[一部完結]戦闘不能のD級覚醒者、ダンジョンで198円のバジルを育てる 〜能力は「土いじり」だけ。10センチの土壁で推し(苗)を守る配信が、疲れた世界をそっと癒やしていく〜   作:AI teller

7 / 11
第6話 火曜日の来訪者 管理局上級分析官の視線

  火曜日の昼休み。経費精算のExcelを睨んでいたら、スマホが震えた。

 

 澤村さんからのメッセージ。

 

『柏木さん、急にすみません。本日お仕事帰りの19時からお時間いただけますか?ダンジョン管理局本部から分析官が来ます。C-7の状況確認と、柏木さんへのヒアリングです。』

 

『行きます』

 

『ありがとうございます。分析官は上級分析官の方です。名前は三島さん。穏やかな方だと聞いてます』

 

 「上級」という二文字が引っかかる。佐伯さんの上司にあたる方が、報告書を読んで、わざわざ現地にくるだけじゃなく俺に会いにくる。

 

 昼休みの残り15分。コンビニのおにぎりを食べながらスマホを見た。Twitterの通知が120件溜まっている。先週の配信のアーカイブが拡散されているみたいで、特に「管理局が測定」「面積拡張」が取り上げられていた。

 

 †

 

 19時、新宿御苑跡のゲートに向かうとすでに澤村さんと男性が1人待っていた。

 

 五十代くらい。身長は低めで165センチくらいだろうか。穏やかな目元はに銀縁のメガネ、正直今着ているグレーのジャケットよりも白衣の方がしっくりきそうだ。

 

「柏木ハルさんですね。ダンジョン管理局本部、上級分析官の三島康平と申します」

 

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

「佐伯の報告書を読みまして、現地を見たいと思った次第です。お忙しいところすみません」

 

「いえ、こちらこそ」

 

 穏やかそうな方なのに自然と敬語が出てくる、手が汗ばんでいる。三島さんの目線が穏やかなのが、かえって怖い。怒っている人なら対処法がある。穏やかな人の意図は読めない。

 

 ゲートをくぐっって先をあるく。三島さんが後ろをついてくる。澤村さんはゲート待機だ。沈黙が続き妙な緊張感がある。靴音だけが規則正しく響いている。

 

 通路を歩きながら、考えた。三島さんは何を見に来たのか。数値は佐伯さんの報告書に書いてある。わざわざ現地に来るということは、数値だけではわからないものを確認したいということだ。空気。雰囲気。庭を作っている人間。俺自身。

 

 C-7の入り口。

 

「ここです」

 

 足を踏み入れた瞬間、三島さんが立ち止まった。

 

「……ほう」

 

 一言だけ。

 

 セーフエリアC-7。6畳半の庭にはバジ太郎が中央に立っている。トマ次郎の黄色い花は二つに増えて、ミン三郎は相変わらず境界をうかがっている。土壁は健在。カケルとチビケルは、今日は境界の外にいなかった。

 

 三島さんが庭の中を歩いた。ゆっくり。一歩ずつ地面を確かめるように。バジ太郎の前で止まった。

 

「これが、あのバジルですか」

 

「配信ご存知なんですか。」

 

「ええ、仕事ですから」

 

 三島さんが微笑みながら膝を折って、バジ太郎と目線の高さを合わせた。葉を見た。触らない。見ているだけ。左手をポケットに入れたまま、右手で眼鏡の位置を直した。長い沈黙。10秒か、20秒か。バジ太郎の葉が薄紫の光を反射している。

 

「ダンジョン土壌で一般植物が生きている事例は世界のどこにもありません。佐伯の報告書にも書いてありましたが、実物を見ると説得力が違う。少し感動しています、言葉にできませんね。」

 

「はい」

 

「トマトの花も、珍しいどころの話ではないのです。死にゆく土地で、生命が育つなんて。ダンジョン内開花の記録は、どの国のデータベースにもない。」

 

「そう、なんですか」

 

 わかっていた。わかっていたつもりだったけど、本部の人間に言われると重みが違う。

 

 三島さんが立ち上がった。ジャケットの埃を払った。

 

