神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

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28話 怒りでは守れない

 

 

 新しい退避先は、古い事務所跡だった。

 

 住宅街から離れた、小さな雑居ビルの三階。

 

 階段は狭く、壁にはひびがあり、床には古い埃が薄く積もっている。窓には内側から黒い布が貼られ、外から明かりが漏れないようにされていた。

 

 部屋の中にあるのは、折り畳まれた毛布、水、保存食、簡易の医療品。

 

 前の隠れ家にあったような、かろうじて家と呼べる温度はない。

 

 ただ、逃げるために用意された場所。

 

 隠れるために整えられた箱。

 

 切嗣らしい場所だった。

 

 桜は部屋に入ると、すぐに足を止めた。

 

 視線が床を滑る。

 

 壁の隙間。

 

 机の下。

 

 窓際。

 

 何もいない。

 

 虫はいない。

 

 それでも、確かめずにはいられないのだろう。

 

 ペンテシレイアは真っ先に部屋の四隅を確認した。窓。扉。天井。床。気配を探り、壁を軽く爪で叩き、何もないと分かってから、ようやく桜のそばへ戻る。

 

 雁夜は部屋の入口近くで息を荒げていた。

 

 階段を上るだけでも、今の身体には重すぎたのだろう。額には汗が浮かび、片手で壁を支えている。

 

 ヒッポリュテは最後に扉を閉めた。

 

 鍵をかける。

 

 さらに、切嗣から渡された簡易の防犯具を取りつける。

 

 金属の音が、部屋に小さく響いた。

 

 安全。

 

 そう呼ぶには、あまりに冷たい。

 

 だが、今はここしかなかった。

 

「座れ」

 

 ヒッポリュテが言うと、桜は小さく頷いた。

 

 部屋の隅に敷かれた毛布の上へ座る。

 

 けれど、身体は休む形にならない。

 

 膝を抱え、右手を隠すように胸元へ寄せている。

 

 ペンテシレイアがその隣に立った。

 

 雁夜は壁際へ腰を落とす。

 

 全員が座っても、空気は落ち着かなかった。

 

 前の場所を失った。

 

 その事実が、部屋の中に沈んでいる。

 

 桜がぽつりと言った。

 

「私がいたから……」

 

 小さな声だった。

 

 けれど、ヒッポリュテには聞こえた。

 

 ペンテシレイアも、雁夜も顔を上げる。

 

 桜はさらに身体を小さくした。

 

「私がいたから、虫が来て……また、場所がなくなって……」

 

「違う」

 

 ヒッポリュテはすぐに言った。

 

 声は荒くしない。

 

 だが、曖昧にはしなかった。

 

 桜がびくりと肩を揺らす。

 

 ヒッポリュテは、少しだけ声を落とした。

 

「お前がいるから危険なのではない」

 

 桜は顔を上げない。

 

 ヒッポリュテは続ける。

 

「お前を物のように扱う者がいるから危険なんだ」

 

 部屋が静まる。

 

 その言葉は、桜だけではなく、雁夜にも刺さったようだった。

 

 間桐の家。

 

 遠坂の家。

 

 魔術師の家。

 

 どこも、桜を一人の子どもとして見ていない。

 

 血。

 

 才能。

 

 器。

 

 契約。

 

 そういう言葉で包み、運び、奪おうとする。

 

 危険なのは桜ではない。

 

 桜を奪おうとする者たちだ。

 

 桜は唇を噛んだ。

 

「でも……」

 

「でも、ではない」

 

 ペンテシレイアが言った。

 

 桜がそちらを見る。

 

 ペンテシレイアは腕を組み、壁にもたれている。

 

 顔は険しい。

 

 だが、声は桜を責めていない。

 

「虫が来たのは桜のせいではない。あの声のせいだ」

 

 あの声。

 

 臓硯。

 

 その名前を出さないまま、部屋の温度が下がる。

 

 ペンテシレイアの指がかすかに動いた。

 

 手甲は出していない。

 

 だが、いつでも出せる。

 

「あの声を生かしておく理由がない」

 

 低い声だった。

 

 雁夜が顔を上げる。

 

 同じ怒りが、そこにあった。

 

 いや、雁夜の怒りはもっと濁っていた。

 

 恐怖。

 

 後悔。

 

 自責。

 

 そして、長く染みついた憎悪。

 

「あいつを殺せば終わるだろ」

 

 雁夜が言った。

 

 掠れた声。

 

 しかし、言葉だけは強い。

 

「あの虫爺を殺せば……桜ちゃんはもう追われない。間桐だって、あいつがいなきゃ――」

 

「終わらない」

 

 ヒッポリュテは遮った。

 

 雁夜の目が鋭くなる。

 

「なんでだよ」

 

「終わらないからだ」

 

「殺してもか」

 

「殺してもだ」

 

