勇者が生まれないか街を見張っていた魔物の私、懐いてきた子をうっかり勇者に育て上げてしまう 作:うちっち
古の記録庫を見て、聖遺物を選び終えたあと、セレグラさんは次の神託を告げた。
いわく。
『西巡礼路の先、灰鐘村へ向かえ。
魔王軍の影あり。
救いを待つ者あり。』
灰鐘村。
聞いたことのない村だった。少なくとも、魔王城の大規模作戦名としては記憶にない。
魔王軍の影。
どういう影だろう。私はなんとなく、自分の足元に落ちる影を見つめた。うーん、別に角が出ていたりはしない。
ということで、私たちは灰鐘村に向かうこととした。
聖都を出発し、数時間ほど進んだところで、街道沿いの白楔宿という大きな巡礼宿に泊まる。
そして翌朝。
白帳はきちんと整っていた。
ただし、私が昨日書いた名文とは、かなり違う形になっていた。
昨夜の私の記録は、たしかこうだった。
『今日は、聖都で骨をたくさん折りました。
ユリスくんの聖剣はいつもよりまぶしくて。
クラリッサさんの綺麗な石は遠くまで飛んでいきました。
エルミナさんは城壁の階段を駆け下りるのが早い。
私は療養椅子に座って応援しました。
今日も安眠できそうでうれしいです。
すやすや。
ネリネ』
完璧である。
魔王城の国語の教科書に載っていても違和感がない名文であった。
なのに、白帳の頁には、こうなっていた。
巡礼暦 三百二十一年 白鐘月 第十二日
場所:聖都外縁城壁・北西防衛線
記録種別:戦闘後整理/深層刻印後初回運用
発生事案
古き守り手の半覚醒。
聖都外縁結界の揺らぎにより、城壁外へ骸骨兵群が出現。
原因候補
・ユリス、クラリッサ、エルミナの三名が同時に深層刻印を受けたことによる標の急拡張。
・聖都外縁に残る古封印との干渉。
参加者および確認事項
ユリス:聖剣光刃の射程拡大を確認。城壁外まで到達。連続使用後、肩部および前腕部に疲労。
クラリッサ:結界圧縮による遠距離砲撃を確認。触媒石一個を全損。本人の魔力及び精神的損耗あり。
エルミナ:広域祈祷による戦線維持を確認。複数名への同時支援に成功。術後、全身の疲労と顔色不良。
ネリネ:療養椅子上にて待機。起立なし。
負傷者
聖騎士:軽傷十七名。
巡礼者:被害なし。
勇者一行:重傷なし。術後消耗あり。すやすや。
次回確認事項
・ユリスの光刃射程と連続使用限界。
・クラリッサの結界砲撃における触媒石の消耗率。
・エルミナの広域祈祷後の休息時間。
・すうすう。
私は、しばらく黙って白帳を見つめた。
これは……これは……何? このすごくつまらないのに無駄に長い文章はいったい……?
「実務記録としては優秀ね」
クラリッサさんが横から覗き込んで言った。
昨日から泊まっている宿場には、巡礼者、荷運び、神官見習い、地方へ戻る商人が出入りしていた。朝の空気には、焼いた黒パンの匂いと、湿った木の床の匂いと、馬小屋の藁の匂いが混じっている。
旅に出た感じがする。
私は依然として、療養椅子に座ったままだけれど。
「見出しまでついてるわ。原因候補も分かれている。普通の帳面では無理ね」
「でも、すやすやは残ってるよ。これだと私が寝てたみたい……」
起きてた。起きて応援していたという大事なところがこの報告からは一切抜け落ちている。
「そこは消えてもよかったわね」
「安眠は大事だよ」
「否定はしないけれど、次回確認事項に入れる形ではないわ」
クラリッサさんは白帳の頁を指で軽く叩いた。
「ただ、これで昨日の問題もはっきりしたわ。三人同時の深層刻印が、守り手起動の原因候補に残っている。感覚だけで済ませるよりずっといい」
ユリスくんは、白帳の「ネリネ:療養椅子上にて待機。起立なし」の部分を見て、少し安心した顔をしていた。
「そこ、そんなに大事かな?」
「大事」
ユリスくんの判断基準は、やっぱり分からない。
エルミナさんは、自分の記録をじっと見ていた。ぺたぺたと自分の頬を触っている。
「術後、顔色不良……」
「実際、悪かったわ。広域祈祷の後、あなたは座るべきね。次から休息時間も記録するわ」
「わたし、座る時間まで記録されちゃうんですか?」
「記録されないと立ったまま反省しそうだもの」
「……否定できません」
なるほど。
白帳は、思ったより役に立ちそうだった。
私の気持ちは削られるけれど。
でも、たまにはこういうのもいいの……?
