勇者が生まれないか街を見張っていた魔物の私、懐いてきた子をうっかり勇者に育て上げてしまう   作:うちっち

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村娘は危険な儀式に反対したい

 聖都セフィラの治療院は、白かった。

 

 壁も、柱も、床も、天井も、ほとんど白い石でできている。窓から入る夕方の光まで、薄い布で濾されたみたいにやわらかく、廊下の奥では香草を焚く匂いがした。

 

 清潔。

 静か。

 とても体に良さそう。

 

 つまり、私にとっては少し嫌な場所であった。いったい香草は何のために焚いているのか。ひょっとしてお湯に入れたりするためではないのか。

 

 

 

 

 

「重症患者です! 道を開けてください!」

 

 エルミナさんが、治療院の入口で声を上げた。

 

 私は石の塀に囲まれた寝台の中で、天井を見ていた。起き上がり禁止だからである。見えるのは白い天井、白い柱、たまに通り過ぎる神官さんたちの顔。

 

 あと、私の胸元の近くに置かれた『起き上がり禁止』の札。

 

 

 

 

 治療院の神官さんたちが、慌ただしく駆け寄ってきた。

 最初に寝台を見た神官さんは、目を見開いた。

 

「これは……?」

「寝台よ」

 

 クラリッサさんが、すぐに言った。

 

「ええと、石で囲まれているように見えますが……その……」

「寝台よ」

「はい」

 

 神官さんは頷いた。

 ノルクが、いつもの涼しい顔で一歩前に出る。

 

「霧翼竜の暴風を受け、岩壁へめり込みました。内部損傷の可能性があります」

「岩壁へ……」

 

 神官さんたちの顔が、一斉に深刻になった。

 岩壁にめり込んだ、という事実は強い。私はその事実に、ずっと負けている。

 

「こちらで引き継ぎます。上位治療室へ」

「必要な処置はすでに行いました。あとは精密診察と、起き上がり禁止の維持を」

「承知しました。ところであなたは?」

「旅の医者です」

「ほう。治療の方向性を合わせるため、後であなたのご所属をお伺いしたいですな」

 

 神官さんとノルクは真剣に頷いた。

 ノルクの雑な嘘が、聖都の治療院で正式に引き継がれた。起き上がり禁止が治療みたいになっている。こわい。

 

「先生……」

 

 エルミナさんが、胸に両手を当ててノルクを見た。

 

「ここまで、本当にありがとうございました。先生がいなければ、ネリネさんは……」

「旅の医者ですので」

 

 ノルクは、真面目な顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 それから私は、ほんの少し瞬きをした。

 ほんの少しだけだった。

 次に目を開けた時、ノルクはいなかった。

 

「……あれ?」

 

 私は石の塀の中から首だけ動かそうとして、札が淡く光ったのでやめた。

 

「ノルクは?」

「先生なら、「患者が私を呼んでいる」と言って……」

 

 エルミナさんが、治療院の入口の方を見た。そこには白い廊下と、香草の匂いと、行き交う神官さんたちだけがあった。

 

「本当に、旅の医者なのですね」

 

 エルミナさんの顔には、明らかな尊敬の色があった。旅の医者とは。

 

 

 

 

 

 

 治療院の神官さんたちは、私の寝台を囲んで動き始めた。石の塀を崩さないように、クラリッサさんが横から細かく指示を出す。

 

「その青い石には触れないで。流れが崩れるわ。あ、そこの黒い石も。あと、見守り石は胸元に置いたままで」

 

 神官さんが、少しだけ困った顔をした。

 ただ、クラリッサさんが真剣なので、誰も強く言えないのだろう。

 治療院の奥へ運ばれる途中、別の神官さんが駆け込んできた。

 

「勇者様ですね?」

 

 ユリスくんが顔を上げる。

 

「大聖堂より伝令です。光の標の準備が整いました。勇者様には、できるだけ早くお越しいただきたいと」

「光の標……」

 

