勇者が生まれないか街を見張っていた魔物の私、懐いてきた子をうっかり勇者に育て上げてしまう   作:うちっち

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医者は礼を受け取らない

『ノルク。手術をしよう』

『は?』

 

『手術で助かったことにするの』

『ネリネ様、確認します。魔法である黒律を受け、外傷がなく、人間式の脈も確認できない状態を、手術によって回復したことにする、という理解でよろしいですか』

『うん』

『よろしい点がありません』

 

 でも、今さら起き上がって「大丈夫です」と言っても、たぶん誰も大丈夫にならない。ユリスくんは私の名前を呼んでいるし、エルミナさんは治療しようとしているし、濃紫の髪の女性は泣いている。すごくまずい。

 

『私はたぶん、どこかに運ばれると思う』

『治療できる場所ですね』

『うん。そこへさすらいの医者として来て』

『さすらいの医者がいきなりやってくる理由は』

『そこはノルクが考えて』

『……』

『だって何でもするって』

『発言の切り取り方が悪質です』

『そもそもどうして戦ってるの』

『喧嘩を売られなければそのまま帰ってましたよ』

 

 

 

 

 

 その直後、エルミナさんが「神殿へ運びます!」と声を張った。

 誰かが私を抱き上げる。腕の震え方で、それがユリスくんだと分かった。

 

『ノルク。神殿に医者で来てね』

『現在、都合よく医者として神殿に現れる理由を作成しています』

『できそう?』

『苦しいです』

 

 ノルクの返事は、すごく硬かった。申し訳ない。

 

 

 

 

 

 

 

 神殿の処置室は、薬草の匂いがした。

 寝台に下ろされると、柔らかい布が背中を受け止めた。

 

「聞こえる? ネリネ姉ちゃん……」

 

 ユリスくんの声は、目を開けたらすぐそこに顔があると分かるくらい近かった。しかも昔の呼び方に戻っている。

 今それをされると、起きたくなるので困る。

 

「治癒をかけます」

 

 エルミナさんの声は震えていたけれど、手は止まらなかった。胸元に温かい光が落ちる。

 少しくすぐったい。

 でも、その光は私の中へ入らず、表面を撫でて滑っていった。

 

 エルミナさんは、もう一度光を流した。結果は同じだった。温かな光は、何かを癒す前に、ただ私の表面を撫でて消えていく。

 エルミナさんが、唇を噛む。

 

「あなたのせいじゃないわ。これは、治癒で戻る傷じゃない……」

 

 濃紫の髪の女性の声だった。

 会話を聞く限り、たぶんこの人がクラリッサさんだ。正しい人。お話が少し鋭い人。

 

 

 

 

 

 その時、処置室の扉が叩かれた。

 

「失礼します。旅の医者です。患者の気配がしましたので参りました」

 

 扉の方から、革靴の音がした。

 

 黒いコートを羽織った長身の男だった。古い革鞄を持ち、白い手袋をしている。

 医者というより、どこか大きな屋敷の執事みたいだった。

 

 

 

 

 処置室の空気が、一瞬止まった。

 設定としてはかなり苦しい。けれどノルクが頑張って考えてくれたことは伝わってきた。

 

「患者の……気配?」

 

 ユリスくんの声が少し低くなる。

 

「なぜ、この神殿へ?」

 

 クラリッサさんの声がした。泣いていたのに、もう鋭い。正しい人は忙しい。

 

「患者の気配がしましたので」

 

 ノルクは同じことを言った。

 それで押し通すつもりらしい。

 

「今は一刻を争います。確認を」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 突然来た旅の医者が「患者の気配がしましたので」と言っている。怪しさで言えば、入口で止められても仕方ないくらいだった。

 

 ただ、私の脈はないことになっていて、エルミナさんの治療も届かず、クラリッサさんは「治癒で戻る傷ではない」と言ってしまっている。

 

 つまり、怪しいから止める、という普通の判断をする余裕が、今の部屋にはなかった。

 

「……お願いします」

 

 ユリスくんが、苦しそうな声で言った。

 