魔王様に送ったら「こんなのワシは読みたくない! いつものやつをおくれ!」とか言わない?
「では、今日はこの記録をもとに、各自の出力と消耗を――」
クラリッサさんが言いかけたところで、部屋の外が騒がしくなった。
ぱたぱたと軽い足音が廊下を走る。
続いて、誰かが泣きそうな声を上げる声も。
ユリスくんが扉の方を見る。
その直後、扉が控えめに叩かれた。
「勇者様、いらっしゃいますか?」
宿の女将さんの声だった。
ユリスくんが扉を開けると、女将さんは困りきった顔で立っていた。丸い顔に汗を浮かべ、手には白い小札を何枚も握っている。
「すみません、朝から。迷子札が、おかしくなってしまって」
「迷子札?」
「巡礼者の子どもやお年寄りに渡している札です。二枚一組で、片方を本人が持ち、もう片方を保護者か受付で預かります。迷った時は、持っている札が預けた札の方へ導いてくれるんですが……」
女将さんはそこで振り向き、受付横の小さな祭壇を見た。
白い布を敷いた台の上に、小さな女神像が置かれている。台座には、小さな鐘が一つ彫られていた。溝の奥には、古い白い顔料が少しだけ残っている。
「この鐘、何ですか?」
私が聞くと、女将さんは少しだけ表情を改めた。
「白鐘の大異変のしるしです。この辺りの女神像には、よく彫られているんですよ」
白鐘の大異変。
ただ、詳しく思い出すより先に、女将さんが迷子札をそっと持ち上げた。
「本来は、女神様の導きにあやかったものなんです。道に迷った子が、帰るべき場所へ戻れますように、と」
そういえば、食堂の梁の下にも、小さな白い女神像があった。井戸へ続く裏口には、水を汲む前に手を合わせるための石像。階段の踊り場には、子どもの背丈ほどの木彫りの像。
聖都に像が多いのは、まあ分かる。
けれど、始まりの街では教会の中くらいでしか見なかった気がする。少なくとも、宿の階段や井戸のそばにまで女神像がある、という感じではなかった。
エルミナさんが、静かに頷いた。
「女神様は、道を見失った人を見捨てない方です。迷った子どもも、帰れなくなった旅人も、亡くなった方の魂も、戻るべき場所へ導いてくださる」
エルミナさんの声は、少し祈りに近かった。
「白鐘の大異変の時も、そうだったと伝えられています」
その言葉を聞いて、女将さんが胸元の祈り紐に触れた。食堂の端にいた年配の巡礼者も、自然と小さく頭を下げる。みんな知ってそう。でも私は知らない。聞くなら今しかないと思った。
「白鐘の大異変ってなんでしたっけ?」
「数百年前に起きた白鐘の大異変では、道という道が迷ったのだそうです」
エルミナさんは続けた。
「巡礼路を歩いていた人が、翌朝には別の国境に出た。川が海へ行かず、山へ帰った。家へ帰ったはずの人が、扉を開けるたびに知らない街へ出た。死んだはずの者が現れ、生きていたはずの者が消えた」
広間の空気が、少し静かになった。
「女神様が、それを戻してくださったのだと。道を、道として戻してくださった。だから迷子札も、その御心にあやかっているのです。道を失った人が、帰るべき場所へ戻れるように」
私は受付横の小さな女神像を見た。
穏やかな顔で、少しだけ下を向いている。まるで、広間にいる人たちを見守っているみたいだった。
魔王城には、さすがにこんなに魔王様の像はない。あったら魔王様が照れると思う。そういえば、魔王様も白鐘の大異変について何か言っていた気がする。
あれ以来、女神の横槍が減って助かるわい、とか何とか。
