神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

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15話 名乗らない女王

 

 

 未遠川の水面を、黒い血管のようなものが走っていた。

 

 水ではない。

 

 魔力だった。

 

 キャスターが生み出した巨大な異形へ流れ込み、そのたびに怪物の肉が膨らみ、裂けた場所が塞がり、切り落とされたはずの触手が再び川面から伸び上がる。

 

 正面では、騎士たちが戦っている。

 

 見えない剣が水飛沫を裂く。

 

 赤い槍が黒い触手を弾く。

 

 雷を纏った戦車が、濁った肉の塊へ突っ込む。

 

 その一つ一つは、確かに強力だった。

 

 だが、怪物は止まらない。

 

 斬られても戻る。

 

 砕かれても膨らむ。

 

 潰されても、水の奥からまた這い上がる。

 

 ならば、斬る場所が違う。

 

「次はどこだ」

 

 ペンテシレイアが低く問う。

 

 息は乱れていない。

 

 だが、纏う魔力は荒い。

 

 前へ出たがっている。

 

 正面の戦場へ飛び込みたがっている。

 

 それでも今は、こちらの指示を待っていた。

 

 ヒッポリュテは川面を睨む。

 

 水の下にある黒い筋。

 

 魔力の流れ。

 

 その先にある核。

 

「水面下、橋脚の影」

 

「敵は」

 

「お前が引け」

 

 ペンテシレイアの口元が、わずかに上がった。

 

「ようやく分かってきたな」

 

「最初から分かっている」

 

「なら、もっと早く任せろ」

 

 返事はしなかった。

 

 代わりに、ヒッポリュテは走った。

 

 川沿いの影を抜ける。

 

 瓦礫を踏み、崩れた護岸を蹴り、橋脚の下へ滑り込む。

 

 黒い水が跳ねた。

 

 そこから、小型の異形が何体も這い出してくる。

 

 ペンテシレイアが前に出た。

 

 槍が走る。

 

 一体目を砕く。

 

 二体目を蹴り飛ばす。

 

 三体目がヒッポリュテの負傷した腕側へ回ろうとした瞬間、ペンテシレイアが身を入れて潰した。

 

「右が甘い」

 

「分かっている」

 

「分かっているだけだ」

 

「言うな」

 

「言う」

 

 短いやり取り。

 

 けれど、足は止まらない。

 

 ペンテシレイアが敵を引きつける。

 

 ヒッポリュテが、その隙に魔力線へ手を伸ばす。

 

 黒い水の中に手を入れると、焼けるような痛みが走った。

 

 キャスターの術式が絡みつく。

 

 拒む。

 

 引きずり込もうとする。

 

 ヒッポリュテは指を食い込ませた。

 

 掴む。

 

 潰す。

 

 黒い筋が一つ、ぶつりと途切れた。

 

 遠くで怪物が身をよじる。

 

 正面の戦場で、ランサーが一瞬だけ顔を上げた。

 

「再生が鈍った……?」

 

 その声は、風に混じってこちらまでは届かない。

 

 だが、動きで分かる。

 

 気づいた。

 

 セイバーもまた、怪物の傷が戻る速度の変化に反応していた。

 

 ライダーは豪快に笑っている。

 

 こちらの姿は見えていない。

 

 だが、裏で何かが起きていることには気づいている。

 

 それでいい。

 

 名を告げる必要はない。

 

 見られる必要もない。

 

 ただ、道を作ればいい。

 

「次」

 

 ペンテシレイアが言う。

 

 ヒッポリュテは息を吐き、橋脚の奥を見た。

 

 黒い筋はまだある。

 

 細いものを断っても、大元が残っている。

 

 怪物の下へ流れ込む太い供給線。

 

 その中心核。

 

 そこを潰さなければ、決定打には届かない。

 

「奥だ」

 

「近いのか」

 

「近い。だが、濃い」

 

「なら私が砕く」

 

「待て」

 

 ペンテシレイアは、すでに踏み出していた。

 

 川岸の下。

 

