その男、ギルド戦力につき~当方、ギルド職員。世界支配のために本日も残業中~ 作:onakatarumi
王都の空を覆っていた曇天から、いくつもの水滴が降り落ちる。
ムクロとハスターの戦いの間も、アストの首を抱いたまま動かずにいた彼女。
友の返り血をかぶったマルグリテの頭に雨粒がいくつも落ちるが、汚れを洗い流すには弱々しく過ぎた。
「マルグリテ」
彼女の瞳に浮かぶのは、悲嘆か、絶望か、それとも憎悪か。
いずれにせよ昏い瞳と向き合うことをムクロは覚悟していた。
だが、呼びかけに応じて上げられたマルグリテの顔を見て。
ムクロは、背筋に怖気が走るのを感じた。
——よもや、マルグリテ・セヴェリナは狂を発したか。そう危ぶみさえした。
そんなムクロの戦慄を知ってか知らずか。マルグリテは静かに話しだした。
紡がれる声音は冷静な音階を備えている。
「部下たちは、みんな死んでしまいましたわ」
「ああ」
「王城も陥落。きっとお父様をはじめ家族も生きていないでしょう」
「ああ」
「そして、アストも。わたくしが」
「ああ」
「わたくし、今日は失ってばかりですわ」
「そうだな」
静かに語るマルグリテ。
答えるムクロの側は、淡々としか応じられない。
戸惑いが彼にそうさせていた。
マルグリテの顔の表面を、いくつもの雫が伝い落ちる。
それは涙か。それとも雨か。
頭から被った血混じりの、汚れた雫はどこから来たのか。
それが涙であってほしいとムクロは思った。
であれば、マルグリテが浮かべている表情は
そうであるなら理解は容易であった。人の感情導線として、まだ、分かる。
だがもしも。それが単なる雨粒による
マルグリテ・セヴェリナの口元には、笑みが浮かんでいた。
彼女の
ムクロ・スパルダは思い起こす。アスト・リゥムが自らをマルグリテ・セヴェリナの鞘であると任じていたことを。彼女が血を好む王女の鞘であったということを。
果たして、その鞘は永遠に失われた。
であるならば。
鞘があるうちから
心凪がせるに長けた男の内心を、ひどくひどく波打たせる女。マルグリテ・セヴェリナは口元に笑みを浮かべたまま話を続ける。
「部下に、家族に、それからアスト。——もうひとつ失って、代わりに得たいものがありますの」
「何を失い、何を得る」
ムクロは自分の声が、ひどく平板になっているのを自覚した。それはもはや困惑からではなく、声から先に落ち着かせねばならないとの警戒が求めた
「お分かりに、なりませんか?」
そんなムクロへマルグリテが近づく。
寸鉄をまとわず、ステータスを失い、肩を負傷した女が、ただ近づいた。
その瞬間に、ムクロの指が一瞬震えた。
反射的に片刃剣を抜こうとして、それを理性で抑えたのだ。
なぜ自分は剣を抜こうとしたのか。ムクロは自問する。
「ああ。そうですわ——剣を、抜いて下さる?」
ムクロの内心で自問自答の答えが出る前に。急に立ち止まり、そう促すマルグリテ。
偶然だろうかとムクロは思う。
彼が剣を抜こうとしたことを、マルグリテが察して。それであえてムクロに剣を抜かせようとしているなどと、それは流石に邪推が過ぎるだろうか。
実際のところ。マルグリテがその後におこなった提案は理に適ったものだった。
そっと。彼女はそれまで大事そうに抱えていたものを——アスト・リゥムの生首を地面へと安置する。
「脳幹の完全破壊。必要なのでしょう?」
ムクロは思う。理に、適い過ぎている。
確かに。ムクロ・スパルダはマルグリテに見せた。
帝国上級冒険者ブルッカの脳幹を破壊する光景を。
つい先程もムクロは行った。師であるハスターに対し、同様のことを。
そこからの推察。『端末』と化した者の脳幹は破壊せねばならない。
マルグリテ・セヴェリナであれば可能であろう。そこに不思議は無い。