その時、魔王様が焼き菓子を半分くれたので、私はそちらの方をよく覚えている。
そのとき。迷子札が、ひらひらと一枚、廊下の向こうから飛んできた。
そして、ユリスくんの胸にぺたりと貼りついた。
「……?」
ユリスくんが札を剥がす。
札には、小さな文字でこう書かれていた。
保護先:勇者様。
続いて、もう一枚飛んできた。
ぺたり。
さらにもう一枚。二枚。
ユリスくんの肩、腕、胸元に、白い札が次々と貼りついていく。
「え、ちょっと、何だこれ」
「勇者様!」
廊下の向こうから、小さな子どもが三人走ってきた。
「札が勇者様のところに行けって!」
「ぼくのも!」
「わたしのも!」
ユリスくんは一瞬固まった。
それから、ものすごく真面目な顔でしゃがみ込んだ。
「まず、走らない。廊下は危ないから」
「勇者様、迷子なの?」
「迷子じゃない」
「じゃあ札が迷子?」
「それは……そうかもしれない」
ユリスくんが、迷子札の迷子相談を受けている。
かなり忙しい。
クラリッサさんはすぐに札を一枚取り、光の流れを見た。
「これは……迷子札ではなく、勇者収集札になっているわ」
「そんな札、嫌なんだけど」
「本来は、子札が親札を探す仕組みね。でも今は、親札より強い標の光を保護先と誤認している。だから全部ユリスに集まるのよ」
「直せるのか?」
「直せるけれど、数が多いわ。宿中の札がこうなっているなら、1つずつ確認する必要がある」
「私も手伝います」
エルミナさんがすぐに立ち上がった。
「泣いている子がいるなら、お茶を用意します。薬湯ではなく」
「そこは強調するんですね」
「はい。薬湯では逃げられます」
あ、自覚あったんだ……。
廊下では、さらに白い札が飛んできている。ユリスくんは、全身に貼りつく札と子どもと老人の波に押されながら、必死に全員を落ち着かせていた。
「順番に。ちゃんと部屋に戻すから。えっと、君の札は?」
「勇者様のところ!」
「それはもう分かったから、名前を教えて」
「ゆうしゃさま!」
「俺の名前じゃなくて」
大変そうだった。
「ネリネ、あなたも手伝って。このままだと、札が全部ユリスへ流れるわ。一度、仮受付を作って、そこへ子札を集め直す。動かない受付が必要なの」
動かない受付。
新しい役職である。
私は療養椅子ごと、宿の広間へ移動した。
広間には、迷子札を持った子どもたちや、部屋が分からなくなったお年寄り、なぜか自分の荷物まで見失った巡礼者が集まっていた。
「勇者様、こっち!」
「勇者様、ぼくの札も見て!」
「勇者様、肩にいっぱい札ついてる」
ユリスくんは勇者というより、完全に人気のある近所のお兄ちゃんだった。
私は広間の中央に置かれた。膝の上にはモルが丸まって眠っている。
療養椅子が少しだけ浮いているせいで、周囲がよく見える。子どもたちは、私の椅子を見て目を丸くした。
「椅子のお姉ちゃんだ」
「浮いてる」
「膝のそれ、羊?」
その時、小さな女の子が、私の膝に迷子札を置いた。
「お姉ちゃん、これ読める?」
突然の試験。札には、名前と部屋番号と保護者の名が書かれている。古い文字ではない。これなら私にも読める。
「ミラちゃん。東棟二階、二十三番。お母さんは食堂前」
「字が読めるのすごい!」
そう言うと、女の子はにこっと笑った。かわいい。
次の子が札を差し出す。
「ぼくも!」
「はいはい。ええと、ロイくん。西棟一階、井戸側の部屋。おじいちゃんは広間の入り口」
「おじいちゃん迷子?」
「ロイくんが迷子だよ」
