神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

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4話奪うという選択

 

 

 夜は、均一だった。

 

 街灯が等間隔に並び、白い光で道を区切っている。

 

 影さえも整えられていた。

 

 どこまでが明るく、どこからが暗いのか。

 

 人が決めた線の中に、街全体が収まっている。

 

 神代の夜とは違う。

 

 あの時代の夜は、もっと荒かった。獣の気配も、土の熱も、遠くの火も、どこかに神の視線すら混じっていた。

 

 だが、この街の夜は違う。

 

 静かで、薄く、作り物のように整っている。

 

 ヒッポリュテは、その道を歩いていた。

 

 足音は二つ。

 

 一つは自分のもの。

 

 もう一つは、少し後ろからついてくる小さな音。

 

 軽い。

 

 遅い。

 

 それでも、離れないように必死についてきている。

 

「……寒いか」

 

 振り返らずに聞いた。

 

 後ろの足音が、一瞬だけ乱れる。

 

「……ううん」

 

 否定。

 

 けれど、その前に間があった。

 

 息も、少し震えている。

 

 嘘だ。

 

 ヒッポリュテは足を止めた。

 

 振り返る。

 

 桜は目を逸らした。

 

 小さな身体が、夜気の中で縮こまっている。先ほど渡した上着はない。薄い服のまま、両手を胸の前で握っている。

 

 寒いと言えないのだ。

 

 欲しいと言えない。

 

 苦しいとも、怖いとも、助けてとも。

 

 口に出す前に飲み込む癖が、もう身体に染みついている。

 

 ヒッポリュテは無言で上着を脱いだ。

 

 差し出す。

 

「着ろ」

 

 桜は戸惑ったように見上げる。

 

「……でも」

 

「いい」

 

 短く切る。

 

 迷う時間を与えれば、この子はきっと断る。

 

 自分が受け取っていいのかを考えてしまう。

 

 考えた末に、要らないと言う。

 

 寒いくせに。

 

 震えているくせに。

 

 桜は少しだけ躊躇ってから、上着を受け取った。

 

 袖に腕を通す動きはぎこちない。

 

 布に包まれることに慣れていないわけではないだろう。

 

 けれど、誰かから自分のために与えられることには、慣れていない。

 

 小さな手が、袖口を握る。

 

 上着は大きすぎた。

 

 肩から少し落ちそうになっている。

 

 それでも、桜は小さく頭を下げた。

 

「……ありがとう、ございます」

 

「ああ」

 

 ヒッポリュテは歩き出した。

 

 再び、足音が二つになる。

 

 白い街灯の下を抜けるたび、桜の影が伸びたり縮んだりした。

 

 少し後ろ。

 

 でも、さっきより近い。

 

「……あの」

 

「なんだ」

 

「どこ、行くの」

 

 当然の問いだった。

 

 答えは、まだない。

 

 安全な場所。

 

 休める場所。

 

 誰にも見つからない場所。

 

 そんな都合のいいものを、この街に来たばかりのヒッポリュテが知っているはずもない。

 

 それでも、答える。

 

「ここではない場所だ」

 

 曖昧だ。

 

 だが、嘘ではない。

 

 桜はしばらく黙っていた。

 

 それから、小さく聞いた。

 

「……帰らなくていいの?」

 

 足が、わずかに鈍る。

 

 帰る。

 

 その言葉が意味する場所は、一つではない。

 

 遠坂か。

 

 間桐か。

 

 それとも、まだこの子自身にも分からないどこかなのか。

 

 今の桜が言う帰る場所は、おそらくあそこだ。

 

 暗い家。

 

 閉じた空間。

 

 地下へ続く道。

 

 虫の気配。

 

 ヒッポリュテは、静かに言った。

 

「……あそこは、家ではない」

 

 桜は何も言わなかった。

 

 否定もしない。

 

 肯定もしない。

 

 ただ、足音だけが少し小さくなる。

 

 理解しているのだ。

 

 だからこそ、聞いたのだ。

 

 帰るべき場所だと教えられている。

 

 けれど、帰りたい場所ではない。

 

 その違いを、幼い身体で抱えている。

 

 ヒッポリュテは歩調を少しだけ上げた。

 

 時間がない。

 

 知っている。

 

 この先にあるものを。

 

 この子がどこへ渡されるのかを。

 

 何のために使われるのかを。

 

 どんな暗闇に落とされるのかを。

 

 渡される前に止める。

 

 連れていく。

 

 それだけだ。

 

 たとえそれが、誰かから見れば誘拐だとしても。

 

 この子が小さく頷いた。

 

 それだけで、十分だった。

 

 角を曲がる。

 

 その瞬間、ヒッポリュテは足を止めた。

 

 気配がある。

 

 意図的に消されている。

 

 だが、消しきれていない。

 

