いますね
「さて。今日は新兵器があります」
鞄からGreenThumbさんの贈り物を取り出した。
「リスナーのGreenThumbさんから、ポータブル土壌分析器をいただきました。これでバジ太郎たちの土壌データを正確に測定できます」
(Comments)
【常連B】プロ仕様じゃん
【gardenFan_03】あれ10万以上するやつだろ
【カンナ先輩】すごい……研究用の機材ですね
【GreenThumb】It's an investment. Not a donation.(投資です。寄付じゃないですよ)
【新規6】てかこの配信、画質よくない? 他のダンジョン配信特有のノイズが一切ないんだけど
【新規7】本当だ。普通は背景が歪むのに、ここだけスタジオ撮影並みにピタッとしてる
【常連A】最初からこれだぞ? 他の配信ってそんなにガビガビなの?
【gardenFan_03】ダンジョン側が「あ、ここ先生の庭だからノイズ自重しよ……」って気を使ってる説
【常連A】もはやダンジョンの方がハルさんに「しつけ」られてるだろw
「投資って言ってくれてるけど、リターンは604円分の植物ですよ。バジルとトマトとミント。新宿のサミットで買った苗。投資としては世界最低の利回り」
(Comments)
【常連A】604円て
【常連B】これ将来的にバジ太郎の利権で揉めるやつだ
【毒舌キノコ】10万の機材で、198円の健康診断。コスパが歴史的敗北してる
【GreenThumb】The return is data. Data is priceless.(リターンはデータです。データは値段がつけられない)
【カンナ先輩】データがあれば薬効研究にもつながります。ありがたいです
【gardenFan_03】みんなで育ててる感がある。これから数字をスプレッドシートにまとめていこう。ある程度データがたまったら共有していく。
【新規7】みたい
「記録ありがとうございます。gardenFan_03さんの言う通りかもしれない。GreenThumbさんが機材を送ってくれて、カンナ先輩さんが薬効を調べて、毒舌キノコさんがツッコミを入れて。俺は土をいじるだけ。でもみんなで庭を育ててる」
「じゃあ測定します。まずバジ太郎のエリア。分析器を土に差し込んで」
数値が画面に表示された。
「pH6.05。先週の手測定で6.1だったから、ほぼ合ってる。俺の手の感覚、それなりに正確だったんだな」
「水分量……24パーセント。適正範囲。温度……18.3度。地上の気温は12度なのに、ダンジョンの土のほうが温かい」
「魔力濃度……この分析器に魔力センサーはないんですけど、GreenThumbさん、これ何の数値ですか。EM値って表示されてるんですけど」
(Comments)
【GreenThumb】EM stands for Ethereal Magnitude. It measures magical field density. That analyzer has a prototype magic sensor built in.(EMは Ethereal Magnitude(エーテル強度)の略です。魔力場の密度を測定します。あの分析器にはプロトタイプの魔力センサーが内蔵されています)
【常連B】プロトタイプ!?
【カンナ先輩】魔力濃度を計測できる機器って、管理局の専用機しかないはずでは……
【毒舌キノコ】趣味の園芸家がプロトタイプの魔力計測器を持ってる。ツッコミが追いつかない
「EM値……0.87。これが高いのか低いのかわからないんですけど」
(Comments)
【GreenThumb】Normal dungeon safe area EM is 0.3-0.5. Yours is 0.87. That's notably high.(通常のダンジョンセーフエリアのEM値は0.3〜0.5です。あなたのは0.87。かなり高いですね)
【カンナ先輩】通常の倍近い魔力濃度……
【新規6】やっぱそれで映像ブレてないのか? 数字はわかんないけど、「空間のゆらぎ」がここだけ止まってる感じする
「通常のセーフエリアの倍。俺の庭、魔力が濃い?」
手を土に当てた。脈動。今日は特に強い。温かい。心臓の鼓動みたいに、土の奥から何かが伝わってくる。
「この脈動。毎週強くなってる。1回目のとき微かだったのが、4回目の今日は手のひら全体に伝わってくる」
「たとえるなら……赤ん坊の心音を聴いてるみたいな感じです。小さくて、でも確実に生きてるリズム。土の奥深くから。30センチくらい下。いや、もっと深いかもしれない」
(Comments)
【常連A】怖い
【常連B】何かが育ってる?