「柏木さん。いくつか質問してもいいですか」

 

「はい」

 

「この庭を作り始めたのは、いつですか」

 

「数ヶ月前です。4月の最初の土曜日から」

 

「きっかけは」

 

「……土が寂しそうだったからです」

 

「土が」

 

「はい。セーフエリアの土が温かいのに、何もなくて寂しそうで。それだけです」

 

 三島さんが頷いた。メモは取らない。

 

「庭いじりをしているとき、何か意識していることは」

 

「土の温度と、水分量と、pHくらいです。あとは根の伸び方。バジルの根がどっちに向かっているか、触ればわかるので」

 

「触ればわかるんですか」

 

「はい。手を当てると、地中の状態が見えるというか……見えるわけじゃないんですけど、感じるというか。土壌操作の基本で」

 

 三島さんが眼鏡の奥で目を細めた。何かを考えている。何を考えているのかは、わからない。

 

「意図的に空間に干渉したことは」

 

「ないです。俺にはそんな能力は……ないはずです。土壌操作しかできません。D級レベルの」

 

「……驚きましたよ。佐伯が持ち帰ったデータでは、座標安定度が通常の数倍――理論上の限界値に近い。面積の自己拡張も国内では前例がありません。これがあなたの『土壌操作』による副次効果だとするなら、能力の分類そのものを根底から書き換える必要があります」

 

「書き換える、って……」

 

「安心してください。今すぐどうこうという話ではありません。データを揃え、分析し、精緻な報告書を書き上げ、幾度もの会議にかける……。幸いなことに、行政という組織はひどく鈍重で時間がかかる。少なくとも、私がそうさせている間はね」

 

三島さんが悪戯っぽく微笑んだ。組織の荒波を乗りこなしてきた男の、静かで隙のない笑い方だ。

 

「柏木さん。一つだけ、私個人の見解としてお伝えしておきたいことがあります」

 

「はい」

 

「あなたの配信を最初に見つけた時、失礼ながら……暗闇の中に灯った小さな希望のように見えた。本来なら、EM値の異常が確定するまでは静かに見守っているつもりだったのですが、少々状況が騒がしくなってしまいました。ですが、方針は変わりません。柏木さんは、今まで通りでかまいませんよ」

 

「……今まで通り、ですか?」

 

「ええ。庭いじりを続けてください。配信も。管理局として、あなたの活動を制限する法的根拠はない。それどころか、死にゆくセーフエリアがこれほど強固に安定するのは、人類にとっての福音ですらある」

 

ふっと、肩の力が抜けた。自分でも驚くほど、指先の震えが収まっていく。

 ここを取り上げられるかもしれない。強制的に排除され、二度と土に触れなくなるかもしれない。そんな恐怖が、足元から消えていくのを感じた。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言われるようなことではありませんよ。あなたはただ、ここで庭を作っているだけだ。管理局がそれを止める理由など、どこにもない」

 

三島さんが、セーフエリアのほうへ視線を向けた。セーフエリアの縁、死の色をした薄紫のと、境界線と。

 

「いい庭ですね。本当にお世辞抜きで」

 

「え」

 

「個人的な感想です。報告書には書きません。いい庭だと思います。ここは空気が違う。ダンジョンの中にいることを思わず忘れてしまうほどに」

 

 三島さんがトマ次郎の花を見た。黄色い花弁。二つ。薄紫の空の下で、黄色がくっきりと浮かんでいる。

 

「本当に面白い。ダンジョンの中に、黄色い花が咲いている。私はダンジョンを30年研究してきましたが、こういう光景は初めてです」

 

 30年。俺の人生より長い。その人が「初めて」だと言う。

 

 ともに出口に向かいはじめた。足取りは軽く、澤村さんが待っている通路のほうへ。

 

「あ、三島さん」

 

「はい」

 

「……バジ太郎のこと、よろしくお願いします」

 

 何を言っているんだ俺は。意味がわからない。

 

 三島さんが笑った。

 

「報告書には、バジ太郎の健康状態も記載しておきますね」

 

 †

 

