最期に一筆書き変えるだけの仕事です。   作:宇津木 沙坂

4 / 4
ある生者の話

 

「ねぇ渚、一緒に堕ちよう?」

「──……全くしょうがないわね、楓は」

 

 落ちていく、堕ちていく、墜ちていく。

 暗くて黒い、人工の地面へ。

 その下にある筈の、地獄(救い)へ。

 私たちが今生きている世界(地獄)よりも、マシな地獄へ。

 墜ちて、堕ちて、落ちて、最期に、全身が砕け散るような衝撃が、背中から響いて、そこで、私の意識は途切れた。

 

 

 ここで、終わっていたら良かったのに。

 

 

 

 きっと、私だけが生き残ってしまったから。

 あれからずっと、声がする。

 ちゃんと聞かないと、そう、ちゃんと、聞かないと。

 そのためには、…………死なないと。

 

 

 

「あの時、『楓』はすぐにでも飛び降りるところだったわ。靴を揃えて

フェンスを乗り越えて、屋上の縁に立って、今すぐにでも」

「だから私、最初は止めようとしたわ」

「でも無理だった。あの子の絶望は、それだけ強かった。まぁ、元々そんな強い子じゃないし、ね」

「だから、一緒に死んであげることにしたの。ひとりぼっちは悲しいもの」

 

 ……『楓』のことを知ってる私なら、これで十分だとでも思ったのだろうか。

 もっと聞きたいことも、話したいものも山程あるのに。

 

「私に話せるのは、これが全部よ」

 

「おいおい、君の友達があれほど尊厳を傷つけられたのに、その程度のことしか話せないのかい?」

「貴方のせいなのによく言えたわねこのクズ」

 

 いけない。汚い言葉が。

 ……いや、ここにいるのは『渚』とこの男と、『楓』だけだし、別に良いか。

 …………『渚』のそばに佇む『楓』は、前に会った時よりも、存在感が薄かった。

 顔も、半分くらい透けて、消えかかっていた。

 ……………悪霊とか怨霊じゃない霊は、長く留まることはできない。完全に消える前に祓えなければ、存在そのものが消えてしまう。

 そうなって仕舞えば、霊はもう、生まれ変わることも出来なくなってしまう。天国にも、地獄にも行けなくなる。らしい。

 母の時は、本当にギリギリだった。

 だから、『楓』も………

 そこまで考えていたところ、『渚』が、口を開く。また、拒絶の言葉が来るんじゃないかと身構え、予想外の言葉に心から驚いた。

 

「……何というか、貴方達は思ったよりも仲がいいのかしら」

「いくら『渚』と言えどこれ以上私を傷付けるようなことを言うなら怒るわよ」

「全く。このバカの友達なだけあって見る目がないな」

「貴方にだけはバカとか言われたくないのだけれど!」

 

 散財癖のあるセクハラ魔の大嘘つきでノンデリ。余りにも最低最悪すぎてこれと交友関係を持っていることを知られたくはない。

 ましてや仲が良いなんてありえない。

 ………まずい。脱線してる。ちゃんと戻さないと。

 

「……ねえ、『渚』。貴方は今でも死にたいの?」

 

 馬鹿か私は!もっと戻し方があるだろう!

 

「……そうねぇ。もし窓を開けられるなら、すぐにでも飛び降りるくらいには、死にたいわ」

 

 ………分かってはいた。いたけれど。

 そんなことを言われると、悲しくなる。

 

「そう。私は死んで欲しくない」

「貴方がどれだけ望んでも、もう決めたの」

「なら、絶対に辞めさせる」

「……好きにすれば」

 

 ……まず、『楓』の霊を祓うことから始めるべきだろう。それで解決するほど単純な問題ではないだろうが、それでも。

 何より、私の友達が、ひとりぼっちのままだなんて、嫌だ。

 ちゃんと、静かに、眠っていてほしい。

 

「えぇ。好きにするわ。行くわよ、『最果綴(さいはてつづり)』。『楓』を祓う為に、貴方の力を貸して頂戴」

 

