神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す 作:あかちゅきぼちゃん
港へ向かう。
そう決めたのは、直感ではなかった。
住宅街は狭い。路地が多く、曲がり角も多い。逃げ込むには向いているが、追い詰められれば終わる。人の気配も多い。戦闘になれば、巻き込む。
橋は駄目だ。遮断されれば袋になる。
駅も駄目だ。人が多すぎる。
なら、港湾地区。
広い。視界が取れる。遮蔽物もある。逃走経路も複数ある。
それに、もし戦うことになっても、まだ被害を絞れる。
ヒッポリュテは夜の街を歩きながら、そんなことばかり考えていた。
街を見ているのに、街として見ていない。
路地は通路ではなく、退路。
建物は住処ではなく、遮蔽。
街灯は明かりではなく、視線を奪うもの。
そして、桜は守るべき中心だった。
「姉上は」
後ろから声がした。
ペンテシレイアだ。
「どこへ行っても、戦場にする」
皮肉のような声だった。
だが、完全な皮肉ではない。
呆れ。
怒り。
それから、少しの懐かしさ。
ヒッポリュテは振り返らずに答えた。
「戦場にしないために見ている」
「同じことだ」
「違う」
「違わない。姉上は昔からそうだ。花畑を見ても、どこから敵が来るか考える」
「……花を踏ませないためだ」
ペンテシレイアが鼻を鳴らす。
「そういうところだ」
桜は二人の会話を黙って聞いていた。
歩幅は小さい。
それでも必死についてきている。
右手を胸の前に寄せ、もう片方の手で覆っている。
令呪が痛むのだろう。
赤い痕は、さっきよりも落ち着いて見える。だが消えてはいない。消えるはずもない。
それはもう、桜が聖杯戦争に繋がった証だった。
「桜」
呼ぶと、少女はびくりと肩を揺らした。
「はい」
「手を見せろ」
「……大丈夫です」
即答。
ヒッポリュテは足を止めた。
ペンテシレイアも止まる。
桜だけが、二歩ほど遅れて止まった。
「大丈夫かどうかを聞いているんじゃない」
「……」
「見せろ」
強くは言っていない。
けれど、逆らえない響きがあったのだろう。桜はおずおずと手を差し出した。
小さな手。
その甲に、赤い刻印。
熱を持っている。
触れずとも分かる。
ペンテシレイアの現界が、桜から魔力を吸っているのだ。
完全な契約ではない。正常な召喚でもない。だから無駄が多い。流れが乱れている。
このまま長く続けば、桜の体が先に音を上げる。
「……痛むか」
「少しだけです」
まただ。
少しだけ。
大丈夫。
平気。
その言葉の薄さに、ペンテシレイアが苛立ったように眉を寄せた。
「倒れる前に言えと言った」
「……ごめんなさい」
「謝れとは言っていない」
桜が目を丸くする。
ペンテシレイアは、言ってから少しだけ口を噤んだ。
自分でも語気が強すぎたと思ったのかもしれない。
だが、言い直さない。
不器用な沈黙が落ちる。
ヒッポリュテは軽く息を吐いた。
「休むほどではないな」
「はい」
「だが、無理はするな。お前が倒れれば、守る形が崩れる」
桜が小さく頷いた。
それは優しい言葉ではなかった。
けれど桜には、その方が届きやすいのかもしれない。
必要だから気にかける。
守るために状態を見る。
感情ではなく役割として言われた方が、彼女は受け取りやすい。
悲しい慣れ方だと思った。
再び歩き出す。
港に近づくにつれ、空気が変わった。
潮の匂い。
鉄の匂い。
油の匂い。
広い空間に、夜が沈んでいる。
倉庫群の向こうに、黒い海が見えた。
その瞬間、ヒッポリュテの足が止まった。
風が違う。
いや、風ではない。
魔力だ。
隠していない。
むしろ見せつけている。
澄んでいて、鋭い。
ジル・ド・レェのような濁った狂気ではない。
もっと整っている。
槍の穂先のように、まっすぐこちらの肌へ触れてくる。
「敵だ」
ペンテシレイアが低く言った。
その声には、すでに戦闘の熱が混じっている。
「動くな」
ヒッポリュテは即座に止めた。
