その声に惹かれて   作:slo-pe

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忠誠

 

 

 善逸や伊之助と共に向かった、那田蜘蛛山。

 蜘蛛の巣が張りめぐらされ、無数の蜘蛛が蠢くその場所で、俺、竈門炭治郎は十二鬼月の一角「下弦の伍」累という鬼に殺されかけた。

 助けてくれたのは、水柱・冨岡義勇さん。禰豆子が鬼にされたあの雪山で出会った半々羽織の彼は、「下弦の伍」の攻撃を完封し、そして瞬殺してみせた。

 

 でも、それで終わり、めでたしめでたしとは、いかなかった。

 

「冨岡さん、どういうことですか」

 

 蝶の羽の模様が描かれた羽織を纏った女性が詰問する。抜き構えた日輪刀を、俺と禰豆子を庇う冨岡さんに向けながら。

 

「答えてください、冨岡さん。今あなたが庇ったのは鬼です」

「…………」

「鬼を殺そうとした私を、あなたが邪魔した。何か弁明はありますか?」

「…………」

 

 敬語ながら厳しい口調で問い続ける女性に対して。冨岡さんは戦闘態勢を取ったまま、答えない。

 

「そうやって、また何も言わない。だから嫌われてるんですよ、冨岡さんは」

「俺は嫌われてない」

 

 ようやく口を開いたと思えば、やけにはっきりとした、まさかの部分への否定。

 あまりの場違いさに、俺はあんぐりと開いた口が塞がらなかった。

 

「ギャグでも目を逸らしてるんでもないなら、自己認識を改めた方がいいですよ。あんな態度取って、嫌われてないわけがないじゃないですか」

 

 女性は呆れたように、諦めたようにそう言うと、僅かに視線をずらし、俺に剣先を向けた。

 

「そこの坊や、その鬼から離れなさい。鬼殺隊員なら、それが鬼だと分かるでしょう?」

「ち、違います! い、いや、違わないけど……」

 

 女性から投げられた言葉に、俺は痛む身体を無視して、禰豆子を抱き抱えながら身を起こす。

 

「あの、妹なんです! 俺の妹で、それで……」

「妹ですか」

「はいっ、だから……!」

「では、せめて苦しまないよう、優しい毒で殺してあげましょう」

 

 憐憫が滲むそれは、けれども揺るぎない決意が込められていた。

 

 ──禰豆子が、殺される

 

「動けるか?」

 

 そう直感する俺に、冨岡さんが女性に目を向けたまま問いかけてくる。

 

「動けなくても根性で動け。妹を連れて逃げろ」

「本気ですか、冨岡さん?」

「……」

 

 鬼である禰豆子と、それを庇う俺。

 二人を逃がそうとする冨岡さんに、女性は最後通牒とばかりに訊ねる。冨岡さんは、それに答えない。

 

「冨岡さん……すみません! ありがとうございます!」

 

 俺は、禰豆子を抱えて駆け出した。

 

 ──否、駆け出そうとした。

 

「ッ!」

 

 二人に背を向けた瞬間、眼前に刃があった。

 冨岡さんの息を呑んだ音が、微かに聞こえた。

 俺だって、気配なんて感じなかった。この山に満ちる刺激臭で鼻が利かないとはいえ、背後に立たれても何も感じなかった。

 誰もいなかったはずの場所に、いつの間にか立っていた人影と、突きつけられた刃。上げかけた腰が、反射的に地面へと落ちた。

 

「私だけでなく八幡もいるのに。逃げられるわけないじゃないですか」

 

 背後に聞こえる女性の声が、残酷なまでにその現実を告げていた。

 

「っ……」

 

 俺は、それどころではなかった。

 今の俺は、この山に満ちる悪臭で鼻が利かない。他人の心情どころか、その接近すらも感じ取れなくなっている。

 最も頼りになる嗅覚を封じられて、現状認識は自ずと視覚に頼っていた。

 

 刀を突きつけて俺を見下ろす鬼殺隊員。はちまんと、そう呼ばれた彼の目は、ひどく淀んでいた。

 この世界の闇、鬼殺の闇……今の俺では想像もできないほどの地獄を見てきた、そんな目をしていた。

 殺される。俺が、禰豆子が。──この人はそれをやると、そう強く思わされた。

 