「ネリネ姉ちゃんを、助けてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノルクは私の状態を確認しながら、ふと、わずかに眉をひそめた。

 

「これは……!」

 

 その低い呟きに、ユリスくんの肩が跳ねる。

 ノルクは私の胸元を覗き込み、深刻な表情で続けた。

 すごい。演技が上手。

 

「なんてことだ……黒律の痕跡が、深く残っている」

 

 部屋の中の三人が、息を詰める。

 

「先生、『黒律』とは……?」

 

 エルミナさんが声を絞り出す。

 ノルクは私の肩口に指を当て、低い声で言う。

 

「肉体ではなく、内側の流れを断つ類の魔法です」

「分かるの? これは、神殿でも見たことのない術式よ」

「分かります。私の専門領域ですから」

 

 ノルクは即答した。

 専門領域というか、本人が撃った術式である。

 

 クラリッサさんが、「ん?」という感じで、一瞬だけ眉を寄せた。

 でも、すぐに表情を戻す。

 

「今必要なのは、治癒ではなく処置です」

 

 そして、ノルクは少し黙った。深刻な表情を浮かべている。

 

「手術をします」

 

 部屋の空気が、また止まった。

 

 

 

 

 

「手術すれば……ネリネ姉ちゃんは助かるんですか」

「助けます」

 

 短い言葉だったけれど、迷いがないせいで、部屋の中ではそれが一番頼れる声に聞こえた。

 

「処置中は、人払いを」

「でも、私は神官です。治癒なら私も――」

「今必要なのは、治癒ではなく処置です。立ち合いは不要です」

 

 エルミナさんが黙った。

 落ち込んでいる気配がする。とてもよくない。

 でも、処置室に残られると、たぶん偽手術ができない。困る。

 

「俺は、ここに」

「外で待ってください。処置の妨げになります」

 

 ノルクの即答は冷たい。

 ユリスくんが黙る。

 

 私は目を閉じたまま少しだけ申し訳なくなったけれど、ここに残られると、私もノルクも困る。

 

「ユリス様、外で待ちましょう」

 

 エルミナさんがそう言って、少しの沈黙のあと、ユリスくんの足音が離れた。

 扉の前で一度だけ止まり、「……ネリネ姉ちゃん、待ってるから」と低い声が落ちる。

 

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 

 ――扉が閉まると、廊下に残された三人は、しばらくその場から動けなかった。

 

 処置室の中からは、革鞄を開ける音と、金属の器具が触れ合う小さな音が聞こえてくる。そのたびに、ユリスの肩がわずかに強張った。さっきまで彼の腕の中にいたネリネは、いつもの彼女よりひどく軽く感じられた。ゆったりとした服も、厚手の外套も、血で濡れてはいない。けれど、薄桃色の一つ結びは胸元に落ち、琥珀色の目は閉じられたまま。

 

 それが、かえって怖かった。

 

 ユリスは扉を見つめたまま、握った拳を開けなかった。子どもの頃、何度も転んだ自分にネリネが手を伸ばしてくれたことがある。「上手に転べたね」「大丈夫だよ」と言って、彼の頭を撫でてくれた。なのに今は、その彼女が、扉の向こうで旅医者の手術を受けている。

 

 

 

 

 

 エルミナは、自分の両手を見下ろしていた。何度も人を癒してきた手だった。祈り、光を流し、傷を閉じ、熱を下げてきた手だった。その手が、さっきは何も掴めなかった。

 

「私の治療が、届きませんでした。もっと、私に力があれば……」

「違うわ」

 

 クラリッサが言った。

 

「あなたのせいじゃない。あれは、治癒で戻るものではなかった……」

 

 そう言ったクラリッサ自身も、両手を強く握っていた。指先には、ネリネの首筋に触れた時の感触が残っている。冷たかったわけではない。けれど、生きている人間なら必ずあるはずのものが、そこにはなかった。

 

「でも……」

「悪いのは私よ」

 

 

 

 

 

