オレは二人が幸せな未来が視たいんや!   作:ラスアス最高

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第3話

 

 

 数年が経った。

 

 そう言うと、全部が勝手に薄くなったみたいに聞こえる。でも、そんなことはなかった。ジョンが死んだ日の雪も、ロッジの血の匂いも、あの満面の笑みも、消えなかった。消えないまま、形を変えた。最初は息をするたびに刺さる刃物みたいだった。それが時間と一緒に、体の奥に沈んでいった。

 

 痛くないわけじゃない。ただ、毎日血が出るわけじゃなくなった。それだけだった。

 

 ジャクソンは続いていた。柵は直され、馬小屋は増え、倉庫の屋根は一度雪で潰れかけて、それをジェシーが文句を言いながら補強した。マリアは相変わらず怖い。トミーは前より少しだけ無口になったけど、笑う時は笑う。ディーナは悪だくみをするとき、いまだにジョンと同じ顔をする。

 

 それから、ジェシーとディーナの子どもが生まれた。

 

 名前は、JJ。

 

 小さくて、よく泣いて、よく寝て、町の誰かが抱くたびに顔を覗き込まれていた。ディーナは慣れない手つきで抱き方を直して、ジェシーは平気そうな顔をしながら、少しでも泣かれると分かりやすく焦った。

 

 私はそれを見るたびに、変な気持ちになった。苦しいとか、嫌だとか、そういう単純なものじゃない。ただ、目の前にあるものがあまりにも普通で、あまりにも生きていて、少しだけ眩しかった。

 

 ジョンが見たかったものは、たぶんこういうものだったんだと思う。

 

 ジョエルは生きている。右脚には後遺症が残った。長く歩く時は杖を使うし、寒い日は顔をしかめる。巡回にはもう出ない。出ようとして、マリアとトミーと私に同時に止められたことがある。あの時のジョエルの顔は、ちょっとだけ見ものだった。不満そうで、でも反論しきれなくて、最後には小さく舌打ちした。

 

 ジョンがいたら、絶対に何か言っていたと思う。でも、もう頭の中でアイツがずっと喋ることはなくなった。最初の頃は違った。何かを見るたびに、アイツならこう言う、アイツならこう笑う、アイツならこんな馬鹿な言葉を挟む。そんなことばかり考えていた。でも数年も経てば、毎日そんなふうにはならない。

 

 それは薄情になったわけじゃないと思う。たぶん、ジョンのいない日常に、私たちがちゃんと慣れてしまっただけだ。それもまた、少し腹立たしい。

 

 ジョエルはギターを続けている。最初は、指が動くかどうかを確かめるみたいに弾いていた。次に、私に聞かせるために弾いた。それから、町の子どもに簡単なコードを教えるようになった。その光景を見るたびに、ジョンの遺書の一文が頭をよぎる。

 

 『それで、できればギターを続けてくれ』

 

 できれば、なんて軽く書くくせに、アイツは絶対にそうなる未来を欲しがっていた。ジョエルが椅子に座って、古いギターを抱えて、眉間に皺を寄せながら子どもに教える。その隣で私は壁にもたれて、ディーナは笑って、ジェシーはJJを抱きながら妙に真面目な顔をしている。

 

 ジョンが見たがったのは、たぶんこういうものだった。派手な勝利じゃない。誰かが生きているだけの日。誰かが文句を言える日。誰かが、喧嘩して、謝るかどうかで迷える日。

 

 認めたくないけど、アイツの勝ち判定は、少しだけ分かるようになってしまった。

 

 それが一番ムカつく。

 

 ジョンの遺書は、全部読んだ。

 

 正確には、一気に読めなかった。最新版を読んだあと、残りの四年分はしばらくジョンの机に置いたままだった。マリアが保管するかと聞いた。ジェシーが「俺が預かってもいい」と言った。ディーナは何も言わず、私を見ていた。

 

 結局、私が持って帰った。最新版だけじゃない。一年目から四年目まで、全部。読んだのは、少しずつだった。

 

 一年目は最悪だった。転生したとか、ゲームだとか、未来だとか、支離滅裂で、テンションが変で、まだ私たちとまともに話せてもいないジョンが、どうにか全部を変えようとして空回りしているのが分かった。読んでいると腹が立った。でも、途中で笑いそうにもなった。

 