「冨岡」

「……比企谷」

 

 彼──おそらく、ひきがやはちまんと言うらしい──は、俺から視線を逸らさず、冨岡さんに訊ねた。

 

「お前にまともな説明を求めるつもりはねぇ。だから一つだけ」

「…………」

「お館様は知ってるのか?」

「……知っている」

「ッ……!」「そうか」

 

 女性が息を呑む声が背後で、正面では比企谷さんが短く頷いた。そして、はぁ……と気怠げに息を吐くと、

 

「もう少しで夜が明ける。その兄妹を縛って、さっさと連れ帰るぞ」

「八幡!?」

「悪い、しのぶ。お館様が知ってるなら、とりあえず報告からだ。冨岡、お前そいつ運べよ」

「…………」

 

 比企谷さんは、冨岡さんの無反応を了承と受け取ったのか、俺に「向こうに膝立ちして腕を後ろにやれ」と命令した。

 従えば、縛られる。禰豆子を守ることができず、その生死を他人に預けることになる。──けれど、逆らえば即座に斬られる。

 

「分かりました……あの、禰豆子を日光から護るための箱があるんですが」

「縛ってから取りに行く。さっさとしないと日が昇るぞ」

「は、はいっ」

 

 俺はそそくさと指示された体勢を取り、手首を縛られた。続いて、意識のない禰豆子も縄でぐるぐる巻きにされていく。

 その間、俺は相変わらず表情の読めない冨岡さんと、怒りと困惑を露わにした女性から、じっと視線を向けられていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「では、君の裁判を始めましょうか。竈門炭治郎くん」

 

 半年に一度の柱合会議。お館様の屋敷で開かれるそれを前にして、鬼を連れた隊員の裁判が始まろうとしていた。

 

「まず、君の犯した罪の説明を──」

「裁判の必要などないだろう!」

 

 膝をつき、後ろ手を縛られた竈門炭治郎くんへ。

 諸々の感情はともかく、お館様も認知されているとのことで。とりあえず事情くらいは聞くべきだろうと蟲柱である私が口を開くと、溌剌とした声がそれを遮った。

 

「鬼を庇うなど明らかな隊律違反! 我らのみで対処可能! 鬼諸共斬首する!」

「ならば俺が派手に首を斬ってやろう。誰よりも派手に血飛沫を上げてやるぜ、もう派手派手だ」

「嗚呼、何というみすぼらしい子供だ。可哀想に、生まれてきたこと自体が可哀想だ」

 

 炎柱・煉獄杏寿郎が、音柱・宇髄天元が、岩柱・悲鳴嶼行冥が。それぞれ好き勝手に意見を述べる。

 

「私も同意見ですが、とりあえず事情くらいは聞いてからにしましょう」

 

 あの場にいたのは、私と八幡、冨岡さんの三人。

 冨岡さんはもちろん、八幡も進行役はしてくれなさそうなので、私が担うしかなかった。

 

「そんな事より冨岡はどうするのかね。拘束もしてない様(さま)に俺は頭痛がしてくるんだが……胡蝶めの話によると、隊律違反をしたのは冨岡も同じだろう?」

 

 そこにまた面倒くさいやつ──蛇柱・伊黒小芭内が、口を挟んでくる。

 ネチネチ煩いな、今私が話してんだよ、順序くらい守れよ、ていうかなんでわざわざ木の上から、カッコつけてないで降りてこいよ。

 と、一向に進まない裁判に苛立ち、内心でボロカスに叩く。

 

「どう処分する? どう責任を取らせる? どんな目に遭わせてやろうか……何とか言ったらどうだ、冨岡?」

「…………」

 

 そして、水柱でありながら、鬼を庇うという重大な隊律違反をした冨岡さんは、相変わらず離れたところで何も言わず立っているだけ。

 こいつはもういい、諦めてる。

 

「冨岡の処遇は後でいいだろ、今はこの竈門炭治郎のことだ」

「そうね」

 

 と、ようやく話を元に戻してくれた八幡に、私も乗っかる。

 