 クラリッサは、視線を床に落とした。路地の石畳が、まぶたの裏に焼きついている。深い帽子をかぶった男。黒い文字列。結界のほころび。自分が追い、自分が誘い込み、自分が戦う場所にした狭い路地。

 

 そこに、ネリネは現れた。

 

 薄桃色の一つ結びを揺らして、懸命に両手を大きく振っていた。小柄な村娘にしか見えない少女が、場違いなくらい明るく。クラリッサには、それが男の注意を自分へ向けるための行動に見えた。

 

 その直後、黒い文字列が向きを変えた。

 

 文字は、クラリッサではなく、ネリネへ向かった。胸元に吸い込まれる瞬間、ネリネの顔に浮かんだのは、覚悟ではなかった。ただ、ぽかんとした、ひどく無防備な顔だった。

 

 それが、クラリッサには一番堪えた。

 

 

 

 

 

「あの子は、私を庇ったのに……何が起きたのかも分からない顔をしていた」

「ネリネ姉ちゃんは、そういうことをする人です」

 

 その言葉は、慰めにはならなかった。少なくとも、クラリッサには。

 

 あの少女は、特別な覚悟をした英雄ではなかったのかもしれない。ただ、誰かを見つけたら手を伸ばしてしまう人だったのかもしれない。そういう人が、痛みも意味も分からないまま黒い魔法を受けたのだとしたら、その方がずっと重かった。

 

 

 

 

 廊下に沈黙が戻る。処置室の中から、また金属の小さな音がした。

 

 

 

 ユリスは扉を見つめ続け、エルミナは祈るように両手を重ね、クラリッサは一度だけ深く息を吸った。誰も扉を開けようとはしなかった。今できることは、待つことだけだった。

 

 

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 

『ノルク』

『はい』

『手術のふりって、何をすればいいんだろう』

『それを今から相談するのですか』

 

 部屋の中では、ノルクが革鞄を開けていた。かちゃかちゃと何やら金属の音がする。何が入っているのだろう。

 

 開いた口から、ちらりと、中身が見えた。

 

 真鍮のインク壺。

 羽根ペン用の替えペン先が、束のまま。

 封蝋を溶かすノルクお気に入りの金属の小皿。

 書類の重しの鉛のブロック。

 

 おお。まるでノルクの机の上みたい。

 

 

 

 

『人間は、処置後の患者に何を見て納得すると思いますか』

『元気になったかどうか?』

『見た目です』

『見た目?』

 

『包帯を巻きましょう』

『どれくらい?』

『説得力が出る程度に』

 

 そして、ノルクは私に包帯を巻き始めた。

 一巻き、二巻き、三巻き。

 

『多くない?』

『手術をすると言ったのはネリネ様です』

『でも、どんどん巻かれてる』

『説得力です』

『説得力って白いんだね』

 

 さらに巻かれる。

 肩、胸元、腕、お腹。ぐるぐる。背中の羽根に触られたので、ぺしっと叩いておいた。

 

 

 

 

 

 しばらくして、ノルクが手を止めた。

 扉の向こうへ聞こえるように、深く息を吐く。

 

「……難しい手術でした」

 

 低い声だった。

 していないのにしたことにするのは、かなり難しい。

 

「ですが、峠は越えました」

 

 その言葉が落ちた瞬間、廊下の空気が変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 扉が開いた。

 

 最初に入ってきたのはユリスくんだった。でも、寝台のすぐそばまでは来なかった。一歩手前で止まり、私を見て、包帯を見て、顔をこわばらせる。

 

「……ネリネ姉ちゃん」

 

 よし。今しかない……!

