勇者が生まれないか街を見張っていた魔物の私、懐いてきた子をうっかり勇者に育て上げてしまう   作:うちっち

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村娘は魔王軍の侵攻頻度に詳しくない

 城壁の外に広がっていた白い骸骨の群れは、姿を消した。

 

 

 

 

 私は療養椅子の背に、少しだけ体を預け直した。

 

 石の棺だったものは、今は椅子になっている。勝手になった。けれど、ずっと寝台のまま運ばれるよりは、かなりましだ。視界が高い。首も楽。

 

 

「ネリネ!」

 

 ユリスくんが駆け寄ってきた。聖剣の光はもう収まっているのに、肩で息をしている彼の周りだけ、まだ少し空気が明るいように見えた。

 

 深層刻印を受けてから、ユリスくんの聖剣は明らかに変わっている。さっきも、剣を振った光がそのまま遠くまで伸びて、城壁の外の骸骨兵をまとめて薙ぎ払っていた。あれはもう、剣というより、遠くまで届く光の刃だった。

 

「ユリスくん、おつかれさま」

「ネリネは? ちゃんと座ってた?」

「見ての通り、座ってたし、浮いてたよ」

「よかった」

 

 いいんだ。

 最近、ユリスくんの判断基準が私にはわからない。昔はもう少し、泥だらけになっても平気で走り回る子だった気がする。勇者になると人は細かくなるのかもしれない。

 

 

 

 少し離れたところでは、クラリッサさんが遠くの方の地面を、無言で見つめていた。

 

 私は、クラリッサさんがさっき撃った石を思い出す。綺麗な石だった。たぶん本人にとっては、かなり大事な石だったのだと思う。

 

「……石は、また探せばいいわ。うん、そうよ。そうそう」

 

 クラリッサさんは軽い声を上げた。

 私は何も言わないことにした。

 こういう時に「あの石、綺麗でしたよね」とか言うと、たぶん形が悪い。

 

 

 

 

 

 エルミナさんは城壁の階段近くで、聖都の兵士たちを診ていた。彼女の祈りは、もう一人ずつに手を当てるものではなくなっている。淡い光が布のように広がり、倒れかけていた兵士たちの呼吸をつなぎとめていた。

 

 けれど、その分、彼女自身の顔色は悪い。

 祈りが広く届くようになったぶん、消耗も広くなったのだろう。

 強くなるというのは、便利なことばかりではないらしい。

 

 それでも、三人は確かに強くなった。

 

 

 

 

 ユリスくんの聖剣は、城壁の外へ届いた。クラリッサさんの結界は、守るだけでなく撃ち抜いた。エルミナさんの祈りは、一人ではなく戦線そのものを支えた。私は皆を応援した。……何もしてないわけでは、ないと思う。

 

 

 

 

 その時、城壁の階段を上がってくる人影があった。

 

 白い法衣の上に、淡い金糸で縁取られた外套をまとった男の人だ。年齢は四十代くらいだろうか。髪は灰色交じりで、表情は穏やかだけれど、目だけはよく動いている。

 

 城壁の被害。負傷者。勇者一行。骸骨兵の残骸。私の療養椅子。

 

 それらを順に見てから、彼は深く頭を下げた。

 

「勇者ユリス様、クラリッサ様、エルミナ様。…………えー。ネリネ様。聖都と教会を代表し、感謝申し上げます」

 

 おお。応援もちゃんと数に入れてくれるらしい。なんだか間があったけど。皆の視線に負けた気もしたけど、きっと気のせいだろう。

 

「私は聖典保管長セレグラ。古記録と聖遺物庫を預かる者です」

 

 セレグラさんは、もう一度静かに頭を下げた。

 

「古き守り手が城壁内へ入っていれば、巡礼者にも市街にも被害が出ていました。皆様が鎮めてくださったことで、聖都は守られました」

「感謝だけを受け取るのは、形が悪いわ」

 

 クラリッサさんが、割れた紫の石を手の中で転がしながら言った。

 

「古き守り手が起きたのは、私たち三人が同時に深層まで標を受けたことがきっかけでしょう。標の光が、聖都側の古い封印を揺らした。なら、半分は私たちの後始末でもあるわ」

