神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

19 / 44
17話 銃口の先

 

 

 銃口は、怪物の牙より静かだった。

 

 黒い川の匂いは、まだ夜に残っている。

 

 未遠川の上で膨れ上がっていた異形は消え、騎士王の光もすでに薄れていた。だが、勝利の余韻など、どこにもない。

 

 あるのは、冷えた空気。

 

 濡れた路面。

 

 血の滲んだ腕。

 

 そして、こちらをまっすぐ狙う黒い銃口。

 

 ヒッポリュテは桜を背に庇った。

 

 半歩。

 

 それだけ動くだけで、腕の傷が熱を持つ。

 

 だが、下がらない。

 

 下がれば、桜が前に出る。

 

 ペンテシレイアの気配が跳ねた。

 

 彼女の両腕に、黒い手甲が現れる。

 

 金属とも骨ともつかない質感。

 

 指先から伸びた鉤爪が、夜気を裂いた。

 

 今まで握っていた槍はない。

 

 距離が近い。

 

 ならば、長柄は要らない。

 

 切り裂き、抉り、喉を掴むには、その爪で十分だった。

 

「近い」

 

 ペンテシレイアが低く言う。

 

「殺すには十分だ」

 

 黒衣の女は、表情を変えなかった。

 

 銃口も下がらない。

 

 その立ち方は、魔術師のものではなかった。

 

 戦士でもない。

 

 兵士。

 

 もっと乾いた、目的だけを残した身体の使い方。

 

 ヒッポリュテは、その女よりも遠くにある視線を感じていた。

 

 別の場所。

 

 別の高さ。

 

 こちらを測る目。

 

 銃を向けているのは目の前の女だが、問うているのは別の男だ。

 

 通信機から、低い声が落ちる。

 

『君たちは、何者だ』

 

 雁夜が桜を庇うように腕を広げた。

 

 桜はヒッポリュテの服を掴んでいる。

 

 震えている。

 

 それでも、泣いてはいない。

 

 ヒッポリュテは通信機の方を見た。

 

 声の主を知っている。

 

 知っているからこそ、口には出さない。

 

 ここで名を呼べば、こちらの手札を一つ明かすことになる。

 

「先に銃を向けた者が、名を問うのか」

 

 通信機の向こうで、わずかな沈黙があった。

 

『名乗る価値がある相手か、まだ判断していない』

 

「ならば、こちらも同じだ」

 

 女の指は引き金にかかったままだ。

 

 ほんのわずかでも桜へ銃口が流れれば、ペンテシレイアは動くだろう。

 

 そして、ペンテが動けば女は撃つ。

 

 撃てば、ヒッポリュテも動く。

 

 その一瞬で、場は壊れる。

 

「銃口が桜へ向いた」

 

 ペンテシレイアが言う。

 

「まだ撃っていない」

 

「撃ってからでは遅い」

 

『正しい判断だ』

 

 通信機の声が、淡々と割り込んだ。

 

 評価。

 

 それ以外の温度がない。

 

 ペンテシレイアの殺気が濃くなる。

 

「評価したか、今」

 

 女の銃口が、わずかに動く。

 

 ペンテシレイアの鉤爪が鳴った。

 

 ヒッポリュテは、痛む腕を上げて制する。

 

「動くな」

 

「姉上」

 

「まだだ」

 

「また待つのか」

 

「桜がいる」

 

 その一言で、ペンテシレイアは止まった。

 

 だが、鉤爪は収めない。

 

 黒い手甲の先が、銃口と同じだけの殺意を返している。

 

 その張り詰めた空気の中で、桜が小さく息を吸った。

 

「撃たないでください」

 

 震えた声だった。

 

 けれど、確かに届いた。

 

 女の目が、わずかに桜へ向く。

 

 ペンテシレイアも一瞬だけ止まる。

 

 桜は両手でヒッポリュテの服を掴んだまま、続けた。

 

「誰も、撃たないでください」

 

 それは目の前の女へ向けた言葉だった。

 

 同時に、ペンテシレイアへ向けた言葉でもあった。

 

 自分を守るために、誰かが殺し合う。

 

 その気配を、桜はもう知っている。

 

 知ってしまっている。

 

