阿良々木暦は止まらない   作:ぼんぼーる

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 手入れが行き届いているとは言い難い、荒れた石段を登っていく。

 肌感覚でしかないが、目的地までの距離は、残り四割弱といったところだろうか。

 僕の少し前を進む露伴先生に、未だ疲れの色は見えない。

 偏見かもしれないが、漫画家というと一日中椅子に座っているイメージがあったものだから、この長い石段を露伴先生が登りきれるかと心配していたのだが、どうもそれは完全な杞憂であったらしい。

 暑さ故に、額に汗を滲ませてはいるものの、依然としてその足取りは軽い。

「走って登れってんならともかく、普通のペースでいいなら、このくらい良い運動の範疇さ。第一、漫画家が不健康だってのは、偏ったイメージだと言わざるを得ないな。勿論そういう作家もいるだろーが、僕は自分の足でネタを集める方が、性に合ってるんでね。最低限動けるくらいには、鍛えているつもりだ。……それでいうとむしろ、ずっと屋内に籠ってる方が、僕の場合は気を病みそうだな」

「そういうもんですか?」

「ああ。家の中で得られる経験には、限りがあるからな。なんていうのかな、活気に溢れた街中や、自然豊かな環境ってのは、エネルギーを与えてくれるんだよ。アイディアが閃きやすいってのもそうだが、単純に作業が捗るんだ」

 おお……なんだかとても、漫画家らしい話を聞けている気がする。いや、実際に漫画家(しかも売れっ子)なんだけども。

 冷静になって考えると、あの岸辺露伴とこんな風に会話しているというのは、かなり凄い経験なのではなかろうか。

 いやまあ、純粋に有難みだけを感じるには、ここに至るまでのアレな言動がノイズ過ぎるけれど。

「ところで」

 露伴先生は、こちらを振り返らないまま、不意にそう切り出した。

「さっき、君が僕のお願いを快諾してくれた後のことだが——君は何をあんなに焦っていたんだ? 早く調査を始める分には、僕にとっても都合がいいから、止めはしなかったが、一刻も早くあの場を離れたがっているって風に見えたぜ」

 快く(うべな)ってはいない——という反論は、胸の内にしまっておこう。

 露伴先生の言う通り、僕は噂の調査協力依頼を了承した後、かなり急ぎ目に移動を開始した。

 目的地が遠いからというのも一つだが、しかしそれとは別に、もっと重要で確固たる理由があったのだ。

「……羽川が、来てしまうかもしれなかったので」

 他ならぬ、羽川翼の存在である。

 あのままあそこに留まっていれば、そう遠くない内に、羽川はきっと僕らの前に姿を現したことだろう。

 羽川には、露伴先生との話し合いの場には来ないで欲しいと頼み込んであり、実際それを承諾してはくれたのだが、そうはいっても最終的に、僕を心配して顔を出してしまう可能性も、十分に考えられた。居場所が分かっているのならば、猶更に。

 正しすぎる程に正しい彼女は、いつも僕を助けてくれる。

 助けようと、してしまう。

 し過ぎてしまう。

 自分の身すら省みず。

 そういう人間なのである。

「僕が露伴先生を待ち伏せできたのは、羽川のおかげでした。あいつが、電話口で僕が伝えた僅かな情報から、露伴先生の移動経路を推測してくれたんです」

「なんだって……? ……というか、妙だとは思っていたが、やはりあれは偶然じゃあなかったんだな。だが、それを意図的に狙うってのは……オイオイ、羽川翼は、名探偵か何かなのか?」

「違いますよ。頭が良いだけです」

「だけで済ませるにも、限度があるだろう。……なあ、やっぱり、羽川翼のこと、読んじゃあ駄目か? 吸血鬼とは別件で、俄然興味が湧いてきたんだが——って……ああ、分かってるよ。ちょっと言ってみただけじゃないか、そんな目で見るなよな」

 自分で言い出した約束なのだから、もうちょっと守る姿勢を見せて欲しいものだ。

 しかも、言ってみただけとか言いつつ、普通に本気だっただろうし。僕が冗談だと受け取って許可なんか出した暁には、何の遠慮もなく、嬉々として読みにいくことだろう。

 ……まあ正直、羽川の思考がどうなっているかという点については、僕も若干気になるところだけれど。

 もしかすると、実は集積回路が詰まっていたりするのだろうか——なんていうのは、流石に冗談であるが。……だが、AI少女羽川というのも、それはそれで萌えるのかもしれない。