 エルミナさんが、小さく呟いた。

 そういえば、それが聖都に来た目的だった。

 神託でユリスくんに示された、魔王城へ向かうための標。

 行き方がどうしても知りたいなら私に聞いてくれたらいいのに。

 

「ネリネを診てもらってから行きます」

 

 ユリスくんが、即答した。

 神官さんが困った顔をする。

 

「しかし、光の標は勇者様にとって重要な儀です。遅れますと、今夜の儀式場を閉じることに……」

「なら、俺はここに残ります」

「ユリスくん? 行ってくれていいんだよ?」

 

 私が見上げると、ユリスくんは寝台の前側に立ったまま、こちらを見ていた。

 

「俺はネリネを置いていかない」

「私は治療院にいるだけだって」

「だから置いていけないんだ」

 

 かなり強引だった。あとその台詞は治療院の方々に失礼では……。

 

 神官さんがさらに困った顔をした時、奥から年配の神官さんがやってきた。手に、白い板のようなものを持っている。こちらも、同じくらい困った顔をしていた。

 

「ところが、そういう訳にはいきません……。勇者様だけでは、光の標は完了せんのです」

 

 年配の神官さんは、手元の白い板を確認しながら言った。

 

「光の標とは、勇者様個人に授ける祝福ではなく、魔王城へ向かう一行全体に道筋を刻む儀です」

「一行全体……」

 

 エルミナさんが、確認するように呟いた。

 年配の神官さんは重々しく頷く。

 

「はい。勇者様だけが標を受けても、儀は完了しません。勇者一行として登録された方が欠けたままでは、標は正しく結ばれないのです」

「登録?」

 

 私は石の塀の中で小さく呟いた。そんなのいつしたっけ?

 

「私は今、登録上の同行者なんですか? それとも荷物?」

「勇者一行として登録される条件は、この聖都に勇者と共に訪れること。今夜の標は、すでに勇者様一行のために開かれています。閉じてしまえば、次に同じ条件で開けるのは数日後になります」

 

 無視された。そして、数日後だって。

 もし待つとしたら、その間、私はこの寝台の上にいないといけないのだろうか。

 治療院の神官さんが、少し困ったように私の寝台を見た。

 

「ですが、この方は上体を起こせません。通常であれば、療養室で安静にしていただくべき状態です」

「承知しています」

 

 年配の神官さんは、私の胸元の『起き上がり禁止』の札を見た。

 それから、寝台を囲む石の塀を見て、ほんの少しだけ眉を動かした。

 

「ですので、寝台ごとお越しください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして私は、治療院で休むはずが、石に囲まれた寝台ごと大聖堂へ運ばれることになった。治療院とはいったい何だったのか。私が聖都の権力者になったとしたら、治療院は取り壊して甘味食べ放題の店にしよう。私はそう心に誓った。

 

 

 

 

 

 大聖堂は、治療院よりさらに白かった。

 

 高い天井と、細い柱。色のついた硝子窓から、夕方の光が斜めに差し込んでいる。床には大きな円が刻まれていて、その中央に、白い石でできた祭壇があった。

 

 ごーん、ごーん、と鐘の音が遠くで鳴っている。

 清らか。

 荘厳。

 

 私の寝台の周囲の石は、硝子窓の光を受けて、妙にきれいに光っている。まるで祭壇にこのまま飾られるみたいである。魔王城に帰ったら、「私、大聖堂で展示されたんだ!」とみんなに自慢してやろう。その私の寝台は、現在、クラリッサさんの結界により、ふわふわと宙に浮いている。

 

 

 

 

「では、こちらへ」

 

 司祭さんが、私たちを祭壇の前へ案内した。

 ユリスくん、クラリッサさん、エルミナさんは祭壇の前に立つ。

 私はその隣で、寝台の上に寝ている。

 勇者一行の一人というより、儀式で捧げられる捧げ物みたいだった。

 

