『炎の夜を越えて』───外相、小村寿太郎の戦い 作:あおさ海苔
───1905年8月5日
ポーツマスに到着した小村は、これから始まる講和会議に向けて改変した事を改めて振り返っていた。
まず第1次非常特別税による国民生活への不満については、第2次非常特別税の見送りと後備旅団の前線投入抑制によってある程度緩和させることに成功した。
税制の話をしよう。
第一次は1904年4月1日に施行され、地租・営業税・所得税・酒造税・各種消費税を引き上げた他、新設の税として毛織物消費税・石油消費税と煙草の専売を行うこととした。
第二次は1905年1月1日に施行され、相続税・通行税・織物消費税・塩の専売を行うこととした。
これにより第一次で様々な税により生活を圧迫させられていたにも関わらず、さらに第二次の増税が行われたのだ。どれもこれも軍が勝っているからこそ増税を耐えに耐えて我慢することができたが、賠償金を得ることのできなかったポーツマス講和条約により、その我慢が限界を迎えることになったのだ。
第2次非常特別税の代わりになる財源は井上元外務大臣の追加対外借款と、次に説明する軍事費削減により賄う。
次に後備旅団についてである。
従来ではたとえ陸軍が快勝していても、前線戦力確保のため後備旅団の編成は大規模に行っていたのだ。
なお後備旅団とは本来であれば出征した旅団駐屯地において新規徴兵された兵士や、退役、予備役の兵士を中心に編成され、主に旅団への人員補充などを目的とするものである。装備は一線級ではなく、後々では老兵も多かった。
夢で見た世界ではこうした後備旅団も最前線に主力部隊として投入されていたが、小村の介入により旅順攻囲戦で大規模な人的損害を出さなかった時は、こうした後備旅団は国内防衛の留守部隊であったり、朝鮮や占領各地での警備にあてていた。
今回はさらに後備旅団の編成を減らし、陸軍が歴史上稀に見るほどの大勝利を得ないようにすこし加減をしている、と言ったところだろうか。
本来であれば陸軍からの不満は大きいが、旅順攻囲戦での介入や消耗抑制によりその不満も『借り』として抑えられている。
国内世論も働き手を必要以上に取られていない事と、井上元外務大臣による対外借款の残りにより国内インフラや工場に投資したおかげで、給与や生活環境の改善として国民へ還元されている。
沿岸部では『海岸防衛』として、山間部では『木材/ 鉱物採集』として電気や列車が開通し始めており、国民の不満を勝利だけでなく実生活としての満足感により解消しようという狙いだ。
実際今まで陸の孤島と言われていた沿岸の集落や、平家の落人村と呼ばれてきた山村にも電気や郵便網が通り始めている。それだけ国産資源の開発とそれに伴う人的資源の確保は必須なのだ。人口はいまだ国力に密接にかかわっているのである。
次に旅順攻囲戦に思いを馳せる。
『3回目』に引き続き松島級を含めた第三艦隊による観測艦砲射撃での旅順艦隊撃滅は実施した。ただ、前回は初めての観測艦砲射撃だったため手順の構築に手間取っていたが、今回は『3回目』の際立った成果を上げた海軍陸戦重砲隊中隊長の永野修身海軍中尉にその一切を任せ、陸海軍の重砲隊と第三艦隊の連携で前回より半分程度の期間で旅順艦隊撃滅と旅順陸軍守備隊漸減に成功している。
艦隊は出撃をし続ければ石炭も食料も水もと、ありとあらゆる金がかかる。連合艦隊の早期佐世保帰還は金銭面ともう一つの点で極めて重要であった。
そのもう一つとは、ウラジオ艦隊により後備近衛歩兵を含む輸送艦が相次いで撃沈され、その悲惨さから国内世論が激昂した『常陸丸事件』である。
早期旅順艦隊撃滅によって余力ができた連合艦隊から巡洋艦を中心とした護衛隊を組織し、護送船団を編成したのだ。従来『常陸丸事件』が発生していた1904年6月15日にロシアウラジオトク巡洋艦隊の装甲巡洋艦三隻が遭遇したのは、『常陸丸』と『佐渡丸』『和泉丸』を護衛する防護巡洋艦『須磨』を旗艦とする第三艦隊第六戦隊の同じく防護巡洋艦『和泉』『千代田』『秋津洲』であった。
