神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

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22話 王は何を守る

 

 

 凛の声は、まだ窓の外に残っているようだった。

 

 また来るから。

 

 絶対、また来るから。

 

 桜は、閉じたカーテンを見つめていた。

 

 もう凛の姿はない。

 

 路地に残っていた虫の気配も、ペンテシレイアが確認した限りでは遠ざかっている。

 

 それでも、胸の奥がずっとざわついていた。

 

 会えた。

 

 でも、話せなかった。

 

 声を出せた。

 

 でも、それだけだった。

 

 凛は泣きそうな顔をしていた。

 

 怒っているようにも見えた。

 

 自分に向かって走って来ようとしていた。

 

 それが嬉しかった。

 

 嬉しかったのに、足が動かなかった。

 

 窓から飛び出して、抱きつくことができなかった。

 

 そのことが、桜の中で小さな棘になって残っている。

 

「会いたいなら、会いたいと思っていい」

 

 横から声がした。

 

 ヒッポリュテだった。

 

 桜は振り向く。

 

 彼女は壁に背を預けて座っていた。

 

 腕には新しい包帯が巻かれている。

 

 顔色はまだ良くない。

 

 けれど、その目は桜をまっすぐ見ていた。

 

「でも……危ないです」

 

「危ないな」

 

「お姉ちゃんが、また来たら……また虫が来るかもしれません。遠坂の人も、来るかもしれません」

 

「ああ」

 

「だったら、会いたいって思わない方がいいのかなって」

 

 桜の声は小さかった。

 

 自分の気持ちまで、誰かを危なくするような気がしていた。

 

 ヒッポリュテは少しだけ黙った後、言った。

 

「危ないから会いたくない、とは限らない」

 

 桜は目を伏せる。

 

「分からないです」

 

「今は、それでいい」

 

 いつもなら、分からないことは怖かった。

 

 答えられないことは悪いことのように感じた。

 

 でも、ヒッポリュテは答えを急がせない。

 

 それが少しだけ、桜の息を楽にした。

 

 窓辺にいたペンテシレイアが、低く言う。

 

「あの姉は火種だ」

 

 桜の肩がぴくりと揺れた。

 

 ペンテシレイアは続ける。

 

「本人に悪意がなくとも、来れば遠坂も動く。間桐も動く。あの銃を持つ女たちも動く。桜の周りに敵が増える」

 

 桜は俯いた。

 

 反論できなかった。

 

 ペンテシレイアの言葉は冷たい。

 

 けれど、間違ってはいない。

 

 ヒッポリュテが静かに言う。

 

「火種でも、桜にとっては姉だ」

 

 ペンテシレイアは口を閉じた。

 

 姉。

 

 その言葉だけは、軽く扱えない。

 

 彼女自身が、その言葉の重さをよく知っている。

 

 しばらくして、ペンテシレイアは窓の外を見たまま言った。

 

「次に来るなら、周りを全部殺してから通す」

 

「殺すな」

 

「邪魔なら斬る」

 

「斬るな」

 

「では折る」

 

「それも駄目だ」

 

 桜は小さく瞬きをした。

 

 少しだけ、口元が緩みかける。

 

 ペンテシレイアはそれに気づいたのか、ふいと顔を背けた。

 

「笑うところではない」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「謝るな」

 

 いつもの言葉。

 

 でも、その響きは少しだけ柔らかかった。

 

 その時、通信機が鳴った。

 

 部屋の空気がすぐに硬くなる。

 

 ペンテシレイアの視線が鋭くなり、雁夜が目を覚ます。

 

 ヒッポリュテは桜の前に半歩出た。

 

 通信機から聞こえたのは、あの男の声だった。

 

『セイバーが君に会いたがっている』

 

 ヒッポリュテはわずかに眉を動かした。

 

 剣のサーヴァント。

 

 未遠川で光を放った者。

 

 キャスターの怪物を消し飛ばした王。

 

 その姿も、名も、ヒッポリュテは知っている。

 

 だが、口には出さない。

 

「剣の王か」

 

『そう見ているなら、話は早い』

 

「そちらの指示か」

 

『彼女の希望だ』

 

 通信機の向こうの声は淡々としていた。

 

『僕としては不要だと考えている』

 

「なら、なぜ繋いだ」

 

『止めても別の形で動く可能性がある。条件を決めた方が管理しやすい』

 

 ペンテシレイアが鼻を鳴らした。

 

「不愉快な男だ」

 

「否定はしない」

 

 ヒッポリュテは桜を見た。

 

 桜は驚いたように自分を指差す。

 

