滅尽の残響   作:冷蔵庫の奥の方

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第1話 黒き棘の落し物

 

 鼻を突く硫黄の臭いに、肌を焼くような熱を含んだ突風が混じる。

 喉の奥がチリつくような乾燥した空気には、未だ慣れぬ不快感を覚える。

 岩肌を吹き抜ける熱風が身体にまとわりつき、クーラードリンクを飲んで体温のコントロールを行っているにもかかわらず、額に汗が滲む。

 

 龍結晶の地。

 新大陸の全エネルギーが地脈を伝って収束し、物理的な質量を伴って地表に噴き出すこの領域は、老いたハンターの膝にはいささか酷だった。

 

 男は、岩肌に刻まれたわずかな段差にブーツの淵をかけ、ゆっくりと重心を移動させる。

 一歩踏み出すごとに、大腿を走る古傷が泥を捏ねるような鈍い痛みとなって疼いた。

 

 それは数年前、狂暴化した角竜の突進を大剣の腹で受け止めた際に残った勲章だ。

 背に負った大剣が、歩みに合わせて重厚な革の軋み声を上げる。

 その音は、まるで老いた獣が漏らす、諦念に近い溜息のようにも聞こえた。

 

 

 ◇

 

 

 四十年前。

 男は二期団の「職人」として、この未知の島へ渡る船に乗った。

 

 当時の二期団は、新大陸という広大なキャンバスに、己が打った最高の一振りを刻み込むことを夢見た、血気盛んな技術者集団だった。

 若き日の男もまたその一人であり、熱気に満ちた加工場で、夜を徹して金槌を振るう日々に全霊を捧げていた。

 

 だが、炉の火を見つめ、鋼を叩き続ける月日の中で、ある一つの歪みが男の胸に居座り続けた。

 

 加工場に届くのは、戦果の報告と、無残に折れ、あるいは刃こぼれした残骸ばかりだ。

 どれほど完璧な熱処理を施し、紙一枚を両断する鋭利な刃を付けても、それを受け取るハンターが、その瞬間に鋼が発する悲鳴を聞き分けられなければ、剣はただの鉄屑に成り下がる。

 

 道具が死ぬ瞬間、使い手もまた死の淵に立つ。

 その連鎖を、加工場の奥底で血の通わない報告書として眺める生活に、男の職人魂は耐えられなかった。

 

「……この剣が何を求めているか、誰も知らねえんじゃ話にならねえ」

 

 そう吐き捨て、金槌を握りしめた日のことを今でも鮮明に思い出す。

 

 もちろん、現場の狩人が悪いというつもりは毛頭ない。

 彼らも、命懸けでフィールドを駆け、新大陸の一部として日々奮闘している。

 

 これが自身のエゴであることを、男は分かっていた。

 

 だが、技術が現場の泥臭い死闘から乖離していくことを恐れた結果、選んだのは「自らその剣を振るう」という道だった。

 

 大団長に己の気持ちをぶつけると、彼は厳しい表情を崩さずに告げた。

 

「俺は止めん。だが、自分の役割を忘れるな」

 

 男の偏屈さに、一部の同僚からは奇異の目で見られ、また一部からは半ば呆れの声が漏れる。

 

 そんな周囲の視線も気にせず、男は金槌と大剣、二つの武器を携え、新大陸の最前線を歩き続けてきた。

 

 モンスターを狩っては工房に籠り、大剣の細部の調整を行う。

 男は、職人の頑固さ故か、ある時期を境に自身が扱う武器として一振の大剣にこだわり、常にそれと共に狩場へと赴いた。

 かつての後悔を忘れない為に。

 

 もちろん、大団長からの重量のこもった言葉も忘れていなかった。

 新大陸に根付いた職人として、同胞の武具の手入れや製作にも妥協はせず、心血を注ぐ。

 

 そんな日々を繰り返す内、今やアステラの若き五期団たちからは「大旦那」と呼ばれ、現役のハンター兼鍛冶師としては最古参の部類に入る。

 彼らは、男が打った武具を「神業」と称えるが、男自身は知っている。

 

 自分が今も前線に立ち続けるのは、単なる責任感ではない。

 

 自分が生み出した「子」が、どのように傷つき、どのように役割を終えるのか。その最期を看取るという、親の執着に近い業な

のだ。

 

 

 ◇

 

 

 ふわり、と腰のケージから光が漏れた。

 普段の穏やかな、木漏れ日のような緑ではない。冷徹で、刺すような青だ。

 

 男が自ら改造を施し、反応精度を極限まで高めたケージの中で、導蟲たちが狂ったように翅を震わせている。

 

