勇者が生まれないか街を見張っていた魔物の私、懐いてきた子をうっかり勇者に育て上げてしまう   作:うちっち

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村娘は故郷を覚えていられない

* * *

 

 最初の記憶は、かつていた場所のことだ。

 

 静かで、白くて、つまらない場所だった。覚えているのは、それくらい。

 その場所の端には、境界があった。境界には、いつも見張りがいた。

 

 でも、ある日、いなくなっていた。

 誰もいないなら、通っていいよね。

 出口はなかったけれど、無理やり通ったら、通れた。

 

 ただ、そのせいかもしれない。

 下に降りた時には、いろんなことを忘れていた。どこから来たのか。何をしていたのか。なんで下に来たかったのか。

 覚えていたのは、ネリネという自分の名前だけだった。

 

 

 降りた先は、夜の森だった。

 知らない木。知らない土の匂い。知らない虫の声。全部知らなかったけれど、全部、あの場所よりにぎやかだった。

 

 森を抜けると、遠くに村があった。夕方で、屋根から細い煙がいくつも上がっていた。風が、ごはんの匂いを運んでくる。

 お腹が、ぐう、と鳴った。

 

 畑の方から、誰かが誰かを呼んだ。呼ばれた子どもが、転びそうな速さで走っていく。窓に明かりがついて、テーブルを、いくつもの影が囲んだ。

 

 私はしばらく、柵の外からそれを見ていた。

 お腹が、もう一度鳴った。

 

 

 

 夜の森に戻ると、魔物がたくさん襲ってきた。

 最初は無視していたけど、いつまでもいなくならないので、羽根で消した。

 

 なんと次の日、倍の数が来た。消した。

 その次の日は、群れで来た。囲まれて、逃げ場がなくて、順番に吠えられた。お腹が空いていたのだと思う。ごめんね、と思いながら、全部消した。

 

 森が、しんとした。

 その静けさは、少しだけ、あの場所と似ていた。

 

 

 

 それから数日後。

 顔を上げると、木立の間に、誰かが立っていた。

 黒い角の生えた、背の高い人だった。

 

「お主、何者じゃ?」

「ネリネ」

「名前ではなく……いや、名乗れるだけ上等か。何の魔物じゃ、と聞いておる」

「しらない」

「どこから来た」

「……上の方?」

 

 その人は、長いこと私を見ていた。

 それから、魔物が消えたあとの、何も残っていない地面を見て、私のお腹が鳴った音を聞いて、深いため息をついた。

 

「迷子か」

 

 

 

 

  

 

「……うちに来るか? 魔王城じゃが」

「魔王城って、拾われた迷子が行っていいの?」

 

 その人は、困った。

 腕を組んで、うなって、私の背中を見て、もう一度うなった。

 

「……ハーピー型の魔物も、おる」

 

 しぼり出すように、その人は言った。

 

「お主はそれじゃ。……そういうことに、しておこう」

 

 それが、魔王様との最初の記憶。

 

 

 

 

 

 その夜のごはんは、あったかくて、おいしかった。

 誰かと食べるごはんは、おいしい。

 私が下に来た理由は、たぶん、それだった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 ネリネの背中で大きな翼が開いていくのを、クラリッサは見た。

 

 灰色だった。白に近い、淡い灰。羽根の先だけが銀を帯び、千の白火の光を受けて静かに輝いている。

 

 王家の写本にあった、説明のない位階。

 灰翼。

 

 クラリッサは、自分の呼吸が一瞬止まったのが分かった。

 

「エルミナ!」

「はいっ!」

 

 二人は同時に動いた。

 エルミナはラウエルに飛びつき、背中に乗って両手でその目を覆う。

 

「な、何を──」

「見てはいけません!」

「何をです!?」

「何もです!」

 

 

 

 クラリッサは白火避けの外套を拾い上げ、立ち尽くすユリスの頭へ被せた。

 

「クラリッサ!? 見えない!」

「見なくていいわ」

「ネリネは!? 今、ネリネの背中に──」

「大丈夫よ」

「何が!?」

「全部よ」

 

 説明できることが、何一つなかった。

 

 

 

 

 

 レオンダルの号令は、すでに下っていた。「勇者以外の全員を殲滅してください」と声が響く。その後に「まさか本当に魔物だったとは……」という、独り言のような小さな声も聞こえた。

 

 

