その男、ギルド戦力につき~当方、ギルド職員。世界支配のために本日も残業中~ 作:onakatarumi
ムクロ・スパルダはレイテ・レノを慰めるのがとても上手だ。
それは身体をであり、同時にまた心をも癒やしてくれた。
ムクロがギルド職員という立場をとりあえず捨て、王国近衛騎士騎士団長として働くようになってから。もっといえばマルグリテ・セヴェリナの愛人という立場になってから。
レイテ・レノは最も哀れな女——すなわちは退屈な女より、悲しい女より、不幸な女より、病気の女より、捨てられた女より、よるべない女より、追われた女より、——最も、最も哀れな、忘れられた女。そのように見えた。
例えば、ルナ・リングハートなどはそんな風に誤解しているだろう。本当に見る目の無い女だ、とレイテ・レノは内心でせせら笑う。
レイテは、ムクロが不在の間のギルド施設防衛の中心戦力だ。唯一戦力と言い換えるほうが適切か。レイテの認知はそうであった。
ムクロの向かう戦場の後を、ファラキア・エルフが追えば。更にその護衛という形でレイテ・レノもついていく。先頭を行くマルグリテ・セヴェリナ。その道を切り開くムクロ・スパルダ。ただ二人について行くルナ・リングハート。更に後ろにファラキア・エルフ。エルフの後ろにレイテ・レノ。
金魚の糞のそのまた糞の、いつちぎれてもおかしくはない、そんな末端、先の先。
レイテ・レノの立場はそのようにあって、そのようでない。
ムクロは、来てくれた。ギルド施設に立ち寄る時、かならずレイテのところに来た。
時に、それはほんの寸瞬であったりもした。しかし、その間に髪を撫ぜ、舌を吸ってくれた。
もっと時間があるときには。曲がり角の向こうから誰かが来るかも知れない、そんな合間をくぐり抜けて、ムクロはレイテの入口を潜った。——入口である。
それは何故か。
ひとつには——獣欲もあったろうか。マルグリテ・セヴェリナと、何度も交歓を重ねながらも。人間という動物のオスには、別のメスに注ぎ込みたいという欲求があり。ムクロ・スパルダは、自らを人間性の側にとどめ置くために、その獣欲を利用した。人間は獣である。獣の部分が人間を人間たらしめている。悲しいことに。
もうひとつ。もうひとつが重要だった。
レイテを慰めてやりたい。レイテを慰めねばならない。ムクロ・スパルダのその認知。
クッ、と。暗闇の中でレイテ・レノは笑った。
あの老害、あのババア、あのギルド長、ファラキア・エルフ。
大概にドブカス女だけど、ムクロ・スパルダが気にかけるべき相手を間引いてくれたことには感謝しか無い。もう要は無いから死んで欲しい。殺すか? だめだ、ムクロが悲しむ。
とまれ、ムクロはレイテを求めたし、レイテはムクロに応えた。応える以外の選択肢は無い。レイテがその選択肢を選んだ。
レイテ・レノは娼婦だった。ムクロ・スパルダ以外に春を売らない、我儘な娼婦だった。レイテ・レノはムクロにとって、抱いて安全な女であり、抱かぬと危険な女であった。
娼女と傭兵。
それは、大陸世界において、或いはローゼンクロイツ・パラケルススが元いたと主張する世界において、「どちらが最初か?」という議論が出るほどの『最古の職業』として同定される職業である。
それは、構造から生起する当然の帰結であった。
何故、娼女——娼婦と傭兵が最古の職業となるのか。それを解き明かすのに必要なのは、歴史への知見ではない。歴史は結果である。原因ではない。
原因を求めるのに必要なのは、生物学である。
人間という生き物を『動物』として見る視座である。
人間は否、すべての生物は。遺伝子——生物の設計図であり、同時に生物の主体でもある存在の、広く広がるための乗り物に過ぎない。