装甲巡洋艦に対し旧式かつ防護巡洋艦ではあまりに不利であったが、日清戦争でただの輸送船をもって清国艦隊と砲撃戦を交わした第六戦隊司令官の東郷正路少将曰く「『西京丸』の時と比べれば何ということはなかった」という大胆な近接戦闘を実施。多数の被弾にも関わらず突進してくる第六戦隊を前に水雷攻撃による一撃の損害を恐れウラジオ巡洋艦艦隊は撤退を決断。無事護衛に成功したのであった。『海上輸送は帝国の要、見よこの古強者の傷跡を』という文言と傷だらけの第六戦隊の写真が新聞各社の見出しを飾ることとなったのである。
その後ウラジオ巡洋艦艦隊は以前と同じく第二艦隊により撃滅されたため、以降輸送艦の被害はほぼなくなった。
次にロシア国内工作ついてである。
基本的に過去この工作について小村は関与していなかったが、桂首相の提案で工作自体は行うが、民族主義的な工作活動は行わないこととした。
『血の日曜日事件』自体は今回も発生したが、フィンランドやバルト諸国、ポーランドやウクライナ、コーカサスに中央アジアの民族主義的な騒乱の兆しは今のところ観測されていない。不満は爆発寸前ではあるが、まだ寸前というところで留まっているようだ。
だが、この戦争が長引けばどうなるかわからない。
次にこの講和会議が開かれるきっかけとなった陸海軍の決戦、奉天会戦と日本海海戦についてである。
奉天会戦はほぼ前回と同じ経過をたどり、ロシア軍の全面敗走を引き起こしたが、後退はハルビンで止まっている。また追撃戦力が不足したためか、おおよそ前々回程度か若干下回る程度の捕虜を得て勝利した。高級将校を多数捕虜にする事は引き続き成功しており、そのうえでまだロシア軍は東清鉄道沿いに戦線を辛うじて維持していることから前回とは違い現実を無視した配置転換は行われていないし、ロシア沿海州の無政府状態なども発生していない。
日本海海戦もまた前回とほぼ同じ経過をたどった。
バルチック艦隊の完全撃滅と多数の艦艇捕獲に成功し、ウラジオストクに這々の体でたどり着いた艦艇をあわせても、ロシア極東艦隊はほぼその継戦能力を喪失した。必要とあれば旅順攻囲戦と同じくウラジオストクにも観測艦砲射撃を行うことはできるが、艦隊の早期帰還と消耗抑制のため国内世論や軍からの要望についてしっかりと説明を繰り返し実施していない。
最後に国内世論工作であるが、国内世論が激昂するような事象は事前に対策しており、不満に対する対処も行ってある。そのうえで正式な御用新聞として『国民官報』を配布。国費の使われ方や、臨時税によってこんな事ができた、新しい工場で作られた砲弾が某という敵艦に無事命中したなど、国民に読んでもらえるように分かりやすく伝えたり、国庫の現状やこのまま戦い続けるとどうなるかといった現実的な数字を出して国民に納得してもらえるように情報発信を続けている。
もはや何一つ改善すべき点は見当たらない、完璧な国家運営だった筈だ。だが
───1905年8月26日
午前に行われた秘密会議も、午後の第9回本会議も以前とは異なり成果なく終わった。従来であれば非公式面談の席上、ロシア側は『サハリン南半分の譲渡』または『早期の捕虜交換に伴う支度金の準備』の示唆があったはずだ。
代わりに翌日小村達交渉団の前に現れたロシア帝国全権代表セルゲイ・ウィッテの口から出た言葉は今まで聞いたことのない物であった。
「残念だが、この案では両国に平和が訪れる事は無いだろう。ではまた次は戦場で」
そう言うと、ウィッテは帽子を被り退席する。あまりの衝撃に小村達は一歩も動くことができずロシア代表団の退席を許してしまった。
今回、小村達が提示していた講和案は以下の通りだ。
1.ロシアは満洲および朝鮮から撤兵
2.日本に樺太の全島を割譲
3.戦争賠償金は双方なし
4.ロシアの保有する満州南部の鉄道および租借権の日本への譲渡
5.ウラジオストクに停泊中の大西洋への回航に耐えない損傷艦について賠償艦として日本へ譲渡する。
6.ロシア太平洋艦隊への駆逐艦以上の主力艦配備を行う場合は日本側との協議を必要とする
7.大韓帝国へのロシアによる外交的指導の終了