「私、ですか」

 

「ああ」

 

「どうして……」

 

「ここはお前が休む場所だ。怖い相手を勝手に近づけない」

 

 桜は言葉を失った。

 

 自分に聞かれると思っていなかったのだろう。

 

 未遠川の光を思い出しているのか、桜は胸元で右手を握った。

 

「あの、光の人ですよね」

 

「そうだ」

 

「怖かったです」

 

 桜は正直に言った。

 

 それから、少しだけ迷う。

 

「でも……少し、見てみたいです」

 

 ヒッポリュテは頷いた。

 

「分かった」

 

 ペンテシレイアが即座に言う。

 

「私も行く」

 

「桜を頼む」

 

「また私を置いていくのか」

 

「任せている」

 

 ペンテシレイアの目が細くなる。

 

 怒りとは違う。

 

 不満と、納得しきれない何かが混ざった目だった。

 

 桜はペンテシレイアを見上げる。

 

「お願いします」

 

 その声で、ペンテシレイアは黙った。

 

 しばらくして、短く答える。

 

「任された」

 

     ◇

 

 小さな公園だった。

 

 昼間なら子どもたちが遊ぶ場所なのかもしれない。

 

 錆びたブランコ。

 

 古びた滑り台。

 

 葉の落ちた木。

 

 ベンチが二つ。

 

 だが今は、人の気配はない。

 

 風が砂を撫でる音だけがある。

 

 ヒッポリュテは一人でそこへ向かった。

 

 完全な無防備ではない。

 

 近くには切嗣の視線がある。

 

 さらに別の場所には舞弥の気配。

 

 そして、遠く隠れ家ではペンテシレイアが桜を守っている。

 

 どこかで繋がっているような感覚がある。

 

 桜が怖がれば、ペンテシレイアが動く。

 

 ペンテシレイアが動けば、ヒッポリュテにも届く。

 

 もう、完全に一人ではなかった。

 

 公園の中央に、セイバーが立っていた。

 

 隣には白い女。

 

 アイリスフィール。

 

 こちらも知っている名だ。

 

 だが、ヒッポリュテは名を呼ばない。

 

 セイバーは真っ直ぐにこちらを見ていた。

 

 姿勢に乱れがない。

 

 剣は抜いていない。

 

 だが、いつでも戦える。

 

 それでいて、最初に向けられたのは敵意ではなかった。

 

 礼だった。

 

「未遠川では助力を受けました」

 

 セイバーはそう言った。

 

 ヒッポリュテは少しだけ首を傾ける。

 

「倒したのはお前だ」

 

「ですが、道を開いた者がいました」

 

 セイバーの声は静かだった。

 

「怪物の再生が鈍った瞬間を、私は感じました。あれがなければ、私の剣は届かなかったかもしれない」

 

「届いた」

 

「それでも、礼を言います」

 

 律儀な女だ。

 

 ヒッポリュテはそう思った。

 

 騎士として。

 

 王として。

 

 あまりにも真っ直ぐ立っている。

 

 その真っ直ぐさは、眩しい。

 

 そして少し、危うい。

 

「ヒッポリュテ」

 

 ヒッポリュテは短く名乗った。

 

 セイバーは一瞬だけその響きを受け止める。

 

 表情は大きく変わらない。

 

 しかし、何かを理解した目だった。

 

「セイバーです」

 

 それ以上は名乗らない。

 

 互いに、出さないものがある。

 

 それでいい。

 

 アイリスフィールが穏やかに微笑む。

 

「私はアイリスフィール。今日は、セイバーの付き添いよ」

 

「付き添いにしては、目が強い」

 

「あら、そう?」

 

 アイリは少しだけ楽しそうに目を細めた。

 

 柔らかい。

 

 だが、弱くはない。

 

 ヒッポリュテはベンチには座らなかった。

 

 セイバーも立ったままだ。

 

 王同士が、公園の砂の上で向き合っている。

 

 妙な光景だった。

 

 けれど、今の冬木では、それくらいの歪みは珍しくない。

 

「あなたは、王だったのですか」

 

 セイバーが問う。

 

 ヒッポリュテは少しだけ沈黙した。

 

 風が木の枝を揺らす。

 

「そう呼ばれていた」

 

「なら、なぜ一人の少女のためにそこまで戦うのです」

 

 問いは責めではなかった。

 

 純粋な疑問。

 

 だからこそ、重かった。

 

 セイバーにとって王とは、多くを背負う者なのだろう。

 

 国。

 

 民。

 

 理想。

 

 責務。

 