レイテ・レノはその知識を持っていた。ローゼンクロイツ・パラケルススが遺した異世界の知識とされるもの。その中でレイテはその視座を得た。レイテは異世界の書物を好んだ。頭の中に文字を流し込んでいる間だけは、身を張り裂くようにな世界への憎悪を忘れられた。ムクロ・スパルダ以外では、ただ文字列だけがレイテを慰めた。レイテの語彙はそれで歪んだ。大陸世界に無い発想が、文脈が、レイテ・レノには詰まっている。
異世界の知識はレイテを慰め、そして、決定的に蝕んだ。認知に対する毒でもあった。
◆ ◆ ◆
生物は遺伝子の乗り物に過ぎない。遺伝子を遺して広げる、遺伝子の奴隷。この認知。その上で、人間という動物種の、オスとメスの間にある「遺伝子を遺し広げるための最適行動」の差異、その結果としての軋みが、娼婦と傭兵を生み出した。
遺伝子を遺す最適解として、人間オスが選んだ方法は、「多くのメスに種付ける」であった。自分の遺伝子を、なるべく多くに注ぎ込み、遺す。生殖器官もそれに特化している。
遺伝子を遺す最適解として、人間メスが選んだ方法は、「良いオスの子を身ごもる」であった。自分の遺伝子を、なるべく優秀な遺伝子と掛け合わせ、遺す。生殖器官がそれを強要した。
人間オスと人間メス。その二つを安易に鏡写しにはできない。
生殖に伴う危険が違い、生殖に適した行動が違う。
身ごもる間、人間メスは動物として非常に脆弱である。それは長い時間に及ぶ。その間、自己と、自己の内側にある遺伝子を守る存在として、人間メスは傍らに在る者——伴侶を求める。
こうして番った人間メスと人間オスが、一対として在り続けられるならば。人間社会の悲劇の多くは減ったろう。——構成員の増産速度は低下するため、人間社会が継続するかどうは未知数ではあるが。
人間メスの求めに反して、人間オスはもっと自分の遺伝子を広げたいと願う。この綱引き。
悲劇の第一因は、人間が、生物が、遺伝子の乗り物に過ぎないということ。
悲劇の第二因は、オスとメスの、最適遺伝子戦略が異なるということ。
悲劇には、第三因がある。これもまた生物学が解き明かす。
人間は——頭が良くなりすぎた。
人間種は、他の動物種とことなり、両足で立ち、結果、地を踏みしめる必要が無くなった前足を両手と変えて、道具を使い、肉体の変化を待たずして環境に変化を与えうる圧倒的な存在と化した。
結果として、人間種は他の動物種よりも多くの栄養を得ることに成功し。同時に両手の使用による脳への刺激、より良く両手を使うための脳への求め、これらが複合して生物としての変化が起こった。脳体積の増大である。
脳体積の増大は、極めて素早く起こった。生物の進化——これまた異世界の知識である——という観点の中では、異常なほどの素早い変化。
これが悲劇の第三因。その前奏曲である。
脳体積の増大に比して、人間メスの産道の広さの拡大工事は遅々として進まなかった。進化とは合理的目的のために、何者かが指揮をして行われるものではない。即興曲が無数に奏でられ、その中で環境なる観客から素晴らしいとされたものだけが演目に残るのだ。
脳体積は増え続ける。産道は広がらない。人間を「完成品」として産み出すには、脳が大きすぎ、産道を通らない。
結果。何が起こったのか。いや、その結果が「動物全般の中で異常である」を認知するには、他の動物種を見渡しての前提が必要である。
馬の出産を見たことはあろうか。母馬から生まれた仔馬は、それから程なくして、四肢を震わせながら大地に立つ。感動的な光景であり、そうして、動物種としてそれが当然なはずだった。
完成品として産まれるのだ。他の動物は。少なくとも、自分の脚で動き回り、或いは敵から逃げることが出来、あるいは食料を求めることができる。
対して、人間種はどうか。オスの遺伝子とメスの遺伝子を配合して生まれ落ちる人間は、自ら寝返りを打つことも叶わず、自らの脚で立つことも出来ず、自ら食料を求めることなど論外である。ただ、泣くことで不快を訴え、周りに助けの必要を伝えることしかできない未完成品である。