「竈門炭治郎くん、君は鬼殺隊員でありながら、鬼を連れて任務に当たっている。もちろんこれは鬼殺隊の重大な隊律違反ですが……そのことについて、説明してください」

「──はい」

 

 彼は、道中に八幡から待ち受けるであろう裁判について聞かされていたこともあり、真っ直ぐ私たちを見据えて語り出した。

 返事が返ってくるまでにわずかなタイムラグがあったのは、彼の躊躇いを反映したものではなく、逸る心を抑えるためのものだ。

 

「鬼は俺の妹なんです。俺が留守にしている間に襲われ、帰ったらみんな死んでいて」

 

 彼はそこで、傍らに置かれた鬼の入った木箱に視線を向け、再度私たちに向き直る。

 

「妹は鬼になったけど、人を喰ったことはないんです。今までも、これからも、人を傷つけることは絶対にしません……!」

 

「くだらない妄言を吐き散らすな。そもそも身内なら庇って当たり前、言うこと全て信用できない。俺は信用しない」

「嗚呼。鬼に取り憑かれているのだ。早くこの哀れな子供を殺して解き放ってあげよう」

 

「聞いてください! 俺は禰豆子を治すために剣士になったんです。禰豆子が鬼になったのは2年以上前のことで、その間禰豆子は人を喰ったりしてない!」

 

「話が地味にぐるぐる回ってるぞ阿呆が。人を喰ってないこと、これからも喰わないこと、口先だけでなくド派手に証明してみせろ」

 

 真摯に訴える彼に対して、柱の反応は当然のものだった。

 

「妹は、妹は俺と一緒に戦えます! 那田蜘蛛山でも俺を助けてくれた。鬼殺隊として、人を守るために戦えるんです! だから……!」

「おいおい、なんだか面白いことになってんな」

 

 そして、この状況で一番面倒な人が来た。

 

「鬼を連れた馬鹿隊員ってのはそいつかい? 一体全体どういうつもりだ?」

 

 風柱・不死川実弥。柱たちの中でも一際クセが強い彼には、この場にいてほしくなかった。

 

「鬼が鬼殺隊として、人を守るために戦える? そんな事はなぁ、ありえねんだよ馬鹿が!」

 

 不死川さんが竈門くんの前に立ち、狂的に嗤う。

 もうどうせ裁判なんて進まないだろうと、私が進行役を放棄しようとしたところで、

 

「もういいだろ、不死川」

「あ? 何だ比企谷、どういうことだ?」

「言葉通りだよ。柱は全員揃って、意思は固まった。お館様が何を考えていようと、解はもう出てる」

 

 そう言いながら竈門炭治郎くんに歩み寄ってくる八幡に、私は一歩譲る。不死川さんはその場から動かず、八幡が何をするのかと見ていた。

 

「鬼が人を喰わず、鬼殺隊として人を守るために戦えるなんてありえない。もし今までがそうだとして、これからもそうである保証はどこにもない──なら、ここで斬るのが一番後腐れない」

「なっ……!」

 

 竈門くんは、八幡の出した結論に言葉を失った。那田蜘蛛山での出来事や、道中での説明など、中立の立場に見えた彼が、明確に意見を表明したのだ。──それも、私たち柱側について。

 当然、私たちに否やはない。

 

「あのぉ……比企谷くんはさっき、『お館様も知ってるそうだから、いらっしゃるまで待ったほうが』って言ってたような……」

 

 唯一反論に近いことを口にしたのは甘露寺さんだが、それに八幡は、

 

「そうだな。俺は柱じゃないし、後で処分されるかもしれない」

「……いいの?」

「まあ、自宅謹慎とかなら久しぶりの休みが取れるし。クビにでもしてくれれば、あとはしのぶとカナヲに養ってもらうんで」

「比企谷くん、さすがにそれは……」

 

 そうやって、私やあの甘露寺さんを含む、柱全員をドン引かせることを平然と言ってのけるのだ。

 流石、斜め下の行動を取らせたら、右に出る者はいない。

 

 ただ、八幡の行動に反対する者もいなかった。彼が処罰を受けるなら、不当だと訴えるべきという考えも、柱たちは自然と共有していた。

 八幡はゆっくりと日輪刀を抜き、竈門炭治郎くんに向ける。

 