「誘っている」
「ああ」
「なら、潰す」
「だから乗るな」
ペンテシレイアが睨む。
「敵を前にして?」
「桜がいる」
その一言で、ペンテシレイアは黙った。
納得したわけではない。
だが、桜を見た。
桜は二人の間で、息を潜めるように立っている。
小さな手はまた令呪を覆っていた。
ペンテシレイアは舌打ちしそうな顔で視線を外す。
「……分かっている」
「ならいい」
「よくはない」
「今はそれでいい」
ヒッポリュテは周囲を見た。
港湾倉庫の影。コンテナの列。クレーンの支柱。海側へ抜ける道。
魔力の発生源は港の中心部に近い。
おそらく、挑発。
誰かを誘っている。
この時期。
この場所。
この気配。
思考が自然と繋がる。
冬木。
第四次聖杯戦争。
港。
ランサー。
そして、セイバー。
知っている。
そう、知っているはずだった。
ここで何が起きるのか。
誰が来るのか。
どんな戦いになるのか。
だが、足元にある現実は、すでに知識からずれている。
桜はここにいる。
ペンテシレイアはここにいる。
ジルと龍之介は逃げた。
その時点で、もう原作通りではない。
知識は地図になる。
だが、地図は足元の石までは教えてくれない。
「……知識は、答えではないな」
小さく呟いた。
ペンテシレイアが聞き返す。
「何か言ったか」
「いや」
ヒッポリュテは桜へ視線を向ける。
「今から見るものは、普通の戦いではない」
桜の喉が小さく動いた。
「怖ければ目を閉じろ。ただし、離れるな」
「……はい」
返事はした。
けれど、桜の目は閉じられなかった。
怖いのだろう。
理解できないのだろう。
それでも見ようとしている。
守られるだけでは、自分がどこへ連れていかれるのか分からない。
それが怖いのかもしれない。
ヒッポリュテは桜をコンテナの影へ誘導した。
自分が前。
桜が中央。
ペンテシレイアが後ろ。
さっきから自然にできている隊列。
そのまま、三人は港の中心を見渡せる位置に身を潜めた。
そこに、一人の男が立っていた。
長い槍。
軽やかな立ち姿。
隙はあるように見える。
だが違う。
あれは誘いだ。
斬り込めると思わせる間。
踏み込んだ瞬間に、喉を裂かれる距離。
優美で、危険。
ランサー。
名を知らずとも、戦士なら分かる。
強い。
ペンテシレイアの気配が一段濃くなった。
ヒッポリュテは視線だけで制する。
「まだだ」
「分かっている」
「本当か」
「……分かっている」
少しだけ遅れて返った。
分かっていない返事だった。
その時、遠くから車の音が近づいてきた。
港の静寂を裂くようなエンジン音。
やがて一台の車が止まる。
降りてきたのは、白い女と、鎧の少女だった。
空気が変わる。
槍の男が微かに笑う。
鎧の少女は、迷いなく前へ出た。
月明かりを受けた銀の甲冑。
小柄な身体。
だが、その存在感は小さくない。
むしろ、港の空気をまっすぐに押し返している。
王の気配。
ヒッポリュテは、無意識に目を細めた。
「女の王か」
ペンテシレイアが呟く。
その声には、少しだけ興味があった。
「そうだな」
「あれも、守る者の目をしている」
「……見れば分かるか」
「分かる」
ペンテシレイアは短く答えた。
「気に入らないがな」
「なぜだ」
「自分を削る目だ」
ヒッポリュテは返せなかった。
遠くのセイバーは、ランサーと向き合っている。
互いに名乗らない。
それでも礼節はあった。
挑発と応答。
敵意と敬意。
殺し合う相手を、戦士として認める空気。
それは神代にもあったものだ。
戦場にしかない静けさ。
桜には分からないのだろう。
だが、何かが始まることだけは感じている。
小さな呼吸が、隣で浅くなった。
「大丈夫だ」
ヒッポリュテは言った。
桜がこちらを見る。
「今は、見るだけだ」
見るだけ。
そう言いながら、自分でも信じきれていない。
見るだけで済むなら、こんなところに来ていない。
聖杯戦争は、見る者を見逃さない。
ランサーが動いた。
初撃は速かった。