8.戦時捕虜については米国立ち会いの元直ちに日本側は解放する。ロシア側も3カ月以内に全員解放を行う
この時、ロシアはロシア兵捕虜に対する人道的見地から『支度金』を準備するものとする。
日本兵捕虜については米国立ち会いのもと奉天にて開放するものとする。『支度金』について日本側は用意しなくともよい
賠償金については、人道的見地から『支度金』という名目で受け取り、国民官報にて詳細に説明するつもりであった。
確かに、過去の例の中で最も勝っていた前回ほどではないかもしれないが、ここまでロシア側が態度を硬直させるのは完全に想定外であった。
会議の実質的な決裂とも言える結果に、講和会議を斡旋したルーズベルト大統領は小村達交渉団に対して半ば怒りと哀れみを込めて会談の場を設けることとなった。
小村達はしきりにまだロシア側は帰国していない。交渉を継続してほしいとルーズベルト大統領に願った。しかし首を振った後でてきた大統領の返事は小村達の想像外の物であった。
「君たちは手の内を明かし過ぎた。誰が戦闘では負けているがそのうち破産するであろう敵と講和をしようと思うかね?」
かひゅっ、という声にもならぬ息の塊がまるで肺が呼吸を拒否するかのように溢れる。
全て、全ては小村達の作った国民官報が原因であった。
国内世論の沈静化を目的とした現実的な数字、現実的な妥協点、シベリアの領土確保や賠償金獲得があり得ない理由、どれもこれも国民を納得させるために開示した情報である。それがロシアに継戦を決意させていた。
前回と同じように講和を結べると考えていた小村達とは違い、ロシア側にとってこのポーツマス講和会議は単なる兵力再編成の時間稼ぎでしかなかったのだ。
現実問題、講和会議が稼いだ貴重な時間でロシア側は現実的な兵力配置転換を進めている。
あと1、2回は会戦で勝利を得るに難くないが、いずれ総兵力と予算が底をつく。動員兵力も軍事費も小村達が『抑えて』いるのだ。軍事的、国庫的余裕など当然存在しない。
何かが燃える匂いが鼻を突く。
それはルーズベルト大統領か灰皿へぐしゃぐしゃに押し付けていった葉巻の匂いなのか、それともあの夜の炎の匂いなのか、小村にはもう何もわからなくなっていた。
───1905年9月5日
運命の日、小村の姿は外務省ではなく首相公邸にあった。講和会議決裂の報告と、今日この日があの炎の夜の日であるためだ。
『外務省の大失態、もはや徹底的にロシアを叩き潰すのみ』
『講話より戦争を、ペンより銃を』
『現実的に求めるべきは即時講和、政府は決断すべし』
『陸戦での一撃をもってある程度の講話を求むべし』
講和会議決裂の原因となった『国民官報』によって、国内世論は継戦と和平で真っ二つに別れてしまっている。
「桂首相、本当にすまない。今回もまた私は間違えた……」
そう言って深々と頭を下げようとする小村の両肩を、桂首相は手で押しとどめる。
「去年だったか……早いなぁ、君に繰り返していることを打ち明けられたのはもうそんな前になるのか」
ぽんぽんと小村の肩を叩くと、背の小さな小村の頭にがしりと手をのせ、わしゃわしゃと揉みくちゃにした。
「またあえてこの言葉を君に贈ろう。諦めてはならぬ、諦めなければ必ず人の想いは世界を変えるのだ」
総理公邸の網戸からあの炎の匂いが風に乗って部屋に入ってきた。今度は日比谷公園で継戦派と和平派の団体で血を流す惨事となっているという情報が電報で入ってきた。
鎮圧に向かった警察隊は両派に蹴散らされ、皇居周辺まで騒乱が及んだため近衛師団による武力鎮圧が実施され死者は三桁ではすまないとの事である。
小村の意識が少しずつ白く染まってゆく、また、また繰り返してしまうのだろうか。だが次はどうすればいい? いったいどうすればこの夜の炎は避けられるのか?
再び頭をわしゃわしゃと揉みくちゃにされる。桂首相は笑いながらこう言った。
「また『次も』私を頼るといい。ではまた過去で会おう」
視界が滲みさらに意識が遠のく。滲む視界は過去へ向かう小村への干渉なのか、それとも涙なのか、もはや小村にはわからなかった。