 だから止めた。

 

 怖いのに。

 

 声が震えているのに。

 

 それでも、止めた。

 

 通信機の向こうの沈黙が、わずかに深くなる。

 

 遠くの視線が、桜へ向いたのが分かった。

 

 測っている。

 

 桜がこの場を止めたことを。

 

 ペンテシレイアが桜の声で止まることを。

 

 ヒッポリュテが桜を中心に動くことを。

 

 この男は、そこを見ている。

 

『その子供は、マスターか』

 

「桜ちゃんを道具みたいに見るな!」

 

 雁夜が怒鳴った。

 

 声が掠れている。

 

 それでも怒りだけははっきりしていた。

 

 通信機の声は揺れない。

 

『令呪を持っている以上、他陣営はそう見る』

 

 桜の手が動く。

 

 右手を隠そうとした。

 

 ヒッポリュテは、その前に一歩出た。

 

 桜の小さな動きが見えなくなるように。

 

「なら、こちらが先に見る目を選ぶ」

 

『見る目?』

 

「駒として見るか。守るべき子として見るか。交渉の札として見るか。戦場は勝手に数える。なら、こちらは勝手に選ぶ」

 

 言いながら、ヒッポリュテは自分の声が思ったより冷えていることに気づいた。

 

 怒りではない。

 

 怒りよりも先に、判断が出ていた。

 

 桜がマスターとして見られる現実は否定できない。

 

 なら、その現実の中で、誰より先に桜の扱いを決めなければならない。

 

 奪われる前に。

 

 定義される前に。

 

 利用される前に。

 

『保護するとは言わない』

 

 通信機の声が言った。

 

『だが、取引ならできる』

 

 雁夜が歯を食いしばる。

 

「取引だと……?」

 

『君たちの現在位置は、すでに複数の陣営に知られている。間桐、遠坂、監督役、他のマスター。今夜の動きで、さらに目立った』

 

 正しい。

 

 腹立たしいほどに。

 

『その子供は令呪を持っている。バーサーカーと接続している。さらに、君は神代級の武装を使った』

 

 ヒッポリュテは沈黙した。

 

 ペンテシレイアの鉤爪が、また小さく鳴る。

 

『このまま動けば、狙われる。隠れても追われる。君たちには休む場所も、医療品も、情報網も足りない』

 

「それで?」

 

『こちらは一時的な隠れ場所、医療品、食料、情報を提供できる』

 

「代わりに、何を求める」

 

『君たちの目的と戦力を知りたい』

 

 女の銃口は、まだ下がらない。

 

 取引。

 

 そう言いながら、場の主導権を握るための圧は残している。

 

 助けるためではない。

 

 測るため。

 

 使えるか。

 

 危険か。

 

 殺すべきか。

 

 通信機の向こうの男は、それを見極めようとしている。

 

「取引なんかするな」

 

 雁夜が低く言った。

 

「こいつらは桜ちゃんを利用する気だ」

 

「利用する気があるから、条件が読める」

 

 ヒッポリュテは答える。

 

 雁夜がこちらを見る。

 

「何だと?」

 

「善意だけの相手より、まだ扱いやすい」

 

「お前……!」

 

「善意を疑わなくていい相手など、この戦場にはいない」

 

 雁夜は言葉を失った。

 

 桜も、少しだけヒッポリュテを見る。

 

 その視線に戸惑いがあった。

 

 優しいだけではない。

 

 守ると言いながら、冷たい言葉も選ぶ。

 

 それがヒッポリュテだった。

 

 ペンテシレイアは、黒い手甲をつけたまま女を睨んでいる。

 

 ヒッポリュテはその腕を一瞥した。

 

「槍は?」

 

「近い」

 

 ペンテシレイアは短く答える。

 

「こちらの方が速い」

 

「そうか」

 

「喉を裂くなら、爪で足りる」

 

 女は反応しない。

 

 だが、わずかに重心が変わった。

 

 ペンテシレイアの間合いを測り直したのだろう。

 

 通信機の向こうの男も、同じことをしているはずだった。

 

 ヒッポリュテは言う。

 

「桜に銃口を向けた時点で、話の値は下がった」

 

『だろうね』

 