 司祭さんは、3人と1体に対して、静かに説明を始めた。

 

「これより、光の標を授けます。標は、魔王城へ至る道筋を、勇者様とその一行へ刻むためのものです。身体への負担はほとんどありません」

 

 身体への負担。

 その言い方が、少しだけ引っかかった。私は寝たまま、そっと手を挙げる。

 

「ほとんど?」

「はい。通常の標であれば、数日ほど体が重くなる程度です。ああ、大丈夫ですよ。傷が悪くなったりはしませんから」

「通常の標であれば、というのは……?」

 

 私が聞き返すと、司祭さんは少しだけ目を伏せた。

 

「光の標には、もう一つ、深層刻印という方法があります」

 

 嫌な予感がした。

 深層。刻印。

 どちらも、体に良さそうではない。

 

「深層刻印は、標を道案内として受けるのではなく、その人が最も頼ってきた力の奥へ直接刻みます。成功すれば、その力は大きく開かれます」

 

 ユリスくんが、真剣な顔になった。

 クラリッサさんが、少しだけ目を細めた。

 エルミナさんが、胸元で手を握る。

 

「じゃあ、通常の方でお願いします」

 

 私は即答した。

 誰よりも早かったと思う。

 司祭さんは、少し表情を引き締めた。

 

「ですが、深層刻印には大きな危険があります」

「ほら! 危険だって! やめよう!」

「失敗すれば、刻印を受けた力が焼き切れます。要は、あなた方の最も大事な力……勇者様であれば、聖剣の加護。魔法使いの方であれば、結界術。神官の方であれば、治癒の祈り。二度と戻らない可能性があります」

「はいやめよう。やめやめ」

 

 私は、今度こそ強く言った。

 司祭さんは黙っている。

 ユリスくんも、クラリッサさんも、エルミナさんも、なぜか黙っていた。

 

「ユリスくんは聖剣が使えなくなるかもしれないんだよ?」

「分かってる」

「クラリッサさんは結界が使えなくなるかもしれないんだよ?」

「分かっているわ」

「エルミナさんは治癒魔法が使えなくなるかもしれないんだよ?」

「……分かっています」

「分かってるならやめよっか?」

 

 大聖堂に、私の声だけが響いた。起き上がり禁止札が、胸元で淡く光った。

 たぶん、声が大きかったから反応したのだと思う。札まで私を止めに来る。

 

「ネリネ」

 

 ユリスくんが、こちらを見た。

 

「俺は、もっと強くなりたい」

「もう十分強いよ」

「足りなかった」

 

 短い言葉だった。

 でも、そこで言いたいことは分かった。

 霧翼竜の暴風。私が吹き飛ばされた瞬間。

 ユリスくんは、まだあの場面にいる。

 

「次は届かせたいんだ」

 

 ユリスくんは言った。

 困る。真剣な顔で、そういうことを言わないでほしい。

 止めづらくなるから。

 よし、ここはクラリッサさんに止めてもらうしか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私も受けるわ」

「えーっ!?」

 

 私はびっくりした。びっくりしすぎて叫んだ。

 いったい何が起きてるの。

 この場面、クラリッサさんってどう考えても止める側でしょ。

 

「今の結界では、守れる場所を選ばされる。守る場所を選ばないためには、別の形が必要よ」

「結界が使えなくなるかもしれないんだよ?」

「その時は、私の選んだ形が悪かったということね」

 

 やばい。何を言ってるか真剣に分からない。

 そして、クラリッサさんは、少しだけ口元を引き結んだ。

 

「形が悪いなら、直すわ。そのために受けるの」

 

 

 

 

 

「私も、受けます」

「流れ的にそうじゃないかとは思ってたけども。なんでエルミナさんまでそんなこと言うの」

「治癒の祈りを失うかもしれないことは、怖いです」

「そりゃそうでしょ。じゃあやめよ?」

「でも」

 