【カンナ先輩】土が反応してるんですね。柏木さんの魔力に
【GreenThumb】You've been pouring your ability into this ground for a month. The soil – and the space around it – is responding to your care.(この1ヶ月、あなたは能力をこの地面に注ぎ続けてきた。その手入れに応えているのは土だけでなく、その周囲の空間もです)
【毒舌キノコ】土に毎週魔力を注いだら何かが起きた。当たり前のようで前例がない
「俺の魔力に土が反応してるって。1ヶ月間、毎週土壌操作で魔力を流し込んでた。pH調整して、水分移動させて、根止め壁を作って。そのたびに魔力を土に注いでいた。意識してなかったけど、その蓄積が土を変えてる?」
「……俺はただ庭いじりしてただけなのに」
(Comments)
【GreenThumb】That's exactly why it's happening. You weren't trying to do anything special. You were just caring for the soil. And the soil is caring back.(だからこそ起きているんです。特別なことをしようとしていたわけじゃない。ただ土の世話をしていただけ。そして土が返してくれている)
【常連B】泣ける
【gardenFan_03】土が返してくれてる
【カンナ先輩】柏木さんの能力、もしかしたら私たちが思っているより……
【毒舌キノコ】やめろ。いいところで含みを持たせるな
「土が返してくれてる」
その言葉が胸に刺さった。返してくれてる。俺が毎週ここに来て、土に手を当てて、魔力を流して。198円のバジルに水をやって、ミントの暴走を止めて。その1つ1つに、土が応えてくれている。
手のひらの下で、脈動が続いている。温かい。リズムがある。生きている、みたいな。
俺は戦えない。ダンジョンを攻略できない。でも土は応えてくれている。
嬉しい。それは嬉しい。でもほんの少しだけ、不安もある。土が返してくれているなら、俺がやっていることは「ただの庭いじり」じゃないのかもしれない。俺の知らない何かが、この6畳の下で起きている。
GreenThumbさんのEM値0.87。毎週強くなる脈動。映像のゆらぎがないと言われた画面。全部つながっている気がする。
つながっていてほしくない、とも思う。ここは俺の庭だ。バジ太郎とトマ次郎とミン三郎の庭だ。数値の庭じゃない。
†
配信を終えた。86人が見てくれた。最大瞬間視聴者数。4週前は8人だった。
みんな物好きだなと思う。土に手を当てて、水をやって、バジ太郎の葉を数えるだけの配信に。
セーフエリアC-7に1人で座って分析器のデータをノートに書き写していると、澤村さんに声をかけられた。
「お疲れ様でした。今日の配信をうちの測量班が観てたみたいで、精密検査したいって言われたんですけど来週少し時間もらって良いですか?」
「……俺、やっぱり気づかないうちに何かしましたかね」
「測定班が首を傾げてるんです。そこだけ現実世界と地続きみたいな数値だって。」
少しだけ胸のあたりが重くなった。漠然とした不安。俺はただ庭いじりをしていただけだ。pHを調整して、水分を管理して、根止め壁を作って。バジ太郎とトマ次郎の世話をしていただけ。
それが「機材の故障を疑うレベルの数値」を出しているらしい。
何か、俺の知らないところで、俺の知らないことが起きている。
嬉しくない。怖いだけだ。あの庭を、このまま静かにしておきたい。8人から始まった場所を、大きな組織の目に晒したくない。
でも澤村さんの声は柔らかかった。心配しているわけじゃなく、純粋に不思議がっている声だ。
「分かりました。来週早めにきますね。」
「ありがとうございます!」
†
俺がやってることは、ただの庭いじりじゃないのかもしれない。
カケルが境界の向こうで座っている。チビケルがカケルの背中に乗っている。親子。草の塊の親子。バジルの葉を投げた。2枚。2羽が食べた。チビケルがバタバタ翼を広げた。
薄紫の空を見上げた。魔力の粒が光っている。静かだ。ダンジョンの夕暮れ。
来週で1ヶ月。5回目。
毎週土曜にここに来ている。平日はExcelと棒グラフの世界。土曜だけ、ダンジョンの土と薄紫の空の世界。
2つの世界を行き来している。月曜から金曜はD級の事務員。土曜だけ、つちのこ先生。
手を土に当てた。脈動。温かい。
「……おまえ、何を伝えようとしてるんだ」
土は答えなかった。でも脈動は続いていた。温かくて、規則正しくて、生きている。
月曜日のオフィスでは聞こえない音。Excelの数式では表せない温度。田村さんの円グラフには載らないデータ。上司に報告できない成果。人事評価に反映されない実績。
比較すると見えてくる、ここには俺にしかできないことがある。D級の土壌操作。世界で最も地味な能力。でもこの6畳の空間では、俺がいないと庭が成り立たない。バジ太郎が枯れる。トマ次郎が乾く。ミン三郎が暴走する。カケルが餌をもらえない。チビケルが寂しがる。
コメント欄も同じだ。俺が配信しなければ、土曜の夕方5時に集まる場所がなくなる。GreenThumbさんの名言も、カンナ先輩さんの薬効データも、毒舌キノコさんのツッコミも、行き場を失う。
ここにしかないもの。ここでしか感じられないもの。ここでしか俺が「必要」とされるもの。
来週も来よう。