 

 ユリスくんが少し表情を引き締めた。エルミナさんも、治療の手を止めてこちらを見る。

 

 セレグラさんは、クラリッサさんの言葉を否定しなかった。

 

「はい。守り手が目覚めたきっかけの一つが、三名同時の深層刻印にあったことは事実です。……ですが」

 

 彼は、穏やかな声のまま続けた。

 

「標を深く受けること自体は、勇者一行に許された試練でもあります。そして、起きた守り手を鎮めたのもまた、あなた方。原因の一端がどこにあったとしても、聖都が救われた事実は変わりません」

「……そう」

 

 クラリッサさんは、完全には納得していない顔だった。

 けれど、それ以上は言わなかった。

 

 

 

 

 

 セレグラさんは、そこでようやく本題へ入るように、城壁の内側へ視線を向けた。

 

「先ほど、封じられていた記録庫への扉が開きました。勇者一行が標を受けた後にのみ開く、古い部屋です」

「それは、私たちが見てもよいものなのですか」

 

 エルミナさんが尋ねると、セレグラさんは頷いた。

 

「むしろ、見ていただくためのものです。勇者の旅は、剣だけでは進みません。過去に何が起き、何が残され、何を避けるべきか。そうしたものを知ることもまた、標を受けた者の務めです」

 

 勇者の旅は、やることが多い。

 骸骨兵を倒したと思ったら、次は記録確認である。魔王城へ向かう前に、事務処理が挟まるあたり、世の中はどこも大変だ。

 

 

 

 

 

 

 そして、セレグラさんに案内された古の記録庫は、大聖堂の奥にあった。

 

 そこへ入るまでに、白い廊下をいくつも抜けた。床は磨かれていて、私の療養椅子が滑るように進むたび、薄い反響音が壁に返る。壁には聖人や勇者の浮き彫りが並び、どの顔も穏やかに前を見ていた。

 

 

 

 

 

 記録庫の扉は、ほかの部屋より古かった。表面には古い文字が刻まれていたが、ところどころ摩耗して読みにくい。

 

 

 セレグラさんが手をかざすと、扉の中央に淡い光が灯った。次いで、ユリスくんの聖剣が小さく反応し、エルミナさんの胸元の聖印が震え、クラリッサさんの持っていた石がかすかに鳴った。

 

 最後に、私の療養椅子が、こつん、と床を叩いた。

 いや、椅子が勝手に。

 

 

 

 

 

 扉が静かに開いた。

 中は、思ったより狭かった。

 

 巨大な書庫を想像していたけれど、そこにあったのは、石の棚と、古い金属板と、巻物を収めた箱がいくつも並ぶ、静かな部屋だった。空気は乾いていて、紙と石灰と、長い間閉じ込められていた埃の匂いがした。

 

「こちらが、歴代勇者の旅程記録です」

 

 セレグラさんが、石板の並ぶ棚を示した。

 

 そこには、年代の違う石板がいくつも収められていた。

 古い文字は線が細く、ところどころ欠けている。似たような記号がいくつも並んでいて、見ているだけで目が疲れる。私は療養椅子の上から、分かったような顔で眺めることにした。分かったような顔は、意外と便利である。

 

 

 

 

 

 石板の下部には、旅程の要点らしいものが短く刻まれていた。

 

 神託により、旧聖門の封鎖確認。

 神託により、沈黙した白火台の再点火。

 神託により、聖骸布保管室の封印補強。

 神託により、南巡礼路に発生した石化病の源を断つ。

 神託により、女神像地下の空洞を封鎖。

 神託により、夜鳴きの聖櫃を回収。

 神託により、古い祈祷炉の暴走を停止。

 神託により、巡礼暦から消えた三日間の記録を照合。

 神託により、聖都外縁の眠り番を再封印。

 

 

 

 勇者の記録、というより、聖都の古い不具合対応一覧みたいだった。

 

「歴代、ということは……勇者は過去にも何人もいたんですね」

「はい。標に選ばれた者は、時代ごとに存在しました」

 

 そこで、セレグラさんはユリスくんの腰の聖剣へ視線を落とした。

 