 ゆっくり目を開けると、ユリスくんの顔が見えた。

 

「……ユリスくん」

 

 ユリスくんの顔が、くしゃっと崩れた。

 

「ネリネ……っ」

 

 伸ばされた手は、途中で止まった。

 

 包帯が多すぎて、どこに触っていいか分からないらしい。その気持ちは分かる。私も今、自分のどこまでが包帯なのか、少し分からない。

 

「確認します!」

 

 エルミナさんが、寝台の横へ滑り込むように来た。表情は引き締まっている。手は止まらない。額、首元、包帯の上から胸元。それから、治癒の光をそっと重ねる。

 温かい。

 でも、やっぱり少し表面を滑るだけだった。

 

 エルミナさんは、光の届かなさを一瞬見つめた。それから、ふっと息を吐く。

 

「息は、戻っています。意識も……先生の処置で、戻ったんですね」

 

 

 

 

 クラリッサさんは、少し遅れて入ってきた。

 足元が一度止まる。私を見て、包帯を見て、それから自分の手を見た。

 

「……本当に、戻ったのね」

「はい。もう大丈夫です」

 

 私ができるだけ元気そうに言うと、クラリッサさんの顔が歪んだ。

 

「心臓が止まって、手術を受けたばかりなのに、大丈夫なんて言わないで」

 

 怒られた。

 

「どこ。どこが痛い。寒くない? 苦しくない? 目、見えてる? 俺の声、分かる?」

「ユリスくん、ひとつずつでお願い」

 

 ユリスくんが、はっとした顔をして「ごめん」と謝った。私は首を横に振ろうとして、包帯に少し止められる。首が動きにくい。

 

「もう、ひとりで行かないで」

 

 ユリスくんが、低く言った。

 怒っている声ではなかった。

 お願いする声。

 

「モルの毛を整える時も?」

「その時も」

 

 それは困る。

 報告書を書いてる時とかは、見られるとかなり困る。

 

 

 

 

 

 ノルクは、少し離れたところで革鞄を閉じていた。一刻も早く帰りたいのだと思う。

 

「先生、本当にありがとうございました。せめて、お名前だけでも」

 

 エルミナさんが振り返る。

 

「不要です。急ぎの患者がいますので」

 

 返事が早かった。そして、旅の医者は帽子を少し下げ、そのまま足早に部屋を出ていった。

 エルミナさんが小さく呟いた。

 

「……お礼の品も、お金も、受け取らずに。あんなに腕の立つ方なのに」

 

 

 

 

『ノルク、お礼はいらないの?』

『受け取る立場ではありません。加えて、使途がありません』

『ノルクは知らないかもしれないけど、お金があったら焼き菓子が買えるんだよ』

『不要です』

 

 ノルクの気配が遠ざかっていく。たぶん全速力ではない。でも、気持ちは全速力だと思う。

 

 

 

 

 

 

 処置室に静けさが戻った。

 

 ユリスくんはまだ寝台のそばにいて、エルミナさんは何度も私の様子を確認している。クラリッサさんは少し離れたところで立っていたが、やがて一歩前に出た。

 

 濃紫の髪が、肩からこぼれる。近くで見ると、思っていた以上に整った顔立ちの人だった。濃紫の髪が肩の上で揺れる。目は灰色に近い青。睫毛が長く、鼻筋がまっすぐ。

 

「ネリネさん」

 

 そういえば、私はこの人に名乗っただろうか。ユリスくんが呼んでいたっけ。

 

「私も、旅に同行させてください」

 

 クラリッサさんは、深く頭を下げた。

 

「あなたに、私は助けられた。だから、せめて、あなたが本当に無事だと分かるまでは、そばにいさせて」

「いえ、大したことはないので。大丈夫です!」

 

 これは本当だ。痛くもなかったし、今もわりと元気だ。ただ、包帯が多いだけである。

 

「心臓が止まっていた人が、そういうことを言わないで」

 

 また怒られた。

 心臓は、たぶん最初から人間と同じ場所では動いていないだけなのだけれど。

 

「本当に、クラリッサさんが気にすることではないので。私、ちゃんと助かりましたし」

「助かったから、なかったことにはならないわ」

 

 クラリッサさんは、まっすぐに言った。

 言葉が鋭い。

 ああ。この人が、エルミナさんの言っていた人だ。正しい人。お話が少し鋭い人。

 

「ただ、感謝くらいは受け取って」

 

 その言い方は、少しだけ柔らかかった。しかし、有無を言わせぬ圧があった。

 

「……はい」

 

