神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

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18話 取引

 

 

 案内された場所は、古い倉庫だった。

 

 港から少し離れた区画。

 

 外壁は剥がれ、看板は錆び、入り口のシャッターは半分だけ上がっている。人の気配はない。だが、完全に捨てられた場所でもなかった。

 

 足跡がある。

 

 つい最近、人が出入りした跡。

 

 入口から奥までの導線は短い。

 

 だが、左右に逃げ道がある。

 

 外へ抜ける裏口もある。

 

 上階には窓。

 

 狙撃に向いた高さ。

 

 物陰は多いが、隠れられる場所は限られている。

 

 ヒッポリュテは、倉庫の中へ足を踏み入れながら、周囲を見た。

 

「良い場所だな」

 

 前を歩く黒衣の女は答えない。

 

 ヒッポリュテは続けた。

 

「逃げるにも、殺すにも」

 

 女の足が一瞬だけ止まりかけた。

 

 だが、振り返らない。

 

 ペンテシレイアは最後尾にいた。

 

 両腕には、黒い手甲。

 

 指先から伸びた鉤爪は、まだ消えていない。

 

 彼女は先導する女の背中を見ている。

 

 距離は近すぎない。

 

 だが、踏み込めば届く。

 

 殺意を隠す気もない位置取りだった。

 

 桜は、ヒッポリュテの服を掴んでいる。

 

 小さな指に力が入っていた。

 

 未遠川の光を見た後だというのに、息は落ち着いていない。

 

 銃口を向けられた恐怖が、まだ身体に残っているのだろう。

 

 雁夜は桜の横に立っていた。

 

 顔色は悪い。

 

 それでも、桜と黒衣の女の間に身体を入れようとしている。

 

 守れるかどうかではない。

 

 守ろうとしている。

 

 倉庫の奥には、簡素な机が置かれていた。

 

 椅子が数脚。

 

 金属製のケース。

 

 水。

 

 携帯食料。

 

 包帯。

 

 薬品。

 

 どれも整っている。

 

 整いすぎている。

 

 優しさではない。

 

 取引材料として並べられたものだ。

 

 ヒッポリュテは、すぐには近づかなかった。

 

 ペンテシレイアも同じだった。

 

 鉤爪の先で、水の容器を軽く引っかける。

 

 外装を裂き、中身を確認する。

 

 舞弥の目が、わずかに細くなった。

 

「器用だな」

 

 ヒッポリュテが言う。

 

 ペンテシレイアは容器から視線を離さずに答えた。

 

「近いものを裂くなら爪がいい」

 

 鉤爪が、薄い容器の表面をなぞる。

 

「群れを払うなら鎖。斬るなら双剣。槍は、投げる時と距離を取る時だ」

 

 桜が小さく瞬いた。

 

「武器、たくさんあるんですか」

 

 ペンテシレイアは桜を見る。

 

 ほんの少しだけ、声が柔らかくなった。

 

「手に馴染むものを使うだけだ」

 

「……すごいです」

 

「すごいことではない。生きるために必要だった」

 

 桜はそれ以上聞かなかった。

 

 ペンテシレイアも、それ以上言わなかった。

 

 ヒッポリュテは机に置かれた医療品を見た。

 

 欲しい。

 

 それは事実だった。

 

 腕は熱を持っている。

 

 斧を呼び出した反動は、まだ身体の奥で軋んでいた。

 

 桜も休ませたい。

 

 雁夜も限界だ。

 

 だが、差し出されたものにすぐ手を伸ばすほど、鈍くはなれない。

 

 倉庫の片隅に置かれた機器から、声が響いた。

 

『座って構わない』

 

「顔を見せない相手と取引する趣味はない」

 

 ヒッポリュテは立ったまま返した。

 

『顔を見せる価値があるか、まだ判断していない』

 

「なら、こちらも答える価値を選ぶ」

 

 短い沈黙。

 

 通信機の向こうにいる男は、感情を見せない。

 

 怒りもしない。

 

 焦りもしない。

 

 ただ測っている。

 

『まず確認する。桜は、なぜマスターになった』

 

 雁夜が反応しかける。

 

 ヒッポリュテが視線だけで止めた。

 

「巻き込まれた」

 

『偶然か』

 

「結果としてはな」

 

『君が関与している』

 

「ああ」

 

『認めるんだね』

 

「認めたところで、桜を渡す理由にはならない」

 

 通信機の奥で、紙をめくるような微かな音がした。

 

『あのサーヴァントは、バーサーカーで間違いないのか』

 

「桜と繋がっている」

 

『質問に答えていない』

 

「答える価値を選ぶと言った」

 

 ペンテシレイアの鉤爪が、机の端を軽く叩いた。

 

 金属音が響く。

 

『真名は』

 

「答えない」

 

『制御はできているのか』

 

 ヒッポリュテは、少しだけペンテシレイアを見た。

 

 ペンテシレイアは不快そうに目を細める。

 

 制御。

 

 その言葉が、気に入らないのだろう。

 

 ヒッポリュテも同じだった。

 

