神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す   作:あかちゅきぼちゃん

8 / 44
6話 遅い

 

 

 倉庫の中に、静けさが戻っていた。

 

 いや、戻ったように見えただけだ。

 

 床は割れている。壁は抉れている。積まれていた木箱は砕け、鉄骨の一部は曲がり、夜の冷たい空気の中に、濃い魔力の残滓が漂っている。

 

 ここはもう、ただの倉庫ではなかった。

 

 召喚が行われた場所。

 

 英霊が現れ、狂気が笑い、血と魔力が混ざった場所。

 

 そして。

 

 ヒッポリュテが、もう一度妹と出会った場所だった。

 

「……痛い」

 

 小さな声がした。

 

 桜が、自分の右手を押さえている。

 

 その手の甲には、赤い模様が浮かんでいた。

 

 令呪。

 

 聖杯戦争において、マスターである証。

 

 本来なら、魔術師が望んで得るもの。

 

 けれど桜は違う。

 

 望んでいない。

 

 理解もしていない。

 

 ただ、巻き込まれた。

 

 ヒッポリュテは息を止めたまま、その赤い痕を見ていた。

 

 熱を持っているのだろう。桜の指先が小さく震えている。

 

「……私、何かしましたか?」

 

 桜が問う。

 

 その声は怯えていた。

 

 目の前で化け物のようなものが現れた。

 

 知らない女が現れた。

 

 自分の手に見たことのない痣が浮かんだ。

 

 その全部が分からなくて、分からないからこそ、いつものように自分へ向けている。

 

 自分が悪いのか。

 

 自分のせいなのか。

 

 ヒッポリュテは、即座に言った。

 

「違う」

 

 強く。

 

 迷わせないために。

 

 だが、声が少しだけ硬かった。

 

 その硬さを、ペンテシレイアは見逃さなかった。

 

 倉庫の中央に立つバーサーカーは、まだ荒い魔力を纏っている。

 

 黒く濁った気配。

 

 戦いの熱。

 

 怒り。

 

 それでも、その瞳だけはまっすぐにヒッポリュテを見ていた。

 

「違う。お前のせいではない」

 

 ペンテシレイアが桜に言う。

 

 桜が、少しだけ顔を上げる。

 

 その瞬間。

 

 ペンテシレイアは視線をヒッポリュテへ移した。

 

「姉上のせいだ」

 

 空気が落ちた。

 

 桜が息を呑む。

 

 ヒッポリュテは、反論しなかった。

 

 できなかった。

 

 ペンテシレイアの言葉は、乱暴だった。

 

 だが、間違ってはいなかった。

 

 桜を連れ出したのは自分だ。

 

 龍之介のいる場所へ踏み込んだのも自分だ。

 

 ジル・ド・レェを退けたのも自分だ。

 

 そして、ペンテシレイアをこの時代へ引き寄せてしまったのも、きっと自分だ。

 

 守ろうとした。

 

 助けようとした。

 

 だが、結果として桜に令呪を刻ませた。

 

 聖杯戦争の中へ、押し出した。

 

「……そうだ」

 

 ヒッポリュテは、低く言った。

 

 桜が驚いたようにこちらを見る。

 

 ペンテシレイアの眉がわずかに動いた。

 

「私が選んだ。桜を連れ出した。あの男を止めた。お前を呼んだ」

 

「呼んだ?」

 

 ペンテシレイアの声が低くなる。

 

「私を?」

 

「……意図してではない」

 

「なら、またそう言うのか」

 

 ペンテシレイアが一歩近づく。

 

 床の破片が、足元で砕けた。

 

「仕方なかった、と」

 

「違う」

 

「戻れなかった、と」

 

 ヒッポリュテは、そこで言葉を失った。

 

 ペンテシレイアの瞳が揺れている。

 

 怒りだけではない。

 

 そこには、もっと古い傷があった。

 

 神代の空。

 

 差し出された手。

 