 

 

 その後、最初に来たのは、音だった。

 どどど、という、体ごと震えるような音の群れ。

 

 千の聖像兵の石の足が、同じ拍子で床を踏み、押し寄せてくる。一歩ごとに広場全体が揺れ、天井から石の粉がぱらぱらと落ちた。壁の白火が、風もないのに一斉に傾く。

 

 白い壁が動いている、とクラリッサは思った。

 

 

 

 一体一体の区別が、もうつかない。列と列の隙間もない。広場の奥から手前まで、白い石の面が、面のまま迫ってくる。

 

 二十五体でさえ、ユリスの聖剣があって、ようやくだった。

 これは、桁が違う。物量は、それだけで暴力だった。数が多いというだけで、人は押し潰される。

 

 

 

 

 クラリッサは反射的に計算していた。結界を何枚張れるか。どの角度なら何度目の打撃まで耐えるか。誰なら守り切れて、誰を諦めるのか。

 

 答えは出ていた。全員、守れない。

 

 

 

 

 

 

 

 そのとき。

 ネリネが、ふと天井を見上げた。

 狭い、とでも言うように、少しだけ眉を寄せる。

 

 一度の羽ばたきで、灰銀の羽根がまっすぐ上へ立ちのぼった。数十枚の羽根が渦を巻いて天井へ吸い込まれ──広場の天井すべてが、音もなく消えた。

 

 石の梁も、その上の土も、敷石も、円く切り取ったように。瓦礫は一つも降ってこなかった。

 

 見上げると、吸い込まれるような夜空があった。

 冷たい夜風が広場へ流れ込み、千の白火が一斉に揺れて、半分ほどが消えた。

 

 

 

 

 そして、ネリネがもう一度、羽ばたいた。

 羽根が、舞い上がった。十枚や二十枚ではなかった。数百の羽根が夜空へ舞い上がり、星の間でふわりと勢いを失って、広場全体へ降りはじめる。

 

 夜空から、無数の灰色の羽が降っていた。

 

 

 

 ふわふわと舞い降りてきた最初の羽根が、先頭の聖像兵の頭に、触れる。

 石像は、音もなく消えた。振り上げた剣も、白い装甲も、胸の命令核も、輪郭を保ったまま――ほどけて、全てなくなった。踏み出しかけた片足だけが半歩遅れて消え、あとには何も残らなかった。

 

 二列目の聖像兵が消えた。

 頭上に投げられた槍が、飛んでいる途中で羽根に触れ、穂先から順に空気へ溶けた。

 

 三列目。

 五列目。

 十列目。

 

 音が、消えていった。

 

 千の足音が減っていくのではない。音そのものが、雪の底に沈むように遠ざかっていく。石像の突撃も、白火のはぜる音も、悲鳴すらもなかった。悲鳴を上げるための時間ごと、消えていた。

 

 

 

 

 一枚の羽根が、クラリッサの頬のすぐ横を通り過ぎた。

 何も起きなかった。羽毛の柔らかさが、かすかに触れただけだった。

 

 その同じ羽根が、回り込んでクラリッサの背後に迫っていた聖像兵に触れ、三体まとめて消した。

 

 守られている。

 この死の雪は、降る場所を選んでいる。

 

 クラリッサは、杖を下ろした。張りかけていた結界を、静かにほどく。守る必要のある場所は、この広場のどこにもなかった。

 

 

 

 

 エルミナが両手を組みかけて――止めた。

 祈られた瞬間、天使は天に帰ってしまうという。この光景に祈りを捧げてはいけないことを、彼女は思い出したのだった。そして祈ってしまうと、ラウエルの目が塞げなくなってしまう。

 

「クラリッサ様」

 

 目を塞がれたままのラウエルが、掠れた声で聞いた。

 

「何が、起きているのです」

 

 クラリッサは、少しだけ考えた。

 

「……雪が降ってるわ」

「雪?」

「ええ。地下なのにね」

 

 外套の中から、ユリスの声がした。外套は結界で何重にもぐるぐると巻かれ、万が一にもほどけないようにされていた。

 

「クラリッサ! 何の音だ!?」

「音なんて、してないわ」

 

 嘘ではなかった。天井が消える音も、千体の軍勢が滅んでいく音も。本当に、何一つしなかった。

 

 

 

 

 

 やがて、最後の羽根が床に触れる前に、光になって消えた。

 