桜の目には、ほとんど見えていないだろう。
だが、ヒッポリュテには見えた。
足裏の圧。
肩の沈み。
槍先より先に動く腰。
セイバーも動く。
剣は見えない。
風が巻いている。
不可視の刃。
それでも、軌道は読める。
魔力の流れ、踏み込み、腕の角度。
ランサーの槍と、セイバーの見えない剣が噛み合う。
火花が散った。
金属音が港に響く。
桜が息を呑む。
ペンテシレイアが一歩出た。
ヒッポリュテは、その手首を掴んだ。
「まだだ」
ペンテシレイアが睨む。
「いつまで待つ」
「守るために、待つ」
「戦わなければ守れない時もある」
「戦えば守れない時もある」
二人の視線がぶつかった。
その間にも、セイバーとランサーは激突を続けている。
槍は伸びる。
剣は見えない。
だが、互いに読んでいる。
ランサーは一撃ごとに距離を刻む。
セイバーは受けながら、わずかずつ踏み込む。
美しい戦いだった。
だからこそ危険だった。
美しさは、戦場の本質を隠す。
あれは殺し合いだ。
どちらかが少し遅れれば、血が出る。
どちらかが読み違えれば、命が落ちる。
そして自分たちが混ざれば、桜が巻き込まれる。
それだけは避けなければならない。
ペンテシレイアの手首を掴む力を、少しだけ強めた。
「離せ」
「離したら行くだろう」
「行く」
「だから離さない」
ペンテシレイアが歯を食いしばる。
昔なら、ここで怒鳴ったかもしれない。
今は怒鳴らない。
ただ、押し殺している。
それが逆に痛い。
「……姉上は」
ペンテシレイアが低く言う。
「また私を後ろに置くのか」
ヒッポリュテの指が、一瞬だけ緩みそうになった。
だが、緩めない。
「違う」
「何が違う」
「お前を止めているんじゃない」
ヒッポリュテは桜を見た。
「守る順番を間違えないためだ」
ペンテシレイアは黙った。
その沈黙は、納得ではなかった。
けれど、桜を見た後、彼女は一歩引いた。
戦いは続く。
セイバーの踏み込みが鋭くなる。
ランサーが笑う。
槍が低く走る。
不可視の剣が受ける。
衝撃が空気を叩く。
港の水面が震えた。
桜は目を閉じていない。
震えているのに、見ている。
その姿を横目で見ながら、ヒッポリュテは思う。
この子は、どこまで知るべきなのか。
何も知らない方が幸せなのか。
それとも、知らないまま選ばされる方が残酷なのか。
答えは出ない。
だからこそ、胸が重い。
知識があっても、答えはない。
未来を知っていても、今の選択は軽くならない。
セイバーとランサーが大きく距離を取る。
互いに呼吸を整える。
まだ序盤。
だが、すでに空気が削れている。
この戦いに、他の陣営も気づいているだろう。
見ている者がいる。
間違いなく。
ヒッポリュテは港の周囲へ意識を広げる。
高所。
倉庫の屋根。
クレーン。
暗い窓。
視線がある。
一つではない。
そのうちの一つが、妙に冷たい。
感情ではなく、計測する視線。
標的を見る目。
遠く離れたビルの上。
男がいた。
スコープ越しに港を見下ろしている。
衛宮切嗣は、セイバーとランサーの戦闘を観測していた。
予定通りの接敵。
予定通りの挑発。
予定通りの初戦。
そのはずだった。
だが、スコープの端に映った影が、彼の思考を止めた。
コンテナの裏。
子供が一人。
正体不明の女が一人。
そして、サーヴァント級の反応が一つ。
バーサーカーに近い。
だが、間桐陣営とは違う。
いや、それ以前に、あの子供は。
「……イレギュラーがいる」
切嗣の声は低かった。
感情はない。
ただ、戦術上の異物として認識する声。
セイバーとランサーの火花が、再び港に散った。
ヒッポリュテは、遠くの視線を感じながらも動かなかった。
今動けば、すべてが崩れる。
だから待つ。
守るために。
戦わないために。
戦う準備をしながら。
ペンテシレイアは横で息を殺している。
桜は震えながら、それでも目を逸らさない。
騎士たちの夜が、始まっていた。
そして聖杯戦争は、彼女たちを見逃さなかった。