完成品として産み出すには、産道の大きさが足りない。完成品の人間は、脳が、頭が大きすぎる。よって人間種は選択した。未完成品で出荷してしまおう。未完成品として出荷しない道を選ぼうとした個体もあったかもしれない。だが、未完成品出荷を選んだ個体だけが残った。
未完成人間は、周りに多く助けられないと生存できない。結果、それを生み出したメス個体が。あるいはオス個体が、場合によっては両方が。未完成人間の生存を助け続け、その製造の最終工程を終えなければならない。
果てしなく、面倒である。
人間オスと人間メスは、次代未完成人間の分の食料を得るために、より多く狩りや採集をしないとならないのに。次世代未完成人間がいるせいで、その余裕が奪われる。
特に、人間オスにとっては忌まわしい。人間オスの遺伝子戦略最適解は、広く多く遺すこと。次のメスに種付けるべしとの遺伝子則が人間オスへとソレを強いる。
人間種は、次代を未完成のまま出荷するという荒業を以ってして出荷されないという最悪を避けたが、もたらされた次なる面倒に対処する必要に迫られた。
さあ。第三因の曲調は盛り上がりを見せてきた。破調へ備えよ。
この面倒の解法としてひとつの方法が選ばれた。
人間メスの生殖可能な時間に、縛りを加えるのだ。
それには二つの効果があった。副作用もまた無数にあった。
なお、これもまた他の動物種との比較を要する。他の動物種、哺乳類として分類される種の殆どは、オスとメスは死ぬその瞬間まで生殖能力を保つ。
人間メスは保たない。結果、起こるのは何か?
ひとつに。人間オスの種付ける対象が減った。自己が設計図を提供した未完成人間の元にとどまることを選ぶ力が発生した。
ふたつに。生殖を目的としない個体の率が上がった。おばあちゃんは漁色家ではない。生殖を目的としない、そして既に自己の遺伝子を保持した未完成人間を完成させた生殖不能体は、次々世代を強固にするという目的意識を持つ。
親世代と親の親世代によって子世代が育てられる構造が発生し、これはまた社会的な動物としてのニンゲンの社会的構造をも規定したが。それは主題ではないし、解析困難事象である。社会学の領域は本来、果てしなく気の遠くなる推察と裏付けを要し、感覚で口走るべきものではない。語り得ないことに多弁になる者を信頼してはならない。
悲劇の第三因は。副作用である。
人間種が、未完人間を育てるために行った選択は、淘汰を強めた。
十の人間オスがいて、十の人間メスがいたとしよう。それぞれ年代は上昇していく。それが結びつく十組。理想である。
だが、そうなることはない。元々の構造として人間種にはその傾向はあったが。生殖能力限定規定が理想を遠ざけた。十の人間オスに対して、番うべき——生殖可能な人間メスは六~八となる。オスメス一対もまた六から八となり。二から四のあぶれる人間オスが生じる。
ここに、元々の構造が乗る。
人間オスは多くの人間メスを求める。
人間メスは優れた人間オスとの間に子を成すことを望む。
社会が発展する前。優れた人間オスとは暴力への適性を持つものであった。人間メスはそれに惹かれる。社会が発展した後。貨幣経済の中においては。貨幣を持つ者が優れた人間オスの証明であった。人間メスはそれに惹かれる。
『何者にか成り得た者』に、人間メスは惹かれる。これは構造である。当然でもある。
人間オスのあぶれ構造は加速する。
これはローゼンクロイツ・パラケルススのいた世界での、ひとつの統計でしか無いが。人類種の歴史上で発生したすべての人間オス。その実に四割が遺伝子を残せなかった。人間メスの遺伝子は八割が残った。
極論。人間オスの四割は不要なのだ。純粋に生物種としての人間にとって。
悲劇の第一因は、人間が、生物が、遺伝子の乗り物に過ぎないということ。