 ペンテシレイアは桜の駒ではない。

 

 桜もまた、ペンテを縛るための器ではない。

 

 だが、切嗣が知りたいのはそこだ。

 

 命令が通るか。

 

 暴走するか。

 

 桜を守るか。

 

 それだけだ。

 

「桜を傷つけることはない」

 

『それは制御の保証ではない』

 

「こちらが出す答えとしては十分だ」

 

『では、君は何だ』

 

「桜とペンテを守る者だ」

 

『それも分類ではない』

 

「今はそれで十分だ」

 

 通信機の向こうが沈黙する。

 

 怒りではない。

 

 情報を整理している沈黙だった。

 

『キャスター討伐を裏から支援した理由は?』

 

「放置すれば桜が狙われる。子どもが狙われる。街も巻き込まれる。十分だろう」

 

『聖杯を求めていないと言った』

 

「ああ」

 

『なら、なぜ戦場に残る』

 

「桜が数えられた」

 

 ヒッポリュテは、桜の右手を見た。

 

 桜は反射的に手を胸元へ寄せる。

 

 今度は隠さなかった。

 

 ただ、押さえた。

 

「ペンテは桜と繋がっている。間桐には渡さない。遠坂にも、他の陣営にも、勝手に扱わせない」

 

『間桐から桜を奪った理由は』

 

 雁夜の息が荒くなる。

 

 ヒッポリュテは短く答えた。

 

「渡せば壊れると思った」

 

『君の判断で?』

 

「そうだ」

 

『その判断で、桜は聖杯戦争に巻き込まれた』

 

 空気が冷えた。

 

 雁夜が拳を握る。

 

 ペンテシレイアの鉤爪が、ぎり、と音を立てた。

 

 桜は俯いた。

 

 ヒッポリュテは、少しだけ目を伏せた。

 

「そうだ」

 

 否定できない。

 

 しない。

 

 そこから逃げれば、桜を見られなくなる。

 

「桜ちゃんはマスターなんかじゃない」

 

 雁夜が言った。

 

 声が震えている。

 

「戦いたくてそこにいるんじゃない」

 

『戦いたくて戦場にいる者の方が少ない』

 

 通信機の声は冷たかった。

 

 雁夜が言葉を失う。

 

 ヒッポリュテも、一瞬だけ黙った。

 

 その言葉は、正しかった。

 

 桜は望んでいない。

 

 雁夜も望んでいない。

 

 ペンテシレイアも、本来ならこの時代に呼ばれるはずではなかった。

 

 自分も、望んでここに立ったわけではない。

 

 それでも、戦場にいる。

 

 願望と現実は、別のものだ。

 

『君が桜を守る限り、桜は狙われ続ける』

 

 声が続く。

 

『君が離れれば、交渉の余地が生まれる』

 

 瞬間。

 

 鎖が鳴った。

 

 ペンテシレイアの鉤爪が消えたわけではない。

 

 その手元に、重い鎖が現れた。

 

 棘付きの鉄球が、夜の倉庫の中でゆっくりと揺れる。

 

 黒く、鈍く、禍々しい質量。

 

 近くを裂く爪とは違う。

 

 距離を潰し、群れを砕き、隠れている者の気配ごと叩き潰すための武器。

 

 舞弥が即座に銃を構え直した。

 

 雁夜が桜を庇う。

 

 桜が息を呑む。

 

「もう一度言え」

 

 ペンテシレイアの声は、低かった。

 

 感情を抑えている。

 

 だからこそ危険だった。

 

 ヒッポリュテは一歩だけ横へ動いた。

 

 ペンテシレイアと舞弥の射線の間。

 

 無理に止めれば、余計に爆ぜる。

 

 だから、言葉を選ぶ。

 

「守る者を減らせば狙われない、という考えは嫌いではない」

 

 ペンテシレイアがこちらを見る。

 

 雁夜も、信じられないような顔をした。

 

 ヒッポリュテは続ける。

 

「だが、それを桜に押しつける気はない」

 

 通信機の向こうが沈黙する。

 

「桜を安全にするために、桜から奪う。そういう手は、もう見飽きた」

 

 間桐。

 

 遠坂。

 

 魔術師。

 

 家。

 

 血筋。

 

 才能。

 

 器。

 

 桜から何かを奪う時、大人たちはいつも理由を用意する。

 

 未来のため。

 

 家のため。

 

 才能のため。

 

 安全のため。

 

 そんなものは、もうたくさんだった。

 

 桜が、小さく口を開いた。

 

「私は……」

 

 声が細い。

 

 だが、消えなかった。

 

「置いていかれるのは、嫌です」

 

 誰もすぐには返さなかった。

 

 桜は右手を押さえる。

 

「戦いたいわけじゃないです。怖いです。でも、知らないまま、どこかに置いていかれるのは……嫌です」

 

 ペンテシレイアの鎖が、少しだけ揺れを止めた。

 

 雁夜は苦しそうに顔を歪める。

 

 舞弥は無表情のままだったが、銃口は動かない。

 

