『炎の夜を越えて』───外相、小村寿太郎の戦い 作:あおさ海苔
2度目の1904年5月29日、小村は『前回』の反省と変えるべき点について考えるため、外務官僚達に「今日は一日誰も通してはならぬ」と告げ大臣室に籠ることにした。
前回は29日の夜に見た夢を理由に翌日30日、確か焦燥感に駆られて海軍省に行き、そこで山本海軍大臣から旅順要塞攻囲戦の話を聞いて旅順へ向かったはずだ。
その旅路で兵達の現状を知り、旅順で凄まじい兵達の血が流れるのを見て、米国への外交的工作を井上馨 元外務大臣に依頼し、ポーツマス条約では賠償金こそ取れなかったもののロシア本土である樺太南半分を割譲させたはずだ。
では次にあの日比谷公園で起きた炎の夜はなぜ起きたのだろうか。時を遡る前に直接主犯へ聞いておけばよかったと後悔しつつ、新聞記事や報告を思い出す。
1.賠償金が取れなかった事
2.兵達の損耗が甚大だった事
3.戦費調達のため国民が重税に耐えに耐えていた事
4.『勝利』を信じていたが裏切られたと国民が感じた事
5.野党や開戦反対派が己の政局のため国民を煽った事
大まかに纏めるのであればこの5点であろうか。
ではどう対処すればよいのか? 優先順位をつけるのであれば3.2.4.1.5の順番であろう。しかしこれらすべて外務大臣の職務においてできることがあるだろうか。対策や手段、人、金、そして想定される未来の変わり方。ありとあらゆる事を紙に記してゆく。そのうち白紙が足らなくなり報告書類の裏まで使い始める。
コンコンの扉から音がする。何者も通す事まかりならないと言ったはずだと声を荒げると、扉が突然勢い良く開かれた。
「小村大臣! 一体どうしたと───」
大臣室に肩を振りながら入ってきたのは桂首相であった。最初はまるで執務を拒否し大臣室に立て籠もるかのような態度を取っている外務大臣を叱りに来たつもりであったが、部屋の様相を見て思わず絶句した。
部屋一面に散らばる書き殴られた書類
こぼした茶で濡れた床
用を足す時間も惜しいと使われた水差し。
目は窪みその下には深いクマを作り、顔に深い皺を作りながら机に向かう小村の姿。まさに幽鬼か屍人である。
「……15時頃また改める。まずは身だしなみを整えて寝るべし。首相としての指示だ」
桂首相が扉を閉めずに大臣室を出るのにあわせて、部屋からは人が倒れるような鈍い音がして、官僚らがあわてて救護に向かうのであった。
既に時間は昼、大臣室に籠って翌日の昼であった。
無事意識を取り戻した後、食事に風呂と強制的に休みを取らされていた小村とは別に、外務官僚達は小村の残したメモ書きに目を落とす。
読めない程書きなぐられた物もあるが、日が暮れるまでには内容をまとめ上げる事ができた。だがその結果恐るべき内容が書かれていた事を理解した。
旅順での大損害、講和会議の草案、国民の暴動、どれも想定の話のはずなのにまるで確定で起こるであろう事として書かれている。いや、むしろ当事者でなければ知り得ない程の内容である以上、むしろ体験してきたかという程である。
小村大臣はもはや神憑りな物でもあってあれほど錯乱したのだろうか? いや、そのような奇天烈な事よりも現実的かつ理性的に考えるべきであろう。
つまるところ昨日机に置いた報告の何かが大臣の頭の中でこのメモ書きに記された未来を決定づける最後の一つとなったのであろう。
官僚たちはみな疲れ切った顔を見合わせたあと解散する。大臣を支えるべく、ある者は国民の窮乏ぶりを確認するために内務省へ向かう。ある者は陸軍側が想定する旅順攻囲戦について詳しく確認すべく陸軍省へ走る。
今、歴史は新たな方向へと向かい始めた。
───1904年6月8日
この日、小村は第三軍司令部と共に大連に居た。
まずはあの炎の原因となる兵の損耗をいかに減らすか。まずはこの旅順攻囲戦が鍵だと睨んだからだ。
「既に行われた『南山の戦い』において、敵陣正面突破はとてつもない損害を出した事は諸君も承知の上であろう」
仮設司令部の中に、この第三軍司令官である乃木大将の声が響く。
1904年5月25日に行われた『南山の戦い』では、倍する兵力かつ、艦砲射撃を含めた圧倒的火砲による支援がありながら、攻撃した第二軍の10%にものぼる4,300人の戦死傷者を出していた。また、乃木大将は第二軍に所属していた長男の勝典をこの戦いで失っている。