 広場には、聖像兵は一体もいなくなっていた。

 床には、傷ひとつなかった。

 

 残った白火と、またたく頭上の星だけが、誰もいない広場を照らしていた。

 

 

 

 

 その空っぽの広場の真ん中で、レオンダルは膝をついていた。逃げようとした形跡はなかった。腰が抜けたのでもなかった。彼は泣いていた。泣きながら、笑っていた。

 

「ああ──ああ、なんという……」

 

 震える両手が、組まれていく。

 

「灰の翼。大災の御使い。おられた……女神様は、やはりおられたのだ……!」

「黙りなさい!」

 

 クラリッサの結界が、レオンダルを囲った。音を通さない、二重の結界だった。祈りの声が途中で断ち切られる。

 

 

 

 

 それでもレオンダルは、透明な壁の中で、恍惚と祈り続けていた。

 エルミナと、目が合った。考えていることは同じだった。

 

 名を呼ばれ、姿を知られ、天使として祈られた時、天使は地上を離れる。

 今、一番見せてはいけない男が、一番捧げてはいけない祈りを捧げている。

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 ちょっと消しすぎたかもしれない。

 私は反省していた。

 

 1000体と言っていたけど、たぶん1020体くらいいた。数え直す前に消えたので、正確なところは分からない。

 

 というか、羽根だけで全部消えてしまった。せっかく囲まれたので、次は翼を大きくして、一面まとめて薙ぎ払うやつをやろうと思っていたのに。

 

 ちなみにその薙ぎ払いは、昔、ノルクに直撃したことがある。

 吹き飛んだノルクは魔王城の壁を何枚かぶち抜き、最後は城そのものから飛び出して、外の枯れ野に落ちた。三か月入院した。後日の報告書には「損壊壁面、7枚。飛距離、測定不能」と書いてあった。ごめん。

 

 でも初対面で「あなたを採点して差し上げましょう」とか言うから……あれはノルクも悪いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レオンダルさんは、クラリッサさんの結界の中で興奮しながら手を振り回している。声は聞こえないけど、なんだか涙を流して喜んでいる。すごくいいことがあったのだろう。よかったね。

 

 

 

 

 ユリスくんは、外套を頭から被ったまま立っていた。ちょっと面白いというか、幽霊みたいになっている。なんだろうあれ。

 

 さて。バレたか。

 バレたなあ。バラしたとも言う。

 

 翼も出したし、爪も出たし、正体も言った。村娘は、もうできない。

 

 

 

 

 そう思っていたら、体が床からふわりと浮いた。

 

 私は羽ばたいていない。なのに、浮く。上に、引かれている。引かれないように床の継ぎ目に手を引っ掛けると、足が先に浮き上がった。逆さになったので、スカートを両手で押さえる。いけない。風紀が乱れる。

 

 

 

「ネリネさん!?」

「ネリネ!」

 

 エルミナさんとクラリッサさんの顔から、血の気が引いた。二人ともなぜか頭上の夜空を見上げて、ものすごく慌てはじめた。

 

「だめ! まだ! 待って! 返して!」

「め、女神様! お待ちください! この子はまだ地上に必要で──!」

 

 2人はいったい誰と話してるんだろう。

 

 

 

 

 その時、上から声が降ってきた。

 

『手間をかけさせおって』

 

 聞き慣れた、不機嫌な声だった。

 

『ほれ、早く来い。会議に遅れるじゃろうが』

 

 魔王様だった。ついに迎えに来たらしい。

 ユリスくんが、外套をかなぐり捨てた。聖遺物だったはずの外套は、ビリビリに破かれて雑巾みたいになっていた。

 

「誰だ!」

 

『お主は自分の敵のことも知らんのか。いちおう魔王じゃぞ』

 

「ネリネをなんで連れて行く!」

 

 声が、少し詰まった。

 私はこの間を知っている。返事に困っている時の、魔王様の間である。

 

 

 

 

『こ奴は魔物なのじゃろう。魔物なら、魔王軍の管轄じゃ。ならどうしようが自由じゃろうが』

 

 最後に、小さな声がした。

 みんなには聞こえない、私にだけ届く大きさの声だった。

 

 

 

『……そういうことに、しておこう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体が、私が開けた丸い夜空へ、ゆっくりと引かれていく。

 