 『初手ソルトレイクは本当にダメ。二度とやるな。いや、もうやった。過去のオレを殴りたい』

 

 そんなことが書いてあった。殴りたいのはこっちだ。

 

 二年目は、少し落ち着いていた。ジャクソンの巡回の話が多かった。感染者の動き方、物資の場所、誰がどの武器を使いやすいか。ジェシーの判断が早いこと。ディーナが思ったより悪ふざけに強いこと。トミーの冗談がたまに分かりにくいこと。マリアの怒り方が怖いこと。

 

 私についても書いてあった。

 

 『エリー、警戒心の塊。正しい。オレが怪しすぎる。あとジョークの切れ味が普通に痛い。精神ダメージが入るタイプ』

 

 ざまあみろ。

 

 三年目には、ジョンの字が少しだけ柔らかくなっていた。町のことが増えていた。飯のこと。雪のこと。ギターの音。ジェシーと組んだ巡回のこと。ディーナとやったくだらない悪戯のこと。私と喧嘩したこと。ジョエルに睨まれたこと。

 

 『ジョエル、最近オレを見る目が父親のそれ。娘はやらんぞ判定が出てる気がする。いや、違うんです。違う……はず。たぶん。たぶんって何?』

 

 読んだ時、私はしばらく紙を見たまま固まった。ディーナが隣で覗き込んで、それを読んで、笑いそうになって、でも笑えなくて、変な顔をしていた。

 

 四年目は、もうほとんど遺書じゃなかった。日記みたいだった。楽しかったことばかり書いてあった。ジェシーと組んだ巡回のことも多かった。

 

 『ジェシー、相変わらず判断が早い。真面目。あと顔だけで「馬鹿か?」を伝えてくる能力が高い。あれ絶対スキルだと思う』

 

 これをジェシーに見せたら、ジェシーはしばらく黙って、それから「殴る相手がいないのが腹立つな」と言った。それでも、そのページはジェシーが持っている。欲しいと言ったわけじゃない。ただ、私が差し出したら、黙って受け取った。もう返せとも言っていない。だから、たぶん持っている。

 

 町の中では、少しずつジョンの名前が普通に出るようになった。

 

 最初は誰も口にしなかった。誰かが言いかけて、止める。別の話題に変える。そのたびに、ジョンの不在がさらに濃くなった。でも、時間が経つと、少しずつ変わった。

 

 食堂で誰かがパンを焦がした時、ディーナが言った。

 

 「ジョンなら勝ち判定出してたね。香ばしければ勝ち、とか」

 

 私は「言いそう」と返した。それだけで、その場にいた何人かが少し笑った。

 

 ジェシーが新しい若手と巡回に出ることになった時、少しだけ不思議な感じがした。ジェシーの隣に、別の誰かが立っている。当たり前のことだ。巡回は続く。人は足りない。ジェシーがいつまでも一人で出るわけにはいかない。でも、その並びを見るたびに、胸の奥が少しだけ引っかかった。

 

 ジェシーは何も言わなかった。新しい相手にも、町の人にも、ジョンの名前を出さなかった。ただ、巡回前に装備を確認する時、ほんの一瞬だけ、空いた横を見る癖があった。たぶん本人は気づいていない。でも私は、何度か見た。

 

 ジョンがいた場所。ジェシーの隣で、勝手に喋って、勝手に笑って、勝手に前へ出ようとしていた場所。そこにはもう誰もいない。それでもジェシーは、毎回ちゃんと外へ出る。

 

 それが、少しだけ痛かった。

 

 消えたわけじゃない。ただ、毎日隣にいるみたいに感じることは減った。そういうふうに、私たちは生きている。

 

 シアトルには行かなかった。

 

 正確には、行く理由をジョンが潰した。アビーは死んだ。マニーも死んだ。ロッジにいた連中の多くも、感染者と混乱の中で死んだ。生き残った者はいたけど、復讐を続けるだけの熱は残らなかったらしい。

 

 あとから聞いた話だと、彼らの中にはジャクソンの場所を正確に把握しないまま散った者も多かった。そうなるようにしたって、ジェシーが言ってた。

 

 「たぶん、全部じゃない。でも、狙ってたんだと思う」

 

 「何を」

 

 「追えない形にすること」

 

 ジェシーはそう言った。

 

