神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

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14話 未遠川の怪物

 

 

 川が、膨らんでいた。

 

 水位が上がったのではない。

 

 流れが荒れたのでもない。

 

 未遠川の水面そのものが、内側から押し上げられている。

 

 黒く濁った泡が浮かび、街の明かりを歪ませ、橋の下の闇が一段深くなる。

 

 夜風に混じって、腐った魔力の匂いがした。

 

 水の匂いではない。

 

 土の匂いでもない。

 

 もっと湿っていて、もっと重く、命を水底に引きずり込むような匂い。

 

 桜が、右手を押さえた。

 

「……熱いです」

 

 令呪が反応している。

 

 ヒッポリュテは、すぐに桜の前へ立った。

 

 未遠川からは距離を取っている。

 

 川沿いの建物の影。

 

 見通しはいいが、戦場の中心からは外れている位置。

 

 桜を晒さず、かつ状況を見失わない場所。

 

 それでも、川から溢れる魔力はここまで届いていた。

 

「下がるか」

 

 雁夜が言った。

 

 声には焦りがある。

 

 当然だ。

 

 桜の顔色は悪い。

 

 前回の疲労も抜けていない。

 

 この魔力圧に晒されるだけで、小さな身体には負担になる。

 

 だが、桜は首を振った。

 

「……見ます」

 

 か細い声だった。

 

 けれど、逃げてはいない。

 

「怖いです」

 

 一拍置いて、桜は言った。

 

「でも、見ています」

 

 その言葉に、ヒッポリュテはわずかに目を伏せた。

 

 怖いと言え。

 

 そう言ったのは自分だ。

 

 今、桜は言った。

 

 そして、それでも見ると選んだ。

 

「分かった」

 

 ヒッポリュテは短く答える。

 

「ただし、苦しくなったらすぐ言え」

 

「はい」

 

 ペンテシレイアは川を見ていた。

 

 その目は鋭い。

 

 怒りと嫌悪が混ざっている。

 

「出る」

 

「まだだ」

 

 即座に止める。

 

 ペンテシレイアがこちらを睨んだ。

 

「あれを放置するのか」

 

「放置はしない」

 

「なら行く」

 

「桜を連れて正面には出ない」

 

 ペンテシレイアは奥歯を噛んだ。

 

 その視線の先で、川が破裂した。

 

 水が空へ跳ね上がる。

 

 黒い柱のように盛り上がり、その中から異形が立ち上がった。

 

 人ではない。

 

 獣でもない。

 

 目のようなものが幾つも開き、触手のようなものが川面を叩き、肉とも水ともつかない濁った塊が、未遠川の上に巨大な影を作る。

 

 街の明かりが、その輪郭を照らした。

 

 遠くで悲鳴が上がる。

 

 魔術の秘匿など、もう意味を失いかけていた。

 

 これが、キャスターの舞台。

 

 逃げ道を断たれた狂人が、隠れるのをやめた結果だった。

 

「……大きい」

 

 桜が呟く。

 

 それは感想というより、恐怖が言葉になったものだった。

 

 ヒッポリュテは川を見ながら答える。

 

「ああ」

 

「倒せるんですか」

 

「倒す者はいる」

 

 桜がこちらを見る。

 

 ヒッポリュテは未遠川の対岸へ視線を向けた。

 

 すでに、いくつもの気配が集まっている。

 

     ◇

 

 セイバーは、川面に立ち上がる怪物を見ていた。

 

 その顔に迷いはない。

 

「あれは、この場で討つべきものです」

 

 アイリスフィールの表情も硬い。

 

 あの怪物が街へ向かえば、どれだけの被害が出るか分からない。

 

 いや、それ以前に。

 

 あれは存在してはならないものだった。

 

 切嗣は少し離れた場所から、怪物だけでなく周囲を見ている。

 

 セイバー。

 

 ランサー。

 

 ライダー。

 

 アーチャー。

 

 キャスター。

 

 そして、川から離れた建物の影。

 