だが促せるものなのか。腹心であり、おそらくは親友とも言える相手の亡骸を、更に傷つける行為を。たかが推察に基づいて、自ら促せるものなのか。
しかしムクロは、マルグリテの言葉に従って片刃剣を抜き放っていた。
彼もまた理によって動くゆえ。脳幹破壊はそも彼が望んでいることゆえ。——もはや決してそれだけでないことを自覚しつつ。彼はマルグリテの求めに応じる。
ムクロが抜いた片刃剣。暗い空を写したその刀身もまた、暗い。
切っ先を突きつけるのは黒い外套に覆われた、アスト・リゥムの生首。
そっと。マルグリテがムクロの手に自らの手を重ねる。
片刃剣が二人の手によって、アスト・リゥムの生首に入刀された。
剣をひねる動作もまた、滑らかだった。相手がどう手首を動かすのか。触れ合った筋肉の動きから読み取っての、息を合わせた共同作業。
生命なきアストの首から流れ出た血は微々たるものだった。
ムクロは剣を首から抜き、血濡れた刀身を懐紙で拭う。せめてそれだけはと、うやうやしい動作で。
そうしながら、アストの生首を見る。
先刻、それを抱くマルグリテは生まれ
大いに間抜けた感想だったと自嘲する。
「ムクロ・スパルダ。あなたの胸で、泣かせてくださる?」
返事を待たず。片刃剣を鞘へと収めたムクロへとマルグリテが身を寄せる。
強い
降りしきる雨が。そしてマルグリテの体から溶け流される血が、ムクロの事務員服へと染み込んでくる。それは布の隔たりを超えて、肌へと至り。そしてムクロの心には慄きをもたらす。
ムクロは再び、自らの間抜けた感想を思う。
マルグリテ・セヴェリナは、卵を温める親鳥などではない。
卵から生まれ出てた側だ。
黒い卵から生まれ出た——
「わたくし、今日はもうひとつ失おうと……いいえ。
先程の言葉を、より明確にマルグリテは繰り返す。
ムクロの胸に顔を押し付けたままでのマルグリテの囁き。
雨で体温が奪われたムクロの体に、熱い吐息が吹きかかる。
「だから代わりに。下さいな。あなたの知る全ての情報と。そして——あなた自身を」
ムクロは言葉を返さなかった。
だからか、マルグリテは言葉を重ねる。同時に顔のみならず身体全体をムクロに重ねながら。
「それくらい、良いでしょう? あなたは。酷い人。分かっていて。拒まなかった。アストがわたくしに。剣を向けることを。わたくしがアストを。殺す状況を。もしかして。もしかして。もしかして。それは。ああ——!」
言葉を重ねながら。
身体を重ねながら。
うわ言のような言葉とともに、マルグリテの中で思考が連鎖し、重なりゆく。ムクロの思考と重なりゆく。
ムクロ・スパルダの企図と、マルグリテ・セヴェリナの推察が重なる。
マルグリテにアストを殺させることで、ムクロが何を求めていたのかという解に。足りぬ情報を
マルグリテがガバリと顔を上げる。
その天晶の瞳は相変わらず爛々と輝いていた。
それを何に擬して表現するべきか。
無邪気な子供か。恋する乙女か。あるいは、血に飢えた獣か。
「そうですのね? あなたは、わたくしが欲しかった! だから、
ムクロは答えなかった。
代わりに。ただ、黙って、ムクロ・スパルダはマルグリテ・セヴェリナを抱きしめた。
ムクロの
「ムクロ。ムクロ。ムクロ・スパルダ。ああ、
◆ ◆ ◆
この日、監査騎士団詰所では、多くの血が流された。
その場にて最後に流された血は——マルグリテ・セヴェリナが生涯に一度しか感じ得ない痛みを
多くの監査騎士の死体が。マルグリテの友の死体が。ムクロの師の死体が。未だ転がる詰所の中庭で。
重なり合う者たちがいた。
三章 完
=====作者からの連絡=====
ここまで読んでいただきありがとうございます。
これにて第三章完です。