勇者が生まれないか街を見張っていた魔物の私、懐いてきた子をうっかり勇者に育て上げてしまう   作:うちっち

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神官は魔法使いの首に優しくできない

 クラリッサさんは、物陰に私を連れ込んだ後、まじまじと私の顔を見つめてきた。

 

「ねえ。稲妻、やっぱり当たってたわ。痛くなかった?」

「痛くはなかったよ。ちょっとぱちぱちした。前髪の方が心配かなぁ」

「……気にするところ、そこなのね」

 

 クラリッサさんは何かを考えるように、私の髪先を見た。

 やっぱり焦げているのだろうか。あとでモルに見てもらおう。モルは喋らないけれど、前髪が変な時は、鼻で押してくれる。たぶん。

 

「それと、さっきのほうき。黒布の魔物を叩いていたでしょう。見せてもらえる?」

 

 

 

 

 私は、膝の上に置いていたほうきを差し出した。

 クラリッサさんはそれを受け取り、柄を指で弾いた。こん、と軽い音がする。穂先を開き、継ぎ目を見て、短く魔力を通している。

 

「……どこから見ても、ただのほうきね」

「掃除用だから。……あ! さっきの私の決め台詞、どうだった!?」

「ただのほうきで、竜がよろけて、あの黒布の影が砕けたのね」

 

 無視された。つまりクラリッサさんはあまり気に入らなかったということだろう。むむ。

 

「そういえば、この村の特産品は絹なんですって。食べ物じゃなくて、ちょっと残念ね」

 

 クラリッサさんは、再び私の隣に腰掛けて、優しく笑った。

 

「絹って食べても美味しくないからね」

「食べたことがあるのね……」

「飲み込むタイミングに迷うんだよ」

「もっと手前で迷って欲しかったわ」

 

 クラリッサさんは困ったように笑い、そっと首を振った。

 

「でも、名物って旅の楽しみよね。セインベルでは秋になると梨が美味しいんだけど、今は季節じゃないし……。ねえ、ネリネさんの故郷では、何が名物だったの?」

 

 魔王城の名物……。夜霧まんじゅうとか……? 湯気がやたら出るんだけど、それが黒くてちょっと怪しげ。だけど、蒸し立てはふかふかで甘いのだ。私が魔王城の近くの村にお土産として持って行ったら、誰も手を付けてくれなくて泣きながら持ち帰ったことがある。かなしい。ちょっと手元が見えないくらいに黒い湯気がもくもく出るだけなのに。

 

 でももしクラリッサさんが食べてみたいなら、まずその辺が平気かを確認しておく必要があるか……?

 

「クラリッサさんって、物を食べる時に色とか気にする人?」

「ど、どんな色なの? なんか怖いわね」

「黒だよ。おまんじゅう」

「黒? なら別に普通じゃない?」

「湯気も出るけど」

「当たり前のこと言うわね」

 

 おお。近所の村人にも見習ってほしいものである。「毒が吹き出した!」と言って右往左往する村人たち。私も「おまんじゅうなら当たり前よ」とか言えばよかった。

 

「なら今度持ってくるよ」

「たまに故郷には帰るの?」

「モルが出してくれるから」

「……。いつのやつかしら?」

「新しいやつ! モルの中って空間がねじれてつながってるから」

「そういえば故郷からの手紙(?)とか出してたわね……なんかそっちもそっちで気になってきたわ……」

 

 額に手を当て、クラリッサさんは目を閉じて深いため息をついた。

 そして、コホン、と彼女は咳払いをした。そのまま真顔で私を振り向く。

 

「ところでネリネって……にんげっ!?」

 

 その時。

「だめです」という言葉と共に、クラリッサさんの頭が、ガッ! と後ろへ引かれた。クラリッサさんの体が、かくんと仰け反る。

 

 クラリッサさんの後ろにいたのは、エルミナさんだった。

 

 

 

 

 両手でクラリッサさんの襟首を引っ張って、ぐいぐい引いている。あれは首が締まるのでは……。

 

 だんだん顔が赤くなってきたクラリッサさんは、辛うじて後ろを振り向いた。

 

「エ、エルミナ……?」

「すみません」

 

 エルミナさんは謝った。でも、手は離さなかった。薬草をすり潰す時の手つきと、少し似ていた。

 

 

「すみません。でもクラリッサさん、今は駄目です」

「な、なんだか首が変な方向に行くわ。苦しいわ」

「すみません」

「謝るなら離して」

「それは駄目です」

 

「ええと……治療?」

「断じて違うわ」

 

 クラリッサさんが、後ろに引かれたまま即答した。

 

