[一部完結]戦闘不能のD級覚醒者、ダンジョンで198円のバジルを育てる 〜能力は「土いじり」だけ。10センチの土壁で推し(苗)を守る配信が、疲れた世界をそっと癒やしていく〜   作:AI teller

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第5話 拡張された0.5平方メートルのセーフエリア

土曜日。夕方3時。いつもより2時間早くセーフエリアC-7に来た。

 

 澤村さんに頼まれた、管理局の測定が配信の前に入ったからだ。

 

 ゲートを抜けると、白衣の2人が機材カートの横で待っていた。

 

「柏木さんですね。ダンジョン管理局測定課の佐伯です」

 

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

「こちら助手の後藤です。本日はセーフエリアの座標安定度を精密測定します。30分ほどで終わるはずです」

 

「了解です」

 

 佐伯さんは30代くらいの女性で、落ち着いた声の眼鏡。後藤さんは若い男性で、機材のチェックに忙しそうだ。2人とも、俺を見る目にほんの少しだけ好奇心と戸惑いが混じっている。

 

「機材を中央に置きますね」

 

「あ、そこバジルいるので気をつけてください」

 

「……ッ!」

 

 佐伯さんの肩がぴくりと震え、後藤さんはセンサーを落としかけた。

 

「わ、分かっています。配信……いえ、事前資料で確認しました。これが、バジ太郎さんですね」

 

 佐伯さんは眼鏡を押し上げ、地面に釘づけになる。

 

「葉が8枚。先週の配信では6枚でしたから、2枚増加。茎も太くなってますね。EM値の上昇と完全に同期している……後藤さん、見てください」

 

「……本物だ。画面越しより、だいぶ緑が濃い」

 

 2人の目はすっかり“巡礼者”のそれになっていた。

 

「あの、仕事、いいんですか」

 

「はっ……失礼しました。測定に入ります」

 

 佐伯さんは咳払いして「管理局モード」に戻る。指先だけ、まだ少し震えている。

 

 後藤さんが円形センサーを3つ地面に置き、起動。数値が流れ始めた。

 

「……後藤さん、この数値」

 

「見てます。これ、機材壊れてませんよね?」

 

 2人が顔を見合わせてから、こちらをうかがうように見た。

 

「柏木さん。ここの座標安定度、想定よりかなり高いです」

 

「かなり、ってどのくらいです?」

 

「通常のセーフエリアより、はるかに。正確な倍率は本部で解析しますが、少なくとも私は初めて見るレベルです」

 

 佐伯さんは、淡々とした声を保とうとしていた。

 

「ダンジョン内は常に空間が微妙に揺らいでいるのが常識なんですが……この庭の中央だけ、地上以上に『動かない』固定値が出ています。変動がほぼゼロです」

 

「地上以上に、動かない……?」

 

「機材の故障を疑いたいくらいです。ただ、ログを見る限り正常です」

 

 さらに、後藤さんがレーザー測定器を持って境界線をなぞる。

 

「12.6平方メートル。前回が12.1なので、0.5平方メートル拡張」

 

「拡張……セーフエリアが広がった?」

 

「はい。本来、面積は固定です。変動例は国内記録にありません」

 

 佐伯さんの声が、わずかに強くなる。

 

「しかも、ダンジョン側が広がったのではなく、浸食を押し返して『現実のほうが上書きしている』ように見えます。……このデータは本部のスパコンで再解析に回します。一測定官の判断で処理できません」

 

「俺、何かまずいことしました?」

 

「いえ。まずいどころか……私たちがずっと欲しかった“何か”が、ここにあるのかもしれません」

 

 言いかけて、彼女は言葉を飲み込む。

 

「ともあれ、測定は以上です。……配信、頑張ってください。ファンです」

 

「え、あ、はい」

 

「後藤も私も、毎週見てます。バジ太郎、応援してます」

 

「……ありがとうございます」

 

 2人はカートを押してゲートの方へ歩いていく。

 セーフエリアに、また静かな気配が戻った。

 

 †

 

 1人になった。セーフエリアC-7。

 

 佐伯さんの目。後藤さんの目。2人とも「わからない」という目をしていた。説明できない現象を前にした科学者の目。

 

 手を土に当てた。生きているみたいな脈拍と温かさ。

 

 俺が毎週やっていたことが、ダンジョンの空間を変えていた?