 エルミナさんは、私の寝台を見た。

 石の塀。起き上がり禁止札。ずっとかけ続けてくれた回復魔法。

 

「見えない傷に、手が届かない方が、もっと怖いです」

 

「その見えない傷、たぶんないんだよ……」とは言えなかった。言える空気ではなかった。さすらいの医者が今は憎い。

 

 

 

 

 

「3名とも、深層刻印を?」

 

 司祭さんが、少しだけ驚いた顔をした。

 

「3名全員は、非常に珍しいことです。通常は1人、多くても2人。失敗すれば、それぞれが最も頼ってきた力を失います」

「聞いた!? 今もう1回同じこと言ったよ!? これ絶対無くなるやつじゃん!!!」

「では神官さん、お願いします」

 

 ついに私はユリスくんにすら無視された。

 そして、司祭さんが祭壇の前に立つ。大聖堂の床に刻まれた円が、淡く光り始めた。

 最初は、細い線だった。

 それが祭壇から伸び、ユリスくんの足元へ。クラリッサさんの足元へ。エルミナさんの足元へ。そして、なぜか私の寝台の下にも伸びてきた。そして、ぽわわ、と光り出す。

 

「え? 私も?」

「同行者全員です」

「私は普通ので」

「儀式は一体です」

 

 光が、私の周りの石に触れた。透明な石が、淡く白く光る。青い石が水の底みたいに揺れ、黒い石が星のない夜みたいに深くなる。

 

 まずいぞ。私の力で一番ってどれだ。やっぱり羽根? 羽根がなくなると私はただの村娘になってしまう。そんなの絶対嫌なので、こうなったら大聖堂を丸ごとぶち壊してどさくさに紛れて誤魔化すか……?

 

 私はけっこう真剣に検討した。そして、あることに気付く。

 いや待て。標が、私ではなく、周りの石に入ってない?

 光は、私の体に入るというより、寝台の周囲の石の塀をぐるりと何周も回っている。

 

 石から石へ。

 私の棺だけが同行者認証されていく。ひょっとしたら、大聖堂も粉々に吹き飛ばされるのは嫌だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 そして、ユリスくんの足元で、光が細く伸びた。

 

 それは、床に刻まれた模様をなぞるように走り、彼の靴先で一度止まった。それから、まるで進む先を探すように、聖剣の鞘へ吸い上げられていく。

 

 かすかに、剣が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 クラリッサさんの足元では、光が円ではなく、点になって浮かび上がった。

 クラリッサさんの石袋が小さく震え、中からいくつかの石がふわりと浮かぶ。

 透明な石。青い石。淡い紫の石。

 

 クラリッサさんは、そのうち一つを選んだ。

 

 紫がかった透明な石だった。内側に細い光が入っていて、角度を変えるたびに星みたいに瞬く。

 

 

 

 

 

 

 エルミナさんの周囲では、光が静かに沈んだ。

 派手に広がる光ではない。怪我を塞ぐ時のように、傷口へ集まる光でもない。

 もっと細く、もっと奥へ向かう光だった。

 エルミナさんは、そっと手を宙に伸ばした。そこに、小さな光が落ちてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大聖堂の光が強くなる。

 鐘の音が、遠くで鳴った。そして、床の円が大きく震えた。

 

「……むう……これは……3名とも、成功です! 見事! ですが!」

 

 司祭さんの顔色が変わった。

 あと、私が普通に数に入ってない。さすがに寝台を勇者一行に数えるのは、はばかられたのか。

 

「3名同時の深層刻印で、聖都自体の結界出力が……いかん!」

「だからやめた方がいいって言ったじゃん!!」

 

 その瞬間、大聖堂の奥で、低い音がした。

 石の下から響くような、古い扉が少しだけ動いたような音。

 

 都全体が、ほんの一瞬、息を止めた。そんな感覚。

 それから、遠くで鐘が乱れた。

 

 

 

 

 

 

 警鐘だった。

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