 雁夜が壁を殴った。

 

 鈍い音がした。

 

 桜の肩が跳ねる。

 

 雁夜はそれに気づき、拳を止めた。

 

 だが、怒りは止まらない。

 

「じゃあ何もしないのかよ!」

 

「違う」

 

 ヒッポリュテは雁夜を見た。

 

「怒りで決めないだけだ」

 

「怒らないでいられるかよ……!」

 

「怒っている」

 

 その返答に、雁夜は言葉を詰まらせた。

 

 ヒッポリュテの声は静かだった。

 

 けれど、その奥にあるものは冷たく燃えていた。

 

「あの声を聞いた時、私も殺しに行きたかった。桜に近づく虫を見た時、あの家ごと砕きたかった」

 

 桜が顔を上げる。

 

 ペンテシレイアも、少しだけ視線を向けた。

 

「だが、怒りで間桐へ向かえば、桜を連れて敵の腹の中へ入ることになる」

 

 雁夜は歯を食いしばる。

 

「俺が行く」

 

「お前一人でか」

 

「……」

 

「戻れば、お前も使われる」

 

 雁夜の顔が歪む。

 

 分かっている。

 

 分かっているからこそ、言われるのが痛い。

 

 ヒッポリュテは続けた。

 

「あの家は、人が死んでも仕組みが残る」

 

 静かな言葉だった。

 

「蟲。術式。土地。血。契約。家の中に積み重なったもの。あの老人一人を殺せば消えるほど、軽いものではない」

 

 雁夜は何も言えなかった。

 

 ペンテシレイアが苛立ったように舌打ちする。

 

「なら、本体も仕組みも全部壊せばいい」

 

「壊し方を知らずに踏み込めば、こちらが呑まれる」

 

「姉上はいつも止める」

 

「桜を連れている」

 

 その一言で、ペンテシレイアは黙った。

 

 桜が、小さく息を呑む。

 

 ペンテシレイアは悔しそうに視線を逸らす。

 

 それは逃げではなかった。

 

 桜を置いていけない。

 

 桜を危険に晒せない。

 

 その事実が、ペンテシレイアの怒りを押さえつけている。

 

 彼女自身が、それを認め始めている。

 

 通信機が鳴った。

 

 部屋の中の全員が反応する。

 

 ヒッポリュテは少しだけ眉を寄せ、通信機を取った。

 

『落ち着いた?』

 

 切嗣の声だった。

 

「落ち着いて見えるか」

 

『見えない』

 

「なら聞くな」

 

 短い沈黙。

 

 切嗣は気にした様子もなく続けた。

 

『前の隠れ家は破棄する。臓硯は桜の位置と、バーサーカーとの接続状態をある程度把握したと見ていい』

 

「見ていたなら、最初からそう言え」

 

『君たちの対応を見る必要があった』

 

 ペンテシレイアの気配が鋭くなる。

 

「殺す」

 

 ヒッポリュテが片手で制した。

 

「今はやめろ」

 

『間桐邸への強襲は勧めない』

 

 切嗣の声は冷たい。

 

『臓硯の本体位置、蟲の配置、邸内の術式構造、どれも不明だ。向こうの領域に入れば、君たちは敵の腹の中に入ることになる』

 

 雁夜が通信機へ向かって言う。

 

「それでも、桜ちゃんを狙われ続けるよりは――」

 

『桜を連れて行くのか』

 

 雁夜の声が止まった。

 

 切嗣は続ける。

 

『置いていくなら、誰が守る。連れて行くなら、誰が逃がす。バーサーカーを突入させれば、その間、桜はどうする。君が守るのか、間桐雁夜』

 

 雁夜は、顔を伏せた。

 

 答えられない。

 

 自分が弱いことを、誰よりも分かっている。

 

 それでも守りたい。

 

 その矛盾が、喉を塞いでいる。

 

 ヒッポリュテは通信機を握り直した。

 

「情報が必要か」

 

『そうだ』

 

「それを取りに行く手段は」

 

『こちらで探る。君たちは動くな』

 

「命令か」

 

『助言だよ。命令にしてもいいけど』

 

「不愉快だな」

 

『お互い様だ』

 

 通信の向こうで、紙をめくる音がした。

 

『臓硯は今日の接触で満足していない。次はもっと深く来る。場所の変更だけでは不十分だ。桜の魔力反応を抑える方法も考える必要がある』

 

 桜が右手を握った。

 

 ヒッポリュテはそれを見て、声を低くする。

 

「桜を道具のように扱う言い方をするな」

 

『事実を話している』

 

「なら、言葉を選べ」

 

 少しの沈黙。

 

『……分かった』

 

 切嗣にしては、珍しく引いた。

 

 ヒッポリュテは続ける。

 

「今は攻めない」

 

 ペンテシレイアがこちらを見る。

 

