異説聖戦の系譜   作:鰻天ぷら

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第81話

ロプトの暗黒が払われ、新しきグランベル王国の建国が宣言された王都の城門前は、それぞれの祖国へと帰還していく同盟軍の熱気と喧騒に包まれていた。

 

「……皆、それぞれの地獄へ帰っていくんだね」

 

見送りの列の先頭に立つ光の聖王セリスは、遠ざかる馬車の列を見つめながら静かに呟いた。

彼の視線の先には、シレジアへと向かう風の魔道士コープルの陣営が見える。だが、そこから放たれているのは華やかな凱旋の空気などではない。

 

光の聖女ユリアを筆頭に、リノアン、タニア、マリータ、そして没落した雷神イシュタルまでもが、一人の少年に重すぎる執着の鎖を巻き付け、息苦しいほどの情念の密室を形成している。

 

セリスは、その底知れぬ業の重さに微かな悪寒と、同世代の戦友への深い敬意を感じながら、ただ黙して彼らの背中を見送った。

 

***

 

彼らだけではない。

帝国が解体されたユグドラル大陸の各地では、焼け野原から国を立ち上げるための重く冷酷な決断が下されようとしていた。

 

アグストリアへの帰還を明日に控えた王城の西翼。

黒騎士アレスは、自らの魔剣『ミストルティン』を無言で布で拭っていた。

 

「……ねえ、アレス。一つ聞いておきたいことがあるの」

 

その背中に声をかけたのは、彼と共に地獄を生き抜き、アグストリアへ同行することを決めた踊り子レイリアである。

 

「アグストリアは、血の気の多い野蛮な騎士たちの国でしょう? ……権力闘争を治めるために、やっぱり、妻を何人も娶ったりするわけ?」

 

それは、貴族社会においてはごく当たり前の政治的手段の確認であった。同時に、己の「唯一の居場所」がどうなるのかを測る、鋭い刃のような問いでもある。

 

アレスは剣を拭う手を止め、深く重い溜息を一つ吐いた。

 

「……馬鹿なことを言うな。俺は、お前一人を抱え込むだけで、すでに手一杯なんだ。他の女を囲うような余裕も、そんな面倒を背負い込む器用さも、俺にはない」

 

それは甘い愛の囁きとはほど遠い、不器用な青年の偽りない本心だった。

その言葉を聞いた瞬間、レイリアの胸の奥で、確かに「自分だけが選ばれた」という暗い歓喜が弾けた。だが――。

 

(……え……?)

 

レイリアは、自分が一瞬、強烈な苛立ちを覚えたことに驚愕した。嬉しいはずなのに、なぜ腹が立つのか。それは彼女自身にも分からなかった

 

「……そう。本当に、不器用な男ね。後で泣きついてきても、知らないわよ」

 

レイリアは、その不可思議な感情を奥底に飲み込み、挑発的な笑みを浮かべて背中にしなだれかかった。

 

「お前のその減らず口がある限り、俺が泣き言を言う暇もなさそうだ」

 

彼らの関係もまた、血と泥に塗れた番として、完全に固定されたのであった。

 

***

 

宗教都市エッダ。

ロプト教団の傀儡となり、何十年にもわたって完全に腐敗しきっていたこの聖地の祭壇に、新たな当主として立ったのは風の勇者セティであった。

 

「……連れて行け。異端の教義に与し、子供狩りに関与した司祭は一人残らず粛清する」

 

彼の冷ややかな命令のもと、旧体制の司祭たちが次々と広場へ引きずり出されていく。それは聖職者による祈りなどではなく、血で血を洗う苛烈な『異端審問(教団改革)』の幕開けであった。

 

「これからのエッダに吹く風は、血の匂いしかしない。……私の手は、これからさらに多くの血に染まる。ティニー、君も一緒に、この返り血を浴びてくれるか?」

 

傍らに立つフリージの血を引く少女に、セティは一切の綺麗事を排して告げた。

 

「……ええ、セティ様。私みたいな罪人の血を引く女には、その赤色が一番お似合いだわ」

 