 だがしかし、うーむ……。そうなると、彼女の肉体も、機械という事になるのだろうか。

 それは——駄目だな。うん、良くない。

 羽川の体が機械であったなら、あの豊満な双丘も、単なる金属パーツということになってしまう。そんなの、人類にとっての損失と言っても過言ではないだろう。

 彼女の一挙手一投足に合わせ、あの柔らかな膨らみが揺れ動く様こそ、僕に生きる希望を与えてくれているのだから。それは宛ら、砂漠に降る慈雨のように。そして恵みの雨を降らせる羽川本人は、差し詰め慈悲深い女神様である。

「……指摘すべきか迷ったが、率直に言わせてもらうと、君、今ひどい顔をしているぞ。『ヘブンズ・ドアー』を使わなくったって、低俗な事考えてんだろーなってことだけは、分かるくらいだ」

「……!」

 おっと。

 言われた瞬間、僕は表情を引き締めた。

 キリっとした、男らしい顔のイメージだ。

「突然真面目な顔に切り替わると、却って気持ち悪いな」

 駄目だった。

 しかも、直球で気持ち悪いって言われた。

 ちょっと凹む……。

 というか、いつの間にか、思考が横道に逸れまくっていた。

 まあ、特にトークテーマを設けていた訳でもないのだから、戻るべき本筋なんてものはないのだけれど。

 ……そうだ。折角だから、僕の方からも気になっていたことを、思い切って聞いてみようかな。

「あの、露伴先生」

「……何だい」

「つかぬ事を伺いますけど——忍野メメって名前の男と、知り合いじゃありませんか?」

 忍野メメ。

 アロハシャツを着た、小汚くて軽佻浮薄な——けれど僕の恩人である男だ。

 露伴先生は僕の問いかけに一瞬立ち止まり、考えるような素振りを見せたけれど、それからすぐに、

「知らないな」

 と言って、歩みを再開した。

「僕の知人にそんな名前のやつは居ないし、忍野って苗字にも心当たりはない。……そいつが、どうかしたのか?」

「ああ、いえ! 知らないならいいんです! 何でもないんで……」

「……人に訊ねておいて、何でもないってことは無いだろう。いいから早く言えよ。隠されると、余計に気になるぞ」

 うっ……引く気はないって目をしていらっしゃる……。

 ぶっちゃけ、話し始めた後に、こうなるんじゃないかと思い至ったが、時すでに遅しであった。

 本当に大したことじゃないから、そんなに興味を向けられても困るのだが。

 かといって、これ以上隠し立てしても、どんどんとハードルが上がるだけだろう。さっさと吐いてしまうのが、身のためか。

 僕はなじられることを覚悟しつつ、口を開いた。

「——声が、似てるなあ……と」

「…………声ェ~~?」

 露伴先生は、思いっきり訝し気に眉根を寄せる。

 実を言うと、最初に声をかけられた時から、薄っすらと感じてはいたのだ。

 軽薄な忍野とは違い、口調が鋭いが故に、それに気付いたのは、一度目に別れた後のことだったが。

「いや、本当に似てるんですよ! 流石に喋り方とかもあるんで、判別できない程じゃありませんけど……。逆に言えば、まったく同じセリフを言ってもらって、録音した音声だけを聞かされたら、分からないかもしれないくらいには、似てると思います! だから、なんというか……、どっかで血でもつながってたりしたら、面白いなあって……」

「……ハァ~~~~~~~~」

 それは、肺の空気が全部抜けたんじゃないかというくらいに、長く深い溜息だった。額に手をやったその姿と、頭痛を堪えるような表情からは、強い呆れが伝わってくる。

「あのなァ、暦くん。世界にどれくらい、人間が居ると思ってるんだ? 声が似てるというだけで血縁関係を疑うなんて、単純思考とかってレベルじゃあないぞ」

「わ、分かってますよ! 本気で思ってた訳じゃありませんって!」

 こういう反応をされるだろうから、言いたくなかったのに……。

「だとしても、だよ。大体、顔つきとかはどうなんだ。声という要素を一番に挙げるってことは、外見的には似てないってことなんじゃあないのか?」

「……似てないですね。忍野はいつもにやけ面で胡散臭い、人を見透かしたような態度のやつでしたから」

「……ほとんど外見の情報じゃあなかったが、まあいい。内面の方が印象に残るくらい、癖の強いヤツってことがよく分かったよ。だが——でした、という言い方は引っかかるな。……故人か?」

「いやいや! 全然生きてますけど、なんていうか、えっと…………忍野は、根無し草の放浪者で——怪異の専門家なんです。怪異譚の蒐集が目的だとかで、暫くこの町に滞在してたんですが、それも終わったみたいで、つい先日出ていきました」

 忍野について喋っていいものかは悩んだが(露伴先生に目を付けられないかという意味で)、あいつなら仮に今後露伴先生と遭遇しても大丈夫だろうと思い、結局話すことにした。