「近代戦における構築された陣地に対する攻略は、いかほどの火砲による支援があっても、その損害は甚大。旅順要塞ともなればどれほどの被害が出るだろうか」
乃木大将が少し顔を曇らせながら旅順攻囲戦用に作られた戦況図へ目を落とす。
「しかし司令官閣下、今回はさらなる火力を用意しております。また南山では確かに被害が大きかったですが一日で抜いております。十倍の防御力を誇るのであれば十倍の砲撃を叩きつけることで、再び10%の損害で旅順を抜く事も不可能ではありますまい」
海外留学から帰ってきたばかりの若手参謀が突然声を荒げる。前に立っていた伊知地参謀長ニコニコした表情を崩さずは言わせるだけ言わせた後、きっと表情を硬くし若手参謀を見据える。
「急進突撃一挙これを陥るる如きは必敗を免れざる……こと大連に至るまで露軍陣地の何を見てきたのだ愚か者!!」
小村は、鼓膜が破れるのではないかと思う程大きな声で叱責した伊知地参謀長を見て安堵した。
前回では第三軍が旅順要塞の防御力を軽視して攻撃を繰り返したが如く語る者も居たが、実際はこの通りしっかりと現実を理解しているのである。出発前に政府から矢の如き早期攻略に関する催促が出ていることを確認したうえで、桂首相と膝を突き合わせて半日話し合った結果、その催促は一旦止めて貰う事に成功したのであった。
「そも今回は機雷の影響で艦砲射撃による支援は望めんのだ! 陸上火砲と艦砲でどれほどの差が出るか───」
「まぁそこまでに。小村大臣、わざわざ同行された理由について、司令部全員にぜひお聞かせ願いたい」
若手参謀を叱りつける伊知地参謀長を手で遮ると、乃木大将はゆっくりと小村に促した。
第三軍司令部員達も、内閣の現役大臣がこの旅順攻囲戦に足を運んでいる事から、その重大性を理解していたのである。
小村は司令部の全員を見ると桂首相、いや政府からの方針を伝える。
「南山の戦いにおける兵達の損失は、国家の多大なる損失であり数多の『陛下の赤子』を失う事である」
「よって、政府の方針としては速戦速攻の強襲による早期攻略ではなく、我の損耗を抑制し来る満州決戦に向けて敵要塞の損耗を強要するべし」
仮設司令部がざわつく。自分達の損耗を抑制しつつ敵要塞に損耗を強要するとはいったいどうしろというのか?
しかも結びに小村は「しかし2年3年とかけず、1年で敵要塞を屈服せしめるべし」と言った。
これに先ほどまで激昂していた伊知地参謀長はにっこりと笑う、もちろん目は笑っていない。
「なるほど、では砲弾が無限に湧き出る妖術が使える導師でも連れてきていただきたい。できぬのなら私をその導師にしてもらわねばな」
笑いはなかった。だがやれと言われればやらねばならない。もとより強襲による甚大な損害が出ることに比べれば、新たな政府案のほうがよほどましである。
「小村大臣、あとは陸軍の仕事です。大臣と政府はよく兵達の命に向き合ってくださいましたな……ありがとうございます」
深々と小村に頭を下げる乃木大将に、小村もまた深々と頭を下げるのであった。
───1905年6月10日
小村は前回のポーツマス会議に提出した講和を元にした草案を、今回は根本から書き換える事にした。
賠償金を放棄するという『譲歩』を元に、樺太の全島割譲とロシア太平洋艦隊の巡洋艦以上全ての譲渡を盛り込んだのだ。
前回とくらべれば、陸軍は旅順攻囲戦で甚大な損失を出さずに勝利した。しかしそのため旅順艦隊の撃滅が遅れてしまい、迎撃やため旅順港外に投錨していた連合艦隊への補給や再訓練が追いつかず、日本海海戦の結果バルチック艦隊の多数がウラジオストクに大破しながらもたどり着いてしまっていた。
幸いにして八島と初瀬を失ったかわりに、井上元外務大臣による対外工作に成功し購入した英国カノーパス級戦艦『アルビオン』『ゴライアス』をもって日本海海戦に臨むことができた海軍は、戦艦のほとんどが中破しながらも勝利自体はすることができたのだ。
浮かぶのがやっとな程大破したバルチック艦隊は、既にウラジオストクのドックで修理できる状態ではない。実質的に無効化できている。
