総理大臣、ダンジョンを駆ける~憲政史上最低支持率◤4.6%◢の総理大臣がダンジョンで無双した結果、日本までもが無双する~   作:三月菫

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第33話

 後に〝東日本大特災〟と呼ばれることになる大規模ダンジョン災害。

 ダンジョン内部の瘴気が限界を超えて外界へと流出し、周囲の街ごを飲み込む〝迷宮溶融(メルトダウン)〟が起きたのだ。

 

 特災大国と呼ばれるこの国においても、未曾有と呼べる大災厄。

 誰も経験したことのない災禍の光景が、そこには広がっていた。

 

 その地獄に、迅一郎とクリスはいた。

 

 迅一郎は当時、特災支援担当大臣ながら、想定外の事案の判断を迅速に行う為に、最前線での指揮に立ち——

 クリスは、国から派遣された特地災害特別救助班の一員として、被災者の救助活動にあたっていた。

 

 

 混乱の坩堝で再会したクリスは、一目で致命傷だとわかる、血に染まったぼろぼろの姿だった。

 その腕の中には、おくるみに包まれた赤ん坊がしっかりと抱かれていた。

 指揮官の立場を忘れ、彼女のもとに駆け寄る迅一郎。

 

 クリスは弱々しく微笑んだ。

 

——なんとか、この娘は助けられたの。でも、家族は、もう……

 

 自分が致命傷であることを厭わずに、ただ手の中の小さな温もりのことを気にするクリス。

 そして彼女は、その小さな命を迅一郎の腕にそっと託した。

 

——迅、この娘をお願い。

 

 その言葉と共に、クリスの体から力が抜けた。

 糸が切れたように、そのまま崩れ落ちる。

 

——迅、ごめんね。

 

 迅一郎は赤ん坊を抱きしめたまま、一心不乱に愛するの名前を叫んだ。

 

——大丈夫……できるよ、迅なら……。

 

 傷口から流れ続ける血を抑える。

 けれど指の隙間から、とめどなく命の赤が流れ落ちていく。

 

——この国の、未来を……お願い……。

 

 それが最期にクリスと交わした約束だった。

 冷たくなってしまった最愛の妻の亡骸を前に、迅一郎は慟哭の声を上げた。

 

 

 

 

「クリス……僕は……」

 

 そのとき。

 背後からクラクションの音が鋭く響いた。

 物思いから我に返った迅一郎は、慌ててアクセルを踏む。

 車が前へ滑り出すと、口元に苦笑を浮かべた。

 

 胸の奥に残る鈍い痛みを抱えたまま、彼はハンドルを握り直す。

 

 やがて国会議事堂のシルエットが視界に入った。

 ライトアップされて夜の暗闇に浮かび上がるその姿を見つめながら、迅一郎は小さく息をついた。

 

「僕なりに、頑張ってみるよ。どうか見守っていてほしい」

 

 静かな独白だけを残して、ハンドルを切った。

 

 * * *

 

 数日後、午前の会議がひと段落した官邸執務室にて。

 午後の経済団体とのヒアリングに向けて書類に目を通していると、ノックより早く扉が開かれた。

 

「総理――!」

 

 血相を変えて飛び込んできたのは結月だった。

 

「どうした?」

「これを……ご覧ください!」

 

 結月は肩で息を切らしながら、手にしていた一冊の雑誌を突き出した。

 それは女性週刊誌だった。

 けばけばしいデザインの表紙には、迅一郎の顔写真と派手な煽り文字が踊っていた。

 

『和泉首相、美人専属秘書と夜の密会!? 休日デートの帰路で見せた〝素顔の二人〟』

 

 迅一郎はすぐに冊子を開いて目を通す。

 特集のページには、結月のマンションの前で、車窓越しに言葉を交わす自分と結月の写真。 

 遊園地にいったあの夜——別れ際の一瞬だった。

 

「内容はあることないこと盛ってますが、写真は……」

「ああ。捏造はないな」

 

「総理、申し訳ありません。私が不用心なばかりに――」

「違う。謝るのは筋違いだよ、白瀬くん」

 

 雑誌から顔を上げ、真剣な眼差しで結月を見据えた。

 

「僕も君も、なにもやましいことはしていない。ならば正面から説明するしかない」

 

 結月はきゅっと唇を引き結ぶ。

 

「……問題は、記事の後半です」

 

 結月が紙面を指差す。

 その先の中見出しには、太字のゴシック体で挑発的な文言が記されていた。

 

『エリクサー配分スキームに新疑惑!?』。

 

 迅一郎が記事に目を通すと、憶測と、匿名の関係者を名乗る人物の証言が並んでいる。

 単なる憶測と切り捨てるには、内容は具体的で、内部事情を知る者の存在をほのめかしている。

 

 政権を揺さぶるための意図的な記事であることは明白だった。

 

「総理、この件で、臨時会召集要求書が提出されました」

「随分と動きが早いな。提案者は?」

「国民賛成の会を始め、野党議員の連名です。また与党内でも一定数賛同者がいるようです……」

 

 迅一郎は眉間に人差し指を添え、喉の奥で小さく息を吐く。

 脳裏に、国継の言葉がよぎった。

 

 ——理想を現実に落とすとき、そこには血が流れる。

 

 血の流し方は、何も議場だけとは限らない。

 むしろ足元をすくう一撃は、いつだって最も柔らかいところを狙ってくる。

 それを含めて〝政治〟なのだ。

 

「まったく、ダンジョンのモンスターよりも、よほど手強い……」

 

 政敵の匂い。

 あるいは利権の反撃。

 嵐は、もう玄関口まで来ていた。

 

「総理、いかがなさいますか。会期日程を引き伸ばして対策を——」

「いや、それだと逃げたように見える。世論の反感を煽るだけだ。どのみちこの件の追及から逃げられない。ならばこちらから動く。夕方、臨時のぶら下がり会見を入れてくれ」

「承知しました……」

 

 まだ戸惑いの色を残したままの結月の瞳が、わずかに揺れる。

 

「白瀬くん」

「はい」

「心配するな」

 

 短い沈黙ののち、結月は深く息を吐いた。

 結月の顔が仕事の顔に切り替わる。

 彼女なりに迷いを胸の奥に押し込んだのだろう。

 

「わかりました。では必要なスケジュール調整を進めます。失礼いたします」

 

 踵を返して部屋の外へ出ていく結月。

 扉が閉まる音が響き、部屋には静寂が残った。

 

 雑誌を伏せたあと、迅一郎はゆっくりと顔を上げ、窓の外へ視線を向ける。

 

 そこに広がるのは、冬の訪れを前にした冷たく澄んだ青空。

 嵐の前の、澄みすぎた青さだった。

 

「僕はこの国を変える。それを邪魔するのならば、正々堂々、受けて立つまでだ——」

 

 迅一郎はまるで己に言い聞かせるように、そう独りごちた。

 

 

 

 

 





《TIPS》臨時国会
通常国会の会期外に、緊急の課題を審議するために召集される国会である。内閣が必要と認めた場合や、いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があった場合に開かれる。主に補正予算や重要法案、政治問題への緊急的な対応が議題となる。


《TIPS》ぶら下がり会見
首相や閣僚などの政治家が登庁や退庁の際、記者団に囲まれて行う短時間の非公式な記者会見のことを指す。定例会見とは異なり、自由な質問が飛び交うのが特徴で、政治家の本音や臨時の対応が見える場とされる。
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