 アビーを殺しただけじゃない。マニーを殺しただけじゃない。ジョンは、追うための熱と、追われるための道を、両方壊そうとした。それが成功したのか、偶然なのか、もう分からない。

 

 でも、私たちはシアトルに行かなかった。誰も劇場で死ななかった。ジェシーは撃たれなかった。トミーは復讐に取り憑かれたみたいな顔にならなかった。ディーナは私の隣にいた。私はギターを弾ける。指は全部ある。ジョエルは、下手になったな、と言いながら私の演奏を聞く。

 

 ジェシーは、JJを抱くときだけ少し変な顔をする。真面目で、怖がっていて、でも嬉しそうな顔。ディーナはそれを見て笑う。私はその横で、何も言わずに見ている。

 

 そういう日が、ここにはある。

 

 全部、ジョンが遺書で言っていた「勝ち」の中に入るんだと思う。

 

 そのことが、今でも嫌だ。嫌だけど、壊したくはない。

 

 私は、あの時シアトルに行かなかった。行けなかった、の方が近い。怒りはあった。アビーを殺したいと思う相手は、もうジョンが殺していた。それでも、あの場にいた誰かを探して、名前も知らない誰かに怒りをぶつけることはできた。

 

 でも、ジョンの遺書があった。

 

 『復讐ルートには行くな』

 

 『あれはクソ長い負けイベントです』

 

 『オレのために死ぬな。オレのために殺すな。オレのために人生をバグらせるな』

 

 あの軽い文字が、私の足首を掴んだ。ムカつくくらい強く。おかげで私は、どこにも行けなかった。最初は、それが腹立たしかった。今も腹立たしい。でも、私はここにいる。

 

 ジョエルとは、少しずつ話すようになった。

 

 手紙を渡したあと、すぐに全部が直ったわけじゃない。そんな簡単な話じゃない。私がジョエルの家に行く。ジョエルがコーヒーを出す。私はまずいと言う。ジョエルは分かってると言う。そこから、黙る。ずっと黙る日もあった。

 

 最初の頃は、ほとんど手紙の続きだった。

 

 許せない。分かってる。嘘をついた。ああ。私の人生を勝手に決めた。ああ。その繰り返し。

 

 ジョエルは言い訳をしなかった。たぶん、したいことはあったと思う。自分がなぜそうしたのか。何を思っていたのか。私を失いたくなかった。もう二度と娘を失うようなことは耐えられなかった。そういう言葉は、ジョエルの中にあったと思う。

 

 でも、ジョエルはまず、私の怒りを聞いた。それが余計に苦しかった。怒り続けるのは、相手が反論してくれた方が楽だ。なのに、ジョエルは逃げなかった。逃げないで、と手紙に書いたから。その言葉を、ジョエルはちゃんと守った。

 

 ある夜、私はジョエルに聞いた。

 

 「ジョンのこと、どう思ってた?」

 

 ジョエルはギターの弦を拭いていた。手が止まった。

 

 「変な子だった」

 

 「それはそう」

 

 「信用できなかった」

 

 「最初は?」

 

 「最後まで少しはな」

 

 ジョエルはそう言って、小さく息を吐いた。

 

 「でも、悪いヤツじゃなかった」

 

 アイツ。その言い方が、少しだけ意外だった。ジョエルの中で、ジョンは「変な子」から「アイツ」に変わっていた。いつからなのかは、分からない。たぶん、本人にも分からない。

 

 「悪いヤツだったら、自分の代わりに死なないでしょ」

 

 「悪いヤツでも死ぬ時は死ぬ」

 

 「何それ」

 

 「世界はそういうもんだ」

 

 その言い方がジョエルらしくて、私は少し笑った。笑えたことに、自分で驚いた。

 

 ジョエルは弦を拭く手を止めたまま、しばらく黙っていた。

 

 「俺は、アイツが怖かった」

 

 「ジョンが?」

 

 「ああ」

 

 「なんで」

 

 「自分を計算に入れてない」

 

 私は何も言わなかった。

 

 「怪我をしても、平気な顔をする。危ない方へ迷わず行く。誰かを助ける時、自分がどうなるかを後回しにする。そういうヤツは、長く生きない」

 

 ジョエルは低い声で言った。

 

 「俺は、それを知ってた」

 

 それでも止められなかった。その言葉は、口に出されなかった。でも、聞こえた気がした。

 

 私は膝の上で手を組んだ。

 