 通信機の声は、しばらく何も言わなかった。

 

 やがて、低く告げる。

 

『条件を提示する』

 

「聞こう」

 

『一時的な隠れ場所。医療品。食料。簡易的な結界。他陣営の動向情報。間桐と遠坂の監視情報の一部を提供する』

 

「代わりは」

 

『セイバー陣営への敵対行動を取らないこと。桜を使って他陣営と交渉しないこと。大規模戦闘で市街地被害を拡大させないよう動くこと。必要に応じて情報交換に応じること』

 

「戦力の詳細は」

 

『知りたい』

 

「拒否する」

 

 即答だった。

 

 通信機の向こうで、わずかに息を吐く音がした。

 

『理由は』

 

「こちらの刃の数を数えたいなら、自分で見ろ」

 

 ペンテシレイアの口元が、わずかに上がった。

 

 桜はその意味がよく分からない顔をしている。

 

 雁夜は疲れたように目を伏せた。

 

『では、最低限でいい。目的は』

 

「桜を間桐に戻さない。ペンテを利用させない。聖杯は求めない。奪われるなら壊す」

 

『君自身の正体は』

 

「今は出さない」

 

『交渉相手として、不十分だ』

 

「顔も出さない相手に言われる筋合いはない」

 

 また沈黙。

 

 今度の沈黙は、少し長かった。

 

 ヒッポリュテは桜を見る。

 

「桜」

 

 桜が顔を上げる。

 

「聞いたな」

 

「……はい」

 

「この男は信用できない」

 

 舞弥の銃口が、ほんの少しだけ揺れた。

 

 ヒッポリュテは構わず続ける。

 

「だが、休める場所はある。水も、薬も、情報もある。行くか」

 

 桜は怖がっていた。

 

 それは分かる。

 

 銃を構える女。

 

 姿を見せない男。

 

 取引。

 

 条件。

 

 どれも桜には重すぎる。

 

 けれど桜は、ヒッポリュテの腕を見た。

 

 ペンテシレイアの魔力の揺らぎを感じたのだろう。

 

 雁夜の顔色も見た。

 

 そして、自分の右手を見た。

 

「休みたいです」

 

 小さな声。

 

「みんなに、休んでほしいです」

 

 ヒッポリュテは頷いた。

 

「なら、取引する」

 

『成立、と見ていいのかな』

 

「まだだ」

 

 ヒッポリュテは通信機を見る。

 

「顔を見せろ」

 

 倉庫の奥。

 

 暗がりの中で、気配が動いた。

 

 それまで遠くにあった視線が、近くなる。

 

 舞弥は銃を下げない。

 

 ペンテシレイアの鎖鉄球も、まだ重く揺れている。

 

 やがて、暗がりから男が現れた。

 

 黒いコート。

 

 疲れた目。

 

 感情を削ぎ落としたような顔。

 

 銃は見えない。

 

 だが、殺意はある。

 

 武器を持っていないように見せているだけで、いつでも殺せる位置にいる。

 

 男は、ヒッポリュテたちから一定の距離を保って立った。

 

「衛宮切嗣だ」

 

 その名が倉庫に落ちる。

 

 ヒッポリュテは、その名を知っていた。

 

 だが、初めて聞いたように受け止める。

 

「ヒッポリュテ」

 

 それだけ言った。

 

 王号も、由来も、神代の話も出さない。

 

 ペンテシレイアがわずかにこちらを見る。

 

 桜は静かにその名を聞いていた。

 

 切嗣の目が、ほんの少しだけ動く。

 

「神話の名か」

 

「今は、それで十分だ」

 

「そうか」

 

 切嗣はそれ以上踏み込まなかった。

 

 踏み込まない代わりに、覚えた。

 

 そういう目だった。

 

「協力ではない」

 

 切嗣が言う。

 

「一時休戦だ」

 

 ヒッポリュテは頷く。

 

「信用ではない。条件だ」

 

 ペンテシレイアは鎖鉄球を収めない。

 

 舞弥も銃を下ろさない。

 

 雁夜は苦々しい顔で桜のそばに立っている。

 

 桜は疲れ切っていた。

 

 それでも、今にも倒れそうな足で立っている。

 

 ヒッポリュテは、桜の頭に軽く手を置いた。

 

「休むぞ」

 

 桜は小さく頷いた。

 

「はい」

 

 切嗣は舞弥へ視線を向ける。

 

「案内してくれ」

 

「はい」

 

 倉庫の奥にある扉が開く。

 

 別の車両。

 

 別の移動経路。

 

 用意されていたものだ。

 

 ヒッポリュテは桜を連れて歩き出す。

 

 ペンテシレイアは最後尾についた。

 

 雁夜は無言でついてくる。

 

 切嗣は少し離れて歩いた。

 

 近づきすぎない。

 

 離れすぎない。

 

 互いにいつでも動ける距離。

 

 倉庫を出ると、未遠川の湿った匂いは薄れていた。

 

 夜はまだ暗い。

 

 だが、今度の足取りは、逃げるためだけのものではなかった。

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