 握り返した温度。

 

 そして、消えた感触。

 

 ヒッポリュテにとっては、一瞬だった。

 

 世界が弾かれ、視界が白く潰れ、次に目覚めた時には冬木にいた。

 

 だが、ペンテシレイアにとっては違う。

 

 残された。

 

 手を伸ばしたまま、何も掴めなかった。

 

 姉が消えた場所で、理由も分からず立ち尽くした。

 

「どこにいた」

 

 ペンテシレイアが言う。

 

 声は抑えられている。

 

 だが、抑えられているからこそ重かった。

 

「なぜ戻らなかった」

 

「……戻れなかった」

 

「戻らなかったの間違いだ」

 

 即座に返ってきた。

 

 刃のような言葉だった。

 

 ヒッポリュテは黙る。

 

 違う、と言える。

 

 第二魔法の干渉。

 

 神代からの消失。

 

 世界の位相のズレ。

 

 戻る術がなかったこと。

 

 説明しようと思えば、いくらでも言える。

 

 だが、そのどれも、ペンテシレイアには届かない気がした。

 

 届いたところで、彼女が過ごした時間は消えない。

 

 残された痛みは消えない。

 

 ヒッポリュテは、静かに息を吐いた。

 

「……すまなかった」

 

 ペンテシレイアの顔が歪む。

 

 その言葉を待っていたのか。

 

 それとも、聞きたくなかったのか。

 

 分からない。

 

「謝ればいいと思っているのか」

 

「思っていない」

 

「では、何をする」

 

 問いは、真っ直ぐだった。

 

 昔からそうだった。

 

 ペンテシレイアは、いつも答えを欲しがった。

 

 守ると言えば、なぜと聞いた。

 

 待てと言えば、なぜ私だけと怒った。

 

 小さな身体で、姉の隣に立とうとした。

 

 その子が今、英霊として、バーサーカーとして、こちらを責めている。

 

 ヒッポリュテは、手を握る。

 

「責任を取る」

 

 ペンテシレイアの目が細くなる。

 

「責任?」

 

「ああ」

 

「姉上は、昔からそうだ」

 

 ペンテシレイアが低く笑った。

 

 笑いではない。

 

 怒りを形にした音だった。

 

「背負う。守る。責任を取る。そう言って、いつも勝手に決める」

 

「……」

 

「私に選ばせなかった」

 

 その言葉に、ヒッポリュテの胸が痛んだ。

 

 桜が小さく震える。

 

 自分に向けられた言葉ではない。

 

 けれど、分かってしまったのだろう。

 

 選ばされない痛みを。

 

 自分の人生を、誰かの決定で動かされる怖さを。

 

「桜」

 

 ヒッポリュテは振り返る。

 

「お前のせいではない」

 

「……でも」

 

「違う」

 

 言い切る。

 

「これは私の選択だ」

 

 桜の目が揺れた。

 

「でも……私がいなければ」

 

「それは違う」

 

 ペンテシレイアが、今度は桜へ向けて言った。

 

 桜がびくりと肩を揺らす。

 

 ペンテシレイアは、少しだけ視線を下げた。

 

「お前が悪いわけではない。弱いからでもない。何も知らなかったからでもない」

 

「……」

 

「悪いのは、選ばせなかった者だ」

 

 その言葉は、桜へ向けられていた。

 

 同時に、ヒッポリュテへ突き刺さっていた。

 

 桜は唇を噛んだ。

 

 泣きそうなのに、泣かない。

 

 ここで泣いてはいけないと、どこかで思っている顔だった。

 

「……この人は」

 

 桜が、ペンテシレイアを見る。

 

「私の、何なんですか」

 

 当然の問いだった。

 

 ヒッポリュテは答えようとして、少しだけ遅れた。

 

 ペンテシレイアが先に言う。

 

「バーサーカーだ」

 

「ばーさーかー……?」

 

「サーヴァント。聖杯戦争の駒」

 