 「私も、知ってた」

 

 ジョエルは私を見た。

 

 「知ってたのに、止められなかった」

 

 「エリー」

 

 「何」

 

 「それは、お前のせいじゃない」

 

 「じゃあ誰のせい?」

 

 ジョエルは答えなかった。答えられるわけがない。誰のせいかなんて、簡単に分けられるなら、こんなに苦しくない。ジョンのせい。アビーのせい。ジョエルの過去のせい。私のせい。世界のせい。どれも少しずつ合っていて、どれも全部ではない。

 

 だから、誰もそれ以上言わなかった。

 

 その夜、ジョエルは一曲だけ弾いた。私は最後まで聞いた。終わったあと、ジョンがどこかで完全勝利と言って、あの腹立つ笑顔をしている気がした。

 

 違う。

 

 でも、少しだけ。

 

 ほんの少しだけ、負けではなかった。

 

 ディーナとの関係も、変わった。

 

 最初は、ジョンの死が間にあった。私が黙ると、ディーナも黙る。私が怒ると、ディーナは受け止める。私が逃げると、ディーナは追いかけすぎない距離で待つ。それがありがたくて、苦しかった。

 

 ディーナはジョンのことを、ちゃんと失っている。悪友だった。共犯だった。たぶん、私が知らない会話もたくさんあった。それなのに、ディーナは私を支えようとした。

 

 ある日、私は言った。

 

 「無理しなくていいよ」

 

 ディーナは洗濯物を畳みながら、私を見た。

 

 「何が?」

 

 「私のこと」

 

 「無理してるように見える?」

 

 「見える」

 

 「じゃあ見ないで」

 

 私は少しだけ笑った。

 

 「何それ」

 

 「エリーがよく言うやつの真似」

 

 「似てない」

 

 「似てる」

 

 「似てない」

 

 ディーナは笑った。その笑い方に、前より少しだけ影があった。

 

 「私も、ジョンのこと考えてるよ」

 

 「うん」

 

 「バカだったなって」

 

 「うん」

 

 「もっと一緒にバカやりたかったなって」

 

 私は洗濯物を見た。ディーナの手元にある布が、綺麗に畳まれていく。

 

 「倉庫の上から雪玉落とすやつ」

 

 ディーナが言った。

 

 「やったの?」

 

 「ジェシーに?」

 

 「うん」

 

 「やった」

 

 私は顔を上げた。

 

 「いつ」

 

 「去年」

 

 「聞いてない」

 

 「言ってない」

 

 「何で」

 

 「エリー、たぶん怒ると思ったから」

 

 「怒らないし」

 

 「怒るよ」

 

 「……怒るかも」

 

 ディーナは笑った。

 

 「ジョンのせいって言った」

 

 「最低」

 

 「遺書に書いてあったし」

 

 「ほんと最低」

 

 「でも、ジェシー、ちゃんと怒ったあとに笑ってた」

 

 その言葉で、胸の奥が少しだけ軽くなった。ジョンの悪戯は、ちゃんと実行された。死人に口なし。たぶん、ジョンは使い方を間違えていたけど。それでも、何かが少しだけ続いている。

 

 ディーナは畳んだ布を置いた。

 

 「エリー」

 

 「何」

 

 「失いたくないって思うの、悪いことじゃないよ」

 

 私は黙った。

 

 ディーナは続けた。

 

 「ジョンの死に引っ張られるのと、ジョンが守ったものを大事にするのは、違うと思う」

 

 「急にまともなこと言わないで」

 

 「たまには言う」

 

 「やめて。慣れてない」

 

 「失礼」

 

 私たちは少しだけ笑った。ジョンがいない場所で、笑った。それは裏切りみたいで、でも違う気もした。

 

 笑えるなら勝ち。

 

 ふと、そう言いたそうにアイツが笑っている気がした。

 

 うるさい。

 

 でも、その日は否定しなかった。

 

 墓参りに行く日は、決まっているわけじゃない。

 

 誕生日でも、命日でも、何かの記念日でもない。行きたくなったら行く。行けない日は行かない。忘れたわけじゃない。忘れていないから、行けない日もある。

 

 その日は、春だった。雪はほとんど溶けて、地面は柔らかかった。町の外の木々に、少しだけ緑が戻り始めていた。風は冷たいけど、冬の痛さではない。

 

