神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

18 / 44
16話 光の後

 

 

 夜が、白く染まり始めていた。

 

 未遠川の上で、騎士王の剣に光が集まっている。

 

 それは炎ではなかった。

 

 雷でもない。

 

 もっと澄んだもの。

 

 黒く濁った川面を押し返し、怪物の影を薄くしていくような、まっすぐな光だった。

 

 桜は、建物の影からそれを見ていた。

 

 怖い。

 

 怖くないはずがない。

 

 巨大な怪物が川から立ち上がり、街の灯りを呑み込もうとしている。触手が橋脚を叩き、川の水が黒く泡立ち、空気そのものが腐った魔力で重くなっている。

 

 その中心に、光があった。

 

 壊すための光。

 

 それなのに、桜には、その光が夜を少しだけ遠ざけているように見えた。

 

「桜ちゃん、下がって」

 

 雁夜が前に立つ。

 

 桜は右手を押さえたまま、小さく首を振った。

 

「見ます」

 

 声は震えていた。

 

 でも、目を閉じなかった。

 

 令呪の奥で、ペンテシレイアの気配が戻ってくるのを感じる。

 

 そのそばに、もう一つ。

 

 ヒッポリュテの気配。

 

 揺れている。

 

 弱っている。

 

 でも、まだ消えていない。

 

 だから、桜は見ていた。

 

 帰ってきてください。

 

 自分がそう言ったから。

 

 言ってしまったから。

 

 その願いの先を、見届けなければならない気がした。

 

     ◇

 

 川面では、セイバーが剣を構えていた。

 

 ランサーが触手を弾く。

 

 ライダーの戦車が雷を纏い、怪物の注意を引き剥がす。

 

 怪物の再生は、明らかに遅くなっていた。

 

 先ほどまでなら、斬られたそばから肉が盛り上がっていた。潰された触手が、次の瞬間には水底から新しく伸びていた。

 

 今は違う。

 

 傷が残る。

 

 裂け目が塞がりきらない。

 

 濁った魔力の流れが途切れ、巨大な身体のあちこちで歪みが生まれている。

 

 ヒッポリュテが断った道。

 

 ペンテシレイアが抑えた異形。

 

 桜の願いで繋ぎ止められた一瞬。

 

 それらが、正面の戦場へ届いていた。

 

「今なら――!」

 

 セイバーの声が、夜を裂く。

 

 集まった光が、剣の輪郭を露わにしていく。

 

 目に見えなかった刃が、今だけは確かな形を持ったように見えた。

 

 怪物が咆哮する。

 

 川が震える。

 

 黒い触手が一斉に騎士王へ向かった。

 

 ランサーが走る。

 

 槍が赤い線を描き、触手を弾き飛ばす。

 

「行け、セイバー!」

 

 ライダーの戦車が雷鳴を響かせ、怪物の巨体へ突っ込む。

 

 黒い肉が砕ける。

 

 水が跳ねる。

 

 その隙間を、光が貫いた。

 

 夜が割れた。

 

 白い奔流が未遠川を走り、黒い水面を裂き、巨大な異形を正面から呑み込んでいく。

 

 怪物の輪郭が崩れる。

 

 肉の塊がほどけ、触手が焼け落ち、魔力で作られた身体が内側から光に押し潰されていく。

 

 その中心で、キャスターは笑っていた。

 

 ジル・ド・レェは、消えゆく怪物の奥で、光を見上げていた。

 

 その目には、もはや未遠川も、サーヴァントたちも映っていないようだった。

 

「おお……」

 

 かすれた声。

 

 歓喜とも、懺悔ともつかない響き。

 

 彼は何かを見ていた。

 

 光の向こう。

 

 自分だけの祈りの中にいる誰かを。

 

「ようやく……」

 

 言葉は光に呑まれていく。

 

 それでも、最後の一瞬、ジルの視線がわずかに川岸の影へ向いた。

 

 ヒッポリュテがいた場所。

 

 ペンテシレイアが支えている場所。

 

「奇跡よ」

 

 声が届いたのか。

 

 届かなかったのか。

 

 ヒッポリュテにも分からなかった。

 

「あなたの祈りも、いつか罅割れる」

 

 それは呪いだったのか。

 

 予言だったのか。

 

 ただの狂人の戯言だったのか。

 

 答えは出ない。

 

 次の瞬間、光がすべてを呑み込んだ。

 

     ◇

 

 未遠川から、怪物の影が消えていく。

 

 黒かった水面に、夜の色が戻り始める。

 

 だが、完全には戻らない。

 

 川にはまだ濁った匂いが残っている。砕けた護岸、歪んだ橋脚、魔力の残滓。消し飛ばされた怪物の痕は、確かにそこにあった。

 

 勝利はあった。

 

 けれど、何もかも綺麗になったわけではない。

 

 セイバーは剣を下ろし、静かに息を吐いた。

 