「少しだけ、クラリッサさんをお借りします」

 

 エルミナさんはそう言って、クラリッサさんの後ろ襟を掴み直した。そして、そのままクラリッサさんを引きずって歩いていく。

 

 

 

 

 

 

「ネリネさんは、そこで待っていてください」

 

 私は療養椅子の上で、ほうきを抱えたまま頷いた。

 

 エルミナさんがクラリッサさんを連れていくのは、かなり珍しい。

 何か急な薬湯相談だろうか。

 

 

 

 

 

「借り方の形が悪すぎるわ……!」

 

 クラリッサさんの声だけが、鐘楼の陰へ消えていった。

 

 

 

 

 

 私はしばらくそちらを見ていた。

 

 クラリッサさんとエルミナさんが、鐘楼の陰で向かい合っている。何か小声で話しているようだった。クラリッサさんは少し不満そうで、エルミナさんはかなり真剣そうだ。

 

 ……薬湯かな。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 

 鐘楼の陰で、エルミナはようやく足を止めた。

 エルミナの手は、まだクラリッサの後ろ襟を掴んでいた。

 

「……それで?」

 

 クラリッサの声は低かった。

 

「あなたが人の首を変な方向へ引っ張ってまで止めた理由を聞くわ」

「すみません」

「謝罪は聞いたわ。理由」

 

 エルミナは一度、広場の方を見た。

 

 療養椅子の上で、ネリネが焼き菓子の袋を大事そうに抱えている。足元のモルへちらりと目線をやり、こっそり食べようかどうか迷うような表情を浮かべている。

 

「ネリネさんに、今、それ以上聞かないでください」

「だから、理由」

「ネリネさんの、背中です」

 

 クラリッサの眉が動く。

 

「それが、私の質問と何の関係があるの」

「治癒をかけると、分かるんです。相手の形が」

「何のよ?」

「見たわけではありません。でも、背中に、左右へ畳まれたものがあります。傷ではありません。病でも、呪いでもありません。……ネリネさんの背中には、羽根があるんです」

 

 クラリッサの表情が、そこで少し変わった。不機嫌さが消えたわけではない。ただ、怒りより先に、別の計算が入った顔だった。

 

 

 

 

「ネリネさんは、天使かもしれません」

 

 クラリッサは、ゆっくり息を吐いた。

 

「思う? 予想ね」

「そうです。だから止めました」

「背中を見れば分かるでしょう」

「下手に見ると、きっと、よくありません」

 

 エルミナは、真顔になった。

 

「クラリッサさんも聞いたことがあるでしょう。羽を持つ女神の使いは、姿を知られたら、地上に留まらない。女神様のもとへ帰る、と」

 

 神殿では、子どもにも聞かせる古い話だ。

 

 天使は、人のそばに長くいてはいけない。

 名を呼ばれ、姿を知られ、天使として祈られた時、その役目は地上から離れて、元いた場所に帰ってしまうのだと。

 だから古い記録には、天使の名が残らない。

 

 

 

 

 

 

 クラリッサは黙った。

 

 広場からは、村人たちの声が聞こえる。鐘の余韻も、まだ石壁のあたりに残っていた。

 

 

「……あの子が?」

「はい。クラリッサさんは、何と言おうとしていたのですか」

「あなた人間じゃないでしょ、って」

 

 呆れたような表情を浮かべるエルミナ。

 

「はっきり言いすぎです」

「私、遠回しや嘘って嫌いなの。形が良くないから」

「それでは、嘘をついてとは言いません。ただ、口にしないでほしいんです。もう少しはっきりとするまで。『人間じゃない』と言われること自体が、ひょっとしたら引っかかってしまうかもしれませんから」

「……あなたは、ネリネを帰したくないのね。どうして?」

「あれ? クラリッサさんは帰ってもいいんですか?」

「…………別に、そうは言ってないわ。それで?」

 

 

 

 

 広場の方で、ネリネが袋を持ち上げて、モルに見せている。何か相談しているらしい。モルは返事をしない。ただ、白い毛を少しだけ揺らした。

 

 エルミナは、その光景へ視線を送って、少しだけ笑った。笑ったというより、こぼれてしまったような顔だった。

 

「私、ユリス様とネリネさんが一緒にいるところを見るのが好きなんです。ユリス様は、ネリネさんの前だと、勇者様でいることを少し忘れます。ネリネさんは、ユリス様を勇者様ではなく、ユリスくんとして見ています。……あの時間が、私は好きです」

 

 それは、神官としての言葉ではなかった。ただ、旅の仲間としての言葉。

 