 そういって、私は病室から出ようとしたところで、ウッ、と息が詰まった。物理的に。

 そう、つまり、私のブラウスの襟のあたりを、がっちり掴まれて進めなくなった。

 そんなことされたら必然息ができなくなるわけで。

 

「ッゲホッゲホッ。急になにすんのよ!」

「いやー、まだ分からないことが多すぎるからね、君たちに詳しく聞きたいんだよ。どうやら、ある程度は見当ついてるみたいだからね。例えばどうして、『伊吹楓』は自殺したのか、とか」

「……ここで話すようなことじゃないわ」

「まぁそうね。癪だけど『歌織』のいうとおり。その話をするなら外でして頂戴」

 

 

 私たちは、病室から出て、病院の中庭まで行く。

 ………『渚』のそばにいた『楓』の手を、私は掴んで、外に連れ出した。

 その手を掴んだまま、中庭のベンチに腰掛け、話し始める。

 『楓』の味わった、絶望を。

 

 

 

「多分、あんたなら察しがついてるだろうけど。ちゃんと説明するね。……『楓』が援助交際してた写真が、学校中にばら撒かれたの」

「ま、そんなとこだろうと思ったよ。娘がそうでもしなければならないくらいに追い詰めた親はクソだな」

「これに関しては、あなたに同意ね。……どこまで聞きたい?」

「可能な限り全部、正確に」

 

 

 あまり話したくはないのだけれど、仕方ない。

 ………もう、私の声も聞こえないのだろう。『楓』の霊は、私のそばに佇んでいるだけだ。

 

「『楓』の母が、『楓』が稼いできたお金も男に使い込んでいたって話はしたわよね」

 

 これだけでも、腑が煮え繰り返りそうだった。

 

「……それで、『楓』は、母親に言ったの。自分で稼いできたんだから、自分で使わせてくれって」

「ただ、当然そんなことを認めるような人じゃなくて」

「一定のお金を納めて、それ以外のお金は自由に使って良い。変わりに、絶対に一定のお金を納めること、ていう、……ホンットに、ふざけた条件を突きつけてきた」

 

 あの人は、何なんだろう。

 親って、こんなに酷いことができる人だったのだろうか。

 

「額も、それなり以上の値段でね」

「少なくとも、学校に行きながら稼げるような額じゃなかった。そんなのきっと、『楓』の母だってわかってた」

「それでも、何とか稼いで、少しづつ、少しづつ、いつか自分が家から出られるように、お金を貯めてたの」

 

 今でも、『楓』の様子を思い出す。

 私も相当働き通しだったけれど、『楓』はそれ以上だった。

 年齢を偽って、日付が変わる寸前まで働いて、朝、にもならないぐらいの夜明け前から、新聞配達であちこち走り回って。

 学校も休まずに、ちゃんと成績も維持して。

 そんな生活を数ヶ月も続けて、当たり前のことだけれど。

 

「……そして、無理をした代償に、倒れたの」

 

 今でも、覚えている。

 授業中、いつものように綺麗な姿勢で座っていた『楓』の体が、急にぐらついたかと思ったら、音を立てて椅子から崩れ落ちた。

 ……吊り糸が切れた操り人形みたいに、力無く。

 

「……そして、その月は、納めなければならない額を納められなくて」

「その時、『楓』の母親がね、『楓』に言ってきたの」

 

 私の掌にに、ポタポタと雫が落ちる。

 ………『楓』の手に落ちるはずの雫は、そこをすり抜けて、私の掌に落ちる。

 泣きたいのは、私よりも、『楓』なのに。

 『楓』は、もう泣かない。死人は、泣かない。

 

「……割りのいいバイトがある。雇い主を紹介するって」

「…………ハッ。よりにもよって、母親からか」

 

 あぁ。本当に、本当に、許せない。

 到底、同じ人間だとは思えない。殺してやりたい。

 