 そこにいる未登録の一団。

 

 桜。

 

 バーサーカー。

 

 正体不明の女。

 

 彼女たちは、まだ正面には出ていない。

 

「やはり、そう動くか」

 

 切嗣は小さく呟いた。

 

 久宇舞弥が問う。

 

「攻撃しますか」

 

「しない」

 

 即答だった。

 

「今は利用する」

 

     ◇

 

 ランサーは槍を構えていた。

 

 ケイネスは怪物を見上げ、嫌悪を隠そうともしない。

 

「醜悪だな」

 

「主よ」

 

 ランサーの声は低く、しかし澄んでいた。

 

「あれを討つことに、異論はありません」

 

「令呪の報酬もある。だが、独断で突っ込むな。連携せざるを得ん状況だ」

 

「承知しております」

 

 騎士として、槍兵として、あれを放置する選択はない。

 

 ランサーは川の異形を見たまま、静かに息を整える。

 

     ◇

 

 雷鳴のような音が響いた。

 

 戦車が夜空を裂き、ライダーが豪快に笑う。

 

「はっはっは! あれほど醜いものを川に浮かべておく趣味はないわ!」

 

「笑ってる場合かよ!」

 

 ウェイバーは青ざめている。

 

「で、でかすぎるだろ! あんなのどうするんだよ!」

 

「どうするも何も、叩く。削る。退かぬ。単純でよい」

 

「単純じゃない!」

 

 ライダーはウェイバーの悲鳴を聞き流し、怪物を見据えた。

 

 その目には恐怖よりも戦意があった。

 

「王の戦場には、余計な怪物は要らぬ」

 

     ◇

 

 高所。

 

 金色のアーチャーは、退屈そうに川を見下ろしていた。

 

 巨大な怪物。

 

 集うサーヴァント。

 

 騒がしい雑種ども。

 

 その全てが、彼にとっては退屈しのぎに過ぎない。

 

 だが、視界の端にある気配だけは、わずかに気にかかった。

 

「またいるな」

 

 黄金の瞳が細くなる。

 

「あの女ども」

 

 神代の残り香。

 

 肉を持ちながら死の匂いを纏う女。

 

 怒りを鎧にした女。

 

 そして、令呪を持つ幼い器。

 

「王よ」

 

 遠坂時臣が控えめに声をかける。

 

「ご命令があれば、私の方で調査を――」

 

「好きにしろ」

 

 アーチャーは薄く笑った。

 

「ただし、我の視界に入ってなお頭を垂れぬなら、その時は裁く」

 

     ◇

 

 未遠川の怪物は、川面からさらに身体を持ち上げた。

 

 水が黒く泡立つ。

 

 触手が橋脚を叩き、コンクリートが砕ける。

 

 空気が震えた。

 

 桜は令呪を押さえながら、必死に立っている。

 

 雁夜はその横に立ち、怪物と桜の間に身体を入れていた。

 

 守れるはずがない。

 

 雁夜自身も分かっている。

 

 それでも、立たずにはいられないのだろう。

 

 ヒッポリュテは怪物を見て、すぐに理解した。

 

 正面から削るだけでは足りない。

 

 あれは再生する。

 

 魔力の供給が続く限り、斬っても潰しても戻る。

 

 核を潰すか、圧倒的な大火力で消し飛ばす必要がある。

 

 今の自分に、あの斧を使ってそこまで届く力はない。

 

 前回の反動が残っている。

 

 連続で神代の武装を引きずり出せば、身体の方が保たない。

 

 ならば。

 

「私たちが倒す必要はない」

 

 ヒッポリュテは言った。

 

 ペンテシレイアが振り向く。

 

「何?」

 

「倒せる者が、倒せる形にする」

 

「誰に譲るつもりだ」

 

「あの騎士王だ」

 

 遠く、セイバーが怪物へ向き合っている。

 

 不可視の剣。

 

 清廉な魔力。

 

 そして、隠し持つ圧倒的な光。

 

