『炎の夜を越えて』───外相、小村寿太郎の戦い   作:あおさ海苔

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第四章 再びの旅順要塞

───1904年5月29日

 

 小村は再びこの日を迎えていた。いや三度、夢で見た事が自分が経験してきたことなのであれば四度なのかもしれない。だがもはや迷いなどない。やるべき事をやるだけである。

 寝床から出て身支度を整えつつ脳内で考えをまとめていく。

 前回行った介入は

 

 1.井上馨 元外務大臣に強力に外債確保を支援してもらい、補給物品と旅順攻囲戦で失った代艦の予算を確保する事

 

 2.旅順攻囲戦にて桂首相と膝を突き合わせて語り、速戦速攻の政府要望を出さずに時間をかけてでも消耗を抑制する事

 

 3.旅順攻囲戦で失った戦艦2隻の代艦を取得し日本海海戦での戦力を補強する事

 

 4.上記を元にポーツマス条約にて1回目より優位かつ物品的な戦利品を確保する事

 

 5.4をもって国民に講和が勝利であると知らしめる事(失敗)

 

 番外.狂乱のままに書き殴った資料を元に外務官僚が2週目でなすべきことまとめ、事前に動いてくれた事

 

 外務省に到着した小村は再び大臣室で書き殴る。

 今度は『思考実験』と称して最初から外務官僚達を参加させている。表向きには『海軍があれだけの被害を出した以上、旅順攻囲戦で失敗する事は許されない。軍人が机上で地図と駒を使い演習を行うのであれば、我々は思考上でペンと紙をもって演習を行う』と説明している。

 

 今まで起きたこの日露戦争の出来事を時系列と事柄にまとめ、ここを改変したらどうなるかという問いを皆で考える。

 やり方の例として小村の『2回目』を使った改変を説明する。説明を始めるその時点で日は暮れていた。

 長期戦になるため、こちらは外務官僚達に任せ小村は首相邸宅へ向かう。第三軍が大連の仮設司令部に到着する前に政府からの方針変更を決定・伝達しなければならないからだ。

 

 夜中まで残された外務官僚達は小村の残した『思考実験』にある意味恐怖していた。まるで見てきたが如くの出来栄えである。しかしその大臣の頭脳をもってしても、講和会議の結果で国内暴動が避けられないという結末を覆すことができなかった事もまた理解した。

 自分たちのような者にこれを上回る結果を導き出せるだろうか? すでにこの『思考実験』は外務省の権限を大きく越えた改変を必要としているのは誰が見ても明らかである。すぐさま官民連携の必要性が決定し、東京大学の講堂を利用した大規模『思考実験』が開始される事となった。

 

 まずは秘匿されている初瀬と八島を失った事について、『思考実験』への参加者に向けた開示を許可する必要がある。海軍省と法務府へ外務官僚達は走ったのであった。

 

 

 翌日の朝、小村は総理邸宅で目を覚ました。夜通し桂首相となすべきことを語りあっていたのだ。

 まずは前回同様に政府からの攻勢催促取り下げ、井上元外務大臣を用いた対外借款の確保については同意を得た。また、前回からの追加事項として旅順攻囲戦にて海軍の追加支援を要求する事となった。

 『2回目』の旅順攻囲戦の後、名前を何といったか陸軍の参謀が一人奇策を考えていたのだ。早速今回試してみようということである。

 小村は朝食をご馳走になったあと、桂首相と共に海軍省へと向かった。

 

 

 事前に使いの者を出していたおかげで、山本海軍大臣は説明資料の山を積み上げて小村らを待ち受けていた。

 すうと深呼吸をして、『1回目』と同じ言葉からはじめた。

 

「山本大臣……突然だが、旅順について話したいことがある」

 

「2人そろって急に来たと思えば旅順の事かね。『初瀬』に『八島』の喪失についてか? いや『吉野』喪失と『龍田』座礁についてか? 海軍としては───」

 

 帝国海軍始まって以来最大の厄日である5月15日の件についてまた何か言いに来たのだろう、そう思ったのか山本はバツの悪そうな顔をしながら目線を合わせず、自嘲するかのようにまくし立てる。