「ネリネさんは、たぶん分かっていません。自分がいなくなったら、ユリス様が、私たちが、どんな顔をするか」

 

 エルミナは、今度ははっきりと言った。

 

「それを知らないまま、帰ってほしくないんです」

 

 

 

 

 

「……分かったわ。今は聞かない」

 

 エルミナの肩から、少しだけ力が抜けた。

 

「ありがとうございます。すみません」

「謝るなら、次は後ろ襟じゃなくて袖にして」

「……できるだけ」

「できるだけなのね」

 

 クラリッサはため息をついた。

 そして、広場の方へ戻る前に、もう一度ネリネを見た。

 

「ただし、放っておくわけではないわよ」

「はい」

「聞く前に、ちゃんと調べる。そういう順番にする」

 

 エルミナは静かに頷いた。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 クラリッサさんとエルミナさんは、しばらくして戻ってきた。

 

 クラリッサさんは、何事もなかったような顔をしている。エルミナさんも、いつも通りの柔らかい顔に戻っていた。ただ、クラリッサさんの後ろ襟だけが、少しよれている。

 

「クラリッサさん、襟が変だよ」

「引っ張られたのよ」

「大変だったね」

「あなたのせいでもあるのだけれど」

「えっ」

 

 どういうことだろう。

 

 エルミナさんは、申し訳なさそうにクラリッサさんの襟元を直していた。

 

「すみません。少し力が入りすぎました」

「少し?」

「……かなり」

「正直でよろしい」

 

 クラリッサさんはため息をついた。

 仲良しだなあ、と思った。たぶん。

 

 

 

 

 

 

 

 灰鐘村を出る時、村人たちは何度も頭を下げた。

 ユリスくんはそのたびに、「みなさんが無事でよかったです」と答えていた。

 

 

「勇者様が来てくださった」

「本当に、助かった……」

 

 そう言って、泣いている人もいた。

 村の女の人が、小さな布袋を渡してくれた。

 

「何もお返しできませんが……灰鐘村の干し林檎です。旅の途中で、皆さんで」

 

 干し林檎。

 私は、療養椅子の上で少しだけ姿勢を正した。

 

 なんと、灰鐘村には特産品があった。

 しかも食べ物である。

 

 やはり、魔王軍がこの村を雑に襲う理由はない。地方名物を失わせるような乱暴な作戦は、かなり形が悪いと思う。

 

「ありがとうございます」

 

 ユリスくんが、両手で袋を受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西巡礼路へ出ると、鐘の音はもう遠くなっていた。

 

 

 私は干し林檎の袋を膝の上に置いた。袋の紐は、かなり固く結ばれている。村の人が大事に包んでくれたのだろう。ありがたい。ありがたいが、開けにくい。

 

 モルが足元で、ふす、と鼻を鳴らした。

 

「開けてくれる?」

 

 モルは返事をしなかった。

 でも、白い毛の先が少しだけ袋の紐に触れた。すると、結び目がふわりとゆるむ。

 おお。やはりモルはすごい。

 

 

 

 

 私は小さく礼を言って、干し林檎を一つ取り出した。薄く切られた林檎は、日に透かすと琥珀色に見える。噛むと、ぎゅっと甘かった。

 

 灰鐘村は良い村である。

 

 黒布の魔物っぽいものさえ出なければ、もっと良い村だったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく進んだところに、小さな休憩所があった。荷運びの男が二人、馬に水を飲ませている。白楔宿へ向かう途中らしい巡礼者もいた。

 

 そのうちの一人が、こちらを見るなり目を丸くした。

 

「あんたたち、勇者様の一行か?」

 

 ユリスくんが足を止める。

 

「やっぱり! さっき、灰鐘村の話を聞いたところだ。神託に導かれた勇者様が、魔王軍の影を退けたって」

 

 早い。

 私たちは、ついさっき村を出たばかりだ。

 

「聖都を救ったばかりで、今度は灰鐘村だろう? いや、すごいな。やっぱり神託ってのは間違いないんだな」

 

 荷運びの男は、悪気なく笑った。

 悪気はない。本当に、何もない。

 

 

 

 

 クラリッサさんが、静かに尋ねる。

 

「その話、誰から聞いたの?」

 

「灰鐘村から来た巡礼者だよ。鐘が鳴ったから何事かと思ったら、勇者様が来たって。魔王軍を倒したって。今ごろ白楔宿の方にも走って向かってるんじゃないか」

 

 話が、もう歩き出している。私たちよりも軽い足で。

 

「……俺たちは」

 

 ユリスくんが、小さく言った。

 