 ヒッポリュテはそれを知っている。

 

 知識として。

 

 そして、戦場を見る者として。

 

「あの怪物は、私たちが正面から斬る相手ではない」

 

「逃げるのか」

 

「違う」

 

 ヒッポリュテは川沿いへ視線を走らせる。

 

 水面の下。

 

 怪物へ流れ込む黒い筋。

 

 キャスターの術式。

 

 供給線。

 

「再生経路を潰す」

 

 ペンテシレイアの目が変わる。

 

 戦士の目から、少しだけ理解する者の目になる。

 

「足を止めるのか」

 

「そうだ。あの騎士王が斬れるようにする」

 

「姉上は、それでいいのか」

 

「勝つためなら」

 

「名も残らない」

 

「いらない」

 

 ペンテシレイアは少しだけ黙った。

 

 桜が二人を見る。

 

「あの……私は」

 

 ヒッポリュテは桜へ向き直る。

 

「できることはある」

 

 桜の目が揺れる。

 

「怖い時に、怖いと言え。苦しい時に、苦しいと言え。令呪が熱いなら熱いと言え」

 

「それが……できることですか」

 

「ああ」

 

 ヒッポリュテは頷く。

 

「それが私たちの判断を変える」

 

 桜は自分の右手を見た。

 

 小さな手。

 

 赤い令呪。

 

 戦うための力ではなく、戦場で自分の状態を伝えるための言葉。

 

 桜はゆっくり頷いた。

 

「……分かりました」

 

「雁夜」

 

 ヒッポリュテが呼ぶ。

 

「桜を守れ」

 

「言われなくても」

 

「虫が来たら、すぐ叫べ。自分でどうにかしようとするな」

 

 雁夜の顔が歪む。

 

 だが、反論はしなかった。

 

「分かった」

 

 ペンテシレイアが槍を握る。

 

「私と姉上は供給線へ行く」

 

「そうだ」

 

「桜が呼んだら」

 

「戻れ」

 

「姉上は?」

 

「必要なら一人で動く」

 

 ペンテシレイアの眉が跳ねた。

 

「姉上」

 

「……戻る」

 

「最初からそう言え」

 

 ヒッポリュテは少しだけ目を逸らした。

 

「慣れていない」

 

「知っている」

 

 二人は川沿いへ向かって走り出した。

 

 正面では、すでにセイバーとランサー、ライダーが動いている。

 

 怪物の触手が振るわれ、川面が爆ぜる。

 

 槍が走る。

 

 見えない剣が受ける。

 

 戦車が雷を纏って突っ込む。

 

 派手な戦場。

 

 名乗る者たちの戦場。

 

 その裏を、ヒッポリュテとペンテシレイアは走る。

 

 影から影へ。

 

 水路の縁。

 

 橋脚の裏。

 

 瓦礫の影。

 

 怪物から伸びる黒い魔力線を追う。

 

 川の中に溶け込むように走っている供給経路。

 

 それは血管に似ていた。

 

 切れば、再生が鈍る。

 

 塞げば、怪物は大火力に耐えられなくなる。

 

「右だ」

 

 ヒッポリュテが言う。

 

「見えている」

 

 ペンテシレイアが先行する。

 

 迫る小型の異形を一撃で砕く。

 

 ヒッポリュテはその横を抜け、魔力線の核へ手を伸ばした。

 

 斧は出さない。

 

 まだだ。

 

 今は拳で足りる。

 

 神代の出力を一瞬だけ通し、魔術核を握り潰す。

 

 黒い水が跳ねる。

 

 怪物が遠くでわずかに身をよじった。

 

「効いている」

 

「なら全部潰す」

 

「暴れるな。線だけを狙え」

 

「面倒だ」

 

「守る戦いは面倒なものだ」

 

 ペンテシレイアが笑う。

 

 苛立ち混じりの笑みだった。

 

「姉上らしい」

 

「褒めているのか」

 

「半分は」

 

