神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

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8話 王は、退く

 

 

 戦いは、音で始まる。

 

 金属がぶつかる音。

 

 風が裂ける音。

 

 靴底が地面を噛む音。

 

 そして、殺意が形になる瞬間の、空気の震え。

 

 桜には、ほとんど見えていないはずだった。

 

 それでも彼女は目を閉じなかった。

 

 コンテナの影に身を隠し、両手を胸元で握りしめたまま、港の中央を見つめている。

 

 怖いのだろう。

 

 呼吸は浅い。

 

 肩も小さく震えている。

 

 だが、目を逸らさない。

 

 ヒッポリュテはその横顔を一瞬だけ見て、すぐに戦場へ視線を戻した。

 

 ランサーの槍が走る。

 

 赤い穂先が月光を裂き、不可視の剣とぶつかった。

 

 セイバーは退かない。

 

 剣は見えない。

 

 けれど踏み込みは見える。

 

 重心の移動も、肩の沈みも、刃がそこにあると示す魔力の歪みも。

 

 強い。

 

 どちらも強い。

 

 それは単純な筋力や魔力の話ではない。

 

 戦場に立ち続けてきた者の強さだ。

 

 一手ごとに、互いの命へ近づいている。

 

 その距離を、どちらも怖がっていない。

 

「……いい戦士だ」

 

 ペンテシレイアが低く呟いた。

 

 その声には、抑えた熱があった。

 

「どちらがだ」

 

「どちらも」

 

「珍しいな」

 

「認めるものは認める」

 

 言葉は静かだった。

 

 だが、彼女の指先には力が入っている。

 

 バーサーカーとしての本能が疼いているのが分かる。

 

 戦士が戦っている。

 

 強者がいる。

 

 名乗りこそまだないが、あの二人は互いを敵として認めている。

 

 神代の戦士なら、そこに割って入りたくなるのも無理はない。

 

 ヒッポリュテ自身も、理解できてしまう。

 

 だからこそ、止めなければならなかった。

 

「出るな」

 

「分かっている」

 

「本当にか」

 

「二度言わせるな」

 

 苛立った声。

 

 しかし、ペンテシレイアは動かない。

 

 桜がいるからだ。

 

 それだけで、彼女は踏み止まっている。

 

 その事実を、ヒッポリュテは少しだけ意外に思った。

 

 桜はまだ、何も命じていない。

 

 マスターとして振る舞っているわけでもない。

 

 それでもペンテシレイアは、桜を無視しない。

 

 理由は契約か。

 

 それとも、彼女自身の中にあるものか。

 

 判断はつかない。

 

 戦いが一段激しくなる。

 

 ランサーの二本目の槍がわずかに姿を見せた。

 

 セイバーが踏み止まる。

 

 互いの距離が詰まり、また離れる。

 

 空気が張り詰める。

 

 そこへ、別の音が割り込んだ。

 

 轟音。

 

 雷鳴のような車輪の響き。

 

 空が裂ける。

 

 桜が小さく悲鳴を呑み込んだ。

 

 港の上空から、戦車が降りてくる。

 

 牛に牽かれた巨大な車。

 

 雷を纏い、空気を震わせ、場の空気を強引に書き換える。

 

「なんだ、あれは」

 

 ペンテシレイアが眉を寄せる。

 

 ヒッポリュテは答えなかった。

 

 知っている。

 

 征服王イスカンダル。

 

 ライダー。

 

 彼は隠れない。

 

 堂々と降り立ち、堂々と名乗り、堂々と場を奪う。

 

 港の中心に戦車が着地した瞬間、セイバーとランサーの戦いは止まった。

 

 止められた、という方が近い。

 

 あれは乱入ではない。

 

 支配だ。

 

 自分が来たのだから、場は自分のものだと、そう信じて疑わない圧。

 

 桜が呆然と見ている。

 

「あの人……怖くないんですか」

 

 小さく問う。

 

 ヒッポリュテは、少し考えてから答えた。

 

「怖いから、前に出ているのかもしれない」

 

「怖いから……?」

 

「恐怖を後ろに置けば、背中を刺される。前に置けば、踏み越えられる」

 

 言ってから、自分でも少し妙なことを言ったと思った。

 

 桜には難しかったのだろう。

 

 彼女は分からないという顔をした。

 

 それでいい。

 

 分からなくていい。

 

 本来なら、子供がこんなものを見る必要はない。

 

 ライダーの声が港に響く。

 

 真名を名乗る。

 

 マスターである少年もさらす。

 

 無茶苦茶だ。

 

 戦術としては、あまりにも乱暴。

 

 だが、王としては理解できる。

 

 隠れて勝つ王ではない。

 

 名乗り、巻き込み、奪い、前へ進む王。

 