 ペンテシレイアはそう言った後、苦々しげに続けた。

 

「そして今は、お前に繋がっている」

 

 桜が自分の手を見る。

 

 令呪は、まだ赤く光っている。

 

「私が……マスター……?」

 

「そうなってしまった」

 

 ヒッポリュテが答える。

 

 その言い方が、また痛かった。

 

 なってしまった。

 

 望んでいないのに。

 

 選んでいないのに。

 

 結果だけが、彼女へ押しつけられている。

 

「どうしたらいいんですか」

 

 桜が問う。

 

 ヒッポリュテは、口を開いた。

 

 そして。

 

「……分からない」

 

 正直に答えた。

 

 桜の目が大きくなる。

 

 ペンテシレイアが、冷たい視線を向けた。

 

「分からないまま、子供を連れて逃げたのか」

 

「ああ」

 

「分からないまま、私を呼んだのか」

 

「ああ」

 

「分からないまま、守ると言うのか」

 

 ヒッポリュテは、ペンテシレイアを見る。

 

「そうだ」

 

 沈黙。

 

 ペンテシレイアは、まるで信じられないものを見るようにこちらを見た。

 

 やがて、小さく吐き捨てる。

 

「……変わっていない」

 

 その声には、怒りと安堵が混ざっていた。

 

 変わっていない。

 

 勝手に守る姉。

 

 背負うと言って、相手を後ろに置く姉。

 

 それでも、確かにそこにいる姉。

 

 ペンテシレイアにとって、それはきっと腹立たしいほど懐かしいものだった。

 

 ヒッポリュテは、目を伏せる。

 

「……かもしれないな」

 

 ペンテシレイアが舌打ちした。

 

「認めるな」

 

「事実なら認める」

 

「そういうところだ」

 

 二人のやり取りに、桜が小さく瞬いた。

 

 ほんの少しだけ、張り詰めていた空気が緩む。

 

 だが、その緩みは長く続かなかった。

 

 ヒッポリュテは倉庫の外へ視線を向ける。

 

 魔力の残滓が濃い。

 

 召喚の痕跡も残りすぎている。

 

 ジルは逃げた。

 

 龍之介も生きている。

 

 この場所に留まる理由はない。

 

 むしろ、一秒でも早く離れるべきだった。

 

「ここを離れる」

 

 ヒッポリュテが言う。

 

 ペンテシレイアが眉を寄せた。

 

「逃げるのか」

 

「桜がいる」

 

 その一言で、ペンテシレイアは黙った。

 

 視線が桜へ向く。

 

 桜は二人の会話を邪魔しないように、小さくなって立っていた。

 

 令呪のある手を、もう片方の手で押さえている。

 

 怖いはずだ。

 

 痛いはずだ。

 

 分からないはずだ。

 

 それでも、邪魔にならないようにしている。

 

 その姿を見て、ペンテシレイアの表情がわずかに変わった。

 

 遠い過去を見るような顔だった。

 

「歩けるか」

 

 ペンテシレイアが桜に聞く。

 

 声音は硬い。

 

 優しくはない。

 

 だが、敵意もなかった。

 

「……はい」

 

「倒れる前に言え」

 

「……はい」

 

「我慢しても意味はない。足を止めるだけだ」

 

 桜が、少しだけ戸惑う。

 

 叱られているのか、気遣われているのか、分からない顔だった。

 

 ヒッポリュテは、その横顔を見ていた。

 

 昔のペンテシレイアも、こんなふうだった。

 

 優しくしたいのに、言葉が強くなる。

 

 守りたいのに、命令になる。

 

 自分と同じだ。

 

 そう思った瞬間、胸がまた痛んだ。

 

「行くぞ」

 

 ヒッポリュテが先に歩き出す。

 

 桜がその後ろへ続く。

 

 ペンテシレイアは自然に最後尾についた。

 

 隊列ができる。

 

 前にヒッポリュテ。

 