 その顔には疲労がある。

 

 だが、それ以上に、疑問があった。

 

 怪物の再生は、途中で急激に鈍った。

 

 ただの消耗ではない。

 

 誰かが裏で供給を断った。

 

 自分たちの攻撃が届くように、見えない場所で道を作った者がいる。

 

「誰かが……」

 

 セイバーは、川岸の影へ目を向ける。

 

「道を開いた……?」

 

 ランサーもまた、槍を下ろしていた。

 

 その視線は怪物の消えた場所ではなく、川沿いの暗がりへ向いている。

 

「姿を見せぬまま、戦場を支えた者がいるか」

 

 それは侮りではなかった。

 

 騎士としての敬意に近い。

 

 正面で名を名乗る戦いもあれば、影で道を作る戦いもある。

 

 ランサーは、それを理解していた。

 

 ライダーは豪快に笑った。

 

「はっはっは! 影に隠れて働く王もいたか!」

 

「王? どこに!?」

 

 ウェイバーが慌てて周囲を見る。

 

 ライダーは答えない。

 

 ただ、川岸の暗がりへ目を細める。

 

「戦場の流れを変える者は、兵ではない。少なくとも、ただの兵ではないわ」

 

     ◇

 

 高所で、金色のサーヴァントは退屈そうにしていた。

 

 怪物が消えたことに、深い感慨はない。

 

 騎士王の光にも、感心はしていない。

 

 だが、川岸に残った神代の匂いだけは、まだ鼻についた。

 

「あの神代の残り香」

 

 金色の瞳が細くなる。

 

「やはり雑種のものではないな」

 

 時臣は控えたまま、深く頭を下げた。

 

「調査を続けます」

 

「好きにしろ」

 

 金色のサーヴァントは杯を揺らす。

 

「だが、我の前で隠れ続けられると思うなら、不敬だ」

 

     ◇

 

 衛宮切嗣は、スコープ越しに光の消えた川を見ていた。

 

 セイバーの一撃。

 

 キャスターの消滅。

 

 討伐令は達成された。

 

 だが、切嗣が見ていたのは、それだけではない。

 

 川岸の影で動いていた二つの気配。

 

 正体不明の女と、バーサーカー。

 

 彼女たちは怪物の正面には立たなかった。

 

 名乗らなかった。

 

 セイバーの光を奪わなかった。

 

 ただ供給線を断ち、再生を鈍らせ、決定打が届く状況を作った。

 

 その動きは、偶然ではない。

 

 判断だ。

 

 戦場を見て、役割を選び、もっとも効果のある場所を潰した。

 

「接触する」

 

 切嗣は言った。

 

 舞弥が隣でわずかに視線を動かす。

 

「今ですか」

 

「今だ」

 

 切嗣はスコープを下ろす。

 

「キャスターが消えた。各陣営の意識が一度切れる。移動するなら、この直後だ」

 

「排除ではなく?」

 

「まずは確認する」

 

 切嗣の声に温度はない。

 

 だが、決めていた。

 

 あの女は放置できない。

 

 桜も同様だ。

 

 未登録のマスター。

 

 不安定なバーサーカー。

 

 神代の武装を扱う、サーヴァントではない何か。

 

 敵か。

 

 駒か。

 

 交渉相手か。

 

 それを見極める必要があった。

 

     ◇

 

 ヒッポリュテは、川岸の影から離れようとしていた。

 

 足元が少し沈む。

 

 斧の反動がまだ身体の奥に残っている。

 

 腕の傷は開いていた。

 

 布は赤く染まり、指先には感覚が薄い。

 

 それでも立っている。

 

 立っていなければ、帰れない。

 

 ペンテシレイアが横から支えていた。

 

「歩けるか」

 

「歩く」

 

「聞いていない」

 

「……少し、支えろ」

 

 ペンテシレイアは一瞬だけ黙った。

 

 それから、ふんと鼻を鳴らす。

 

「最初からそう言え」

 

「慣れていない」

 

「知っている」

 

 支える腕に力が入る。

 

 強すぎるくらいだった。

 

 だが、今はそれでよかった。

 

 ヒッポリュテは、光の消えた未遠川を一度だけ振り返った。

 

 怪物はいない。

 

 キャスターの気配も消えている。

 

 それでも、耳の奥にはまだ声が残っていた。

 

 あなたの祈りも、いつか罅割れる。

 

 ヒッポリュテは目を伏せる。

 

 罅割れるかもしれない。

 

 守りたいものは増える。

 

 守れないものも出る。

 

 選ぶたびに、誰かを傷つけるかもしれない。

 

 だが。

 

 今は、帰る。

 

 桜が待っている。

 

 ペンテシレイアが隣にいる。

 

 なら、まず帰る。

 

「行くぞ」

 

「ああ」

 

 二人は川辺を離れた。

 

     ◇

 

 桜は、建物の影で待っていた。

 