 そのために己を置いてきた者の問いだった。

 

 ヒッポリュテは答える。

 

「一人を守れない者が、多くを守れるとは思わない」

 

 セイバーの目がわずかに揺れた。

 

 小さな揺れだ。

 

 だが、確かに届いた。

 

「王は、多くを守るために時に一人を切り捨てねばならない」

 

「そうだな」

 

 ヒッポリュテは否定しなかった。

 

 セイバーの表情が少しだけ変わる。

 

「否定しないのですか」

 

「王をしていたなら、それくらい知っている」

 

 ヒッポリュテは静かに言う。

 

「選ぶことも、捨てることも、命じることも、恨まれることもある。すべてを救えるなどと思ったことはない」

 

「ならば」

 

「だが、最初から一人を諦める理由にはならない」

 

 セイバーは黙った。

 

 ヒッポリュテは彼女を見る。

 

 見えない剣を持つサーヴァント。

 

 白銀の鎧。

 

 揺るがない瞳。

 

 あまりにも王として完成されているように見える。

 

 だから、聞いた。

 

「お前は、何を守っている」

 

 セイバーは迷わず答える。

 

「民を。国を。王としての責務を」

 

「その中に、お前自身はいるのか」

 

 空気が止まった。

 

 アイリスフィールが、ほんの少しだけ息を呑む。

 

 セイバーは答えなかった。

 

 すぐに答えられなかった。

 

 その沈黙だけで、十分だった。

 

「王が己を優先すれば、民は迷います」

 

 やがてセイバーは言った。

 

 声は静かだ。

 

 だが、その奥に硬いものがある。

 

「王は理想でなければならない。人々が仰ぎ見る旗でなければならない。己の迷いを晒せば、守るべきものまで揺らぐ」

 

 ヒッポリュテは目を伏せる。

 

「王が己を殺し続ければ、民は何を見て生きる」

 

 セイバーの指がわずかに動いた。

 

 剣の柄を探すような動きではない。

 

 ただ、行き場のない言葉を握りしめたような動きだった。

 

「あなたは、王でありながら、民ではなく一人を見ている」

 

「今はな」

 

「それでよいのですか」

 

「分からない」

 

 ヒッポリュテは即答した。

 

 セイバーが目を見開く。

 

「分からないまま戦うのですか」

 

「ああ」

 

「それは、王としてあまりに不確かです」

 

「そうだな」

 

「……あなたは、先ほどから否定しない」

 

「否定すれば正しくなるのか」

 

 セイバーは言葉を止めた。

 

 アイリが二人を見ている。

 

 優しい目。

 

 それでいて、少し寂しそうな目。

 

 ヒッポリュテはセイバーへ向き直る。

 

「私は今、自分が王なのか分からない。国もない。民もいない。神代にあったものは遠い。ここにいるのは、置き去りにした妹と、戦場に数えられた子どもだけだ」

 

 桜の顔が浮かぶ。

 

 ペンテシレイアの背中が浮かぶ。

 

 眠る雁夜の疲れた顔も。

 

「だから、今見えるものを守る」

 

「王の責務ではなく?」

 

「責務という名をつければ、少しは綺麗に見えるかもしれないな」

 

 ヒッポリュテの声は淡かった。

 

「だが、私はただ、あの子をこれ以上勝手に運ばせたくないだけだ」

 

 セイバーの表情が変わる。

 

 その言葉には、王の理論よりも先にあるものがあった。

 

 怒り。

 

 後悔。

 

 そして、意志。

 

 セイバーは静かに問う。

 

「あの少女は、あなたにとって民なのですか」

 

「違う」

 

「では、家族ですか」

 

 ヒッポリュテは答えかけて、止まった。

 

 家族。

 

 そう呼んでいいのか。

 

 桜は自分の子ではない。

 

 臣下でもない。

 

 民でもない。

 

 妹でもない。

 

 守るべきもの。

 

 帰る場所にいる子。

 

 けれど、その名前を決めるには、まだ怖い。

 

「まだ、名前を決めるには早い」

 

 アイリスフィールがふっと微笑んだ。

 

「でも、帰る場所にはなり始めているのね」

 

 ヒッポリュテは答えなかった。

 

 否定もしなかった。

 

 セイバーはその沈黙を見ていた。

 

 帰る場所。

 

 その言葉が、彼女の胸にも触れたのかもしれない。

 

     ◇

 

 遠くから、切嗣は会話を聞いていた。

 

 音声は途切れがちだが、重要な言葉は拾えている。

 

 一人を守れない者が、多くを守れるとは思わない。

 