 根拠なんてものはないけれど、あの忍野なら——今年の春休みに、僕を襲うヴァンパイアハンター三人の攻撃を事も無げに受け止め(しかも全員を同時に相手取って)、更に見事退けてみせた忍野メメであれば、露伴先生の力にも対抗できるんじゃないかと、そう思ってしまったのだった。

「怪異の専門家、ね。……いいじゃないか、実に少年漫画的で、心躍る肩書だ」

 露伴先生はそう言って、口端を歪める。

「そいつの行先を、暦くんは知らないのか?」

「知らないですね……。町から出て行ったのだって、あいつに会おうと寝泊りしていた場所を訪れて、初めて気づいたくらいなんで」

「そうかい。そりゃあ残念だ」

 口調こそ軽いものの、露伴先生は割と本気で残念がっているようだった。

 露伴先生と、忍野かあ……。

 なんだか、想像の付かない組み合わせである。

 好奇心の赴くままに行動する露伴先生は、バランスを取りたがる忍野の目には、どう映るのだろう。

 これは僕の予想でしかないが、露伴先生はきっと、これまでに何度も、怪異が絡む現象に関わっているのだと思う——自分から首を突っ込んだり、事を大きくするようなケースも含めて。

 だとするとやはり、興味本位で波風を立てようとする露伴先生は、厄介なトラブルメーカーといった風だろうか。

 ……なんだかそう表現すると、僕にもブーメランが刺さっている気もするが。大概僕も、色んな事件に関わっているのだし。

 そうして、僕が今までに関わった怪異の事を思い返していると、不意に疑問が湧いてきた。

 そういえば、『ヘブンズ・ドアー』と露伴先生が呼んだ力は、結局怪異の類なのだろうか。それにしては、随分と使いこなしているというか、都合よく扱っているように思えるけれど。

 気になった僕が、直截的に質問してみれば。

「……まあ、別に教えてやったっていいか」

 露伴先生は、ほんの少しだけ考えたようだったが、最終的にはそう言った。

「これは、『スタンド』と呼ばれる力だ。ごく一部の、素養を持った人間に発現する能力であり、精神力の具現化だとか、形ある超能力だとか、そんな風に認識してもらえれば、概ね間違いないだろう」

「素養——ってことは、露伴先生以外にも、本にする能力を持った人が居るんですか……!?」

「それは違うな。言っただろう、精神力の具現化だと。精神——つまり、心の在り方が、他人と全く同じなんてことは、ありえない。したがって、スタンドが持つ能力やその姿形も、人によっててんでばらばらということさ」

「へえー……。って、あれ? 今、姿形って言いました? 僕には特に何も、見えないんですけど……」

「それはそうさ、スタンドはスタンド使いにしか見ることができないんだからな。そういうルールなんだ。もっとも、形があることを証明してほしいってんなら——」

「……!?」

 瞬間、僕の左肩に、背後から何かが触れた。

 慌てて振り返ってみるも、そこには何も存在しない。だが、確かな感触があった。

 例えるなら、人間の指のような。

 そんな、細長い何かにつつかれたような感触だけが、僕の肩に残っていた。

「僕のスタンド——『ヘブンズ・ドアー』は、『ピンクダークの少年』の主人公によく似た姿をしている。今のは、スタンドの指先で、ちょいと君に触れただけさ。見えない何かがそこにあるってこと、理解できたかい?」

「……まあ、はい」

 元々信じていなかった訳じゃないが、確かにこれは、信じるに値する現象だろう。

 ……『蛇』と対峙した時の事を思い出して、ちょっとだけビビったのは内緒だ。

 僕は半ば意識を逸らすような形で、質問を続ける。

「あ、あー、じゃあ、他にはどんな能力があるんですか? やっぱり、能力バトル漫画みたいな感じの、派手な力もあるんでしょうか!?」

「……そうだな」

 僕の態度を露伴先生は訝しんでいたようだったが、ひとまずは答えることにしてくれたらしい。

「見た目がってことじゃないが、僕が知ってる中で一番ぶっとんでるのは、『スタープラチナ』って名前のスタンドだな」

「へぇ、どんな能力なんです?」

「……時間停止だ」

「…………え?」

「耳を疑う気持ちは分かるから、特別にもう一度言ってやる。時間停止だよ。時間を止めるんだ、数秒という短い間だけらしいがな」

「……まじですか?」

「大マジだぜ」

 いや、もうなんか、凄い。

 思っていたより、大分えげつない力を聞かされて、思わず言葉を失ってしまう。

 『ヘブンズ・ドアー』だって大概とんでもない効果をしているが、時間停止は流石に格が違う。

 時間停止って。

 時間停止って。

 時間停止って。

 三度も繰り返してしまったが、もう一度だけ言わせてほしい。

 時間停止って……。

 そんなのそれこそ、漫画のラスボスとかが使ってくる力だろう。それがまさか実在するだなんて、俄かには信じられない。

 スタンド、か。

 こうなってくるともう、本当に何でもありなんじゃないか?