 

 「ただの庭じゃないかもしれない」という言葉が、頭をよぎった。

 

 嫌だ、と思った。ここはただの庭でいい。

 

 面積拡張だの座標安定だの、そんな大層なこと俺が植物を育てると決めたこの庭で起こらないでほしい。

 

 バジ太郎の前に座って、葉を数えた。8枚。1枚1枚触った。柔らかい。バジルの匂いとダンジョンの土の匂いを思いっきり吸い込んで深呼吸した。混ざって、甘い。1ヶ月前と同じ匂い。

 

 うん、ここはまだ、俺の小さな庭だ。

 

 配信の時間まで1時間ある。バジ太郎の横に座って、ぼんやり薄紫の空を見上げた。魔力の粒が光っている。ダンジョンの星。本物の星じゃないけど、毎週見ていても神秘的で綺麗だと思う。

 

 土に背中を預けた。温かい。脈動が背中にも伝わってくる。手のひらから感じるのと同じリズム。ゆっくりで、規則正しくて、安心して眠くなってくる。

 

 数ヶ月前、ここに初めて来たときは何もなかったっけ。今は植物が3株、グラスバードが2羽、土壁もできた。最初の防衛線としてまだ機能している。

 

 何もなかった場所に、少しずつ何かが増えていく。それが庭というものだ。多分。

 

 †

 

「ダンジョン庭いじり配信の時間です」

 

「視聴者数……134人。嬉しいです。あと少し自慢すると切り抜きの再生数が10万を超えたみたいです」

 

(Comments)

【常連A】134人!

【常連B】3桁きた!

【gardenFan_03】10万再生おめ!!

【カンナ先輩】おめでとうございます!

【毒舌キノコ】人が増えたな。古参の居場所がなくなりそうで不安だ

【常連A】お前まだ3回目だろww

【常連B】自分を古参だと思い込んでる精神科受診レベルのキノコ

【毒舌キノコ】黙れ。一回見たら一生古参だ

【新規6】初見。海外の友達に勧められた

【新規7】初見です。管理局の人が見てるって聞いて

【新規8】ここが「魔王(グラスバード)を10cmの壁で封印した聖者」の配信ですか?

【常連B】聖者(IT派遣事務員)

【GreenThumb】134 viewers. Congratulations, Tsuchinoko-sensei.(134人。おめでとうございます、つちのこ先生)

【gardenFan_03】大丈夫、ここは6畳の庭だから。座る場所は増やせる

【毒舌キノコ】物理的な座る場所の話じゃねえんだわ

【常連B】先生、キノコ用に除草剤撒いていいですよ

 

「毒舌キノコさんの不安、わかります。正直俺もちょっと怖い。でもgardenFan_03さんの言う通り。庭は増やせる。バジ太郎の横にトマ次郎を植えたみたいに」

 

「実は今日、配信前に管理局の人が来ました。観てくれてるっていってもらって嬉しかったな」

 

(Comments)

【新規10】管理局!?

【常連B】ついにバジルの不法投棄で捕まったか

【毒舌キノコ】198円の苗に国家権力が動いたぞ

【gardenFan_03】やばいやつ?

【常連A】「庭いじり罪」とかいう新しい罪状が爆誕した可能性

【GreenThumb】Tell us everything.(全部教えてください)

 

「座標安定度がかなり高いらしいです。通常のセーフエリアとは比較にならないくらい安定してるって」

 

「あと、セーフエリアの面積が拡がってたみたいです、畳の3分の1くらい。」

 

(Comments)

【常連A】面積の単位が「畳」なのD級すぎて好きww

【新規11】セーフエリアが広くなるの?

【常連B】世界を揺るがす異常事態をアパートの引越しレベルで語るな

【gardenFan_03】それ世界初じゃね

【カンナ先輩】面積変動の記録がないって……すごいことですよ

【毒舌キノコ】サミットのバジルがダンジョンの空間構造を変えてる。意味がわからん

【GreenThumb】I expected something like this. But the spatial expansion is remarkable.(こうなる予感はしていましたが、空間の拡張は驚異的ですね)

【常連B】さらっと「予感してた」とかいうGreenThumbが一番怖い

【新規12】世界初の快挙なのに、実家のリフォームみたいな感動しかない

【新規8】他の配信だと、魔力干渉で砂嵐みたいなノイズが乗るのに、ここは実写映画みたいにノイズがゼロだ

 

「映像のノイズ……? 新規8さん、カメラがいいとかじゃなくて?」

 

(Comments)

【新規8】カメラの問題じゃない。ダンジョン配信って普通、空気がザラついて見えるんだよ。ここだけ違う

【カンナ先輩】魔力による空間のゆらぎが、ここだけ抑え込まれてるってことですよね

 

「空のゆらぎとかノイズとか、正直よくわかってないんですが……だから植物たちみんな元気に育ってるのかな」

 

(Comments)