悲劇の第二因は、オスとメスの、最適遺伝子戦略が異なるということ。
悲劇の第三因は、オスとメスの生殖対象数の強烈なねじれ構造である。
娼婦と傭兵は、ここから生まれ落ちる職業である。生殖構造の悲劇三因の落とし子である。
人間種が、生殖能力限定規定という
単に草を食み、肉を裂くだけの動物ではなく、草を育てて肉を保存する別階層へと移行していた。
ああ。社会。
社会の中に存在する不要人間オス。彼らは生物種として不要であるが、生物種として必要な生殖願望を備えている。悲劇の第一因。
だが、悲劇の第二因と第三因により、彼らに運命の相手はもたらされない。二重の因果の果てに、彼らは暴走を起こしがちである。
しかし。社会。
暴走人間オスなど、困る。純生物的には即座に消滅してもらって困らないが、社会化した動物種の中には、殺すな、奪うな、犯すなの三律があり。彼らを淡々と処分することは社会構造の破綻を招く。——誰もが次の暴走人間オスになる可能性を秘めているのだ。
そして。社会。
暴走人間オスに対して、処置が行われる。
ひとつ。生殖本能を充足させる役割を担ったものを配する。娼婦である。
ふたつ。社会のためにその個体を有効活用する。他社会との衝突時に消費してしまおう。傭兵である。
厳密には。暴走人間オス、遺伝子を残せない個体がそのまま傭兵になるわけではない。傭兵として消費して構わないほどの、「余った男」が常に人間社会には存在するということ。
男は生命を支払い社会の構造を守り、女は生命を生み出し社会の構成員を作る。
そんな社会機構で人間種は一旦の安定をみる。娼女と傭兵を内包しながら。
社会機構を十全に運動させるために、二者は潤滑油として——使われる。
魔法が存在し、魔法が欺瞞された大陸世界。
ダンジョン依存社会においても、その社会機構は変わらない。
人間種には悲劇三因と社会三律が普遍に存在する。どうしようもなく存在する。よって変わらない——変われない。
ダンジョンに潜り、モンスタ—を狩り、ドロップアイテムを得る冒険者。
その冒険者たちを管理する冒険者ギルドの職員に、ドロップアイテムを用いて、様々な利益をあげる商人たち。他に騎士、衛兵、農業従事者、ほか諸々。
そんな、社会の健全な構成員たち。
だが、そんないわゆる
言葉を選ばずに言うのであれば、落伍者。
更に落伍者の中でも最悪の部類に
己が
それでも、どうにか、社会に加わろうと。踏みとどまる者。
その数は、健全構成員の想像よりも多い。平和であったように思われる大陸世界にも、多く、多く存在した。
或いは例えば。アルノーなる街で発生した、魔具の横流し事件。まるで。端役であるので構わぬだろうと、木っ端にされた不正に手を染めた冒険者たち。
彼らは境界にいた者である。社会に馴染めず、どうにか追いつき、果たして、馴染めなかった過去、馴染み遅れた過去がどうしても胸の内に燻り、そして——消費される。傭兵の如く。
消費される者は他にもいる。
大陸世界には、傷病娼館というものがある。
ダンジョンにさえ潜り得れば、日々の糧が得られる世界で。
例えば、重篤な傷を追ったり、例えば、何かの病を得たり。
そんな女たちに日々の糧を与える助けの網で、蜘蛛の糸、そして——消費される。娼婦の如く。否。娼婦そのままに。
あるいは何らかの事情で、ステータスを得られなかった者も、娼女かあるいは傭兵かとしての役割を求められる。
変わらず、変われぬ人間種社会で。買われて、売られる者たちとなる。
◆ ◆ ◆
以上の認知は、真実ではない。科学という域まで昇華していない「ひとつの論」に過ぎない。
だが、それを真実と捉えてしまった者がいた。
それこそが、レイテ・レノ。冒険者ギルドに埋まった地雷のごとき女である。