 私は花を持っていた。

 

 ディーナがくれた花だ。町の中で育てたものらしい。色は淡くて、ジョンには少し似合わない気がした。アイツなら、もっと派手なやつでお願いします、とか言いそうだ。花に派手とかあるわけないでしょ。そう思いながら、墓地へ向かった。

 

 ジョンの墓は、少し奥にある。木製の墓標には、名前と年だけが刻まれている。

 

 【 JOHN‐19歳 】

 

 それだけ。

 

 あまりにも短い。アイツは、あんなにうるさかったのに。

 

 墓の前に着いた時、先客がいた。ジョエルだった。

 

 杖を片手に、ゆっくり膝を曲げているところだった。無理をするなと言いたくなったけど、黙った。ジョエルは片手に花を持っていた。白い花だった。派手じゃない。でも、綺麗だった。

 

 私は少し離れたところで足を止めた。ジョエルは私に気づいていないのか、気づいていて気づかないふりをしているのか、墓の前に花を置いた。

 

 しばらく、何も言わなかった。

 

 風が吹いて、草が揺れた。ジョエルは墓標を見ていた。

 

 「お前の勝ちだったかは、まだ分からん」

 

 低い声だった。私は息を止めた。

 

 「だが、エリーは生きてる。俺も生きてる。ディーナも、ジェシーも、トミーもいる。町も続いてる」

 

 そこで少しだけ間が空いた。

 

 「お前が見たがってたものは、たぶん、残ってる」

 

 ジョエルの声は、少しかすれていた。

 

 「だから、まあ」

 

 ジョエルは小さく息を吐いた。

 

 「今日のところは、引き分けにしといてやる」

 

 その言い方が、あまりにもジョエルで。あまりにも、ジョンが喜びそうで。私は花を持つ手に力を込めた。どこかでアイツが、引き分けは実質勝ちでは、と言いたそうに笑っている気がした。

 

 違う。

 

 でも、少しだけ笑ってしまった。

 

 ジョエルが振り返った。

 

 「いたのか」

 

 「今来た」

 

 「嘘だな」

 

 「うん」

 

 ジョエルは何も言わず、少し横にずれた。私が花を置けるように。

 

 私は墓の前にしゃがんだ。土の匂いがした。春の匂いだった。持ってきた花を、ジョエルの花の隣に置く。

 

 淡い色と白い花。ジョンには、やっぱり少し大人しすぎる。

 

 「もっと派手なのがよかったかも」

 

 私が言うと、ジョエルは墓標を見た。

 

 「アイツなら、そう言うな」

 

 「うん」

 

 「文句も言う」

 

 「絶対言う」

 

 私たちは少しだけ黙った。風が吹いた。墓前の花が、小さく揺れた。

 

 「ねえ、ジョン」

 

 私は墓標を見た。

 

 「みんな、生きてるよ」

 

 口に出すと、思ったより重かった。

 

 「ムカつくけど、あんたが守ろうとしたもの、まだ残ってる」

 

 ジョエルが隣で静かに聞いていた。

 

 「でも、勝手に勝ったことにすんな。私たちは、まだ続いてる。だから、勝ちかどうかは、こっちで決める」

 

 墓標は何も答えなかった。当たり前だ。それでも、アイツがどこかで「判定待ちってことで」とでも言いたそうに笑っている気がした。

 

 私は小さく息を吐いた。

 

 「ほんと、馬鹿」

 

 ジョエルが隣で、ほんの少しだけ笑った気がした。

 

 遠くで、子どもの泣き声がした。たぶんJJだ。最近、町の中で一番よく通る声をしている。ディーナが困ったみたいに笑って、ジェシーが妙に真面目な顔で抱き上げるところまで、見なくても想像できた。

 

 春の風が吹いた。白い花と、淡い色の花が、墓の前で揺れている。

 

 ジョンはいない。

 

 それでも町は続いている。ジョエルは生きている。私も生きている。ディーナも、ジェシーも、トミーも、マリアも、みんなそれぞれの場所で息をしている。

 

 それがジョンの言う勝ちなのかは、まだ分からない。

 

 でも、失いたくないとは思った。ひどく、強く。

 

 私は墓標を見たまま、もう一度だけ呟いた。

 

 「また来る」

 

 返事はない。

 

 ただ、風の中で、ジョンが笑った気がした。

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