「それでも、聞くだけは聞く」

 

 即答はしない。

 

 信用はしない。

 

 だが、拒絶もしない。

 

 ヒッポリュテの腕は限界に近い。

 

 ペンテシレイアも消耗している。

 

 桜は立っているだけで疲れている。

 

 雁夜も、いつ倒れてもおかしくない。

 

 余裕がない。

 

 その事実から目を逸らせば、守るものを失う。

 

「桜」

 

 ヒッポリュテは振り返った。

 

 桜が顔を上げる。

 

「聞いたな」

 

「……はい」

 

「嫌なら断る」

 

 雁夜が息を呑んだ。

 

 ペンテシレイアも、わずかにこちらを見る。

 

 通信機の向こうも黙った。

 

 桜は驚いたような顔をしていた。

 

 自分に聞かれると思っていなかった顔だ。

 

 ヒッポリュテは続ける。

 

「怖いなら怖いと言え。行きたくないなら行きたくないと言え」

 

 桜は黒衣の女を見る。

 

 銃を見る。

 

 通信機を見る。

 

 雁夜を見る。

 

 ペンテシレイアを見る。

 

 そして、ヒッポリュテの腕を見た。

 

 赤く濡れた布。

 

 傷口。

 

 隠しきれない疲労。

 

 桜は小さく唇を噛む。

 

「怖いです」

 

「ああ」

 

「でも……」

 

 声が震える。

 

 それでも、桜は言葉を選んだ。

 

「休める場所が、あるなら……行きたいです」

 

 大丈夫です、ではなかった。

 

 我慢します、でもなかった。

 

 行きたい。

 

 自分の必要を、初めて小さく差し出した声だった。

 

 ヒッポリュテは頷いた。

 

「なら、聞く」

 

 通信機の向こうで、男が短く言った。

 

『場所を変えよう』

 

 女は銃口を下げなかった。

 

 ペンテシレイアも鉤爪を収めなかった。

 

 休戦ですらない。

 

 ただ、撃たずに歩く時間が与えられただけだ。

 

 女が横へ動く。

 

 進む方向を示す。

 

「こちらへ」

 

 雁夜が桜を庇う位置を保つ。

 

 桜はヒッポリュテの服を掴んだまま歩き出した。

 

 ペンテシレイアは最後尾につく。

 

 黒い手甲はそのまま。

 

 女の背中を、いつでも裂ける距離で見ている。

 

 ヒッポリュテは、通信機から届く気配を追った。

 

 声の主は、まだ姿を見せない。

 

 こちらの消耗を見ている。

 

 ペンテシレイアの反応を見ている。

 

 桜の選択を見ている。

 

 雁夜の怒りも、すべて測っている。

 

 怪物は、目の前に出てきた。

 

 人間は、姿を隠したまま手を伸ばす。

 

 厄介なのは、どちらか。

 

 答えはまだ出ない。

 

 しばらく歩いたところで、通信機から再び声がした。

 

『一つ確認しておく』

 

 ヒッポリュテは足を止めない。

 

『君たちは、聖杯を求めているのか』

 

 桜の手が服を強く掴む。

 

 雁夜が顔を上げる。

 

 ペンテシレイアの鉤爪が、静かに鳴った。

 

 聖杯。

 

 この戦争の中心。

 

 多くの者が求め、殺し合い、願いを託す器。

 

 ヒッポリュテにとって、それは目的ではない。

 

 だが、無関係ではいられない。

 

 桜が数えられた。

 

 ペンテシレイアが繋がれた。

 

 自分も、この時代に立っている。

 

 なら、求めずとも巻き込まれる。

 

 奪う者がいるなら、抗うしかない。

 

「求めてはいない」

 

 ヒッポリュテは言った。

 

「だが、奪われるなら壊す」

 

 通信機の向こうで、沈黙が落ちた。

 

 女の足が、一瞬だけ止まりかける。

 

 ペンテシレイアは笑わなかった。

 

 雁夜も何も言わない。

 

 桜だけが、ヒッポリュテの服を掴んだまま、息を殺していた。

 

 未遠川の怪物は消えた。

 

 だが、冬木の夜から殺意が消えたわけではなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。