「まだ、あれが魔王軍だとは確認していません」

 

 荷運びの男は、きょとんとした。

 

「でも、神託がそう言ったんだろ?」

 

 その一言に、ユリスくんは答えなかった。

 クラリッサさんは、白帳を見た。

 

「形だけが、先に整っていくのね」

 

 小さな声だった。

 

 

 

 私は、膝の上の干し林檎を見た。

 

 灰鐘村は救われた。それは本当だ。

 村の人たちは怖かった。それも本当だ。

 

 でも、私たちが見たものと、巡礼路を走り始めた話は、少しずつ違う形をしていた。『魔王軍の影、らしきもの』。白帳に残ったその文字が、やけに頭に残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 聖都へ戻るころには、夕方近くになっていた。

 

 空は赤く、白い石畳は薄い桃色に染まっている。聖都の門の前には、巡礼者がまだ列を作っていた。私たちが近づくと、何人かがこちらに気づいて、ひそひそと声を交わす。

 

「勇者様だ」

「灰鐘村を救ったって」

「神託の通りに……」

 

 その言葉は、門の石壁に小さく跳ねて、また別の人の耳へ渡っていく。

 ユリスくんは、少しだけ目を伏せた。

 

 否定するには、村人たちの涙が本物すぎた。肯定するには、白帳の「らしきもの」が残りすぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 神殿に戻ると、すでに私たちを待っている人たちがいた。

 

 白い衣の神官たちと、神殿の床に落ちる夕日の細い線。

 

 

 

 神官の一人が、ユリスくんへ頭を下げた。

 

「勇者様。灰鐘村でのご尽力、すでに伺っております」

「……村の人たちが無事でよかったです」

 

 ユリスくんは、同じ言葉を返した。やっぱり、魔王軍を倒したとは言わなかった。

 

 

 

 

 神官は、祭壇の石板へ視線を移した。

 

「次なる導きが示されております。ただし、今回は複数の道が開かれました」

「複数?」

「はい。どの救いへ向かうかは、勇者様方の判断に委ねられております」

 

 神託って選べるんだ。

 

 もっとこう、どーんと一つだけ示されるものだと思っていた。便利といえば便利だけれど、神託にしては少しだけ宿の献立表みたい。

 

 

 

 

 石板の表面に、細い光の文字が浮かぶ。

 

 

 

 

 一、北巡礼路。欠けた石橋を補え。

 二、西巡礼路。白灯台の消えた灯を戻せ。

 三、南の祈り井戸。濁れる水を清めよ。

 四、教会横の古き道標。迷える者の名を返せ。

 

 

 

 

 

 

 

「巡礼路ばかりですね」

 

 エルミナさんが、ぽつりと言った。その声は小さかったけれど、神殿の中ではよく響いた。

 

「魔王軍は?」

 

 ユリスくんが聞いた。

 魔王軍の気配あり、とも、魔王城へ向かえ、とも出ていない。

 

「すぐに魔王城へ向かうものだと思っていました」

 

 エルミナさんの声は、さらに小さくなった。

 ユリスくんは聖剣の柄に触れたまま、黙っている。

 クラリッサさんは、石板の文字をじっと見ていた。

 

「神託は、魔王城へ急げとは言っていないわね」

「困っている人がいるなら、行くべきだと思う」

 

 それは本当にユリスくんらしい答えだった。

 

 

 

 

 

 

「白灯台にしましょう」

 

 クラリッサさんが言った。

 

「クラリッサ、理由は?」

「古い記録が残っていそうだから」

 

 クラリッサさんは、石板の二番目の文字から視線を離さない。

 

「灯台は道を示す場所よ。古い記録が残るなら、橋や井戸より可能性が高いわ。特に、白灯台はこの地方で一番大きな灯台だから」

 

 エルミナさんも、小さく頷いた。

 

「白灯台は、白鐘の大異変のあと、巡礼灯を守る場所として語られることがあります」

「行ったことは?」

「ありません。今はほとんど使われていないはずです。だからこそ、灯が消えたのかもしれませんが……」

 

 ユリスくんは少し考えてから、頷いた。

 

「じゃあ、白灯台だな」

「いいの?」

 

 私が聞くと、ユリスくんはこちらを見た。

 

「困っている場所なら、どこも放ってはおけない。でも、クラリッサがそう言うなら、そこから行こう」

 

 クラリッサさんとエルミナさんは、そっと顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 

 石板の文字は、しばらく淡く光っていた。

 

 二、西巡礼路。白灯台の消えた灯を戻せ。

 

 

 

 

 

 

 というわけで。次の行き先は、白灯台になった。

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