 だが今回もまた山本大臣の想像を裏切る言葉が小村から返ってきた。

 

「陸軍海軍のそれぞれ人を連れてきた。彼らの話を聞いて欲しく参じた次第だ」

 

「二人揃って? そんな話を? ……余程のことなのであろうな」

 

「あぁ、まさに国運をかけた一手だ」

 

 

 桂首相の「入ってくれ」の声と共に入室してきたのは背筋をピンと伸ばした陸軍少将と、同じく背筋は伸びているが苦渋の表情を浮かべている海軍中佐であった。

 

「歩兵第22旅団、旅団長の神尾です」

「……『龍田』艦長、釜屋中佐であります」

 

 二人ともこの時東京に居て、すぐに連絡が着いた。『2回目』では二人の直接の面識がなかったにも関わらず、旅順攻囲戦の早期決着に必要な事について共通の認識を持っていたことを知っている。

 二人には事前に小村が『2回目』において陸海軍が旅順攻囲戦を被害少なく早期決着に持ち込むにはどうすればよいか検討に検討を重ねた総括を伝えてある。もちろんそれは後の彼らが考えたことだけあって、小村大臣という素人からの意見であってもすぐにその重大さに気が付きここに馳せ参じたのであった。

 

「釜屋くん、『龍田』修理の報告では……なさそうだな」

 

「はい、この生命をかけたお願いに参った次第です」

 

「陸軍としても、本件はまだ私の独自案でありまして、桂首相と小村大臣からの命で参った次第です」

 

 

 まだ大本営を通すどころか一軍人の頭のなかにある事を持ち込んできた事に山本大臣のしかめっ面が更に深くなる。だがすかさず桂首相が「これは政府からの事前案を東京に居る有識者に事前検討してもらった結果なのだ」と説明する。こと陸軍の事に関しては山本海軍大臣からは口を挟みにくい。なぜならこの桂首相は元陸軍なのだ。

 なお陸海の二人に送った事前資料にもそのように話を合わせるようにと書いてあったため、二人ともうんうんと頷く。

 

「……まずはわかった。で、その一手とは何か?」

 

 山本大臣が視線を神尾少将に向けて促す。小村は少し身震いしていた。

 この瞬間から未来がわからなくなるのだ、未来がわからなくなるというのはこれ程恐ろしい物なのかと。

 だが未来は切開かねばならない。

 あの炎の夜は何としても起こしてはいけないのだ。

 

 

「山本大臣、旅順攻囲戦にて大規模な艦砲射撃をお願いしたい。それも戦艦級の大口径砲による艦砲射撃を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、陸、海軍省は共に大騒ぎであった。

 

 

 

 

 

 

───1904年6月8日

 

 この日、小村は神尾少将と釜屋中佐と共に第三軍仮設司令部のある大連に居た。

 まずはあの炎の原因となる兵の損耗をいかに減らすか。

 そして要塞攻略が遅れれば連合艦隊の負担が増して日本海海戦への影響は避けられない。だからこそ旅順攻囲戦が鍵だと理解しているのだ。

 

「既に行われた『南山の戦い』において、敵陣正面突破はとてつもない損害を出した事は諸君も承知の上であろう」

 

 仮設司令部の中に、この第三軍司令官である乃木大将の声が響く。

 1904年5月25日に行われた『南山の戦い』では、倍する兵力かつ、艦砲射撃を含めた圧倒的火砲による支援がありながら、攻撃した第二軍の10%にものぼる4,300人の戦死傷者を出していた。また、乃木大将は第二軍に所属していた長男の勝典をこの戦いで失っている。

 

「近代戦における構築された陣地に対する攻略は、いかほどの火砲による支援があっても、その損害は甚大。旅順要塞ともなればどれほどの被害が出るだろうか」

 

 乃木大将が少し顔を曇らせながら旅順攻囲戦用に作られた戦況図に目を落とす。

 

「しかし司令官閣下、今回はさらなる火力を用意しております。南山では確かに被害が大きかったですが一日で抜いております。十倍の防御力を誇るのであれば十倍の砲撃を叩きつけることで、再び10%の損害で旅順を抜く事も不可能ではありますまい」

 