【毒舌キノコ】関係あるに決まってる。だが答えが出るのは先の話だ

 

「……pHを調整して水やりしてるだけなんですけどね」

 

(Comments)

【GreenThumb】That's exactly the point. You're not trying to stabilize anything. You're simply connecting with the soil through your magic. And the soil is responding. :)(それがまさにポイントです。何かを安定させようとしているわけじゃない。ただ魔力を通じて土と繋がっているだけ。そして土が応えている)

【カンナ先輩】柏木さんの土壌操作が魔力を土に定着させてるとしたら、それは新しいタイプの能力ですよ

【常連A】「土壌操作(物理)」じゃなくて「土壌操作(概念)」になってきてる

【新規15】それをバジルのpH調整にしか使わない贅沢さよ

 

「うーん、そうですかね。自分の能力に期待してまた凹むのは避けたいので、前置き長くなりましたがとにかく今日も庭いじりします。」

 

(Comments)

【常連A】出た、ハル先生の必殺技「現状維持」

【常連B】期待されるのが世界で一番嫌いな男

【gardenFan_03】全人類が「お前それSSS級だぞ」って言いたいのを我慢してる空気

【毒舌キノコ】わからないことをわからないまま置けるの、実は強さだぞ

【常連A】キノコがたまに良いこと言うのが一番腹立つww

【GreenThumb】Keep doing what you're doing. The garden will show you in time.(今やっていることを続けてください。庭がやがて教えてくれます)

【常連B】教祖(テキサスの農家)

【毒舌キノコ】教祖が15万円の機材を送りつけてくる宗教、俺も入信したい

 

「はい、ではまずバジ太郎。8枚葉と先週から2枚増えました。順調ですね。分析器でEM値を……0.92。先週の0.87から上昇。確か数字が高いと土壌が肥えている証拠で、植物が早く育つんでしたっけ。」

 

「次にトマ次郎。なんと花芽が開きました。」

 

 カメラを寄せた。トマ次郎の茎の先。小さな黄色い花。5枚の花弁が開いている。1センチにも満たない小さな花。

 

「ダンジョンの薄紫の空の下で、黄色い花が咲いているのは少し神秘的です」

 

(Comments)

【常連B】花!!!

【常連A】ダンジョンで花が咲いた!

【gardenFan_03】世界初のダンジョン開花

【カンナ先輩】写真撮ってください!論文の参考資料になります

【毒舌キノコ】D級が世界初の快挙を達成。しかもトマトの花。シュールすぎる

【常連A】「伝説の英雄が魔王を倒した」と並んで教科書に載るぞこれ

【GreenThumb】A flower blooming in a dungeon. This has never been documented before.(ダンジョンで花が咲いている。これは今まで記録されたことがありません)

 

「ミン三郎。あ」

 

(Comments)

【常連A】あ、って何

【常連B】何があった

【gardenFan_03】ミント暴走?

 

「なんと根止め壁を越えて、地下の壁を越えて、バジ太郎のほうに伸びてます」

 

(Comments)

【常連B】暴走きたwww

【常連A】やっぱりミントは信用できない

【gardenFan_03】三男坊は裏切ると言っただろ

【GreenThumb】The magical soil accelerated the mint's growth beyond the barrier. You'll need a deeper wall.(魔力のある土がミントの成長を壁の外まで加速させた。より深い壁が必要ですね)

【カンナ先輩】ミント強い……

【常連B】ダンジョンモンスターよりよっぽど侵略者してて草

【新規18】バジ太郎の平和が!! 198円の領土が侵されている!!

 

「壁を補強します。深さ15センチじゃ足りなかったか...25センチまで伸ばします」

 

 手を土に当てた。魔力を流す。地中の壁を深くする。

 

「よし。壁の補強完了。ふう。地中に壁を作るの、意外と魔力使うんですよよね。D級だから魔力の総量が少ないっていうのもあると思います。肩が重くて頭がぼんやりしてきました。」

 

「ミン三郎、お前は暴君だけど、嫌いじゃないよ。生命力がある。D級覚醒者としてはうらやましい限りだ」

 

(Comments)

【常連A】ミントをうらやましがるD級w

【毒舌キノコ】スケール感が今日もD級。安心する

 

「さてカケルとチビケルは……来てますね。今日も境界の外で大人しくしているおりこうさんなので、今日はバジルの葉を3枚投げます。チビケルが大きくなったから、食べる量も増えました」

 

 カケルが2枚でチビケルが1枚。そういえばチビケルの体長が心なしか大きくなっているように見える。

 

(Comments)