「ですが、聖剣を抜いた勇者は、記録上、あなたが初めてです」

「俺が……?」

「歴代勇者の中にも、聖剣の前に立った者はおります。標に触れ、試練を受け、剣前に祈った者も。しかし、抜剣に至った記録はありません」

 

 ユリスくんの手が、無意識に聖剣の柄へ触れた。

 ユリスくんは歴代の中でもすごい勇者らしい。ふむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 記録庫の奥には、存在分類の棚もあった。

 

「こちらは、今ではあまり用いられない古い分類です。あまり見るべきものはないかと。少し見た後は、聖遺物の倉庫へ参りましょうか」

 

 セレグラさんが、壁に貼ってある大きな金属板を示す。

 

 そこには、精霊、聖獣、守り手、祝福を受けた者、などの文字が並んでいた。

 

 その中の、短い一文が目に入った。たぶん、さっき兵の誰かが言っていたからだと思う。

 

 ――天使とは、女神の言葉を地上へ運ぶ羽持つ使いである。

 ――天使はいずれも、背に羽根を持っている。

 

 羽持つ使い。

 鳥系魔物の分類みたいだな、と思った。

 

 でも、天使というのはたぶん魔物ではない。きっともっとありがたいものなのだろう。私はハーピー型の魔物なので、関係ない。

 

 エルミナさんも、その一文を静かに見ていた。神官だから、こういう記述には思うところがあるのかもしれない。そして彼女は小さく「背に羽根……?」と小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 記録庫を出るころには、外の空が薄く赤くなっていた。

 聖遺物庫へ向かう廊下で、クラリッサさんが少しだけ歩調を落とした。

 

「さっきの石板、見た?」

「見ました。あんまり読めませんでした」

「でしょうね」

「ひどい」

 

 けれど、クラリッサさんは声を低くしたまま続けた。

 

「歴代勇者の旅程として刻まれていた項目よ。旧聖門、白火台、聖骸布保管室、石化病、女神像地下、祈祷炉、眠り番。どれも、魔王軍との戦場というより、聖都や巡礼制度の中にある古い仕組みの維持管理に近いわ」

 

 ユリスくんが眉を寄せた。

 

「魔王軍との戦いは?」

「あるにはあるわ。でも、少なくともあの石板で強調されていたのは、神託によって教会側の問題へ向かわされる記録だった」

「勇者様の旅は、魔王軍を討つためのものだと教わってきました」

「討っていないとは言っていないわ。魔王軍は確かに人の街を侵攻しているから」

 

 

 私は、廊下の白い床を見た。

 ちょっと、疑問がある。

 魔王軍って、そんなに人の街へ侵攻していたかな。

 

 もちろん、私は魔王城の全部の作戦を知っているわけではない。けれどここ数百年、「勇者があちこちの街を魔王軍から救って回った」と言えるほど、人の街へ大規模侵攻していた記憶はない。

 

 

 そもそも街を滅ぼしてしまったら、その土地のおいしい特産品が食べられなくなる。だから魔王城では、たいてい人型の魔物が財布を握り締めて買い出しに行くのだ。

 

 魔王城には、『地方名物持ち寄り会』という集まりもある。

 ちなみに会長は私である。モルと組んだ私の運搬能力は無敵であった。魔王様は「お前! やめんかそういうの作るの! 士気が下がるじゃろ!」と言いながら、ちゃっかり名誉顧問になっていた。

 

 なので、少なくとも私の知る魔王軍は、人間の街を片端から焼いて回るような、そんな雑な仕事はしていない。

 

 

 

 

 

 ……でも、それを口に出すと、どうして知っているのかという話になる。

 療養中の村娘は、魔王軍の侵攻頻度に詳しくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 セレグラさんは、私たちを別室へ案内した。

 そこには、いくつかの聖遺物が並べられていた。

 

「勇者一行には、聖遺物を一つ貸与できます。これは古くからの定めです。旅の助けとなるものを、お選びください」

 

 机の上には、白い外套、小さな水筒、折り畳まれた卓、包帯箱、そして白い表紙の帳面などがあった。

 

 私は折り畳まれた卓を見た。

 

「これは?」

「巡礼者の小卓です。一日に一度、温かな飲み物と軽食を人数分出します」

 