 澤村さんとゲートの前で話した。三島さんはもう帰った。

 

「どうでした?」

 

「穏やかな人でした。今まで通りでいいと言ってくれて、心が軽くなりました」

 

「よかった。本当に」

 

「澤村さんも心配してくれてたんですか」

 

「そりゃあ。C-7の管理担当は私ですから。柏木さんがいなくなったら、バジ太郎の水やりを誰がするんですか」

 

「それは困る」

 

「……正直に言うと、上の連中が騒ぎ始めてたんです。佐伯さんの報告書が本部に上がった時点で、『国家資産として管理すべきでは』って声が出てて」

 

「国家資産ですか?」

 

「でも三島さんが突っぱねてくれたんですよ。『まだ実験段階だ。手を出すな。自然な状態で観測を続けることが最優先だ』って。……あの人、昔庭師になりたかったらしいですから」

 

 三島さんの目を思い出した。バジ太郎の前でしゃがんで、10秒も葉を見つめていた穏やかな目。あれは分析官の目じゃなかった。庭を好きな人の目だった。

 

「へえ、どおりで。すごく植物を見る目が優しい方でした」

 

「でしょう。本人が言ったわけじゃないんですけどね、管理局の古い人曰く、三島さんの実家は植木屋だったらしくて。研究者の道に進んだのは、ダンジョン化して死んでいく土をなんとかしたかったからみたいですよ」

 

 

 †

 

 

 土曜日。

 

「今週もダンジョン庭いじり配信を行います」

 

(Comments)

【常連A】今日は視聴者183スタート!

【常連B】増えてる!

【gardenFan_03】安定して増えてるな

【カンナ先輩】こんにちは!

【毒舌キノコ】報告待ってる

【GreenThumb】Good evening. :)(こんばんは。)

 

「さて、今日の庭報告です。まずバジ太郎は10枚葉と先週から2枚増えました。EM値は0.95で微増。根元がしっかりしてきました。1ヶ月前とは全然違ってもう倒れる心配はなさそうです」

 

(Comments)

【常連A】バジ太郎立派になったなぁ

【常連B】もう「太郎」なんて呼べない。「バジ殿」って呼びたい風格

【GreenThumb】The stem is thickening. Excellent root development.(茎が太くなっています。根の発達が素晴らしい)

 

「トマ次郎は花が二つになりました。ちゃんと5枚の花弁が開いて、すくすく育ってます。」

 

(Comments)

【カンナ先輩】花が増えてるということは、実もつくかもしれませんね

【毒舌キノコ】花が咲いても実がなるとは限らん。ダンジョンの環境で受粉がどうなるかは未知数だ

【常連A】受粉のためににカケル(鳥)を教育しそう

【常連B】鳥「え、俺、次はくちばしで受粉させる仕事っすか?」

 

「受粉のためにトントン叩きますよ。実がなったら嬉しいですね。で、今日は新しい仲間を連れてきました」

 

(Comments)

【常連A】新しい!

【常連B】何?何?

【gardenFan_03】4号!?

【毒舌キノコ】また100円台のサミット苗か

 

「その通り。ラベンダーです。128円をサミットで買いました。名前は……ラベ四郎で」

 

(Comments)

【常連A】ラベ四郎www

【常連B】命名センスが一貫してるwww

【毒舌キノコ】もう少しなんとかならんのか

【カンナ先輩】ラベンダー!薬用ハーブとしても優秀です!

【GreenThumb】Lavender. Excellent choice. It prefers alkaline soil — you may need to adjust the pH upward in that section.(ラベンダー。いい選択ですね。アルカリ性の土を好むので、そのエリアはpHを上げる必要があるかもしれません)

【gardenFan_03】GreenThumbさんの知識量いつも安心する

【常連A】ラベ四郎、お前はミン三郎が暴走した時の「癒やし係」だ。しっかりしろよw

 

「GreenThumbさん、アルカリ寄りがいいんですね。了解です。バジ太郎のエリアとは別にpHを調整します。ここ、トマ次郎の反対側に植えます」

 