そのうえで、兵力を温存した第三軍による攻撃が成功し、奉天会戦では最後の一押しとなる追撃がロシア軍に突き刺さった。捕虜は8万人を越えた。
陸では決戦に圧勝、海では総合的に見て健闘以上である。前回以上の要求はできるだろう。しかし───
「大臣、草案が検討委員会に通りません……」
「なに? またか……」
前回と違う道筋を踏もうとした瞬間、会議の裏で、理由の分からぬ抵抗や政治的な壁が次々と現れる。
賠償金なしは国民を納得させられない。
大破したバルチック艦隊に価値はあるのか? 連合艦隊は一隻の戦艦も失っていない。
陸軍はまだ余力がある。もう少し進撃していっそウラジオストクを落としてはどうか。
まるで歴史そのものが、既定の流れへ押し戻してくるかのように。前回の講和会議草案では存在しなかった人物が突然反対派として現れたり、逆に重要な味方だった人物が急病で動けなくなったりする。
「……運命が、元の道へと戻すように働いておるのか」
小村は唇を噛んだ。このままでは未来は変わらない。あの炎の夜もまた変えられない。
しかし、それでも進まなければ、変えなければならない。あの炎の夜を知っているのが自分のみであるがゆえに、小村の孤高な戦いはポーツマスに向けて渡米するまで続いた。
また今回も数十日間にわたる交渉を経て、なんとかポーツマス条約は締結された。
内容としては要約すると以下の通りである。
1.ロシアは満洲および朝鮮から撤兵
2.日本に樺太の全島を割譲
3.戦争賠償金は双方なし
4.ロシアの保有する満州南部の鉄道および租借権の日本への譲渡
5.ウラジオストクに停泊中の大西洋への回航に耐えない損傷艦について賠償艦として日本へ譲渡する。
6.ロシア太平洋艦隊への駆逐艦以上の主力艦配備を行う場合は日本側との協議を必要とする
7.大韓帝国へのロシアによる外交的指導の終了
8.戦時捕虜については米国立ち会いの元直ちに日本側は解放する。ロシア側も3カ月以内に全員解放を行う
外交的に見て賠償金が取れなかった事以外は明らかな日本の勝利である。
ロシアとしても陸軍の著しい捕虜の中に貴族階級の将校が多く、彼らの早期解放(解放されたその日のうちにシベリア鉄道で帰国できる)を鑑みれば、極東の採算も取れぬ島である樺太の全島割譲や、浮かべる鉄くずの旧バルチック艦隊譲渡についても呑める内容であった。
その上で、捕虜の早期解放を含めた「文明国である両国の高潔な和平」を強調することで、ロシアとしても国威への傷を最小限にとどめようとしたのだ。
ついに勝利を勝ち取った。兵士の損害を減らし前回以上の講和をもぎ取った。今度こそあの炎の夜は回避したはずだ。
前回ポーツマスを出発する前に取り寄せていた国内情報を依頼する余力もなく帰路につく。横浜港へ戻る船旅の中で、久々に小村は深く眠ることができた。
───1905年9月5日
小村は外務省の大臣室で多数の外務官僚に囲まれていた。
『偽りの高潔さ、貴族のために捨てた完全勝利』
『屑鉄など要らぬ、賠償金を』
『雪深き未開の島を買った金を国内に使え』
『戦闘に勝って外交で負けた、つまり戦争に負けた』
外交的勝利に湧いていた外務官僚達にとって、新聞や世論の声はあまりにも納得しがたい物であった。何よりあの小村の献身を間近で見ていた者も多い。若手の中には日比谷で行われる和平反対集会に殴り込むと血気盛んなものまでいる。
しかしまだ日比谷であの炎が上がると決まったわけではない。外務官僚達を落ち着かせて警察の警備を増員してもらう。実質的に外務省へ立て籠もる形となったが、かえって血気盛んな者達は「籠城戦だ!」と留まってくれた。
そしてしばらくして大臣室で息苦しさを感じた小村は窓を開けた。
風が吹いた。
夜の気配が広がる。
小村にはわかった。残念だが、あの炎の夜は、きっと───
「止めねばならん。誰も知らない未来のためなのだから……この役目は、この命を賭しても、何度でも」
小村静かに拳を握る。決して諦めることはできない。前回よりも間違いなく良い講和にできたのだ。きっと変えられるはずである。では何が足りないのか。
この繰り返しをもたらす存在はきっと『何か』を求めている。その答えを見つけるまで、終わらぬのだ。
一段と強い風が吹く。
その風が運んできた焦げ臭い炎と共に、小村の意識はまた遠のいていくのであった。