【カンナ先輩】チビケルも大きくなってますね。バジルの栄養効果

【常連A】カンナ先輩、もはや近所の教育ママの視線なんよww

【常連B】「うちのチビケル、最近背が伸びて〜」的な会話がダンジョンで展開される恐怖

【gardenFan_03】ダンジョンバジルで育ったグラスバード。なんかスペシャル感ある

【常連A】カケル親子も庭の住人だよな。もう

 

「カケルが最初に来たとき、バジ太郎を食べようとした敵だったんですよ。今は毎週来て、バジルの葉をもらって、チビケルと一緒に境界の外で昼寝してます」

 

(Comments)

【GreenThumb】Ecosystems are built on relationships. Your garden is becoming one.(生態系は関係性で成り立っています。あなたの庭がそれになりつつあります)

【常連B】「魔王を倒す」んじゃなくて「バジルで懐かせる」新時代の攻略法

 

「さて、今日の配信はここまでです」

 

(Comments)

【常連A】おつかれ

【常連B】絶対来る

【gardenFan_03】通知オン

【カンナ先輩】来週はきっと薬効成分の分析結果持ってきます

【毒舌キノコ】来る。このコメント欄が居心地いいんだ。悔しいけど

【新規7】来週きます

【GreenThumb】The garden grows. And so does the gardener. See you next week, Tsuchinoko-sensei.(庭は育ちます。庭師もまた育ちます。来週また、つちのこ先生)

 

「おつかれさまでした。また来週土曜、夕方5時に」

 

 †

 

 配信を切った。今日は色々あっていつもより疲れたな。

 

 手を土に当てた。

 

 トマ次郎の花に目をやった。ダンジョンの薄紫の空の下で、黄色が鮮やかだ。花が咲いたということは、いずれ実がなる。ダンジョン産のトマトはどんな味がするだろう。

 

「来週も来るよ」

 

 声に出して言った。

 

 ここが俺の庭だと言いたくなったのかもしれない。どんな数値が出ても、どんな報告書が上に行っても、ここは俺が198円のバジルを植えた場所だと。

 

 新宿御苑跡のゲートで澤村さんが待っていた。

 

「柏木さん、佐伯さんから聞きました。数値のこと」

 

「はい」

 

「報告書が本部に行くんですけど……その、あんまり心配しないでください。佐伯さんも『まずいことじゃない』って言ってました」

 

「大げさなことにならないといいんですけど」

 

「……来週も来てくださいね」

 

「はい、今更ですが平日見ててくれてありがとうございます」

 

「もちろんです。といっても柏木さんの水分管理も手入れも完璧で、何かやったことはないですが」

 

「それがこの能力唯一の強みですからね」少し気が抜ける。

 

 

 †

 

 ゲートを出た。新宿駅。中央線。帰りの電車。

 スマホを取り出し、DunCastのアプリを開く。

 おすすめのトップには、現在進行中の特級ダンジョン攻略LIVEが並んでいた。

 

 『【LIVE】ユン・ソヒ、深層域単独突破——座標確定まで残り3分』

 

 憧れの世界ランクトップ3。迷わずタップした。 

 

 画面が切り替わった瞬間、耳をつんざくようなデジタルノイズがスピーカーから漏れ、慌てて音量を下げる。

 

 画面の中にいるのは、多層構造のデジタルグリッドが瞳に浮かぶ少女、ユン・ソヒだ。

 彼女が虚空を薙ぐたびに、数千もの演算命令が光の刃となってモンスターを細切れにしていく。派手だ。美しくて、過酷だ。

 

 その映像は絶え間なく発生するデジタルエラーで激しく明滅していた。

 

 画面右上の空間振動値(ノイズ)は「87.2」。

 

 数値は真っ赤に点滅し、警告アラートが鳴り止まない。

 

 彼女の白い肌には、魔力侵食の証である演算回路のタトゥーがどす黒く浮かび上がり、苦痛に耐えるように口元が歪んでいる。爆発のエフェクトが飛び交い、モンスターが粒子になって消えるたびに、視聴者のコメントが弾丸のように流れる。

 

 「流石は世界3位」「人間辞めてるな」「このノイズこそ攻略の証」。

 

 今更思い出す。この世界の「当たり前」のダンジョンの中の景色。

 

 英雄たちが必死に世界の崩壊を食い止めてくれている。

 

 俺の配信は、こんなにも格好良く勇ましい覚醒者が戦う世界の中で少し異質なのかもしれない。

 

 でも、あんなにボロボロになって戦っている人たちが俺の庭で休んでくれたなら——。

 

 ふと、そんな場違いなことを思った。




よければ https://aiteller.jp/ ものぞいてみてください
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