 セイバーは正しくあろうとして前に立つ。

 

 ランサーは騎士として槍を構える。

 

 ライダーは世界そのものを自分の行軍へ巻き込む。

 

 そして自分は。

 

 コンテナの影で、子供を庇って息を殺している。

 

「姉上は出ないのか」

 

 ペンテシレイアが言った。

 

 声は平静だった。

 

 だが、その奥には責める響きがある。

 

「出ない」

 

「王が隠れるのか」

 

「守るためなら」

 

「王は前に立つものだ」

 

「前に立つだけが王ではない」

 

「そう言って、また誰かを後ろに置く」

 

 痛いところを突く。

 

 ヒッポリュテは返事をしなかった。

 

 否定できないからだ。

 

 桜を後ろに置いている。

 

 ペンテシレイアを止めている。

 

 自分だけが決めている。

 

 それでも、今この場で名乗ることはできない。

 

 桜の手に令呪がある。

 

 ペンテシレイアは不安定なバーサーカー。

 

 自分は正規のマスターでもサーヴァントでもない。

 

 この場に姿を見せれば、全員の視線が集まる。

 

 桜が晒される。

 

 それだけは避けなければならない。

 

「不満なら後で聞く」

 

「今聞け」

 

「今は無理だ」

 

「いつもそれだ」

 

 ペンテシレイアの声が低くなる。

 

 その時だった。

 

 空気が、さらに変わった。

 

 ライダーの圧とは違う。

 

 セイバーの清廉さとも、ランサーの鋭さとも違う。

 

 上から、重さが降ってくる。

 

 誰かが現れた。

 

 街灯の上。

 

 金色の影。

 

 月光さえ従えるような傲慢さで、その男はそこに立っていた。

 

 ギルガメッシュ。

 

 その名を思い浮かべた瞬間、ヒッポリュテは内心で舌打ちした。

 

 まずい。

 

 強いからではない。

 

 いや、強いのは当然だ。

 

 だが、それ以上に相性が悪い。

 

 隠れているものを許す王ではない。

 

 自分の場に紛れ込む異物を、見逃すとは思えない。

 

 そしてこちらには、隠し切れないものがある。

 

 ペンテシレイアの霊基。

 

 桜の令呪。

 

 ヒッポリュテ自身の、神代からずれた存在。

 

 金色の男の視線が港を見下ろす。

 

 その目は、戦場にいる者たちだけを見ているようで、同時に場そのものを見ていた。

 

 桜が小さく呻く。

 

「……手が、熱い」

 

 ヒッポリュテは即座に桜の手を取った。

 

 令呪が熱を持っている。

 

 赤い線が、薄く脈打っているように見えた。

 

 あの金色のサーヴァントの圧に反応している。

 

 いや、正確には、場に満ちたサーヴァントたちの魔力に桜の未熟な回路が引きずられているのだろう。

 

 ペンテシレイアの現界も、わずかに乱れた。

 

 桜が不安定になれば、ペンテシレイアも揺れる。

 

 観戦は終わりだ。

 

「退く」

 

 ヒッポリュテは短く言った。

 

 ペンテシレイアがこちらを見る。

 

「今か」

 

「今だ」

 

「あの王を前に背を向けるのか」

 

「桜が保たない」

 

 ペンテシレイアの視線が桜へ向く。

 

 桜は必死に声を殺していた。

 

 痛いと言ったことすら、悪いと思っているような顔だった。

 

 ペンテシレイアの表情が、わずかに歪む。

 

「……分かった」

 

「低く。音を立てるな。私の合図で動く」

 

「命令するな」

 

「なら頼む」

 

「もっと嫌だ」

 

 こんな状況で、そんなことを言う。

 

 桜が一瞬だけ目を瞬かせた。

 

 少しだけ空気が緩みかけた、その瞬間。

 

 金色の男の視線が動いた。

 

 港を見下ろしていた赤い瞳が、わずかにこちらへ傾く。

 

 完全に見つかったわけではない。

 

 だが、“何かいる”と感じた。

 

 それだけで十分だった。

 

 ペンテシレイアの魔力が跳ねる。

 

 殺気が返りかける。

 

 ヒッポリュテは彼女の腕を掴んだ。

 

「抑えろ」

 

「見られた」

 

「まだ見つかっていない」

 

「なら先に斬る」

 

「違う」

 

「何が違う」

 

「勝たなくていい。見つからなければ勝ちだ」

 

 ペンテシレイアが睨む。

 

 その表情には屈辱が滲んでいた。

 

 戦士として、敵の視線に怯えること。

 

 王として、名乗らず逃げること。

 

 彼女にとっては耐えがたいのだろう。

 

 だが、今はその屈辱が必要だった。

 