 その中に、お前自身はいるのか。

 

 舞弥が隣に立つ。

 

「止めますか」

 

「まだだ」

 

 切嗣の声は低い。

 

 だが、表情は冷えていた。

 

 ヒッポリュテは危険だ。

 

 戦力として危険なのは分かっていた。

 

 神代の武装。

 

 戦場を見る目。

 

 バーサーカーと桜との関係。

 

 だが、それだけではない。

 

 彼女の言葉はセイバーに届く。

 

 セイバーの迷いを深くする可能性がある。

 

 それは、切嗣にとって別種の危険だった。

 

「彼女はセイバーに影響します」

 

 舞弥が言う。

 

「ああ」

 

「排除対象にしますか」

 

「まだ早い」

 

 切嗣は公園の二人を見る。

 

「ただ、近づけすぎるべきではない」

 

     ◇

 

 公園では、風が少し強くなっていた。

 

 セイバーは改めて背筋を伸ばした。

 

「未遠川での助力、感謝します」

 

「礼はいらない」

 

「それでも、私は告げます」

 

 その律儀さに、ヒッポリュテは少しだけ口元を緩めた。

 

「律儀だな」

 

「それが私です」

 

「そうか」

 

 その答えは、少し眩しかった。

 

 自分が何者かをそこまで真っ直ぐに言えること。

 

 それは強さなのか。

 

 呪いなのか。

 

 ヒッポリュテには、まだ分からなかった。

 

 セイバーもまた、何かを考えているようだった。

 

 互いに答えは出ていない。

 

 だが、刃を交えたわけでもないのに、確かに何かが残った。

 

 ヒッポリュテは背を向ける。

 

「もう行く」

 

「また話す機会はありますか」

 

「桜が怖がらなければな」

 

 セイバーは一瞬だけ目を伏せた。

 

「その少女の意思を、あなたは本当に重んじるのですね」

 

「重んじなければ、また奪う側になる」

 

 それだけ言って、ヒッポリュテは公園を後にした。

 

     ◇

 

 隠れ家に戻ると、桜は起きて待っていた。

 

 ペンテシレイアは窓辺にいる。

 

 顔は不機嫌そうだが、桜のそばを離れていない。

 

 桜はヒッポリュテを見ると、少しだけ緊張した顔で聞いた。

 

「怖い人でしたか」

 

 ヒッポリュテは靴を脱ぎながら考えた。

 

 怖い。

 

 強い。

 

 まっすぐ。

 

 律儀。

 

 危うい。

 

 どれも当たっている。

 

「まっすぐな人だった」

 

 桜は首を傾げる。

 

「まっすぐは、怖くないですか」

 

「時々、怖い」

 

 桜は少しだけ目を伏せた。

 

 たぶん、父のことを思い出したのだろう。

 

 正しさ。

 

 まっすぐな言葉。

 

 それが人を救う時もあれば、逃げ場をなくす時もある。

 

 ヒッポリュテは桜の前に座った。

 

「だが、嘘は少なかった」

 

「……そうなんですね」

 

「ああ」

 

 ペンテシレイアが横から言う。

 

「信用するのか」

 

「まだしない」

 

「ならいい」

 

「だが、話す価値はある」

 

「姉上はすぐそうやって面倒を増やす」

 

「否定できないな」

 

 ペンテシレイアは不満そうに鼻を鳴らした。

 

 桜は二人を見て、少しだけ安心したように息を吐いた。

 

     ◇

 

 セイバーは、帰路でも黙っていた。

 

 アイリスフィールは隣を歩きながら、何も急かさない。

 

 しばらくして、セイバーが口を開いた。

 

「一人を守れない者が、多くを守れるとは思わない」

 

 それは、自分の言葉ではない。

 

 だが、胸の奥で何度も響いていた。

 

 アイリスフィールは優しく聞く。

 

「気になる?」

 

「はい」

 

 セイバーは答える。

 

「ですが、認めるには、まだ早い」

 

「どうして?」

 

「私は王でした。多くを守るために、個を選べなかった。選ばなかった。それを今さら否定すれば、私が守ろうとしたものまで揺らぐ」

 

 アイリスフィールは悲しそうに微笑んだ。

 

「揺らいではいけないの?」

 

 セイバーは答えない。

 

 答えられない。

 

 自分の剣を見る。

 

 未遠川を裂いた光。

 

 国を背負った光。

 

 民を救うための光。

 

 その中に、自分自身はいるのか。

 

 問いが残る。

 

 答えはまだない。

 

 ただ、彼女の中で、その問いは消えなかった。

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