「………多分、最初から。『楓』が自分のお金が欲しいって言った時から、ここまで考えてたのよ」

「無理な条件を呑ませて、倒れるまで働かせて、納められなくなったら、売る」

「そんな、そんな、血も涙もないことを……あの人は……」

 

 『楓』の努力も、夢も、願いも、全部全部全部全部、『楓』の母の掌の上だった。

 そのことに、『楓』は気づいてしまった。

 

「『楓』の母はね、紹介料をもらってたの。『楓』がもらうお金よりも、多い額の」

「そりゃあ自分よりも高い価値がつくでしょうね」

 

 あぁもう駄目だ。感情を抑えられない。泣きながら、叫びながら、私は言葉を紡いでいた。

 

「だってまだ10代よ。もう40過ぎの女が体を売るよりも、価値も顧客も増えるでしょうね!大金払ってでも抱きたいと思うような欲深いクズなんていくらでもいるもの!………あの女は分かってた、分かってたのよっ、『楓』が自分から離れたいと思っていること!その為にバイトも始めたこと!……でも、絶対に逃さなかった。………逃さなかったの。あの日あの時あの瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『楓』の絶望は、筆舌に尽くしがたいものだっただろう。

 曲がりなりにも親なんだ。血の繋がった家族なんだ。

 だから、どんなに貧乏でも我慢してた。

 母が家に帰ってこない方が多くても、プレゼントなんて貰えなくても、誕生日を祝ってもらったことなんてなくっても。

 

 母が連れ込んだ男が、母の目を盗んで、自分を襲ってきたときも!

 

 我慢してた、我慢してた、我慢してた!ずっとずっと、我慢してた!

 

 いつか出てってやるって、こんな家絶対に出ていってやるって、強気に笑いながら、そう言っていたのに!

 

 ……………それすらも、母親の掌の上だった。

 

「…………もし、あの時『楓』に会ったのが、私だったら」

 

 それに意味はない。

 

「………私は、言えたかな」

 

 希望もない。

 

「………生きてって」

 

 あの子にとっては、生きることが地獄だったのに。

 

 

 

「終わったことを今更掘り返したところでどうしようもないぞ」

「………少しは慰めようとかないわけ」

 

 男はぐしゃぐしゃと掻き混ぜるように、私の頭を乱暴に撫でる。

 男の手を叩いて、それをやめさせる。

 

「今大事なのは、死んじまった『伊吹楓』の絶望を思うことか?」

 

 …………………………違う。

 

「居合わせることもなかった場面に自分を登場させて、勝手に悩んで悲しむことか?」

 

 ……………違う。

 

「お前は俺に何を頼んだ。何を望んで金を払った。何のために頭を下げた」

 

「………『渚』のため。『渚』に、生きてもらうため」

 

 ……そうだ。私は、『渚』と『楓』と、三人でいるのが好きだった。

 三人で見た夕陽が、何よりも綺麗だと思えた。

 この世界を、地獄じゃないと思えたんだ。

 

 だから、だから──!

 

「『渚』が死にたいとか、絶望とか、全部どうでも良い!私の隣で生きてて欲しい!………それが、私の望みよ」

 

 男は、ギラギラとした光を宿す翡翠の瞳で、私を見つめ、満面の笑みを浮かべた。

 

「そうだ、それで良い。本気で死ににいくようなやつを止めるんだ。本気で我儘を叶えようとしているやつを止めるんだ。なら、お前も、我儘になれ。絶望も悲しみも何もかも、全部お前がへし折ってみせろ」

 

 もう迷わない。もう逃げない。

 私は私の我儘を貫き通す。

 絶対に、死なせない。

 

「さぁ、仕事を始めるぞ」

 

 白紙の表紙と、白紙の中身。

 霊を取り込み、タイトルを刻み、中身を刻む。

 そのための本を開きながら、男は不敵に笑った。

 

「お前の絶望、悲しみ、怒り、未練、全てを読み取らせてもらうぞ、『伊吹楓』」

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。