「桜を連れて、左のコンテナ列へ抜ける。戦闘音に合わせて動く」

 

「姑息だな」

 

「戦術だ」

 

「言い方を変えただけだ」

 

「変える余裕があるなら動け」

 

 ヒッポリュテは桜の肩に手を添えた。

 

「低く。私の服を掴め」

 

「はい」

 

「走るな。転ぶ」

 

「はい」

 

 桜が服の裾を掴む。

 

 小さな手。

 

 その震えが、布越しに伝わってくる。

 

 ヒッポリュテは戦場へ意識を戻した。

 

 ライダーが何かを叫んでいる。

 

 金色の男がそれに応じる。

 

 セイバーとランサーは警戒を解いていない。

 

 場の緊張は高い。

 

 高いからこそ、音がある。

 

 魔力がぶつかる。

 

 言葉が飛ぶ。

 

 視線が交差する。

 

 その隙間を縫う。

 

「今」

 

 三人が動いた。

 

 コンテナの影から影へ。

 

 足音は戦場の音に紛らせる。

 

 桜の歩幅に合わせる。

 

 ペンテシレイアは最後尾。

 

 苛立ちながらも、こちらの指示から外れない。

 

 それだけで十分だった。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 三歩。

 

 次の遮蔽へ。

 

 あと少し。

 

 その時、空気が裂けた。

 

 金色の光が開く。

 

 黄金の門。

 

 そこから、幾つもの宝具が顔を出していた。

 

 直接こちらへ向けられたものではない。

 

 戦場の者たちへの牽制。

 

 王の気まぐれ。

 

 それでも、射線の一本がこちら側へ流れた。

 

 桜がいる方向へ。

 

 狙われたわけではない。

 

 だからこそ避けにくい。

 

 完全に隠れたままやり過ごせば、桜に当たる。

 

 避ければ、見つかる。

 

 一瞬。

 

 ヒッポリュテは選んだ。

 

 桜の前へ出る。

 

 飛来する宝具の軌道を見る。

 

 速い。

 

 重い。

 

 ただの投擲ではない。

 

 神秘そのものが質量を持って飛んでくる。

 

 受け止めるのは駄目だ。

 

 弾くのも駄目。

 

 音が出る。

 

 なら、逸らす。

 

 足を踏み込む。

 

 身体を斜めに入れる。

 

 手首ではなく、腕全体で角度を作る。

 

 触れる瞬間、皮膚が焼けるような痛みが走った。

 

 だが、止めない。

 

 宝具の腹を滑らせるように受け、力の向きをずらす。

 

 金色の軌跡が、桜の横を抜けてコンテナの角を抉った。

 

 轟音。

 

 鉄が裂ける。

 

 桜が声にならない悲鳴を漏らす。

 

 ペンテシレイアが前へ出ようとする。

 

「まだだ」

 

 ヒッポリュテが低く言う。

 

 腕が痺れている。

 

 皮膚が裂けている。

 

 だが、動く。

 

 問題ない。

 

「今のは、桜を狙った」

 

 ペンテシレイアの声が震えていた。

 

 怒りで。

 

「違う。狙われたら、もう死んでいる」

 

 言ってから、桜の顔が青ざめたことに気づく。

 

 ヒッポリュテはすぐに言葉を継いだ。

 

「だから今逃げる」

 

 桜は震えながら頷いた。

 

 金色の男の視線が、今度こそこちらへ向きかける。

 

 まずい。

 

 長くはもたない。

 

「行くぞ」

 

 三人は走らない。

 

 走れば目立つ。

 

 だから早歩きで、影を渡る。

 

 戦場の音を背に、港の端へ向かう。

 

 ペンテシレイアの魔力が荒れている。

 

 今にも振り返りそうだった。

 

「あの王は敵だ」

 

「今は違う」

 

「桜を危険に晒した」

 

「だから逃げる」

 

「逃げれば、また追われる」

 

「ここで戦えば、桜が死ぬ」

 

 ペンテシレイアが沈黙した。

 

 その横で、桜が小さく手を伸ばした。

 

 ペンテシレイアの袖を掴む。

 

 ほんの少し。

 

 引き止めるというより、縋るように。

 

「……行きましょう」

 

 桜が言った。

 

 震えた声だった。

 

 だが、桜自身の言葉だった。

 

 ペンテシレイアは足を止めかけた。

 

 桜を見る。

 

 そして、奥歯を噛む。

 

「……分かった」

 

 それだけ言って、彼女は振り返らなかった。

 

 ヒッポリュテは何も言わない。

 

 今、桜の言葉でペンテシレイアが止まった。

 

 マスターとしての命令ではない。

 

 令呪でもない。

 

 ただの願い。

 