 神代の戦場で磨かれた感覚が、夜の静けさの奥に沈む異物を捉える。

 

 視線を向ける。

 

 そこに、男が立っていた。

 

 街に溶け込む服装。

 

 年齢は読みにくい。

 

 姿だけなら、夜道にいる普通の男にも見える。

 

 だが、立ち方が違う。

 

 重心が後ろにある。

 

 逃げるためではない。

 

 待つため。

 

 こちらが近づくことを想定し、必要ならいつでも術式を起こせる位置取り。

 

 男は桜を見た。

 

 その目に感情はない。

 

 驚きも、安堵も、怒りもない。

 

 ただ、確認しただけの目。

 

 道具を見る目だった。

 

「……やはりな」

 

 男が口を開く。

 

「手間をかけさせる」

 

 桜の足音が止まった。

 

 上着の袖を握る指が強くなる。

 

 ヒッポリュテは半歩、桜の前に出た。

 

 理解する。

 

 間桐側。

 

 監視。

 

 回収役。

 

 この子が自分の意思で外へ出たかどうかなど、彼らには関係ない。

 

 戻す。

 

 ただそれだけ。

 

「その子を返してもらおう」

 

 男は短く言った。

 

 命令口調だった。

 

 選択肢を提示していない。

 

 桜の意思を聞く気もない。

 

 ならば、こちらも言葉を重ねる必要はなかった。

 

 ヒッポリュテは踏み込んだ。

 

 男の瞳がわずかに揺れる。

 

 遅い。

 

 間合いを詰める。

 

 懐へ入る。

 

 拳を打ち込む。

 

 鈍い音がした。

 

 骨を通して、肉と内臓を揺らす手応えが伝わる。

 

 男の身体が折れた。

 

 息が詰まり、膝が崩れる。

 

 そのまま地面へ落ちた。

 

 終わり。

 

 普通の相手なら。

 

 だが、ヒッポリュテは視線を外さなかった。

 

 男の意識は完全には落ちていない。

 

 身体強化か、魔術的な耐性か。

 

 痛みに対する訓練もある。

 

 やはり、ただの使い走りではない。

 

 それでも、今すぐ追える状態ではない。

 

「……行くぞ」

 

 ヒッポリュテは振り返る。

 

 桜は固まっていた。

 

 当然だ。

 

 目の前で人が倒された。

 

 しかも、ヒッポリュテは隠さなかった。

 

 優しい言葉も、説明も、何も挟まなかった。

 

 この子にとって、それは恐怖だっただろう。

 

 けれど、立ち止まる時間はなかった。

 

 ヒッポリュテは桜の手を取った。

 

 今度は、抵抗はなかった。

 

 小さな手は冷えている。

 

 震えている。

 

 それでも、握り返してきた。

 

 引く。

 

 歩く。

 

 先ほどより速く。

 

 桜の歩幅に合わせながら、それでもできるだけ早く。

 

 背後で、わずかに気配が動いた。

 

 男が起き上がろうとしている。

 

 追えはしない。

 

 だが、連絡はできるかもしれない。

 

 時間は稼いだ。

 

 しかし、足りない。

 

 もっと離れる必要がある。

 

 もっと遠くへ。

 

 間桐の目から。

 

 遠坂の手から。

 

 この街の見えない網から。

 

 その時だった。

 

 空気が変わった。

 

 薄かったはずの世界に、濃度が戻る。

 

 神代のような濃さではない。

 

 だが、先ほどまでの軽い現代の空気とは明らかに違う。

 

 圧がある。

 

 質量がある。

 

 魔力が、形を持って近づいてくる。

 

 あり得ない。

 

 いや、この街ならあり得る。

 

 ここは冬木だ。

 

 聖杯戦争の街。

 

 サーヴァントが呼ばれる土地。

 

 背筋に冷たいものが走る。

 

 これは人ではない。

 

 魔術師でもない。

 

 もっと別のもの。

 

 あちら側。

 

 霊基を持つ存在。

 

 人の形を借りた神秘。

 

 ヒッポリュテは、ゆっくり振り向いた。

 

 桜を背に隠す。

 

 手は離さない。

 

 夜の道の先に、一つの影が立っていた。

 

 人の形をしている。

 

 だが、人ではない。

 

 空気の重さが違う。

 

 存在の密度が違う。

 

 そこに立っているだけで、薄い現代の夜が軋んでいる。

 

 異物。

 

 いや。

 

 この時代においては、こちらもまた異物なのだろう。

 

 ヒッポリュテは息を落とす。

 

 逃げるか。

 

 戦うか。

 

 桜の手が、自分の掌の中で震えている。

 

 その温度だけが、判断を急がせた。

 

 目の前の異物が、静かにこちらを見た。

 

 夜は、ようやく牙を見せ始めていた。

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