 崩れかけた排水口の奥に、黒い魔術核が見える。

 

 肉の膜と術式が絡み合い、周囲を異形が守っている。

 

 ペンテシレイアが槍を振るった。

 

 異形を二体まとめて砕く。

 

 その勢いのまま、魔術核へ突き込む。

 

 だが、弾かれた。

 

 鈍い音。

 

 槍の穂先が黒い膜に阻まれ、火花のような魔力が散る。

 

「硬い」

 

 ペンテシレイアが眉を寄せる。

 

「なら、もう一度――」

 

「無駄だ」

 

 ヒッポリュテは近づく。

 

 核を見る。

 

 幾重にも重ねられた術式。

 

 ただ硬いだけではない。

 

 力を受け流している。

 

 殴れば逃げる。

 

 突けばずれる。

 

 斬ろうとすれば、周囲の水と肉へ力を逃がす。

 

 普通の攻撃では壊せない。

 

 ペンテシレイアも、それに気づいた。

 

 そして、ヒッポリュテを見た。

 

「出すな」

 

 声が低い。

 

 何を、とは言わなかった。

 

 それでも分かる。

 

 斧だ。

 

 神代の斧。

 

 キャスターの巣を断ち割ったもの。

 

 だが、あれを呼ぶには代償がいる。

 

 今の身体は、まだその代償を払い切っていない。

 

「必要だ」

 

「出すな」

 

「これを断たなければ、正面が保たない」

 

「また消えるつもりか」

 

 言葉が、刃のように入った。

 

 ヒッポリュテの手が止まる。

 

 ペンテシレイアの瞳には怒りがあった。

 

 同時に、恐怖もあった。

 

 あの日、手を離した瞬間から続いている恐怖。

 

 姉がまた、どこかへ消えるのではないかという恐怖。

 

「消えない」

 

「信用できない」

 

「なら止めろ」

 

 ペンテシレイアが息を止める。

 

 ヒッポリュテは、まっすぐ妹を見た。

 

「今度は、お前が止めるんだろう」

 

 その言葉に、ペンテシレイアは黙った。

 

 少し前。

 

 あの薄暗い隠れ家で、ペンテは怒っていた。

 

 守るためと言って、自分だけを削る姉が嫌だと。

 

 また消えそうになるなら、止めると。

 

 ならば、今は一人で背負うのではない。

 

 止める役目を渡す。

 

 戻す役目を渡す。

 

 ヒッポリュテは右手を伸ばした。

 

 そこに武器はない。

 

 だが、かつてそこにはあった。

 

 神代の空。

 

 重い風。

 

 血の匂い。

 

 砂を踏む足裏の感触。

 

 王として振るった重み。

 

 思い出すのではない。

 

 引きずり出す。

 

 現代の薄い夜へ、神代の質量を無理やり重ねる。

 

 川の音が遠ざかった。

 

 未遠川の黒い水面が、ふいに遠くなる。

 

 代わりに見える。

 

 乾いた大地。

 

 眩しすぎる太陽。

 

 幼い声。

 

 小さな手。

 

「姉上」

 

 声がした。

 

「置いていかないで」

 

 足が止まった。

 

 握っていたはずの手が、空白になる。

 

 伸ばされた手。

 

 届かなかった指先。

 

 泣きそうな顔。

 

 自分が置いてきた妹。

 

 違う。

 

 置いてきたわけではない。

 

 弾かれた。

 

 戻れなかった。

 

 けれど、その違いは残された側には届かない。

 

 胸が冷える。

 

 視界が神代に引きずられる。

 

 現代の夜が薄れていく。

 

 斧の重みが、手に戻る。

 

 同時に、身体が軋む。

 

 腕の傷が裂ける。

 

 血が落ちる。

 

「姉上!」

 

 遠くで声がする。

 

 だが、過去の声と混ざる。

 

 どちらが今だ。

 

 どちらが昔だ。

 

 分からない。

 

 次の瞬間、ペンテシレイアの怒号が叩きつけられた。

 

「今を見るな!」

 