 なんて思ってしまうのは、ともかく。

「……なんか、凄すぎて現実味がないんで、もうちょっと別の能力も教えてもらえませんか?」

「……別?」

 露伴先生は僕へ目を向けると、そのままじっと見つめてくる。

 その鋭い眼光は、もはや睨んでいると言ってもいいくらいだ。訳もなく何だか、そわそわしてしまう。

 ……というか、何となく。

「えっと——怒ってます?」

 そんな気がした。

 もっとも、出会ってから何度か目にしているような、明確な怒りを感じ取れる態度ではないけれども。

 どちらかと言えば、不機嫌という表現の方が近しいかもしれない。

 別のものを、と要求したのが、まずかっただろうか。

 僕が内心冷や汗をかいていると、しかし露伴先生は、ふいと僕から視線を切って、

「……いや、何でもない。ちょっと嫌いなやつのことを思い出しただけだ」

 と言った。

 何でもない、というその言葉に、先程の意趣返しをしようかとも一瞬考えたが、確実に滅茶苦茶怒られるから止めておいた。

 多分英断だったと思う。

 そうでなくとも、触れ辛い空気を醸し出してはいたけれど。

 それから数秒の沈黙の後に、露伴先生は、こちらを見ないままで口を開いた。

「僕の…………知り合いのスタンドは、()()力を持っている」

 大分葛藤があったな。

 だけど。

「治す……ですか?」

「そうだ。触れた物体を、元通りにする。破壊されたアスファルトだろうと、生き物の怪我だろうと、な。ただし——自分の体だけは、治せない」

 そう考えると、暦くんが持つ吸血鬼の再生力とは、正反対のような力だな。

 露伴先生は、やはり若干不機嫌な様子で、そう付け加える。

「自分以外を治せる力と、自分だけを治せる力。まあ暦くんのは、あくまで治癒力という括りな訳だから、体外に影響を与えられないってのは、当然の摂理なんだが」

 ……なるほど。確かに、正反対とも言えるのかもしれない。

 僕のは吸血鬼由来の力であって、スタンドというものとは一切関係がないけれども。

「……ああ、しかし、共通点もある」

「共通点……?」

「吸血鬼には、数多くの弱点が存在する。つまりは、高い再生能力による不死性を得てはいても、どうやっても死なないということとイコールには、ならないはずだ」

「……そうですね」

 露伴先生の言葉は、多分正しいと思う。

 僕自身、何をしたら命を落とすのかは分からないけれど、少なくとも永久不滅ということはないだろう。

 僕の人生は既に、春休みに一度幕を下ろしたようなものだけど、それでも今こうして生きている以上、いつの日か本当の終わりはやって来る——はずだ。

「『死』というものは、生物にとって絶対的な終着点だ。それを覆すことは、何者にもできやしない——どんなスタンドだろうと、どんな怪異だろうと、な」

 続いたその言葉に、僕は思わず、自身の影に視線を落としていた。

 ……影に潜む忍は今、眠っているだろうか。

 彼女の姿を見る度に、彼女のことを考える度に、思い出す。

 僕が忍にしてしまった、あまりにも酷な行いを。

 それは、確かに僕が望んだことではあったのだけど、同時に、どうしようもなく罪深いことでもあるのだ。

 誰のせいでもない。僕が背負うべき、明確な——罪である。

 それでも、僕は——。

「——と、無駄話をしている間に、どうやら到着したらしいな。暦くん、ここが例の場所で、あってるか?」

「……あっ、はい」

 思考が深く沈みかけた瞬間、露伴先生の声で我に返った。

 いつの間にか、目的地へ辿り着いていたようだ。

 そこは、()()であることを認識するのが難しい程に、古びた神社であった。本殿すらも酷い有様であるが故に、境内と境外を切り分ける朽ちた鳥居のみが、ここが神社であることを示すシンボルだといえよう。

 地元の人間に聞いても、十中八九存在すらも知らないであろう、この神社。

 しかし僕は、この神社の存在だけでなく、その名前すらも知っている。

 『北白蛇神社』。

 ここは、かつて僕と神原が、忍野からの依頼で訪れた場所であり、同時に、千石撫子にまつわるあれやこれやがあった、ある種思い出深い場所なのであった。

 露伴先生は僕の返事を聞くと、辺りをゆっくり見回し、それから、ふむ、と小さく頷いて、最後にこちらへ向き直り、こう言った。

「よし。それじゃあ、暦くん。早速——『黄泉の木』を探すとしよう」

 

 

 

 





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