滅尽の残響   作:冷蔵庫の奥の方

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第3話 暴走する再生

 

 陽光の柱が、その「塊」を照らし出した。

 

 広場の中央、巨大な結晶の柱に寄りかかるようにして横たわるそれは、一見すれば黒い岩石の集積体のようだった。

 だが、その輪郭が不規則に脈動し、時折、鋭い金属質の音を立てて身悶えする。

 

 かつて新大陸の生態系において理そのものであった滅尽龍の姿は、そこにはなかった。

 

 男は、大剣を背負ったまま、数歩、慎重に距離を詰めた。

 

 視界がその詳細を捉える。

 

 男の喉の奥から、乾いた吐息が漏れた。

 職人として数多の素材を扱い、ハンターとして数多の部位を破壊してきた男の目にも、それは「生命」の範疇を逸脱した冒涜的な光景に映った。

 

 ネルギガンテの全身を覆う黒い棘。

 

 本来、それは外敵を穿ち、自ら砕け散ることで次なる白き棘へと再生を繋ぐ、破壊の循環を司る器官だった。

 

 だが、今のその体は、出口を失ったエネルギーが無理やり凝固したような、歪な棘の密林と化している。

 

 ある棘は、本来生えるべきではない関節の隙間から突き出し、その可動域を完全にロックしていた。

 またある棘は、自らの翼の膜を内側から何十本も貫き、広げることすら叶わぬ無残な「盾」へと変えさせている。

 

「……酷いな。これじゃあ、自分の打った釘で自分を縛り付けてるようなもんじゃねえか」

 

 男は苦々しく呟いた。

 

 その光景は、名工が心血を注いだ末に、強度を求めすぎてしなりを失い、自重で折れるのを待つだけの、失敗作の巨剣を彷彿とさせた。

 

 ミシミシ、パキパキ。

 

 広場の静寂を、不快な音が細かく刻む。

 

 それはネルギガンテが動こうとするたびに、自身の肉を突き破って新たに生えてくる棘の成長音だった。

 一歩も動いていないにもかかわらず、その身体は常に「自壊」と「過剰な再生」を同時に繰り返している。

 眼球の淵からも細かな棘が噴き出し、かつて古龍をも恐れさせた黄金の瞳を、どす黒い結晶が半分以上も覆い隠していた。

 

 不意に、ネルギガンテが顔を上げた。

 

 唯一生きている左の瞳が、男の姿を捉える。

 

 だが、そこにはかつて剣を交えた際に感じた、沸き立つような闘争心も、底知れぬ飢えもなかった。

 ただ、制御を失った自身の肉体に、中から食い荒らされている者の、果てしない疲弊と困惑だけが宿っていた。

 

 グゥ、とネルギガンテの喉が鳴った。

 

 それは威嚇の咆哮ではない。

 詰まった肺から無理やり空気を押し出すような、濁った喘鳴。

 

 その呼吸に合わせて、体表の棘から微かな紫の光――龍エネルギーの残光が、火花のように散る。

 

 男はゆっくりと、右手を背後の柄へと伸ばした。

 革のグローブが、使い込まれた柄の感触を吸い付くように捉える。

 

 指先から伝わってくるのは、無機質な鉄の冷たさではない。

 幾千、幾万という素材を叩き切り、その返り血と脂、そして自身の汗を吸い込んで変色した、重厚な革の温もりだ。

 

 男は柄を握り込んだまま、一呼吸、深く肺に溜まった熱を沈めた。

 脳裏に、かつてこの剣を打ち出した加工場の火花が散る。

 

 新大陸の過酷な環境で、幾度も刃が欠け、時には芯まで歪んだ。

 そのたびに自ら炉を焚き、鋼を叩き直し、命を吹き込み直してきた。

 この大剣は、男の身体の一部であると同時に、男がこの地に刻んできた「生きた証」そのものだ。

 

 対するネルギガンテの放つ喘鳴が、足元の結晶を震わせる。

 その振動が、柄を通じて男の掌へ、そして肘、肩へと駆け抜けた。

 

 古龍の苦悶と、剣の振動が共鳴する。 

 

 いま、この男の背中には、アステラの安寧も、ギルドの指令も、調査団の期待も背負われてはいない。

 ただ一振りの大剣と、目の前の壊れゆく生命。その一対一の、剥き出しの対話だけがある。

 

 男は僅かに右肩を下げ、重力に従うようにして大剣を軽く引き抜く。

 

 職人として、男は知っている。

 構造物がその目的を失い、ただ壊れるために肥大化を始めたとき、それに救いを与える方法はただ一つしかない。

 

「解体」だ。 

 

 余剰な熱を孕み、今にも爆ぜようとしているこの巨躯を、正しい「終焉」へと導くこと。

 それは狩猟というよりは、失敗した鋳造物を炉に戻すための、冷徹な作業に近い。

 

「安心しな。お前のその不格好なガワ、全部叩き割ってやる」

 

 男は一気に、大剣を引き抜いた。 

 

 ――ギィィン。

 

 結晶の広場に、鋭利かつ重厚な金属音が鳴り響いた。

 

 それは単なる抜刀音ではない。空気を一瞬で凍りつかせるような、清冽な決意の咆哮だ。

 

 陽光を浴びて、鞘を脱したばかりの刃が青白く閃く。

 研ぎ澄まされた刃紋は、流れる地脈の如く美しく、それでいて獲物の命を断つためだけの、冷酷な機能美に溢れていた。 

 

 引き抜かれた大剣の重みが、老いた男の身体にズシリと、しかし心地よくのしかかる。

 

 不思議な感覚だった。

 

 先ほどまで男を苦しめていたはずの「質量」が、抜刀した瞬間に、自分を大地へと繋ぎ止める「錨」へと変わったのだ。

 この重みがあるからこそ、男は新大陸の荒れ狂う嵐の中でも、揺るぎなく立っていられる。

 

 大剣を構えた瞬間、男の全身から「老い」が剥がれ落ちた。

 

 膝の痛みも、脊髄の軋みも、研ぎ澄まされた集中力という激流の中に溶けて消える。

 視界には、ネルギガンテの身体を覆う棘の層が、まるで設計図の断面図のように透けて見えていた。

 

 どこを叩けば、この凝り固まった棘の連鎖が解けるのか。

 

 どこを打てば、あいつが最期に「王」として歩くための脚を、一時でも取り戻せるのか。

 

 男は腰を落とし、大剣の重みを前方へと預けた。

 その姿勢は、巨大な金槌を振り下ろす前の、職人のそれと瓜二つだった。

 

 対するネルギガンテも、震える四肢に力を込め、結晶の地面を深く抉りながら立ち上がろうとする。

 自身の重みに耐えかねた前脚が悲鳴を上げ、関節から黒い液が噴き出すが、それでも王は、自分を看取りに来たハンターを迎え撃とうと、その歪な顎を開いた。

 

「……いい面構えだ」

 

 男は短く、しかし確かな敬意を込めて呟いた。

 

 風が止み、広場を支配していた静寂が、パキリと音を立てて割れた。 

 

 それは、新大陸の「再生の物語」から脱落しかけた古龍と、それを看取ることを決めた老職人による、静かな、しかし壮絶な『調律』の始まりだった。

 

 男は一歩、踏み出す。

 

 その足跡は、迷いなくネルギガンテの懐へと刻まれた。

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