レイテ・レノの装束は、ひどく少女趣味な、波打った飾り布が多用された服である。ダンジョンでのドロップアイテムに見られる造形で、ダンジョン様式と呼ばれるものだ。付与効果を目当てにした女性冒険者と一部の若い女性に人気がある。
レイテはそれを、可愛らしいと思った。だから、わざわざドロップアイテムの造形に似せて、布を使ってその様式の服を仕立てた。
後に知った。レイテは知った。世間一般的な視線では、私服でその意匠の服を着る者はいわゆる
レイテはそれを知った時、乾いた笑いで口の端を引きつらせた。自身の嗜好と思ったものにさえ、自身の宿命は追ってくるのかと。
私は、穴でしかないのか。
私の、穴しかあなたたちは見なかったのか。
レイテは自分に空いた穴が。自分の肉体に空いた穴が、破口に思えて仕方がない。
月に一度そこから流れ出る血が、自分がまだ傷ついているのだとの認知を強いる。
生まれながらに『魔法妨害』の魔法が使えてしまったがゆえに。
愛してくれたはずの両親は、「次」を求めてレイテを捨てた。彼らにその認知はなかったろうが。せっかく製造し完成させた未完人間たるレイテが、失敗作だったからだ。
優しかったはずの村人たちは。レイテを娼婦として扱った。あぶれた男。遺伝子の生存戦略に基づく、より種を遺したいという欲求に支配された男たち。
レイテ・レノは娼婦であった。
望まぬままに娼婦とされた。
娼婦として使われた。
それは彼女を傷つけた。
どうしようもなく傷つけた。
彼らは愛していなかった。レイテ・レノを愛してなどいなかった。彼らは優しくなどなかった。レイテ・レノに優しくなどなかった。
否。愛はあった。優もまたあった。ただ、意識せよ、識閾下にせよ、それは対価を求めてのものだった。
レイテがレイテであるだけで、与えてくれるものではなかった。
レイテは——。
そんな最中に男は来た。レイテを救うため——では無かった。彼の登場は、彼の求める戦力を探すため。レイテを救うためでは、けっして、ない。
だから。レイテが救われるのには、時差を要した。
村からレイテを連れ出したムクロは、ギルド施設にて彼女を育てた。育てながら、ムクロは尋ねた。どうしたいか? と。
選べる選択肢は限られていた。
それでも彼は聞いてくれた。それでも彼は与えてくれた。
選択肢を。
ムクロは求めて止まないはずだった。戦力を。ダンジョンと戦う戦力を。
でも、レイテに尋ねてくれた。そのときになってようやっとに。レイテ・レノは色々気づいた。
例えば。雪の吹き込むあの小屋で。レイテの肩への外套をかけ。それでから抱きしめたあの行為。
きっと、肌の触れ合いを。レイテは厭っているだろうと。それを案じて行った。
きっと、人の温もりを。レイテは求めているだろうと。それを案じて行った。
ムクロ・スパルダの行為。その、想い。
そして、次第にレイテは気づいた。気づいた瞬間、すべてが決まった。
ムクロ・スパルダは——レイテは確信する。ムクロ・スパルダなる男は、本当は殺しが嫌いだ。殺しが嫌いでありながら、それでも彼は必要とあれば殺す。己の目的のために。
レイテの村でのムクロの殺戮。それは不要なことであった。ダンジョン核との戦いを思えば、まったく必要のない殺傷であった。黙ってレイテを連れ去ればよかった。
レイテの上を通り過ぎた者たち。レイテの心を轢いた者たち。ロジム、ボルガス、ベリベイウス、ゲルドおじさん、モルコー、バデラ爺、ワタリス——。
中年もいた。老年もいた。穴を求めるに世代は関係なかった。
そんな者を。おじさん、爺と。愛称で呼ぶことを止められない、愛された過去を持つ少女が。使われた。——消費された。
その事実が、ムクロ・スパルダを、殺人に走らせた。
ムクロ・スパルダの行為。その、重さ。
走ってくれたそのことに、レイテは遅れて、意味を知った。重さを知った。