 ユリスくんが、落とした聖剣も拾わずに駆けてきた。

 

「ネリネ!」

 

 下から手が、懸命に伸ばされる。

 届かない高さだった。

 

「行くな! まだ、何も聞いてない!」

 

 言いたいことは、たくさんある気がした。

 たぶん、10年ぶんくらいある。でも、いい台詞が思い浮かばなかった。

 

「ユリスくん」

「ネリネ!」

 

「ちゃんとご飯、食べてね」

 

 

 

 

 

 

 ユリスくんの顔が、ぐしゃりと歪んだ。

 それが、私の見た最後の顔だった。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 白火の広場に、静けさが戻った。誰も、しばらく動けなかった。

 

 最初に動いたのは、ユリスだった。

 ふらつく足で歩いて、広場の隅で止まる。

 

 そこには、石の療養椅子が残されていた。

 主を失った椅子は、少しのあいだ浮いたままでいた。それから、ゆっくりと床へ降りた。ごとん、と重い音が響く。

 

 

 

 肘掛けの上には、『起き上がり禁止』の札が、きちんと置かれている。

 背もたれには、白い迷子札が一枚、貼りついたままだった。

 

 

 

『保護対象:ネリネ。

 現在地:魔王城』

 

 返却先の欄は、空白になっていた。

 

 椅子の奥には、白鈴菓の包みが押し込まれていた。明日に残すかどうか、ネリネが30分悩んでいたものだった。

 

 

 

 

 ユリスの拳が、椅子の肘掛けを掴んだ。石が、みし、と鳴る。

 

「……何が」

 

 声が、震えていた。

 

「何が、勇者だ……!」

 

 誰も、何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 3日後。

 聖都の神殿は、揺れに揺れていた。

 

 聖跡顕彰院長レオンダルの拘束。魔禍の偽装。そして、勇者一行殺害未遂。王家の証人ラウエルが提出した報告書は、どれ一つとっても最大級の不祥事であった。

 

 審問で、レオンダルは何一つ否認しなかった。

 それどころか、嬉々として語った。

 

「見たのです。灰の翼を。大災の御使いを。千の聖像兵が、雪のように消えていった。ああ、あれこそが、女神様の実在の証……!」

 

 審問官たちは、顔を見合わせた。

 

 地下広場に、聖像兵の残骸はなかった。破壊の痕もなかった。床には傷ひとつない。ただ、天井だけがすっぱり円形に消えて、空が見えていた。瓦礫は、結局一つも見つからなかった。

 

 王家と教会は協議の末、これを「老朽化による崩落」として記録した。崩落したはずの石がどこにも存在しない理由は、誰も説明しようとしなかった。

 

 

 

 1000体の軍勢が消えたという証言は、レオンダルの正気を疑う材料にしかならなかった。そもそも、そんな大量の聖像兵があったという記録は残されていなかったのだ。

 

 魔禍の偽装は、事実として認定された。

 厄災の天使は、妄想として記録された。

 

 レオンダルは、すべての職を解かれた。連行されていく間も、彼はずっと幸せそうだった。

 

 

 

 

 

 そして後始末は、ガルドに回ってきた。

 

「……なんで俺なんだよ」

 

 積み上がった書類の山を前に、ガルドは心の底から言った。

 確認すべきことは山ほどあった。彼はまず、勇者一行から聞き取りを行った。

 

 

 

 勇者であるユリスは何を聞いても黙っていたので、主に応対は結界士のクラリッサが行った。

 

「で、天井はどうした」

「崩落よ」

「瓦礫は?」

「老朽化していたもの」

「老朽化すると石ごと消えるのか」

「石は奥深いの」

 

 ガルドはがりがりと頭をかいた。

 

 

「で、聖像兵は。あの数がどこに消えた。いちおう言っておくと、俺は聖像兵の正しい数は把握してるからな」

「消えたわ」

「消えたってお前」

「消えたものは消えたのよ。床を見たでしょう。傷ひとつなかった。散歩に行ったんじゃないかしら」

 

 クラリッサの答えは完璧に事実で、完璧に説明になっていなかった。

 ラウエルが、少し迷ってから口を開いた。

 

「その……私は目を塞がれていたのですが、一瞬だけ、あのネリネという村娘の背中に、大きな羽のようなものが見えた気がしまして」

「羽ってあの羽かしら? そんなのあった? エルミナ、見た?」

 