 雁夜も顔を上げる。

 

 ヒッポリュテは二人に向けて言った。

 

「桜を理由に諦めるんじゃない」

 

 桜の肩が震える。

 

「桜を守るために、順番を選ぶ」

 

 その言葉に、桜は俯いた。

 

 足手まとい。

 

 きっと、そう思いかけていたのだろう。

 

 だが、その言葉は違うと伝えるために出したものだった。

 

 守るために順番を選ぶ。

 

 諦めるのではない。

 

 怒りに任せて走らないだけだ。

 

 ペンテシレイアは唇を噛んだ。

 

「……分かった」

 

 小さな声だった。

 

 だが、確かに引いた。

 

 雁夜も、壁にもたれたまま何も言わなかった。

 

 通信機の向こうで、切嗣が続ける。

 

『しばらくはそこを使って。必要物資は追加で入れる。虫の侵入経路は塞ぐが、完全には信用しない方がいい』

 

「最初から信用していない」

 

『ならいい』

 

 通信が切れた。

 

 部屋に静けさが戻る。

 

 けれど、それは落ち着いた静けさではない。

 

 熱を押し殺した静けさだった。

 

     ◇

 

 しばらくして、ペンテシレイアは桜の前にしゃがんだ。

 

 桜は少し驚いた顔をする。

 

 ペンテシレイアは真剣な目で言った。

 

「次は、虫を見る前に呼べ」

 

「見る前……ですか」

 

「ああ」

 

「でも、見えなかったら……」

 

「嫌だと思ったら呼べ」

 

 桜は目を丸くした。

 

「嫌だと思っただけで……?」

 

「十分だ」

 

 即答だった。

 

 桜は困ったように手元を見る。

 

「でも、間違いだったら」

 

「間違いなら、それでいい」

 

「迷惑じゃ……」

 

「迷惑ではない」

 

 ペンテシレイアの声は少し強くなった。

 

 桜が肩を揺らすと、彼女は少しだけ言葉を整えるように息を吐いた。

 

「虫が来てから呼ぶよりいい。怖くなってから固まるよりいい。嫌だと思ったなら、先に呼べ」

 

 桜は、ゆっくり頷いた。

 

「……はい」

 

「小さくても聞く」

 

 その言葉に、桜の目がわずかに揺れた。

 

 誰かが聞く。

 

 小さな声でも。

 

 理由がはっきりしなくても。

 

 嫌だと思っただけでも。

 

 呼んでいい。

 

 そのことが、桜の中に少しずつ沈んでいく。

 

 ヒッポリュテは黙って二人を見ていた。

 

 ペンテシレイアは不器用だ。

 

 言葉も強い。

 

 けれど、桜に必要なことを、まっすぐ伝えている。

 

 それはきっと、ヒッポリュテだけでは届かない言葉だった。

 

     ◇

 

 雁夜は、いつの間にか部屋の外へ出ようとしていた。

 

 扉の前で、ヒッポリュテが声をかける。

 

「どこへ行く」

 

 雁夜の肩が止まる。

 

「……少し、頭を冷やすだけだ」

 

「一人で行くな」

 

「俺がいても役に立たない」

 

 吐き捨てるような声だった。

 

 雁夜は振り返らない。

 

「虫を見ただけで、身体が動かなくなる。あいつの声を聞いただけで、震える。桜ちゃんを守るって言って、結局、また守られてる」

 

 拳が握られる。

 

「俺は何のために戻ってきたんだよ」

 

 ヒッポリュテは少しだけ黙った。

 

 それから言う。

 

「桜が呼んだ時、お前は立った」

 

 雁夜の背中が揺れる。

 

「何もできてない」

 

「立った」

 

「それだけだ」

 

「それで十分な時もある」

 

 雁夜は黙った。

 

 背中が小さく震えている。

 

 泣いているのか、怒っているのか、分からない。

 

 ヒッポリュテは続けた。

 

「桜が名前を呼んだ。お前は倒れずに立った。それを桜は見ていた」

 

「……そんなの」

 

「そんなの、ではない」

 

 雁夜はゆっくり振り返った。

 

 目の下に濃い影がある。

 

 顔色は悪い。

 

 けれど、先ほどより少しだけ呼吸が整っていた。

 

「俺は……臓硯を殺したい」

 

「知っている」

 

「桜ちゃんをあの家から遠ざけたい」

 

「それも知っている」

 

「でも、怖い」

 

 小さな声だった。

 

 雁夜自身が、それを認めるのに力を使っているようだった。

 

 ヒッポリュテは頷いた。

 

「怖いなら、一人で行くな」

 

 雁夜は何も言わなかった。

 

 しばらくして、扉から手を離す。

 

 そして、部屋の中へ戻った。

 

 桜はその様子を見ていた。

 

 何も言わない。

 

 ただ、少しだけ毛布を握る手の力が緩んだ。

 