 軽食。焼き菓子だろうか。

 私は少し身を乗り出した。療養椅子が、こつん、と床を鳴らした。

 

 

 

 クラリッサさんは、白い帳面を手に取っていた。

 

「これは?」

「巡礼記録の白帳です。旅程、負傷、標の反応、聖遺物の使用、戦闘記録などを書き留めるためのものです。書いた内容は、走り書きであったとしても、翌朝には日付や場所ごとに整います」

「共有記録?」

「はい。勇者一行の実務記録としてお使いいただけます。無限に書くことができます」

 

 クラリッサさんは、帳面の表紙を指で軽く叩いた。

 

「私は、これを推すわ」

 

 私は小卓を見た。それから白帳を見た。美味しくなさそう。会長としての私が、白帳に「D⁺」の評価を下した。何も食べる時がない時の非常食用。調味料が必須。

 

「小卓は?」

「小卓ではなく」

「クラリッサさんは知らないかもしれないけど、軽食ってことは焼き菓子も出てくるんだよ?」

「焼き菓子なら買ってあげるから」

 

 クラリッサさんは真面目な顔で続けた。

 

「今の私たちは、深層刻印を受けた直後よ。ユリスの斬撃がどこまで届くのか、何度撃てば消耗するのか。私の結晶砲が、どの石でどれだけ出力を出すのか。エルミナの祈りが何人を支えられるのか。感覚で済ませるには、力が大きすぎるわ」

「治療記録にも使えますね。負傷者の状態や、祈りを広げた時の消耗を残せるなら、次に役立ちます」

「俺も、ちゃんと残した方がいいと思う。さっきの斬撃、自分でも距離が分かってなかった」

 

 三人とも真面目だった。

 私はもう一度、小卓を見た。

 軽食。

 温かな飲み物。

 焼き菓子。

 それ以上に、「記録を取るならそこらに売ってる普通の帳面でいいのでは?」という疑問。うーん。うーーーーーん……。

 

 

 

 

 

 

「……じゃあ、白帳で」

 

 私がそう言うと、セレグラさんは静かに頷いた。

 

「承りました」

 

 白い帳面が、クラリッサさんの手からユリスくんへ、ユリスくんからエルミナさんへ、そして最後に私の膝の上へ置かれた。

 

 表紙はなめらかで、ほんの少し冷たい。開くと、最初の頁は真っ白だった。けれど、指先で触れると、うっすらと日付と場所を書く欄が浮かび上がる。日記みたい。

 

「まず、今日の記録を書いてみますか」

 

 エルミナさんが言った。

 

「私が?」

「ネリネさん、座っていますし」

「座っている人が記録係になる仕組みなんですか?」

 

 まあ、でもそうかもしれない。

 私はペンを受け取り、白帳に今日のことを書き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今日は、聖都で骨をたくさん折りました。

 ユリスくんの聖剣はいつもよりまぶしくて。

 クラリッサさんの綺麗な石は遠くまで飛んでいきました。

 エルミナさんは城壁の階段を駆け下りるのが早い。

 私は療養椅子に座って応援しました。

 今日も安眠できそうでうれしいです。

 すやすや。

 

 ネリネ』

 

 

 

 

 

 

 いつもながら完璧である。

 書き終えてから、私は白帳を閉じた。

 

「できたよ」

「早っ。見てもいい?」

 

 ユリスくんが少し身を乗り出した。

 いや、でもちょっと今書いたばっかりのを読まれるのはちょっと抵抗あるな……。

 

「駄目。恥ずかしい」

「恥ずかしい?」

「うん。私の気持ちがたくさん書いてあるから。誰にも見せないよ」

「記録係がとんでもないこと言い出したわ……」

「明日! 明日ちょっと整うんですよね! それ見ましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ともかく、勇者一行は、古き守り手を鎮めた。聖都は守られた。新しい聖遺物も手に入った。あとは、明日の朝、白帳が読みやすくなっていればいい。

 

 私はそう思って、療養椅子の背に少し体を預けた。

 

 

 

 まあ、私の報告は完璧だから……全部そのままで残ってるかも? いや、たぶんそうだ。……やっぱりこれ、普通の帳面でよかったのでは……?

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