 光は消えた。

 

 怪物も消えた。

 

 それなのに、胸の鼓動はまだ速い。

 

 令呪の熱は少しずつ引いている。

 

 ペンテシレイアの気配が近づいてくる。

 

 ヒッポリュテの気配も。

 

 弱い。

 

 でも、近づいてくる。

 

 桜は両手を握った。

 

 雁夜が横に立っている。

 

「桜ちゃん、無理しなくていい」

 

「……はい」

 

 返事をしながら、桜は前を見ていた。

 

 暗がりの奥から、二つの影が戻ってくる。

 

 ペンテシレイアがヒッポリュテを支えている。

 

 ヒッポリュテの腕には血が滲んでいた。

 

 顔色も悪い。

 

 それでも、歩いている。

 

 戻ってきた。

 

 桜は小さく息を吸った。

 

 何を言えばいいのか、分からなかった。

 

 大丈夫ですか。

 

 怪我は。

 

 怖かったです。

 

 たくさん言葉は浮かんだ。

 

 でも、最初に出たのは違う言葉だった。

 

「おかえりなさい」

 

 ヒッポリュテの足が止まった。

 

 ペンテシレイアも、わずかに動きを止める。

 

 雁夜も、桜を見た。

 

 その言葉は、ただの挨拶だった。

 

 けれど、この場では違った。

 

 帰ってきてください。

 

 桜はそう願った。

 

 そして二人は帰ってきた。

 

 だから、桜は言った。

 

 おかえりなさい、と。

 

 ヒッポリュテは、しばらく答えなかった。

 

 その目に、ほんの一瞬だけ遠いものが揺れた。

 

 帰る。

 

 その言葉が、どこか遠い時代の奥から戻ってきたような顔だった。

 

 やがて、ヒッポリュテは小さく息を吐いた。

 

「……ただいま」

 

 桜の目が揺れる。

 

 涙は落ちなかった。

 

 でも、今にも溢れそうだった。

 

 ペンテシレイアは顔を逸らした。

 

 その横顔は不機嫌そうだったが、怒ってはいなかった。

 

「次に消えそうになったら、殴ってでも止める」

 

 ペンテシレイアが言う。

 

 ヒッポリュテは少しだけ口元を緩めた。

 

「頼む」

 

「頼むな。怒りづらい」

 

「では、怒れ」

 

「もう怒っている」

 

「そうか」

 

「そうだ」

 

 短いやり取りだった。

 

 だが、桜はそれを見て、少しだけ息を吐いた。

 

 雁夜は複雑な顔をしていた。

 

 桜がヒッポリュテたちに向けた「おかえり」という言葉。

 

 それは雁夜にとって、少し痛かった。

 

 自分が守りたかった。

 

 自分が帰る場所を作りたかった。

 

 それでも、桜が誰かを待ち、帰ってきたことを喜べるなら。

 

 その事実だけは、否定できなかった。

 

 雁夜は視線を落とす。

 

「……とにかく、ここを離れよう」

 

 声は苦かった。

 

 だが、敵意だけではなかった。

 

 ヒッポリュテは頷いた。

 

「ああ」

 

 その瞬間。

 

 空気が変わった。

 

 キャスターの濁った魔力ではない。

 

 もっと乾いた気配。

 

 視線。

 

 意図的に整えられた包囲。

 

 ヒッポリュテは桜の前に半歩出た。

 

 ペンテシレイアが即座に槍を構える。

 

 雁夜も桜を庇う。

 

 建物の影から、一人の女が現れた。

 

 黒い服。

 

 無駄のない動き。

 

 手には銃。

 

 魔術師というより、兵士に近い気配だった。

 

「動かないでください」

 

 冷たい声。

 

 ペンテシレイアの魔力が跳ねる。

 

「殺すか」

 

「待て」

 

 ヒッポリュテが止める。

 

 女の銃口は真っ直ぐこちらへ向いている。

 

 だが、撃つためだけの距離ではない。

 

 時間を稼ぐ距離。

 

 誰かの視線が、さらに遠くからこちらを見ている。

 

 ヒッポリュテは理解した。

 

 来たか。

 

 このタイミングで。

 

 女は表情を変えずに言う。

 

「話があるそうです」

 

 桜が息を呑む。

 

 雁夜が顔を歪める。

 

 ペンテシレイアは今にも踏み込みそうだった。

 

 その時、女が持つ通信機から、男の声が聞こえた。

 

 低く、平坦で、感情を削った声。

 

『君たちは、何者だ』

 

 ヒッポリュテは、その声の主を知っている。

 

 だが、名は口にしなかった。

 

 今、それを口に出せば、余計なものまで引き寄せる。

 

 だから彼女は、ただ桜を背に庇い、血の滲む腕を下ろしたまま、静かに前を見た。

 

 キャスターは消えた。

 

 だが、夜はまだ終わっていなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。