ティニーは凄惨な粛清の光景から目を逸らさず、彼の血塗られた手を強く握りしめた。それは終わりのない贖罪の旅への、重く退廃的な共犯契約であった。

 

***

 

一方、そのティニーの兄である炎の魔道士アーサーは、天馬騎士のフュー(フィー)と共に荒野を駆けていた。

 

「俺たちの血は、あまりにも多くの人間を泣かせすぎた。俺とフューは、この大陸のあちこちに残る暗黒の残党を焼き尽くすために、生涯戦い続ける」

アーサーは己の手に宿る炎の熱を見つめ、静かに呟いた。

「だが、いつか俺たちに子供ができたら、その子のいずれかに、立て直した『ヴェルトマー』と『フリージ』の未来を託したいんだ」

「ええ、アーサー。あなたの炎がどんな地獄へ向かおうと、私が必ず追いついて、その背中を支えてみせるわ」

二人の間にあるのは、戦場で背中を預け合い、血みどろの未来を次世代へと繋ぐための、強靭な戦友としての絆であった。

 

***

 

そして、ドズル城。

かつて最強の重装騎士団を擁し、血族同士の凄惨な殺し合いの果てに陥落した城塞の玉座に、巨大な戦斧を突き立てた男が深く腰を下ろしていた。ヨハンである。

 

「……私はもう、ただの狂った人殺しだ。……ラクチェ。私をこんな化け物にした責任は、一生きみの剣で取ってもらう」

「ええ。あなたの血塗られた道は、私がすべて切り開くわ」

彼に影のように寄り添うラクチェの瞳には、かつての純粋な武の道は消え失せ、己の存在にすべてを狂わせた男への底知れぬ責任感だけが宿っている。

「……勝手に二人だけで地獄に落ちるなよ、ヨハン。お前が当主として潰れそうになったら、いつでも俺の斧で介錯してやる」

入り口から進み出たヨハルヴァと、静かに控えるラドネイ。ドズル家は、「生きるための執着」に狂った兄弟と、彼らを縛り付ける二人の剣士によって、血塗られた再建の道を歩み始めた。

 

***

 

南方の森の国、ヴェルダンを相続した弓騎士レスターとラナの統治もまた、凄惨を極めていた。

「……癒やしや祈りだけで、こいつらの腹は膨れない。まずは力で叩き伏せ、斧の代わりに強引に鍬を持たせるしかない」

長年の飢えで暴徒と化した略奪者たちを、レスターは容赦なく武力で鎮圧する。

「はい、レスター。……あなたが彼らを叩き伏せるなら、私はその傷を杖で治すわ。何度でも治して、何度でも土を耕させるの」

ラナは、愛する男と共に泥を這う覚悟を決め、血と暴力と泥にまみれながら、荒れ果てた大地に麦を植え付けるという地獄の労働を始めた。

 

***

 

そして、トラキア半島・レンスター城。

 

『……アリオーン殿。血で血を洗う憎悪の時代は、決して子孫に伝えてはならない。共に半島を支え合おう』

 

リーフは、帰還の途上にてトラキアの竜騎士アリオーンとアルテナにそう誓い合った。彼とアリオーンの間に甘い友情はない。あるのは「痩せた大地で民を共倒れさせない」という、政治的で冷酷なまでの生存戦略の共有であった。

 

だが、王城の玉座の間で行われた軍議において、老将ドリアスが重々しい口調で進言する。

「トラキア半島を真に一つに纏め上げ、王国の盤石な礎を築くためには……王たるあなたに、確固たる『正妻(王妃)』が必要です。血脈を絶やさず、諸侯を納得させるための、最も重い政治的決断をなさいませ」

 

その言葉が響いた瞬間。

リーフの背後に控えていた三人の女たちの間に、空気が凍りつくような凄絶な【殺気】が走った。

 

(……私は、リーフ様がどのような地獄を歩もうと、その足元を支える『土』になります。私の祈りは、誰にも譲りません)

 

ナンナの本質は、「彼のすべての痛みを自分が吸収し、自分がいなければ彼が立っていられない状態を創り上げる」という、静かで恐ろしいほどの依存と自己犠牲の狂信であった。