「一応、最期に何か言い残すことはあるか?」

「……俺を殺すのは、いいです。でも禰豆子だけはっ。禰豆子だけは殺さないで、助けてあげてください……!」

「……悪いな、竈門」

 

 最期まで切実に願う彼に、八幡は刀を構えて──

 

 ──瞬間、その傍らにあった箱が、破られた。

 

「は……?」

 

 その箱は非常に軽く頑丈な霧雲杉(きりくもすぎ)という木材で作られており、さらに強度を上げるため岩漆(いわうるし)が塗られている。

 それが破られた。ただ、鬼は人ならざる者であり、それだけならこれほどの驚きはなかったであろう。

 

 今、八幡が、竈門炭治郎くんが、私たちが驚愕しているのは、ここが太陽が振り注ぐ庭園だからだ。

 

 竹を噛んだ鬼の少女は、竈門くんを庇うように前に出て、両手を広げている。

 ──太陽を克服しているのではない。日光に蝕まれ、身体はみるみるうちに崩れ、激痛を思わせる表情をしてなお、鬼の少女は立っていた。

 

「っ──!」

 

 一番に動いたのは、目の前にいた八幡。

 彼は羽織を脱ぐと、鬼の少女に被せ包み、暴れるのも構わず力技で投げ飛ばした。

 

「禰豆子!」

 

 竈門くんは後ろ手に縛られたまま、妹のもとへ──日光を直接浴びることのない、畳敷きの大広間に駆け寄る。

 

「鬼が太陽の下に出てきた……」

 

 ここまで一言も発していなかった霞柱・時透無一郎が、目の前に起きた事実を端的に述べた。

 鬼は、陽の光を浴びると死ぬ。鬼は本能的に太陽を恐怖する。

 避ける、嫌う、という次元ではない。鬼にとって、太陽は触れてはならない絶対なのだ。

 

 それを破った。意志の力で恐怖をねじ伏せ、死に逝くとしても兄の前に立ち続けた。

 それを成した鬼の少女は、陽の光から逃れ、兄の必死の取りなしにより落ち着き、そして眠ってしまった。

 

 そんな驚きに呑まれる私たちに、

 

「「お館様の、御成りです」」

 

 幼い少女の声が、その場に響いた。

 

 

 

 お館様がいらしたことで、私たち柱は庭園に一列に並び、膝をつき頭を垂れる。

 八幡は柱ではなく、私とニコイチという理由で柱合会議に参加しているため、私の後ろで同じく頭を垂れている。

 竈門炭治郎くんは、大広間にて妹に寄り添い、お館様の背中を見る形になっている。

 

「おはよう皆、今日はとてもいい天気だね。顔ぶれが変わらず、半年に一度の柱合会議を迎えられたこと、嬉しく思うよ」

「お館様におかれましてもご壮健で何よりです。ますますのご多幸を切にお祈り申し上げます」

「ありがとう、実弥」

 

 早いもの勝ちのお館様への挨拶は、不死川さんが勝ち取った。並んだ列から多数の無念が滲む中、不死川さんはこう訊ねた。

 

「恐れながら、柱合会議の前にこの竈門炭治郎なる鬼を連れた隊士について、ご説明いただきたく存じますがよろしいでしょうか?」

「そうだね、驚かせてしまってすまなかった……炭治郎と禰豆子のことは、私が容認していた。そして、皆にも認めてほしいと思っている」

 

 優しく、穏やかなお館様の言葉。普段なら私たちも抵抗なく受け入れるのだが、今回はことが事だ。

 

「嗚呼、たとえお館様の願いであっても、私は承知しかねる」

「俺も派手に反対する。鬼を連れた鬼殺隊員など認められない」

「私は、全てお館様の望むままに従います」

「僕はどちらでも、すぐに忘れるので」

「…………」

「…………」

「信用しない、信用しない、そもそも鬼は大嫌いだ」

「心より尊敬するお館様であるが、理解できないお考えだ。全力で反対する!」

「鬼を滅殺してこその鬼殺隊。竈門、冨岡両名の処罰を求めます」

 