 中央に桜。

 

 後ろにペンテシレイア。

 

 守る形。

 

 あまりにも自然で、あまりにも懐かしい。

 

 倉庫を出ると、夜風が頬を撫でた。

 

 空気は薄い。

 

 現代の空気。

 

 けれど、今はそこに神代の気配が混じっている。

 

 ペンテシレイアがいるからだ。

 

 振り返る。

 

 ペンテシレイアと目が合った。

 

 彼女はすぐに視線を逸らした。

 

 許していない。

 

 そう告げるように。

 

 だが、離れない。

 

 それもまた、昔と同じだった。

 

 桜が小さく尋ねる。

 

「どこへ行くんですか」

 

「安全な場所だ」

 

 ヒッポリュテは答えた。

 

 ペンテシレイアが後ろで鼻を鳴らす。

 

「あるのか、そんなものが」

 

「探す」

 

「行き当たりばったりだな」

 

「今はそれしかない」

 

「やはり変わっていない」

 

 呆れたような声。

 

 けれど、少しだけ熱があった。

 

 怒り続けるには、再会が近すぎる。

 

 喜ぶには、傷が深すぎる。

 

 だから言葉だけが尖る。

 

 三人は夜の道を進む。

 

 街灯の光が、順番に足元を照らしていく。

 

 桜の歩幅は小さい。

 

 ヒッポリュテは少しだけ速度を落とした。

 

 ペンテシレイアがそれに気づく。

 

 何も言わない。

 

 ただ、後ろから桜の歩調に合わせた。

 

 それだけで、隊列が整う。

 

 守る者が二人。

 

 守られる少女が一人。

 

 だが、守られている少女の手には令呪がある。

 

 聖杯戦争は、もう彼女を見つけていた。

 

 遠くで、犬が吠えた。

 

 それに混じって、別の気配が動く。

 

 虫。

 

 細い、湿った気配。

 

 ヒッポリュテは足を止めなかった。

 

 気づいている。

 

 ペンテシレイアも気づいている。

 

 だが、今ここで追うべきではない。

 

 桜を中央に入れたまま、三人は闇の中を抜けていく。

 

 逃亡は、もうただの逃亡ではなくなっていた。

 

 守るために逃げる。

 

 逃げるために戦う。

 

 そして戦うほど、守るべきものが増えていく。

 

 ヒッポリュテは、前を向いたまま小さく息を吐いた。

 

 答えはない。

 

 それでも進むしかない。

 

 それが王の在り方なのか。

 

 それとも、ただの逃避なのか。

 

 まだ分からなかった。

 

     ◇

 

 地下で、虫が蠢いていた。

 

 濡れた音。

 

 擦れる音。

 

 土の匂いと腐った魔力が混じる場所で、間桐臓硯は静かに目を細めた。

 

「ほう」

 

 その声には、怒りがない。

 

 むしろ愉悦に近いものがあった。

 

「令呪が出たか」

 

 虫がざわめく。

 

 遠く離れた場所で起きた歪みを、彼は正確に掴んでいた。

 

 桜が消えた。

 

 器が奪われた。

 

 だが、その器は別の形で聖杯戦争へ繋がった。

 

 臓硯は口元を歪める。

 

「逃げたつもりか」

 

 笑う。

 

 湿った笑いだった。

 

「よい。よいぞ」

 

 虫たちが壁を這う。

 

「聖杯が始まれば、いずれ戻ってくる」

 

 彼は暗闇の奥へ視線を向けた。

 

 そこには何もない。

 

 だが、彼の目には見えている。

 

 少女。

 

 令呪。

 

 狂戦士。

 

 そして、神代の匂いを纏う異物。

 

「器が、器を得たか」

 

 臓硯は低く呟いた。

 

「ならば、使い道も増えるというもの」

 

 地下の闇が、ゆっくりと深くなる。

 

 逃亡は終わった。

 

 ここから先は、選ばされる時間だった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。