 

(……泥を被るのも、一緒に血を流すのも、私の特権よ。レンスターとアルスターの業を、私以外に背負いきれる女がいるもんですか)

 

ミランダは、リーフの孤独を力任せにこじ開け、自分と同じ地獄に彼を引きずり込むことで完成する「共有の独占欲」を燃えたぎらせる。

 

(……運命の糸は、私が全部視ているもの。リーフの心臓の鼓動も、彼が誰の呪いを選ぶのかも、私が一番近くで観察してあげる……)

 

サラの退廃的な微笑みは、リーフという存在そのものを「己の運命の玩具(共犯者)」として魂のレベルで囲い込もうとする、底知れぬ闇の執着であった。

 

誰が最も彼にとって『政治的かつ精神的に逃げ場のない鎖』になれるかという、息苦しいほどの死闘。

リーフは、背中に突き刺さるその三つの極限の情念の重さを、もはや「胃が痛む」などという少年の感傷で受け止めることはなかった。

 

(……これが、王になるということか)

 

リーフの瞳に、トラキアの過酷な大地を統べる覇者としての、氷のような冷酷な光が宿る。

誰か一人を選ぶということは、残りの彼女たちがこれまで流してきた血と涙、そして「自分と共に生きる」という人生の退路を、自分の手で残酷に殺す(切り捨てる)ということだ。選ばれなかった女たちの絶望と恨みを一生背負い、それでもなお王として微笑まなければならない。それが王の業である。

 

「……ドリアス、アウグスト。返答は後日だ。だが……必ず僕が、僕の意志で決断を下す」

 

彼は逃げない。トラキアを治める王として、己の手を最も残酷な決断の血で染める覚悟を、静かに完了させていた。

 

***

 

そして、視点は再び、グランベルの中心へ。

 

「……セリス様。生き残った諸侯からの『婚姻』の打診、すでに机の上に山積みだけど……どうするつもりですか?」

 

王城の深部、セリスの執務室。窓辺に腰掛け、面白くもなさそうにナイフを弄りながら口を開いたのは、ユングヴィの血を引く盗賊の娘、パティであった。

彼女は極限の死地において、誰よりも早くセリスに『勇者の剣』を渡し、彼の背負う重圧(泥)を間近で見てきた女である。

 

「……すべて焼き捨てるよう、文官に指示しました」

 

セリスは羽ペンを置き、氷のように静かな瞳でパティを見つめた。

「僕の隣(玉座)は、権力闘争のための椅子ではない。アルヴィスやユリウスが残した途方もない重荷を、共に被って死ぬための場所です。……パティ、ぼくの妻になってくれませんか」

 

「共に地獄の底まで支え合ってくれ」という、血を吐くような共犯の誓い。

 

「……あっそ。グランベル王からのご指名じゃ、盗賊の娘には断る権利もないわね」

 

パティは小さく鼻を鳴らし、ナイフを鞘に収めた。

 

「いいわよ。……あんたが綺麗な顔して被ってるそのヘドロ、私が半分背負ってあげる。その代わり、死ぬまで私をこき使いなさいよね」

 

二人は、決して熱く抱き合うことはなく、ただ静かに視線を交わして重荷を分け合うことを確定させた。

 

その夜。

王城のバルコニーへと歩み出たセリスとパティの眼下には、ロプトウスの支配から解放された、広大で、しかしひどく傷ついたユグドラルの大地が広がっていた。

 

光の聖王の治世。

それは、後世の歴史書が語るような、光り輝く黄金の時代などでは断じてない。

生き残った者たちが、死者の残した途方もない業と泥を被り、息苦しいほどの情念と執着で互いの魂を縛り付け合いながら、それでも「今日を生き延びるため」に必死に足掻き続ける、果てのない贖罪と労働の時代。

 

「……行こう、パティ。僕たちの戦いは、これからだ」

 

絶望の底から這い上がった者たちの、血と泥に塗れた重厚なる歴史絵巻は、その冷徹なまでの「生きる意志」を世界に刻みつけ、ここに一つの幕を下ろしたのであった。

 

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