 九名の柱全員の言葉を受けて、お館様は「手紙を」と促した。

 傍に仕えている少女──お館様の娘様が、「はい」と袂から手紙を取り出した。

 

「こちらの手紙は、元柱である鱗滝左近次様より頂いたものです。一部抜粋して読み上げます──炭治郎が鬼の妹と共にあることを、どうかお許しください。禰豆子は強靭な精神力で、人としての理性を保っています。飢餓状態にあっても人を喰わず、そのまま二年以上の歳月が経過しました。俄には信じ難い状況ですが、紛れもない事実です。もしも禰豆子が人に襲いかかった場合には、竈門炭治郎及び、鱗滝左近次、冨岡義勇が、腹を切ってお詫び致します」

 

 読み上げられたそれに、大広間にいた竈門くんが、冨岡さんを見つめ、涙を流していた。

 

「……切腹するから何だと言うのだ」

 

 だが、その程度で覆せるほど、私たちが持つ鬼への憎悪は軟(やわ)ではない。

 

「死にたいなら勝手に死に腐れよ! 何の保証にもなりはしません」

「不死川の言う通りだ! 人を喰い殺せば取り返しがつかない! 殺された人は戻らない!」

 

 不死川さんが、煉獄さんが、言葉にしないほかの柱が、認められないと訴えていた。

 

「確かにそうだね。人を襲わないという保証ができない、証明ができない……ただ、人を襲うということもまた、証明ができない。」

 

 けれど、穏やかながらお館様が示したそれに、私たちは息を呑む。

 

「禰豆子が2年以上もの間、人を喰わずにいるという事実があり、禰豆子のために三人の者の命が賭けられている。それを否定するには、否定する側もそれ以上もモノを差し出さなくてはならない──皆にその意志はあるかな」

 

 それは、詭弁であり、悪魔の証明だった。

 

「それに、私の子供たちに伝えておくべきことがある。この炭治郎は鬼舞辻と遭遇している」

「そんなまさか、柱ですら誰も接触したことが無いというのに、そいつが!?」

 

 数多く修羅場をくぐってき宇髄さんですら、驚きを隠せない事実。

 柱たちの視線が、大広間に向けられる。

 

「どんな姿だった、能力は、場所は何処だ!?」

「闘ったの?」

「鬼舞辻は何をしていた、根城は突き止めたのか!?」

 

 宇髄さんが、時透くんが、不死川さんが、続々と問い掛けるが、それが実ることはなかった。

 

「────」

 

 お館様が、口元に指を立てて、静かにと求めたからだ。

 

「鬼舞辻はね、炭治郎に向けて追っ手を放っているんだよ。その理由は単なる口封じかもしれないが、私は初めて鬼舞辻が見せた尻尾を掴んで離したくない。おそらく禰豆子にも、鬼舞辻にとって予想外の何かが起きていると思うんだ……わかってくれるかな?」

 

 お館様の理論は、ある程度無理やりで、ある程度筋が通っている。普段であれば、拒否はしないだろう。

 けれど、感情がそれを許さない。竈門炭治郎だけならまだしも、鬼を生かしておくなど許容できるはずがない。

 私たちがどれだけの想いで鍛錬し、戦い、地獄を見てきたのか。この人は知らない。知らないから、そんな事が言えるのだ。

 

 と、そんな雰囲気が漂い始めた瞬間、

 

「はぁぁ」

 

 気怠げな溜め息が、響いた。

 九名の列より後ろ、柱でなくこの場に参加を許された彼が、それを発した。

 

「どうしたのかな、八幡」

「いや別に」

「何か言いたいことがあるんじゃないのかな?」

「いや、まあ別に」

「柱と、それに準ずる君が持つ不満は、そのまま鬼殺隊の士気に関わる。遠慮なく言ってほしい」

「それじゃあ」

 

 八幡は徐(おもむろ)に立ち上がり、私たちの列を迂回してお館様の前へと移った。

 嫌な予感がする。むしろ嫌な予感しかしない。だって、私が蟲柱になったとき、八幡は宣言していた。そしてそれは、今しかなかった。

 

「無理ですよ。あんたじゃ、俺たちを納得させるに至らない」

 