「そっかぁ」
気づけば、私の周りに子どもたちが集まっていた。皆、札を両手で持って、順番を待っている。
「はいはい、みんなネリネ姉ちゃんのところに並んで。走らない」
ユリスくんが言った。
しん……と広間が一瞬、静かになった。
ユリスくんも、自分で気づいたのか、耳まで赤くなった。
「……ネリネ、のところに」
「今、姉ちゃんって言った」
「言った言った!」
子どもが無邪気に言った。目がキラキラしていた。
「言ってない」
「言ったよ。お姉さんなの?」
「違うよ」
「じゃあなんで弟じゃないのに姉ちゃんって言うの?」
ユリスくんは、子ども相手に死にそうな顔をしていた。
昔はよく呼んでいたのに、今さらそんなに照れなくてもいいと思う。
「ユリスくん、次の子をお願い」
「うん」
「姉ちゃんって呼んでもいいよ」
「呼ばない。旅の間は、ネリネって呼ぶって決めたから」
一方、クラリッサさんは柱の横で、迷子札をいくつも空中に並べていた。札の縁に細い光の線が走り、それがユリスくんの方へ引かれようとしている。
クラリッサさんは小さな青い石を取り出し、札の束の下に置いた。
「一度、ネリネさんの受付を経由する形に戻すわ」
近くにいた男の子が、クラリッサさんの手元を覗き込んだ。
「その石、きれい」
クラリッサさんの指が止まった。
「……分かるのね」
「うん。ぶどうみたい」
「これはぶどうではないわ。けれど、色の見方は悪くない」
少し嬉しそうだった。
クラリッサさんは石を褒められると分かりやすい。
エルミナさんは、温かい香草茶を配っていた。薬湯よりずっと優しい匂いだった。
「にがくない」
「今回は薬ではありませんから」
「いつもは苦いの?」
「必要な時は」
エルミナさんは真面目に答えていた。
私のところにも、湯気の立つ木の杯が回ってきた。
私は香草茶を一口飲んだ。
苦くない。すごい。
エルミナさんも、やればできる人だった。
そうしてしばらくすると、広間の騒ぎは少しずつ収まっていった。
クラリッサさんが札の結界を整え、ユリスくんが子どもたちを部屋や家族の元へ連れていき、エルミナさんがお茶を配りながら泣き止ませ、私は中央で札を読んだ。
気づけば、迷子は全員いなくなっていた。
机の端に、まだ誰にも登録していない予備札が一枚残っていた。
それが、ふわりと浮いた。
まっすぐ私の膝へ飛んできて、ぺたりと貼りつく。
私はそれを剥がそうとした。
剥がれない。
クラリッサさんが近づいてきて、札を覗き込む。
白い札には、文字が浮かんでいた。
保護対象:ネリネ
現在地:療養椅子
返却先:勇者一行
私は無言で札を見つめた。
ユリスくんも見た。
エルミナさんも見た。
クラリッサさんは、少しだけ口元を押さえた。
「私は迷子じゃないです」
「でも、返却先は勇者一行って出てるわ」
「返却される側なの?」
「形としては合っているわね」
「合ってないです」
ユリスくんが、少し嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、ちゃんと連れていく」
「ユリスくんまで」
私は札をもう一度剥がそうとした。
やっぱり剥がれなかった。
私は深く息を吐いた。
そういえば……魔王城への報告、どうしよう。
とりあえず、昨日の報告として白帳の写しを送っておこうか。記録としては優秀だってクラリッサさんも言ってたし……私の成長を見て魔王様もきっとびっくりするぞ。ふふ。
(次話)「魔王様は部下の正気を信じない」