 海外留学から帰ってきたばかりの若手参謀が突然声を荒げる。前に立っていた伊知地参謀長はニコニコしつつ言わせるだけ言わせた後、きっと表情を硬くし若手参謀を見据える。

 

「急進突撃一挙これを陥るる如きは必敗を免れざる……こと大連に至るまで露軍陣地の何を見てきたのだ愚か者!!」

 

 小村は、今回は事前に耳を手で塞ぐ事により鼓膜を守りつつ、耳を塞いでなお脳内まで震えるのではないかと思う程大きな声で叱責した伊知地参謀長を見て安堵した。

 今回も変わらず第三軍は現実を理解しているからだ。当然今回においても桂首相と膝を突き合わせて既に話し合った結果、政府からの攻勢催促は一旦止めて貰う事に成功している。

 

「幸い、今回も艦砲射撃による支援が見込めるのだ! 陸上火砲と艦砲でどれほどの差が出るか───」

 

 「まぁそこまでに。小村大臣、わざわざこちらの両名と同行された理由について、司令部全員にぜひお聞かせ願いたい」

 

 若手参謀を叱りつける伊知地参謀長を手で遮ると、乃木大将はゆっくりと小村に促した。

 第三軍司令部員達も、内閣の現役大臣がこの旅順攻囲戦に足を運んでいる事から、その重大性を理解していたのである。

 小村は司令部の全員を見ると桂首相、いや政府からの方針を伝える。

 

「南山の戦いにおける兵達の損失は、国家の多大なる損失であり数多の『陛下の赤子』を失う事である」

 

「よって、政府の方針としては速戦速攻の強襲による早期攻略ではなく、我の損耗を抑制しつつ大規模砲火力による敵軍漸減により来る満州決戦に向けて敵要塞の損耗を強要し早期攻略を行うべし」

 

 仮設司令部がざわつく。損耗を抑制しつつ早期に敵要塞を落とせとはいったいどうしろというのか?

 続けて小村は連れてきた神尾と釜屋に「詳細は両名から説明する」と言った。

 これに先ほどまで激昂していた伊知地参謀長はにっこりと笑う。

 

「説明か、まさかとは思うが砲弾が無限に湧き出る妖術が使える導師でも連れてきており、そのお二方ということですかな? 違うのならば私をその導師にしてもらわねばな」

 

 すると大いに神尾が笑う。司令部の視線は一気に神尾に集まった。

 

「はっはっはっ、ではその妖術とやらを説明させていただきます───本作戦の要は『203高地に観測拠点を設け、観測艦砲射撃により湾内の敵艦艇を殲滅する事』です」

 

 伊地知参謀長は渋い顔して答える。それでは203高地とらやの高台へ強襲となり、たとえ奪取しても敵の防御陣地に突撃して消耗しきった部隊では敵の回復攻撃により奪還されるだけだと。もし回復攻撃を行わせたくないのであれば要塞線全てで全面攻撃でもせねばならないと否定する。

 それに観測射撃を行うのであればもっと適している鶏冠山もある。多少は攻め込まなければならないが、言った後にさらなる攻勢案を口走ってしまい気まずそうにする。

 そこで神尾少将は机上の戦況図に船の駒を置く、そして鉛筆で射撃範囲指定とおぼしき円を203高地周辺を囲うように描く。

 

「海軍には20センチ以上の大口径砲による艦砲射撃によってこの範囲を砲撃してもらう。203高地からは旗、電信、伝令ありとあらゆるものを使い艦艇に伝達してもらう事で、いついかなる時も10分以内に艦砲射撃支援を開始できるとのことだ」

 

「またこれにより203高地への敵回復攻撃に対して一方的に砲撃を叩き込める。敵兵力の漸減に最適なのだ」

 

 これまでそも203高地について攻撃目標と認識していなかった参謀達は慌てて戦況図を見ながら思考を全力で回し始める。

  

「確かにそれだけの大口径砲なら高地の敵陣地もなんとかなるか」

「海軍先日の戦艦喪失で大型艦艇の接近は行わないのではなかったか、支援は嬉しいが主力艦が危険すぎる」

「これ以上戦艦を失えば旅順艦隊が出てきて海軍は勝てるのか」

「となると海軍砲でも揚陸して使うのか? いやだが揚陸に適した場所など……それに砲撃陣地構築と輸送にどれほど……」

 