 予想に違わない八幡の発言に、驚愕と、同調と、敵意と、様々な感情が柱たちから漏れ出た。

 それでもお館様は、穏やかな表情を崩さない。

 

「どうしてかな?」

「あんたは、何も背負っちゃいない。もし禰豆子が人を喰ったとして、犠牲となるのは民間人か、もしくは俺たち鬼殺隊員だ。決して、あんたじゃない」

 

 それはお館様に対して、言ってはいけないことだ。身体が弱く、刀も振れないお館様には、決して言ってはいけないことだった。

 

「俺たちは、鬼殺隊として戦ってる。奪われた過去も、救えた者も、救えなかった者も、全部俺たちの記憶にこびりついてる。あんたはそれを知らない。鬼がどれだけ醜いかを、分かってない」

「そうだね。私は戦えず、皆に頼ってばかりだ。鬼の醜さも、その本当のところは知りようがない……それでも、私は鬼舞辻に繋がる機を逃したくない」

 

 八幡はお館様を糾弾し、お館様もそれに頷く。

 私は、もうやめてと、その先を言わないでと。八幡に──今この世で最も大切な彼に願った。

 

「どうしたら、炭治郎と、そして禰豆子を受け入れてもらえるだろうか?」

「そりゃあ簡単だ」

 

 その願いは、届かなかった。

 八幡は、日輪刀を抜いた。斜め上、縁側に立つお館様の首に当てた。

 峰だ、決して刃のある側ではない。だが、それが突きつける要求は明白で。鬼殺隊の組織秩序を根本から揺るがす行為に、柱の誰もが呆気に取られ、動けなかった。

 

「俺たち鬼殺隊は、戦場を同じくする隊員に背中を預け、命を預ける。お館様は俺たちに、鬼に背中を向けろと、命を晒せと言っている。だったら……」

「ならば私も、同じモノを背負わなくては、道理が通らないね」

 

 八幡の台詞を引き取って、お館様は言った。

 彼は、首に鋼の冷たさを感じている素振りすら見せず、八幡を、そしてその先にいる私たちを見た。

 

「もし禰豆子が人を襲えば、私も首を晒そう。日を浴び、雨に打たれ、腐っていく様子を晒そう。そうすることで、鬼舞辻を追うために急いてしまったと。私の判断が間違っていたと、君たちに示そう」

 

 そうして告げられた宣言に、その覚悟に。

 私たちは誰一人、反論などできなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

「すまなかったね、八幡。誤解が解けないまま、会議を終えてしまって」

「誤解は解けません。もう解は出てるんですから、そこで問題は終わってます」

「そうだね。君の糾弾のお陰で、柱たちの潜在的な不満は代弁され、私も覚悟を示すことができた。問題は解決している」

 

 鬼殺隊当主である私、産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)は、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 しかし、件の隊士、比企谷八幡はこれといった感情を見せない。むしろ感情を露わにしているのは、彼の隣にいる蟲柱・胡蝶しのぶだ。

 

 竈門炭治郎と禰豆子の処遇が決定し、定例の柱合会議が終わったこの場で、二人には残るよう、娘たちにこっそり伝えてもらっていた。

 

「そんな高尚なもんじゃないですよ。俺はただ、しのぶが蟲柱になったときの宣言を守っただけです」

「そうだね。君の忠誠は、しっかりと見せてもらったよ」

 

 そう、あれは数年前、

 胡蝶しのぶが下弦の肆を倒し、蟲柱に就くと決まったときの記憶が、脳裏に蘇ってきた。

 

 

 

 

 新たな蟲柱・胡蝶しのぶが誕生した際、彼女と常に行動を共にしていた八幡は、柱にはならなかった。

 鬼の討伐数だけならば、五〇という条件には達していた。複数人での任務でも、彼の隠密・暗殺技術は大きな武器になる。

 けれど、未だ呼吸の型が使えず、単独での任務を任せられないとなれば、柱には就かせられない。

 

 産屋敷邸でそう伝えた際、八幡は僅かな不満も見せなかった。

 同時に、静かな警戒を秘め、私を見据えていた。

 

「君には、私がどう見えているんだい?」

 