 私は小さくうなずいた。

 クラリッサさんは、もう一度頭を下げた。

 とにかく無事だと言って、一刻も早く帰ってもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方。

 私は神殿の寝台で、まだ包帯に巻かれていた。

 

 ノルクは、出ていく前に医者としていくつか指示を残していた。

 本日は安静に。

 食事は消化の良いものを。

 薬湯については神官の裁量で。

 歩行は最小限に。

 

 ノルクは医者として完璧だった。

 その完璧さは、全部私に返ってきた。

 

 

 

 

 

 

「歩けるよ」

「歩かせない」

 

 ユリスくんは、きっぱり言った。

 

「足は怪我してないよ」

「心臓が止まった人は、足が怪我してなくても歩かない」

 

 そのまま、私は抱き上げられた。

 神官さんたちの視線が集まる。

 

「あのお二人はどういうご関係で……?」

「勇者様が、ずいぶん大事そうに……」

 

 聞こえている。

 私は、包帯の中で小さくなった。

 村娘は、勇者に抱えられて神殿の廊下を運ばれたりしない。

 

 

 

 

 

 

 寝台に戻ったあと、今度はエルミナさんが湯気の立つ器を運んできた。

 まるで大事な聖具を運ぶみたいな顔だった。

 

「薬湯です。私が厳選した、体に良いものを調整しました」

 

 私の病室のすぐ脇には、小さな調剤室があった。神官が薬湯を煎じるための、病室付きの小さな部屋らしい。確かにその奥で、さっきまでずっとゴリゴリ音がしていた。

 

 

 

 

 器の中には、暗い緑色の液体が揺れていた。

 森の奥で誰にも見つからなかった池の色。

 湯気からは、濡れた草と焦げた根と古い戸棚を一緒に開けたような匂いがした。

 

「少し、苦いかもしれません」

 

 

 

 

 

 飲んだ瞬間、舌が判断を放棄した。

 苦さの後ろから渋さが来て、渋さの横から青臭さが来た。

 いくら水を飲んでも薄まらない。

 むしろ、水が苦さを口の中に広げていく。

 

 エルミナさんは、真剣な顔で「効きます」と言った。

 確かに、何かに効きそうな味だった。

 あと、エルミナさんの「少し」はかなり広い。

 

 

 

 なんとか飲んで器を返すと、エルミナさんは安心したようにうなずいた。

 

「次は、もう少し巡りを整える配合にしますね」

 

 次が、ある。

 

 

 

 

 

 エルミナさんは調剤室へ戻った。そこが定位置になったらしい。

 ゴリゴリ。ゴリゴリ。

 体に良いものが、また粉になっていく音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 夕食は、薄い粥だった。

 薄い。あまりにも薄い。塩味も、野菜もない。

 水が、自分は食事ですと言い張っているような味がした。

 始まりの街の宿屋のスープは、ちゃんと食事だったのだと、私はこの時初めて知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラリッサさんは、本を持ってきた。

 

「退屈しないようにね」

 

 ありがたいのだけれど、積まれた本の題名が、

 

『術後安静のすすめ』

『魔法傷と心の回復』

『無理をする人のための休み方』

『庇われた側の責任』

 

 人のありがたさは、時に重い。

 

 

 

 さらに、窓辺と枕元に石が並べられた。

 

「守り石よ。魔力の乱れを整えるものと、悪夢を遠ざけるものを選んだわ」

 

 クラリッサさんは、少しだけ誇らしそうだった。

 石はきれいだった。

 きれいだったけれど、守り石とやらは、全部が人の顔に似ていた。夜になると、なんだか全部こちらを見ているような気がした。こわい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モルが私の包帯の端をくい、と引いた。口元に、小さな黒い筒をくわえている。

 嫌な予感がした。そっと、中身を見る。

 

『報告書、四日分未着』

 

 ノルクの字だった。

 隣の調剤室で、ゴリゴリ、と音がした。

 

 

 

 

 私は、そっと筒を閉じた。

 

 明日には、五日分になる気がした。

 もう寝ることにしよう。

 

 

 

 

 枕元の石が、今日もこちらを見ている気がした。

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