 

 参謀達がざわつく。神尾少将はそれをニヤニヤとしながら見ており、それを見た乃木大将は困った奴だと少し苦笑いすると静粛に、と一言声をかけて騒ぎを止める

 再び視線の集まった神尾少将は再びうんうんと頷くと、隣にいる釜屋中佐の肩にそっと手を置いた。

 

「いい手があるのだ。敵の対抗射撃の前に移動できて、しかも旅順まですぐにやってこられる弾薬豊富な大口径砲が。この釜屋中佐がその妖術を説明してくれる」

 

 突然の説明を要求された釜屋中佐は驚いたが、海軍の説明は海軍にという神尾少将の心遣いを察し、改めて姿勢を整えると乃木大将に向かってこう言った。

 

「我が海軍には機雷を回避しうる機動性を持った4000トン級の巡洋艦があります。しかも『32センチ砲』を搭載した巡洋艦が3隻も、都合よく旅順近海に」

 

 この一言を即座に理解し得た者は伊地知参謀長唯一人であった。かっと目を見開くと、先程戦況図に置かれた船の駒から旅順港まですぐさま距離を測る。

 

「届く……203高地も、旅順港も……あぁなんで気がつかんかったんじゃ! あぁあなんでじゃ! ああバカタレ! ワシはバカタレじゃ! なんというこっちゃ! ホントに妖術使いを連れてきおった!!」

 

 突然伊地知参謀長が天を仰いだかと思えば鉛筆を投げ捨て頭を抱えてもがき苦しみ始めた。若手参謀達が羽交い締めにして押しとどめる。

 ここで参謀達も気が付き始める。日清戦争の時、フランスの設計者ベルダンが設計した4000トン級の小さな船体に32センチ砲という巨砲を1門だけ積んだとんでもない船があったのだ。

 今はその主砲を持て余し旧式艦の寄せ集めである第三艦隊で雌伏の時を過ごしていた『松島級巡洋艦』である。これが魔法であり妖術の種であった。

 

「しかし参謀長! そんな大口径砲は連射できません、一門の砲では───あっ」

 

 羽交い締めにしていた参謀も何かを思いついたのか突然手を離し虚空を見据える。小さく三隻あるのか、と呟いたあと理解が追いついていない参謀達に振り返って言った。

 

「仮に1時間に一発しか撃てんでも、三隻ありゃ20分に一発あんの大口径砲を叩き込めるわ……」

 

 その一言をきっかけに参謀達が再びざわつき始める。

 つまり陸軍の軽砲は煙幕弾や牽制用の射撃に専念できる、陸軍重砲が艦砲射撃の間を埋めればよいのでは、203高地を落とせば海軍さんの大砲で旅順艦隊は狙いたい放題だ、いやしかし艦砲射撃の観測射撃なんかできるのか、だが3隻では流石に手数が足りぬ、まてそれなら───

 

「釜屋中佐、一つ聞きたい。海軍は誰がそんな危険な任務にあたるのかね?」

 

 ごほんと一つ咳をして乃木大将の静かな言葉に再び司令部が静まり返る。

 確かに軽快な巡洋艦とはいえ機雷の危険がなくなったわけではない。また、敵艦隊の出撃もありうるのだ。巨砲を持つとはいえ旧式の二等巡洋艦だけでは制海権という点ではいささか荷が重い。

 

「担当するのは松島級が在籍する第三艦隊です」

 

 釜屋中佐は乃木大将を見て端的に答えた。ざわざわと参謀達から声が漏れる。艦種もバラバラ、旧式艦だらけの滑稽艦隊ではないかと。

 だがそんな声に対して乃木大将は遮るように手を挙げて制すると、姿勢を正す。

 

「海軍の皆様より、『百戦錬磨の古強者』の助力をいただける。誠に、誠にありがたい。百万の援軍を得たも同然であります」

 

 そう言って深々と頭を下げる乃木大将に、小村含め神尾少将や釜屋中佐もまた深々と頭を下げるのであった。

 

 

 

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