『炎の夜を越えて』───外相、小村寿太郎の戦い 作:あおさ海苔
───1905年9月5日
あの炎の夜が起こる日、小村の姿は首相公邸にあった。
桂首相と2人で酒席を設けていたのである。
「今度は私たち、いや我が国の勝ちかな?」
桂首相は畳に並べた国民官報やそれ以外の民間新聞に目をやる。
国民官報には『陸海外交全てにおいて勝利した。あとは対外借款返済と国内開発を』『拓け鉄路輝け電化、次の政府の戦いは帰還兵への雇用を創れ』といった文言が並んでいる。
民間新聞には『戦後の不景気は来るのか? 特集、ロシア海軍関連事業について』『帰還兵達の戦後は? 傷痍軍人への年金制度について』『障害者雇用枠なる求人とは? 軍人以外の申し込みについて』『旅順港民営化に伴う航路申請が開始、新設された海上保安庁による悪質船会社の検挙が始まる』といった見出しが並ぶ。
どれも政府への批判的なものはなく、建設的な『戦後』に向けた話ばかりだ。一部泉鏡花らの夕刊で政府というか一部筆者に対する批判的記事があるが、これはもはや大衆娯楽として国民は受け入れているため、ここから政府批判の暴動に着火する事は無さそうである。
ポーツマスからの帰りの船で受け取っていた国内情報からも、今までの繰り返しとは違い国内の雰囲気や受け止め方は明らかに違っていた。
今や国民は次なる商売や生活について明るく話している。地方紙では鉄道や電化、高速道路輸送網やトンネル橋梁の竣工の記事ばかり。有名百貨店の地方出店なども紙面を騒がせている。
確かに戦時税により生活は苦しくなった。だが明るい兆しが見え、人手不足から仕組み化され収穫量が増えた事により明日の食べるものにも困らない。食料品の物価統制も近々解除される見込みだ。
国民官報で作り方や専門家の投書を載せることで、今や日本国内どこの田園でも手動耕運機や正条植えだけでなく塩水選までも当たり前に普及している。また戦時に苦労した経験から、化学分野や数学、経済学といった学問への投資も盛んに始まっている。
目指せ総国産! を標語に産学官が連携して資源以外の全てを国産化するために努力を続けている。
幸い今回の講話により大陸権益が手に入りご満悦の米国や、極東方面における勢力均衡の観点から日英同盟の名の下に英国からの技術者招聘と知見習得は順調に進んでいる。
対外借款については、ロシア側の金塊払いによる旅順艦隊の浮揚修理、ウラジオストクの残存バルチック艦隊の修理、清国やオーストラリア、香港に入港して勾留されていた艦艇への補給などで国内に仕事がもたらされている。
船を直すにはドックが足らず民間ドックの増設や工廠の拡張、またそれに伴う鉄生産や人に係る食料制服工具とありとあらゆる分野で好景気に沸くだろう。
そういった税収増とロシア側からの諸費用の金塊払いにより順調に返済できるみこみが立っており、財政状況も今は確かに苦しいが問題ない。
「まだわかりません。今日の夜を見届けるまでは」
このような順風満帆に見える情勢の中でも、小村はまだ気を引き締めていた。あの炎の夜が本当に回避できたのか、まだ今日の夜が終わらなければわからないのである。
講話が成った後も全く休みを取ることなく外務大臣室で鬼気迫る表情で執務していた小村を見かねて、こうして桂首相は首相公邸で酒宴を開く事にしたのだ。
だが小村は出された好物のビールを飲むことなく、ただじっと開けた窓辺で日比谷公園の方を眺め続けていたのだった。
日も落ち、風が少し強くなってきた。
その時、いつか経験したような少し強い風がびゅう、と吹く。
僅かながら煙のにおいがしたが、もう何年も共にしてきた胸騒ぎには響かない。むしろその煙のにおいよりおいしそうなにおいが上回った。背後から桂首相が笑いながら言う「焼きそばかな? いやお好み焼き、何にしろおいしそうな焼き物だな。日比谷公園の出店かもしれん」と。
その一言と共に電報を持った首相公邸の職員が部屋の扉を叩いた。
「電報、電報、日比谷公園において行われている『旅順・大連国際経済都市説明会』は先程閉幕しました。便乗出店でお祭り騒ぎです」
桂首相のそうか、という一言と共に職員が下がっていった。だか小村はそれでもなおじっと窓から日比谷公園のほうを見続けている。
肩にぽんぽんと手が置かれる。背後に立って小村の両肩を叩いたのは桂首相であった。
「累計すればほぼ10年かな? 本当にお疲れさまです。最後の最後までくじけずよく頑張った。まさにあっぱれとしか言えぬこの信念!」
そのひと言の後、コトリという音がしたと思えば首筋にぽとりと雫が落ち、ヒヤリとした冷たさを感じる。桂首相は先程の職員にお願いして飲まないまま放置していたビールを冷えた物に交換させていたようで、若干呆けたような小村を振り向かせると、改めて小村に手渡した。
「乾杯だ、小村君。君の努力とこの国の未来に」
乾杯、と言えただろうか。今自分がちゃんと声を出せているかもわからない。
視界はぐにゃりと歪み手だけではなく足も震え始める。しかし過去へ繰り返す訳では無い。只々感情が溢れている。
もうずっと共にし続けていたあの焦燥感は胸のどこにも居ない。しかしそれすらも些細な事と感じるほど、別な何かが溢れる。
本当にあの炎の夜は来ないのだろうか?
この国の未来は本当に大丈夫なのだろうか?