 クラリッサは不思議そうに首をかしげ、隣を振り返った。

 エルミナは、真剣な顔で首を振った。

 

「いえ、いっさい見てないです。ネリネさんの背中にはよくモルさんが乗っていますから。ふわふわしていますし間違えたのでは。それにラウエル様は途中から視界をふさがれていたようですから、夢でも見たんだと思います」

「ふさいでいたのはエルミナ様のような気が……」

「あなたはあんな時なのに女性の背中を凝視していたのね」

「クラリッサ様、それは語弊が」

 

 

 

 

 

 さらに、クラリッサはポン! と手を叩いた。

 

「ああ、外套のことね」

「外套、ですか?」

「大きな羽根飾りのついた外套よ。今、セインベルで流行ってるの」

「聖都の地下で……?」

「流行は場所を選ばないわ。それに途中で天井がなくなったじゃない。あれは外よ。外套くらい着させてあげなさいな」

「わ、わたしは見ていません!」

 

 エルミナが勢いよく口を開いた。

 

「わたしはラウエル様の目を塞いでいましたから、何も見ていません! 目を塞いでいたわたしが見ていないのですから、目を塞がれていたラウエル様が見ているはずがありません!」

 

「エルミナ様、それは理屈が……」

「見て、いない、はずです! いいですね!?」

「は、はあ。見ていない。わかりました」

 

「それに、あの時は暗かったしね」

「白火が千ほど灯っていましたが……?」

「灯りが多すぎると、かえって見えないものよ」

「そういうものですか」

「大事なものは気づかなかったけれどいつもすぐ近くにあった、って言うでしょ」

「それは今は関係ないのでは」

 

 

 

 ラウエルは、二人の顔を順番に見た。

 クラリッサとエルミナは、真顔で首を振っている。

 

「……私の、見間違いですか」

「でしょうねえ」

「お疲れなんです。目にいいお茶をお淹れしますね。少し苦いですが」

「あ、いえ、結構です」

 

 

 

 

 

 ガルドは、しばらく黙っていた。

 それから、書類をめくって、ため息をついた。

 

「……もういい。お前ら行っていいぞ。聞かなかったことにする」

 

 賢明な判断だった。

 

 ユリスは聞き取りの間、口を開かなかった。ただ、手の中の白い迷子札を、ずっと見ていた。

 

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

 魔王城、終焉の間。

 

 玉座の手前にある、数十年に一度しか人の来ない部屋で、私は正座させられていた。ここで正座させられたのは私が初めてかもしれない。

 

「お主というやつは……」

 

 魔王様のお説教は、長い。

 その日のお説教も、たいへん長かった。

 

 

 

 

「正体を隠せとは言った。じゃが、隠しきれんくなったら派手にバラしてこいとは言っとらん! 勇者一行の前で、しかも教会のど真ん中で魔物として戦う!? 何しとるんじゃ!?」

「でも、バレちゃったものは──」

「その前にじゃ。『帰って来い』って何度も言ったじゃろ? 何回言った?」

「えっと……2回くらい?」

「ノルク!」

「書面にて7回、口頭伝達にて2回。計9回です」

「9回じゃ!!!」

 

 そんなにだったか。

 隣では、ノルクが無言で紙の束を積んでいた。

 一番上に『経緯報告書(様式第三号)』と書いてある。様式があるんだ。

 

「報告書は溜める、帰還命令は聞かん、挙句、勇者の前で翼まで広げおって……お主は──」

 

 魔王様は、そこで言葉を切った。

 咳払いをひとつ。

 

「……まあ、無事なら、よい」

「魔王様、甘いです。ネリネ様、未提出の報告書は本日中にお願いします」

「ノルクは厳しい。あと、報告書は出したはず」

「白帳の写しで提出された分は受理されていません。正式な様式で書き直してください」

「ちゃんとしてたのに」

「ちゃんとしすぎていたので駄目です」

「どうすればいいの……」

 

 私は紙の束を受け取った。重い。1020体の聖像兵より重い気がする。気も重い。結局、宿場の部屋に私物も全部置いてきちゃったし……。白帳も。白帳はいいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、なんだろう。

 

 膝の上も、足元も、妙に軽い。いつもなら報告書の書き方が分からなくなった時に踏んでくれる足がない。

 

 ……あれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……モルは?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 あと1話でおしまいです。
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