 鋭い声。

 

 戦場を裂く声。

 

「私を見ろ!」

 

 ヒッポリュテは息を吸った。

 

 目の前にいた。

 

 幼い妹ではない。

 

 手を伸ばして泣いていた少女ではない。

 

 怒りを纏い、槍を握り、こちらを睨みつける戦士。

 

 ペンテシレイア。

 

 今ここにいる妹。

 

 置いていかれた子ではなく、並んで戦う者。

 

「……ああ」

 

 ヒッポリュテは斧を握り直した。

 

「見ている」

 

「なら立て」

 

「立っている」

 

「嘘だ。少し揺れた」

 

「細かいな」

 

「姉上が雑だからだ」

 

 ペンテシレイアの声が、現代へ引き戻してくれる。

 

 ヒッポリュテは斧を構えた。

 

 重い。

 

 前よりも重い。

 

 現代の夜が、この武器を拒んでいる。

 

 身体も限界を訴えている。

 

 それでも、まだ一撃ならいける。

 

     ◇

 

 離れた建物の影で、桜は右手を押さえていた。

 

 熱い。

 

 痛い。

 

 ただ熱いだけではない。

 

 何かが遠くで軋んでいる。

 

 ヒッポリュテの気配が揺れている。

 

 ペンテシレイアの魔力も荒れている。

 

 令呪の奥で、二人が遠くへ行きかけているような感覚があった。

 

「桜ちゃん」

 

 雁夜が膝をつく。

 

「大丈夫かい」

 

 大丈夫です、と言いかけて、桜は唇を噛んだ。

 

 言わない。

 

 大丈夫じゃない時に大丈夫と言うなと、言われた。

 

「……怖いです」

 

 桜は言った。

 

「熱いです」

 

「そうか」

 

 雁夜は苦しそうに顔を歪める。

 

 それでも、否定しなかった。

 

「言えてる。大丈夫じゃなくても、言えてる」

 

 桜は令呪を見る。

 

 赤い線が、薄く光っている。

 

「私がお願いしたら、また誰かが痛い思いをするんですか」

 

 雁夜は答えに詰まった。

 

 答えられるはずがない。

 

 けれど、逃げなかった。

 

「桜ちゃんが悪いわけじゃない」

 

「でも」

 

「でも、言わなきゃ伝わらない時もある」

 

 雁夜の声はかすれていた。

 

「俺は……言えなかったことが、たくさんある」

 

 桜が顔を上げる。

 

 雁夜は笑おうとして、失敗したような顔をした。

 

「だから、言っていい。命令じゃなくていい。お願いでも、怖いでも、帰ってきてでも」

 

 桜は右手を胸に寄せた。

 

 令呪が熱い。

 

 怖い。

 

 でも、言わなければ届かない。

 

 桜は目を閉じる。

 

 そして、震える声で言った。

 

「二人とも」

 

 赤い光が、指の隙間から漏れる。

 

「帰ってきてください」

 

 命令ではなかった。

 

 戦えでもない。

 

 勝てでもない。

 

 倒せでもない。

 

 ただ、帰ってきて。

 

 それだけの願いだった。

 

 けれど、令呪は応えた。

 

 赤い光が走る。

 

 未遠川の夜を越え、ペンテシレイアへ届く。

 

 そして、ヒッポリュテへも。

 

     ◇

 

 光が届いた瞬間、斧の重みが少しだけ安定した。

 

 ペンテシレイアの魔力も整う。

 

 ヒッポリュテは目を見開いた。

 

「桜か」

 

 ペンテシレイアが呟く。

 

「帰ってこい、だと」

 

「そうか」

 

 ヒッポリュテは短く笑いそうになった。

 

 けれど、すぐに表情を引き締める。

 

「なら、帰らないとな」

 

「当然だ」

 

 ペンテシレイアが前に出る。

 

 魔術核を守る異形が、黒い水の中から一斉に伸び上がった。

 

 ペンテシレイアが受ける。

 

 槍を横に払い、触手をまとめて押さえ込む。

 