 手を土に当てた。穴を掘る。15センチの深さ。土壌操作で周囲のpHを6.8から7.2に上げる。微調整。手のひらから魔力を流すと土が応える。温かい。

 

「よし、植え付け完了。ラベ四郎、ここがお前の場所だ。ちゃんと根をはるんだぞ」

 

(Comments)

【毒舌キノコ】サミットの苗に語りかけるD級

【カンナ先輩】ラベンダーの芳香成分がダンジョン土壌でどう変化するか、すごく気になります

【GreenThumb】The way you adjusted the pH in real-time — that level of soil control is genuinely impressive. Most people don't realize how precise that is.(リアルタイムでpHを調整する方法、あのレベルの土壌制御は本当に印象的です。どれだけ精密なことか、ほとんどの人は気づいていませんよ)

【常連A】GreenThumbさんに褒められてる

【常連B】全米が認めた「土いじり」、なお本人はサミットのレジ袋を下げている模様

 

「嬉しいです。でも俺は感覚でやってるだけで、理論はわかってません。pHを上げるときの手の動かし方とか、体で覚えたもので。誰かに教わったわけじゃなく」

 

(Comments)

【毒舌キノコ】体で覚えた技術は言語化できないことが多い。だが確実に技術だ

【gardenFan_03】職人だなぁ

【新規17】他の配信者は「どうやって生き残るか」を体で覚えてるのに、この人は「どうやって根付かせるか」を極めてる……

 

「ラベ四郎がちゃんと根付くかは来週確認します。ダンジョン土壌は何が起きるかわからないから」

 

「カケルとチビケルは……あ、いた。」

 

 バジルの葉を3枚投げた。いつもの配分。チビケルの動きが速くなっている。先週までよちよち歩きだったのに、今日はカケルと同じ速さでバジルに飛びついた。

 

「成長してるなあ。チビケル」

 

(Comments)

【gardenFan_03】チビケルもう「チビ」じゃないな

【常連A】名前変える?

【毒舌キノコ】デカケルにでもするか

【常連B】デカケルwww

【常連A】デカケルは語呂が悪すぎるだろw 「増える」方向で「マシマシケル」とかどうだ

 

「チビケルはチビケルのままで良いかな」

 

「さて来週は合計732円の投資経過を見届けます。今まで通りのんびりと。多分変わるのは植物の背丈くらいです」

 

「今日の配信はこのへんで。来週も土曜、夕方5時に」

 

(Comments)

【常連A】来週も!

【カンナ先輩】ラベ四郎の成長が楽しみです

【GreenThumb】Seven hundred thirty-two yen empire. See you next Saturday, Tsuchinoko-sensei.(732円帝国。来週土曜にまた、つちのこ先生)

【gardenFan_03】あれ、合計732円じゃなくない?

【常連B】バジル198+トマト248+ミント158+ラベンダー128=732円。GreenThumbさん計算早い

 

「732円の帝国。俺らしい、身の丈にあった響きです。おつかれさまでした」

 

 †

 

 配信を切った。189人。最大瞬間。

 

 最近は毎週イベントが起こってる気がする。ラベ四郎を見下ろした。匂いはまだ弱いけど、今からあの落ち着く香りがこのエリアを流れてくれるのが楽しみで仕方ない。バジルとミントとラベンダーで清涼感のある匂いが広がるだろう。

 

 三島さんの言葉を思い出す。「今まで通りにしてください」。

 

「いい庭ですね」とも言ってくれた。30年ダンジョンを研究してきた人が、報告書には書かない一言を残してくれた。その一言が嬉しかった。数値より、分析より、あの一言が何よりも嬉しかった。

 

 バジ太郎の前にしゃがんだ。土に手を当てた。脈動。温かい。いつもと同じ。三島さんが来ようが、海外から問い合わせが来ようが、この脈動は変わらない。手のひらから感じる土のリズム。1ヶ月半前の最初の日と同じ温もり。

 

 帰りの中央線。もうあの庭に戻りたいと思う。無事に育っていってくれることが、正直嬉しくて仕方がない。

 

 バジルの匂いが指に残っている。ラベンダーの産毛の感触が、親指に残っている。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。