 と、思わずそう聞いてしまうくらいには、彼の様子は異質だった。

 彼は驚きを浮かべ、警戒を滲ませながら、ゆっくりと答えた。

 

「信頼したい……けれど信用してはいけないと、そう思っています」

「八幡!?」

 

 しのぶが叫び、私は興味をそそられた。そんな事を言われたのは初めてだった。

 

「詳しく聞いてもいいかな?」

「……西方の伝説に、エリクサーという薬があるそうです。飲めば立ちどころに病が癒え、瀕死の重症や欠損ですら治してしまう。そんな万能霊薬が」

「そんなものあるわけ……」

 

 医学に精通し、鬼殺隊員の治療や、鬼を殺す毒の開発も成したしのぶが、それを否定する。

 

「そうだよ、無いんだよ、そんなものは」

 

 八幡も、その当たり前の事実を、確かめるように頷き、

 

「薬一つでどんな症状も治るなんてあり得ない……言葉一つで、誰であろうと安心感を抱かせるなんて、あり得ないんだ」

 

 そして再び、私を見据えた。

 

「今、こうしているだけで、貴方を慕い、信頼したくなる」

「でも、それはあり得ない。伝説のエリクサーのような人物は、存在し得ない」

「──そうです。だから俺は、この先柱となる実力が備えられたとしても、柱にはなりません。鬼殺隊の最上位である柱に、貴方を信じない俺は相応しくない」

 

 柱は鬼殺隊の最高峰。

 その柱と、鬼殺隊当主である産屋敷家に軋轢があるとすれば、それは致命的なものになりかねない。

 故に彼は──、

 

「俺は、貴方を疑い続ける。しのぶが、悲鳴嶼さんが、他の誰が貴方を信じても、俺は貴方を信じない──それが、俺が誓う忠誠です」

 

 そうして比企谷八幡は、苦しそうに、けれどもはっきりと、私を拒絶した。

 

 

 

 

 

 当時を思い出し、それを果たしてみせた八幡への想いに目を細める。

 

「八幡、私に何か言うことは?」

 

 ただ、それとこれとは話が別だと。八幡の善い人であるしのぶが詰問する。

 

「悪かったとは思ってる」

「何が」

「柱たちの前で、お館様を糾弾したこと」

「そうね」

「ただ、あれしか方法が思い付かなくて……」

「そうね。私も、いくらお館様とはいえ、少し不満を抱いていたわ」

「……理解してくれてる人もいたし」

「そうね。悲鳴嶼さんに宇髄さんはもちろん、他にも八幡の行動を分かってくれてる人はいた……でも、私は怒ってます。」

「はい」

「私は、怒っています。八幡が孤立するんじゃないかって、心配で仕方なかったです」

「すみませんでした」

「よろしい」

「ふげっ」

 

 しのぶはそう言うと、土下座する八幡の頭を畳へ叩きつけることで手打ちとした。

 

 潰れた蛙のような声を上げ、鼻を押さえながら顔を上げた八幡は、しのぶから私へ向き直った。

 仕切り直した空気で、口を開いたのはしのぶだ。

 

「竈門炭治郎くんを蝶屋敷で療養させるとのことですが、何か特別なことはございますでしょうか?」

「いいや、他の隊士たちと同じように治療し、機能回復訓練に励ませてくれればいい。ただ禰豆子については、まだ公にしないよう取り計らってほしい」

「畏まりました」

 

 了承の意として深々と頭を垂れるしのぶと八幡を見据えながら、私はこれからの未来に思いを馳せていた。

 

 兆しだ。

 これは、兆しだった。

 千年もの間、停滞した鬼殺隊と鬼舞辻無惨の歴史が僅かながらに動き始めている。

 

 鬼舞辻の姿を目にし、鬼殺を為す炭治郎。理性を保ち、人を喰わない鬼、禰豆子。鬼舞辻無惨は、二人を逃さない。

 そして九名が揃った当代の柱は、それぞれが歴代でも誇るべき強者ばかりだ。

 

 この好機を逃してはならない。

 鬼舞辻無惨は、千年に渡り続く悲劇は、ここで終わらせる。

 鬼殺隊・産屋敷家の当主として、私は改めてそう決意を固めた。

 

 

 




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