     ◇

 

 別の場所。

 

 セイバーは夜の空を見ていた。

 

 冬木の街に、また違う気配が広がっている。

 

 剣で斬れる敵とは違う。

 

 地の底を這い、隙間を伝い、目に見えない場所から人を絡め取るような気配。

 

 不快だった。

 

 アイリスフィールが隣へ来る。

 

「気になるのね」

 

 セイバーは少しだけ頷いた。

 

「はい」

 

 彼女は遠くを見る。

 

 あの女王。

 

 ヒッポリュテ。

 

 一人を守れない者が、多くを守れるとは思わない。

 

 その言葉は、まだセイバーの中に残っている。

 

「彼女は、また誰かを守るために戦うのでしょう」

 

 アイリスフィールは柔らかく聞く。

 

「あなたもそうでしょう?」

 

 セイバーはすぐには答えなかった。

 

 民を守る。

 

 国を守る。

 

 誓いを守る。

 

 それは、これまで迷わなかった言葉だ。

 

 だが、今は少しだけ違う問いとして胸に残る。

 

 誰を守るのか。

 

 何のために守るのか。

 

 その中に、自分自身はいるのか。

 

 セイバーは目を伏せる。

 

「私は、守るために剣を取りました」

 

「ええ」

 

「ですが……守るものの顔を、私はどこまで見ていたのでしょうか」

 

 アイリスフィールは何も言わなかった。

 

 ただ、そばに立っていた。

 

     ◇

 

 さらに別の場所。

 

 ウェイバーは、夜風に身を縮めながらライダーの背中を見ていた。

 

「なあ、もう帰ろうぜ。こんな夜中に何見てるんだよ」

 

 ライダーは腕を組み、冬木の街を見渡している。

 

 その顔には、妙に楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 

「王が多い夜だ」

 

「は?」

 

「剣の王。金色の王。そして、妙な女王」

 

「妙な女王って何だよ……」

 

「それに、地の底から這う蛇のような気配もある。いや、虫か。どちらにせよ、酒の肴には困らぬ」

 

 ウェイバーは顔を引きつらせた。

 

「お前、また何かする気だろ」

 

「決まっておろう」

 

 ライダーは豪快に笑った。

 

「王が増えたなら、杯を交わす」

 

「なんでそうなるんだよ!」

 

「王とは、互いに量らねばならんものだ。剣を交えるもよし、酒を交えるもよし。今宵の冬木は、少々陰気が過ぎる」

 

 ライダーは空を見上げる。

 

 その目は、戦場を見る王の目だった。

 

 ただの興味ではない。

 

 王として、王を見たい。

 

 その欲望が、はっきりと宿っている。

 

「ならば、明るくしてやらねばな」

 

 ウェイバーは頭を抱えた。

 

「絶対ろくなことにならない……」

 

「ろくなことになる宴など、つまらん」

 

 ライダーは笑った。

 

 その笑い声は、冬木の薄い夜を少しだけ揺らした。

 

     ◇

 

 新しい退避先では、ようやく全員が少しだけ座り直していた。

 

 休めてはいない。

 

 だが、走り続けるよりはましだった。

 

 桜は毛布の端を握りながら、ヒッポリュテを見た。

 

「あの」

 

「なんだ」

 

「私は、ここにいてもいいんですか」

 

 ヒッポリュテは桜を見る。

 

 その問いは、前にも聞いたものに似ていた。

 

 けれど、意味は違った。

 

 ここが安全な場所なのかを聞いているのではない。

 

 自分がいるせいで危険が来るのに、それでもいていいのか。

 

 そう聞いている。

 

「いい」

 

 ヒッポリュテは答えた。

 

 桜は続ける。

 

「虫が、また来ても?」

 

「来たら潰す」

 

 ペンテシレイアが横から言う。

 

「呼べ」

 

 雁夜も、壁にもたれたまま顔を上げた。

 

「俺も、立つ」

 

 桜は三人を見た。

 

 ヒッポリュテ。

 

 ペンテシレイア。

 

 雁夜。

 

 誰も万全ではない。

 

 誰も絶対ではない。

 

 それでも、そこにいる。

 

 桜のために、そこにいる。

 

 桜は目を伏せた。

 

「……はい」

 

 ヒッポリュテは静かに言った。

 

「ここにいることを、謝るな」

 

 桜の指が、毛布を握る。

 

 少しだけ強く。

 

 けれど、さっきよりも震えは小さかった。

 

 外の夜は、まだ静かだった。

 

 だが、その静けさの向こうで、何かが動き始めている。

 

 王が杯を思い、魔術師が策を練り、虫が地の底で蠢いている。

 

 それでも今だけは、誰も動かなかった。

 

 この冷たい部屋の中で、桜は初めて、謝らずに息を吸おうとしていた。

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