 それでも、届いた。

 

 三人は港を抜ける。

 

 背後では王たちの夜がまだ続いている。

 

 名乗る王。

 

 誇る騎士。

 

 見下ろす黄金。

 

 そのすべてから背を向けて、ヒッポリュテは桜の歩幅に合わせた。

 

 勝つことではなく、守り切ること。

 

 それが今の戦いだった。

 

 港の外れまで来て、ようやく足を緩める。

 

 桜は息を荒げていた。

 

 ペンテシレイアはまだ後方を睨んでいる。

 

 ヒッポリュテは痺れる腕を軽く握った。

 

 痛みが走る。

 

 骨まではいっていない。

 

 だが、あれを何度も受けるのは無理だ。

 

 戦えば負けるとは思わない。

 

 だが、桜を守りながら勝てるとは思えない。

 

 その差は大きい。

 

 あまりにも大きい。

 

「姉上」

 

 ペンテシレイアが言う。

 

「次は退かない」

 

「状況次第だ」

 

「次は退かない」

 

 同じ言葉を繰り返す。

 

 ヒッポリュテは少しだけ目を伏せた。

 

「……分かった」

 

「分かっていない」

 

「そうかもしれないな」

 

 ペンテシレイアは苛立ったように息を吐いた。

 

 桜が二人を見上げる。

 

「私……」

 

 声が小さい。

 

「足手まとい、ですか」

 

 ヒッポリュテは即座に否定しようとした。

 

 だが、その前にペンテシレイアが言った。

 

「足手まといだ」

 

 桜の顔が強張る。

 

 ヒッポリュテがペンテシレイアを見る。

 

 だが、ペンテシレイアは続けた。

 

「だから守る形を変える。足が遅いなら歩幅を合わせる。魔力が乱れるなら無駄を減らす。怖いなら、怖いと言え」

 

 桜が瞬く。

 

「足手まといであることと、置いていくことは違う」

 

 その言葉に、ヒッポリュテは何も言えなかった。

 

 ペンテシレイアは桜から目を逸らす。

 

「……姉上よりは、私はそこを分かっている」

 

 刺された。

 

 静かに。

 

 深く。

 

 ヒッポリュテは苦笑しそうになって、やめた。

 

 笑う場面ではない。

 

 だが、少しだけ救われた気もした。

 

 ペンテシレイアは怒っている。

 

 許していない。

 

 それでも、桜を置いていかないと言った。

 

 なら、今はそれでいい。

 

     ◇

 

 遠く離れたビルの上で、衛宮切嗣はスコープから目を離さなかった。

 

 港の戦場はまだ続いている。

 

 セイバー。

 

 ランサー。

 

 ライダー。

 

 アーチャー。

 

 それぞれが予定された戦力であり、想定すべき敵だった。

 

 だが、問題はそこではない。

 

 コンテナの影から離脱した三つの影。

 

 子供。

 

 正体不明の女。

 

 そしてバーサーカー級のサーヴァント反応。

 

 切嗣は先ほどの光景を思い返す。

 

 アーチャーの宝具。

 

 その射線を、あの女は逸らした。

 

 防御ではない。

 

 回避でもない。

 

 あれは、軌道への干渉だった。

 

 力の流れを読み、最小限の接触で致命線から外した。

 

 人間の技量ではない。

 

 だが、サーヴァントとも違う。

 

 さらに子供の右手。

 

 令呪らしき反応。

 

「子供のマスターか」

 

 隣にいた久宇舞弥が低く問う。

 

「排除しますか」

 

 切嗣はすぐには答えなかった。

 

 子供。

 

 マスター。

 

 不安定なバーサーカー。

 

 正体不明の護衛。

 

 桜。

 

 遠坂の次女。

 

 間桐へ養子に出されたはずの少女。

 

 それがなぜ、あそこにいる。

 

 偶然ではない。

 

 聖杯戦争に偶然は少ない。

 

 まして今夜のような場に、偶然あの子供がいるとは考えにくい。

 

「保護対象ではないな」

 

 切嗣は呟く。

 

 舞弥がわずかに視線を動かす。

 

「では」

 

「まだだ。追跡する」

 

 スコープの中で、三人の影が港から離れていく。

 

 逃げている。

 

 だが、逃げ方を知っている。

 

 あの女は戦場を理解している。

 

 危険だ。

 

 利用できるかもしれない。

 

 排除すべきかもしれない。

 

 どちらにせよ、見失うわけにはいかない。

 

 切嗣は静かに銃を下ろした。

 

 港にはまだ、王たちの声が響いている。

 

 だが、今夜新しく生まれた問題は、そこではなかった。

 

 逃げ切ったはずの夜に、新しい視線が重なった。

 

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