 次の供給線へ向かう。

 

 正面ではライダーの声が響いた。

 

 ランサーが怪物の触手を弾き、セイバーが一瞬の隙を作る。

 

 だが、斬ったそばから肉が戻る。

 

 やはり再生が速い。

 

 まだ供給が多すぎる。

 

 ヒッポリュテは歯を食いしばった。

 

「急ぐぞ」

 

「ようやくそういう言葉が出た」

 

 ペンテシレイアが前へ出る。

 

 その瞬間、怪物の一部がこちらへ反応した。

 

 触手が川面から伸びる。

 

 ペンテシレイアが受ける。

 

 重い。

 

 だが、押し返す。

 

「姉上!」

 

「分かっている」

 

 ヒッポリュテは触手の影を抜け、川辺に刻まれた術式へ手を入れた。

 

 熱い。

 

 キャスターの魔力が指を焼く。

 

 だが、掴む。

 

 潰す。

 

 魔力線が切れた。

 

 怪物の再生が、ほんのわずかに遅れる。

 

 遠くのセイバーが、それに気づいたように顔を上げた。

 

     ◇

 

 切嗣は遠方からその動きを見ていた。

 

 正面戦力ではない。

 

 横合いからの奇襲でもない。

 

 供給線。

 

 再生経路。

 

 怪物の機能そのものを削っている。

 

「やはり、退路と供給線を狙うか」

 

 舞弥が問う。

 

「妨害しますか」

 

「いや」

 

 切嗣はスコープ越しに、ヒッポリュテの動きを追う。

 

「利用する」

 

 正面でセイバーたちが怪物を抑える。

 

 裏でヒッポリュテたちが再生を削る。

 

 その結果、決定打を撃てる状況が整うなら。

 

 今は邪魔をする理由がない。

 

 ただし。

 

「見失うな」

 

「了解」

 

「あの女がどこまでやれるか、確認する」

 

     ◇

 

 桜は遠くから見ていた。

 

 正面の戦いは眩しすぎる。

 

 怖すぎる。

 

 川の怪物が動くたび、胸が詰まる。

 

 令呪が熱い。

 

 ペンテシレイアの気配が遠くでぶつかっているのが分かる。

 

 ヒッポリュテの気配は、もっと分かりにくい。

 

 でも、そこにいる。

 

 怪物を倒すためではなく、誰かが倒せるように道を作っている。

 

「怖いかい」

 

 雁夜が聞く。

 

 桜は頷いた。

 

「怖いです」

 

 そして、令呪を押さえたまま続けた。

 

「でも、見ています」

 

 雁夜は何も言えなかった。

 

 ただ、桜の前に立つ。

 

 たとえ何も防げなくても。

 

 それでも、立つ。

 

     ◇

 

 怪物が咆哮した。

 

 耳ではなく、腹に響く音だった。

 

 川面が大きく割れ、黒い触手が正面のサーヴァントたちへ降り注ぐ。

 

 セイバーが受ける。

 

 ランサーが弾く。

 

 ライダーが戦車で突っ込む。

 

 それでも怪物は崩れない。

 

 再生が続く。

 

 だが、先ほどより遅い。

 

 確かに遅くなっている。

 

 ヒッポリュテはそれを見て、息を吐いた。

 

「まだ足りない」

 

 ペンテシレイアが横に立つ。

 

「次はどこだ」

 

「あの橋脚の下」

 

「遠いな」

 

「行けるか」

 

「誰に聞いている」

 

 ペンテシレイアが笑う。

 

 その笑みは戦士のものだった。

 

 ヒッポリュテは頷く。

 

「道を開く」

 

 遠く、騎士王が剣を構えている。

 

 まだ光は放たれていない。

 

 だが、その気配はある。

 

 あれが決定打になる。

 

 ならば、自分たちはそこまで繋ぐ。

 

「決めるのは、あの騎士王だ」

 

 ヒッポリュテとペンテシレイアは、未遠川の影を駆けた。

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