嬉しいのか悲しいのかもわからない。溢れ出る感情を抑えきれずに小村は大きく嗚咽して倒れ込みそうになる。
そんな小村を片手で抱きかかえた桂首相は「お先に一杯」と言って、冷えたビールをゴクゴクと飲み始めた。
酔おう。今日ぐらいはきっと、人生で1回ぐらい何をしても許される日だろう。
小村は手渡されたビールをぐいと飲むと、ビスケット片手に話し始める。
そう、別にこの繰り返しは悪いことばかりではなかった。いろんな人と出会い、いろんな経験をした。そう例えば3回目の時、陸軍との話し合いで───
小村は前回桂首相に打ち明けた国を救う為に話した繰り返しの重要点ではない、今まで経験してきた繰り返しの中での楽しかった話を始める。
ビールとビスケットを交互に食べる小村が今まで見たことのないような表情で語る姿を見て、桂首相はただうんうんと頷く。
いつかどこかの繰り返しの中であった光景に似て非なるものではあるが、こうして二人は翌日職員が会計金額に目を回すほど酒とツマミを平らげたのであった。
───1905年10月17日
ロシアで政変あり。
あのポーツマス講和会議で代表を務めたウィッテ首相の働きかけにより『十月詔書』が公布され、ロシアは立憲制への第一歩を歩むこととなった。同詔書はそれまでツァーリの専制政治のみを経験してきたロシア国民にとって、憲法の先駆とも呼べるものであった。
この『十月詔書』の内容は
・人格の不可侵、良心の自由、言論の自由、集会の自由、結社の自由
・国会選挙への幅広い参加。すなわち、選挙権の拡大及び、新たな立法措置の下、普通選挙による選挙民の増加
・国会の承認を受けない法律の無効、国会議員による行政行為の合法性、適法性を統制・監視する権限の付与
以上である。
皇帝権力に制限をかけるこの動きに、ロシア皇帝は難色を示したが『日本にできて我が国にできぬと皇帝陛下は仰る?』というウィッテらの半ば脅しめいた一言で決着がついた。
少なくとも皇帝もこの宣言なしには10月に発生した全国的なゼネラルストライキを沈静化できるとは思っておらず、苦渋の選択であった。
日本政府はこの民主化運動に関して歓迎すると共に、『同じ立憲民主主義国家』としてアジアの平和を共に守っていこうと表明する。
国民官報でもこの民主化に影響されて、国内のさらなる民主化に向けて活発な議論が紙面で展開される。
未だ帝国議会が制限選挙であった事から、普通選挙や労働組合など様々な話題が提起されては国民がそれを読み日々語り合っている。
いつの間にか『自由民権普選倶楽部』なる愛読者団体ができたり、泉鏡花の余りにも絡み具合に面倒になった徳田秋声が田山の仲介で仲直りの宴席を設けたが、翌日『こっちのほうが尾崎先生に愛されていた』なる怪文書を国民官報夕刊に投稿し全国の失笑かったりしていた。
そうしてもはや日本国内でなくてはならない立場となった国民官報が刊行して既に2年、人々は常に政治や国家について自分事として捉えて立ち話ですら話題にのぼるようになっていた。
そんな議論深まる国民官報を読みながら、長期政権の見込みとなった桂内閣で小村は引き続き精力的に外交活動に努めていた。
ポーツマス講和条約が日露両国で批准されてもそれではい終わりというわけではない。両国それぞれやらなければならないことは多岐にわたり、そのうえ早く旅順での経済特区構想を進めたい米国からの催促や提案を捌きつつ韓国派遣軍の編成や清国との調整など、戦時中ともはや何ら変わらぬ忙しさである。
朝から翌朝まで24時間ずっと誰かしらが働き続け、夜は爛々と光っているところから国民官報で『現代の不夜城』とか『官僚の生命が燃える篝火』などと揶揄される始末である。
外務大臣たる小村が大臣室に缶詰状態のため実際その通りではあるのだが、次々と倒れる官僚達の事もあり最近は『労働環境改革』の旗印のもと定時退庁日を設けるなど改善には努めている。
そうした努力を嘲笑うかのように清国への日露が保有する利権返却は匪賊の襲撃や清国の内政腐敗によってその進みは遅く、それに伴い米国と大統領の眉は徐々に良くない方向へ曲がってゆく。
米国ももちろん日露がわざと手続きを遅らせたり、やる気がないわけではない事は分かっているのだが、国内の投資家たちの影響力もありひたすらせっつく形となってしまっている。
大韓帝国もまた、日露両国によるある意味放置というか鎖国状態に追いやられ、外部からの圧力が消えた韓国宮廷では内部抗争に明け暮れ始めている。
難民が出て、日米露の駐屯地に殺到する。正直面倒事ではあるのだが、これをよい機会ととらえて一目置けそうな優秀な人材や子供たちに教育を施し、国際派かつ立憲民主主義の政権を作るべく3カ国は動き始める。
日米露が教育という分野でしのぎを削りはじめたのだ。もちろん韓国政府と大韓帝国皇帝はそんな事より自分達を助けてくれと叫ぶが、3カ国はもはや放置である。もはや現体制の崩壊は既定路線であった。
今日の閣議はそうした話題を中心に終わりを迎えそうである。
最後に、と桂首相が立ち上がり言う。
「我々はあの戦争を『第一次』と付けて呼ばねばならない未来を迎えてはならない。誰も見たことのない未来、その未来のため、引き続き閣僚の諸君には努力してもらいたい」
閣僚達は立ち上がり皆で礼をする。
未来、そう、誰も見たことのない未来。
小村達は今誰も見たことのない未来に向かって走り出していた。
以前別サイトに投稿していた作品のため、連投させていただきました。
小村大臣の戦いはいったんこれでおしまいです。