 押し切れない。

 

 敵の数が多い。

 

 だが、ペンテシレイアは退かない。

 

「行け!」

 

 ヒッポリュテは踏み込んだ。

 

 斧を振り上げる。

 

 腕の傷が裂ける。

 

 血が川辺に落ちる。

 

 神代の空が、また視界の端に混ざる。

 

 だが今度は、呑まれない。

 

 今を見る。

 

 ペンテシレイアを見る。

 

 桜の願いを聞く。

 

 帰る。

 

 そのために振るう。

 

 斧が振り下ろされた。

 

 黒い魔術核に刃が触れる。

 

 硬い。

 

 術式が力を逃がそうとする。

 

 水へ。

 

 肉へ。

 

 川へ。

 

 だが、逃がさない。

 

 斧の刃が、神代の重みを持って食い込む。

 

 ペンテシレイアが異形を押さえ込む。

 

 ヒッポリュテは歯を食いしばった。

 

「断つ」

 

 刃が沈む。

 

 魔術核が悲鳴のような音を立てる。

 

 黒い線が裂ける。

 

 川面を走っていた魔力の血管が、一瞬で途切れた。

 

 未遠川の怪物が、大きく身を反らす。

 

 咆哮。

 

 水が爆ぜる。

 

 再生が止まったわけではない。

 

 だが、明らかに鈍った。

 

 傷の戻りが遅い。

 

 肉が盛り上がる速度が落ちる。

 

 正面の戦場が変わる。

 

     ◇

 

 ランサーが叫んだ。

 

「再生が落ちた!」

 

 セイバーの目が鋭くなる。

 

 今まで斬っても戻っていた傷が、戻りきらない。

 

 怪物の巨体に、わずかな隙が生まれている。

 

「今なら――」

 

 ライダーが豪快に笑った。

 

「誰かは知らんが、見事だ!」

 

 戦車が雷を纏って怪物へ突っ込む。

 

 ランサーが触手を弾く。

 

 セイバーが剣を構える。

 

 その剣に、光が集まり始める。

 

     ◇

 

 高所から、金色のアーチャーが目を細めた。

 

 川辺の影。

 

 一瞬だけ立ち上がった神代の気配。

 

 斧。

 

 現代には重すぎる神秘。

 

「ほう」

 

 退屈そうだった瞳に、わずかな興味が宿る。

 

「隠れて振るうには惜しい神秘だ」

 

 彼はまだ動かない。

 

 だが、もう忘れない。

 

 その程度には、今の一撃は目に留まった。

 

     ◇

 

 斧が霧のようにほどけた。

 

 重みが消える。

 

 同時に、ヒッポリュテの膝が落ちかける。

 

 ペンテシレイアが支えた。

 

 今回は怒鳴らない。

 

 ただ、低く言う。

 

「帰るぞ」

 

「まだ終わっていない」

 

「終わらせるのは、あちらだ」

 

 ペンテシレイアは正面の戦場を見た。

 

 セイバーが剣を構えている。

 

 怪物の再生は鈍っている。

 

 ランサーとライダーが道を作っている。

 

 そこに、光が集まっている。

 

 ヒッポリュテは息を整える。

 

 腕が痛む。

 

 視界が揺れる。

 

 だが、倒れるわけにはいかない。

 

 帰ってきてください。

 

 桜がそう言った。

 

 なら、帰る。

 

 ヒッポリュテは、遠くの騎士王を見る。

 

 剣に光が集まっている。

 

 水面を白く染め、黒い怪物の影を押し返す光。

 

 あれは、自分の斧とは違うものだった。

 

 自分が断ったのは、そこへ届くための道だ。

 

 その先を進むのは、あの王でいい。

 

「道は開いた」

 

 ヒッポリュテは言う。

 

 ペンテシレイアが、支える腕に力を込めた。

 

「なら、帰るぞ」

 

「ああ」

 

 二人は未遠川の影から離れる。

 

 背後で、騎士王の剣に集まる光が、夜を白く染め始めていた。

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