救われたから好きなのではない。救おうと、掬おうと。レイテの心を汲んでやろうと。そうした行為にだんだんに。ひとつめではなくふたつめみっつめ。彼の行為が積み重なって。彼の行為の意味を悟って。そうしてレイテは大好きになった。先輩のことが大好きだった。先輩以外は愛せなかった。だって世界は醜いから。
ムクロ・スパルダが。むしろ醜さ由来の人間性を作動させることで、どうにか人がましくあろうとしていることに、レイテは気づいた。
だから、言った。自身が成熟した身体を得たと確信してから。ムクロを誘った。本心においては嫌悪している性交へ。レイテは再び娼婦となった。自ら望んで娼婦となった。
ムクロを、慰めるために開いた身体のはずだった。
それなのに、慰められたのはレイテのほうだった。
ムクロは、レイテの記憶を上書きしてくれた。
身体の交わりが、単なる欲望のはけ口ではないと。その瞬間瞬間に、お前を想っていると伝える行為であると。その触れ合いは、愛の慰めでもあるのだと。
レイテの破口を埋めてくれた。
それは、レイテの機能を、ギルド戦力としての機能を保つためだけの整備か? その側面は間違いなくある。ムクロ・スパルダが作り出した冷酷さはそれを求める。
だが、どうしようもなく。慈しんでやりたいのだとの気遣いもまた、ムクロ・スパルダには存在した。レイテはその様に捉え。
レイテはムクロとの交わりを望んだ。とてもとても望んだ。
果たして。だが。それらの行為で。
憎しみは、消えなかった。
消えてはくれなかった。注がれるべきときに注がれなかった愛は。レイテ・レノへと憎悪回路を完全に刻み込んだ。もはやそれは傷口ではない。そう、回路。レイテ・レノの一部と成っていた。
暴走しかねない世界への憎悪。ムクロと触れ合っていない時に、脳から連呼するのだ。滅ぼせ。壊せ。こんな世界。こんな世界。気持ちが悪い!
それら憎悪の声をかき消すためにレイテは読んだ。ギルド施設に遺された、ローゼンクロイツ・パラケルススの書物。娯楽もあり、科学もあり、歴史もあり。
結果、レイテの憎悪は加速した。
この世界の、仕組みに動かされる。自身が仕組みに動かされているのだという自覚もない、そんな社会の連中が。
よりに、よりに。
よりに、よりに!
嫌いになった。
殺してやりたかった。
自分を捨てた両親。自分を捨てたのに作られて、社会に適合しそうなので愛された未完人類第二号、妹。自分を使った男たち。本能に動かされて、その自覚もない
最後に、レイテを決定的に軋ませた一打は。しかして、ムクロ・スパルダからもたらされた。
彼に罪はない。彼の機能がレイテを傷つけた。いや。傷は内側より生じた。
ムクロ・スパルダは肉体的には『端末』であり、生殖行為は可能でも生殖能力を持っていない。ある日、偶然にレイテ・レノはそれを知らされ。
素朴に思ってしまった。
先輩の赤ちゃん、欲しかったな。
レイテは自分のその喪失感に気づき。自分の中にも愚劣性が存在することに。遺伝子に動かされているということに、たまらない、たまらない、たまらない嫌悪を覚えた。
遺伝子に動かされる者たちと、それによって成立する社会。それらを全て憎悪しながら、自分もまた、遺伝子に動かされていることに気付いてしまったレイテ・レノは——。
ローゼンクロイツ・パラケルススなる男が、そこから来たと主張する世界にて、提示された
後ろに行くほど哀れである。退屈な女、悲しい女、不幸な女、病気の女、捨てられた女、よるべない女、追われた女、あとひとつと、そうして、忘れられた女。
レイテ・レノは忘れられた女では、けっして、ない。
壊したい、この社会を壊したい。
遺したい、遺したい自分が、許せない。
様々、感情混ぜ合わせ、濁りに濁った
世界への憎悪を身の内に充填させた地雷女レイテ・レノ。
炸裂する準備は、できていた。
============
次話 5章 第10話『