 男が腰に下げているのは、支給されているそれとは似て非なる、鈍い光沢を放つ特製のケージだ。

 外部からの衝撃に耐えるための無骨な意匠を削ぎ落とし、代わりに地脈の微かな揺らぎを逃さぬよう、隔壁には感度の高い鱗晶を薄く、均一に張り込んである。

 

 さらに男は、導蟲の反応速度をコンマ数秒でも早めるため、ケージ上部の遮光シャッターに、壊れたライトボウガンの発射機構から削り出した極小のバネを組み込み、その「遊び」をミリ単位で調整していた。

 わずかな気配に対しても、まるで火花が飛ぶような速さで蟲たちが外へと誘い出されるよう、男が心血を注いで磨き上げた「道具」の一つだ。

 

 蟲達のチチチ、と鳴る羽音は、小さな叫び声のように鋭く、男の鼓膜を打った。

 青い光は一筋の糸となり、熱気に歪む空気の先、剥き出しになった岩棚の窪みを射抜くように照らし出した。

 その光に導かれるまま、男は重い足取りで歩み寄る。

 

「……落ち着け。分かっている。そう急かすな」

 

 低く、ひび割れた声で蟲たちをなだめ、男は岩棚に手を伸ばした。

 そこに転がっていたそれを指先で拾い上げる。

 

 ずっしりとした、石に近い質量が掌に伝わる。

 

 それは、この地の主たる滅尽龍、ネルギガンテが撒き散らす、黒い棘だった。

 だが、男がかつて幾度となく刃を交え、火花を散らしたあの強靭な棘とは、明らかに質感が異なっていた。

 表面は炭化したように乾き、内側から溢れるはずの生命力が枯渇している。

 

 男は目を細め、棘の断面を指の腹で慎重になぞった。

 

 本来、あの古龍の棘は、凄まじい新陳代謝によって内側から押し出されるように生えてくるものだ。

 新しく、純粋な暴力性を秘めた白から、時間を経て鉄のように硬質な黒へと変色する。

 そして敵を穿ち、自ら砕け散ることで次なる再生を促す。それが「破壊と再生」を司るあの古龍の、絶対的な理だった。

 

 しかし、この断面は無理やり引き千切られたかのように不揃いで、構造そのものが歪んでいた。

 職人として数多の鋼に触れてきた経験が、冷静な分析を下す。

 

 鋼を過剰に叩きすぎ、組織を限界まで圧縮しすぎれば、目に見えない疲労が蓄積し、やがて内側から不規則な崩壊を始める。

 それは劣化ではない。行き過ぎた強度が、逃げ場を失って内部から自らを食い破る、自己破壊の末路だ。

 

 この棘に起きているのは、それと同じ現象だった。

 再生が、成長という目的を失い、ただ肉体を内側から突き破るだけの暴走へと変質している。

 本来なら新しい命の芽吹きであるはずの力が、今は持ち主を死へ追いやる鋭利な呪いとなって、ネルギガンテの巨体を苛んでいるに違いない。

 

 不意に、棘の奥底で微かな紫の光が明滅した。

 

 龍エネルギーの残光。

 それは、役目を終えて消えゆく焚き火の、最後の火花に似ていた。あるいは、力尽きる間際の呼吸の瞬きか。

 

「これは、狩りの報せじゃあないな……」

 

 男は棘を握り込み、顔を上げた。

 かつて新大陸の番人とまで恐れられた古龍が、自らの命を削り、形を失った欠片をこぼしながら歩いている。それが何を意味するのか。

 

 大剣の重みを肩に感じ直す。

 幾千の戦いを超え、手入れをされ尽くしてきた男の獲物。

 古びてはいるが、だからこそ手に馴染んでいる筈の柄の感触が、今はひどく冷たく、そして指先に食い込むほど重く感じられた。

 

 かつて、自分が心血を注いで打った剣が、最後の一振りで限界を超え、粉々に砕け散った時のあの無念。欠片が頬を掠め出来た傷跡。手の中に残った虚脱感。

 その感触が、今感じるネルギガンテの姿と、奇妙に重なった。

 

 ギルドから下される「仕事」ではない。

 

 だが、職人としても、ハンターとしても、この崩壊の音を無視することはできなかった。

 命がその役割を終えようとする時、せめてその最期は、理を外れた不格好な崩壊であってはならない。

 それが、かつて新大陸の覇者として君臨した強者への、職人なりの敬意だった。

 

 男は一度だけ短く、熱い肺を冷やすように息を吐いた。

 かつての痛みの象徴である頬の傷を指で撫でる。

 

 青い光が導く暗闇――巨大な結晶が鎮座している洞窟の深淵へと、一歩を踏み出す。

 岩肌を踏みしめるブーツの音だけが、逆巻く熱風の中に溶けて消えていった。

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